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中村直史

中村直史 11年10月2日放送


ガンディーとスマッツ将軍

たとえば、南アフリカのスマッツ将軍。
ガンディーが南アフリカで人種差別の撤廃を求め闘っていたころの、
その闘いの相手だった。

ガンディーは人種差別的なあらゆる法律をわざと破り、
自ら進んで投獄されることによって、
南アフリカのリーダーたちと、世界中に向けて、
いかに人種差別がおかしいことかを訴えつづけた。

1914年、ガンディーたちの運動は
「インド人救済法」の成立へとつながる。
この法律をつくったのが、白人社会のリーダーであったスマッツ将軍だった。

その後、インドに戻ることとなったガンディーは、
投獄中に自らつくったサンダルをスマッツ将軍に贈った。
スマッツ将軍は、後日こう述べている。

 わたしは、それ以来いく夏もこのサンダルをはいてすごした。
 このような偉大な人物と、おなじはきものをはく資格はないと感じながら。

いかなる暴力にも頼らないこと。質素な暮らしをすること。
その力を信じ抜いたガンディーらしい贈り物だった。




ガンディーと孫アルン

規律に厳しいことで知られたガンディー。
けれど、ユーモアにあふれる人でもあったようだ。

孫の一人アルンが旅に出るガンディーに
サッカーボールのおみやげをねだったときのこと。

おじいちゃんは忙しいからきっとおみやげを忘れるよ
というアルンに対し、ガンディーは言った。

ぜったいに忘れないよ。でももし忘れたら、
おじいちゃんの頭をサッカーボールがわりにして遊んでいいから。

結局おみやげを買ってきたかどうかの記述は残ってない。
けれど、もし忘れたとしても・・・
ガンディーのことである、約束は守ったに違いない。

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中村直史 11年8月14日放送


前を向く言葉/ロン・クラーク

世界中の人が差別や仲たがいなんかせず、
認めあって生きていく方法は何だろう。

政治的観点から、経済的観点から、歴史的観点から、
専門家たちが専門的な見解を披露してきた。
もちろん、その多くは示唆に富むけれど、
ときにはちょっと難しくて、ひとりひとりが
具体的にどうしたらいいか、わからない場合もある。

そんなときは、ムズカシイ話をカンタンにしてくれる人に聞いてみよう。

アメリカの小学校教師ロン・クラーク先生の本
「みんなのためのルールブック」

子どもたちのために書かれた
50ある、「あたりまえだけど大切なルール」の
23番目のタイトルには、こう書かれてある。

「だれであれ、なかまはずれにしない。」

 だれかがとなりに座りたがったら、
 座らせてあげよう。
 決まった友だちとしか
 座らないのは、よくないことだ。

ほら、話はカンタン。
大人もこんな気持ちでやってみましょうか。




前を向く言葉/齋藤孝

「声に出して読みたい日本語」を書いた斎藤孝。

教育者である彼は、
子どもたちに向けて、熱く語りかけつづけている。

著書のタイトルから熱い。たとえば、
「ガツンと一発・カッコよく生きてみないか!」

カッコよく生きるとはどういうことか、
わかりやすく、熱っぽく書かれたその本の中に、
ひときわ目立つ一行があった。

 逆風がふいているときこそ、人はカッコよくなれるんだ。

いま、カッコよくなれるチャンスかもしれません。

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環手漉き和紙

めぐるてすきわし、
と読みます。

宮城県沿岸部の被災地で倒れた生木を集め、
薄いチップ状にしたものを
福島県や岩手県の和紙会社で
一枚一枚手漉き作業で仕上げた和紙なのだそうです。

ホームページぜひ見てみてください。
(なかむら)

http://www.tomodachi-design.com/

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中村直史 11年7月17日放送


ヨーロッパの芸術家/カルロ・マリア・ジュリーニ

1984年、イタリア人指揮者
カルロ・マリア・ジュリーニは
ロサンゼルス交響楽団の音楽監督を辞任した。

理由は、妻の病気。
つねに近くにいてあげられるよう、
フリーの指揮者となり
引きうける演奏先をヨーロッパに限った。

そういう音楽家だった。

精神性や愛情が、音楽にとっていかに大切か。
日頃の態度からにじみでるような。

ていねいで、つつしみ深く、
オーケストラと指揮者の関係にも敏感だった。

 オーケストラの「指揮」だなんて恐ろしい言葉です。
 大切なのは、「いっしょに音楽をする」ということなのです。

メディア受けする華やかさやカリスマ性だけが
芸術をつくるわけではない。
ジュリーニの精神性に感銘を受けた多くの指揮者たちが
今日も世界中のホールで音楽を響かせている。




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中村直史 11年7月17日放送


ヨーロッパの芸術家/パブロ・カザルス


歴史上最も偉大なチェロ奏者と
称えられるパブロ・カザルス。
彼が大切にしたのは
技術の先にある演奏者の「心」だった。

指揮者としても活躍したカザルス。
そのリハーサルに立ち会った人は、
楽団員に熱っぽく語りかける彼の姿を克明に覚えている。

 もっとあなたの感情を表現しなさい。
 提示しなければならないのは知識ではなく、ここだよ。

そう言って、カザルスは自分の胸に手を当てた。

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中村直史 11年6月12日放送


あの人の師/笑福亭鶴瓶

恐ろしくて、おもしろい師匠だった。
六代目笑福亭松鶴(しょうふくていしょかく)。
弟子のひとりに、あの笑福亭鶴瓶がいる。

弟子をとりたくない松鶴に
最初は居留守を使われながらも、
なんとか面会を許された若き鶴瓶。
向かい合った偉大な落語家の唇に飼い犬の毛が一本
ついているのを見逃さなかった。

師匠が恐ろしいことは知っている。
初対面の緊張もある。
しかし、心の中の声がこう叫ぶのを無視はできなかった。

その毛をとれ。とったらおもろいから、その毛をとってまえ。

突然手を伸ばし「犬の毛がごっつう気になるんで」という鶴瓶に、
松鶴は一言「おもろいやっちゃなあ」。
晴れて、入門は許された。
師匠を心から慕った鶴瓶。
今も、あの犬の毛に感謝しているに違いない。

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中村直史 11年6月12日放送


あの人の師/平岩弓枝

「はやぶさ新八御用帳」(はやぶさしんぱちごようちょう)など、
すぐれた時代小説で知られる作家、平岩弓枝(ひらいわゆみえ)。

歴史資料のその奥に潜む
人間をていねいに描きだすことで、
オリジナルな物語を生みだす。

彼女にそのことを教えてくれたのが、
恩師であり、大衆文学の祖とも言われた
長谷川伸(はせがわしん)だった。

長谷川は、小説家としての大事な心構えのほかに、
お守りとなる言葉をひとつ、平岩にのこした。

 将来、本当に君が人生に行きづまり書けないとなったら、
 必ず幽霊となって出てくる。
 だから、君が僕の幽霊に出会わない限り、行きづまりの壁にぶつかっていないのだ。

平岩はまだ、恩師の幽霊に
出会ったことがないという。
それが少しさみしいようでもある。

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中村直史 11年5月22日放送


生き物のはなし/ルドルフ・シェーンハイマー

「私」という存在は何者なのか。
その難題に答えを出そうとしてきたのは
哲学者だけではない。

科学者もまた、
「私」が何者かを探し続けてきた。

その中でも
1930年代に活躍した生物化学者
ルドルフ・シェーンハイマーの研究は
「私」のとらえかたに大きな変革をもたらすものだった。

シェーンハイマーは体の中にとりこまれた食物が、
どのように体の一部となり、
どれくらいの期間とどまり続けるのかを解明した。

その結果、驚くべきことに、
動物の細胞はほんのわずかの期間に
どんどんいれかわっていることがわかった。

つまり、物質的な意味で言えば、
今日の「私」は、数ヵ月後にはもうまったく違う「私」になっている。
シェーンハイマーはこういった。

 生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが、生命の真の姿である。

私という存在は
言ってみれば、移りゆく粒子のよどみ。
そう聞くと、少し世界が変わってみえませんか。




生き物のはなし/阿部宗明

その魚は、自分につけられた名前に
少しがっかりしているかもしれない。
その名も「ウッカリカサゴ」。

名づけ親と言われているのが、
魚類学者である阿部宗明(あべときはる)。

うっかりすると、カサゴと区別できない。
そして、日本の学者が毎日見慣れたカサゴが
別種だったことをロシアの学者に発表され、
「いやはやうっかりしていた」と、この名前がついた。

ちなみに、カサゴは体の斑点が不明瞭なのに対して
ウッカリカサゴの斑点はくっきりしている。

このつぎ魚屋さんに行ったら
じっくり観察してみませんか?
うっかりしなければ、
きっと見分けることができるはず。

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中村直史 11年4月16日放送



チャップリンとあの人/淀川長治


13歳ではじめて「キッド」という映画を見た。
泣けて泣けてしかたがなかった。
笑いを求めて映画館にやってきた観客が皆泣いていた。

映画評論家 淀川長治は
大正10年のある日のことを思いだしてこう話した。

生涯、たくさんの映画に魅了されつづけ
そして、その素晴らしさを
伝えつづけた淀川長治。

けれどその中でも、チャップリンの映画は別格だった。
とあるインタビューで
淀川さんにとって映画と言ったら?と聞かれ、
迷わず「チャップリンですよ」と答えた。

 チャップリンは私にとって生きた映画の神様です。
 映画の神様で人生の神様です。
 生きること、愛すること、
私は人生のすべてをチャップリンの映画から学びました。

今日4月16日はチャップリンの誕生日。
あの淀川長治にここまで言わしめた
チャップリン映画を見返してみる、
いい機会かもしれませんね。

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中村直史 11年03月26日放送



あの人の師/新藤兼人

「裸の島」「午後の遺言状」など、
世界に誇る作品を送り出してきた
映画監督、新藤兼人(しんどうかねと)。

彼には、師と仰ぐひとりの映画監督がいた。
その名は溝口健二。
巨匠と呼ばれるその映画監督の人となりを描きだそうと、
新藤は関係者にインタビューを重ね、それを一本の映画にする。
映画に入りきらない分は、一冊の本となった。
タイトルは「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」。

女優やカメラマンなど
親交の深かった36人の証言から
浮かび上がる溝口健二像は、一言では言い表せない。
崇拝され、恐れられ、親しまれ、嫌われ、喜ばれた。

そんな、一言では言い表せない人だったからこそ、
型にはまった、安易な人間の描き方を決してよしとはしなかった。
溝口はこんな言葉を残している。

悲しくて滑稽で、それでほほえましくて、しかもそれでいて
どこか腹だたしい話を、その人間を通してまるごと描くんだ。

そうして撮られた溝口のフィルムに、
若き日の新藤兼人が見たものは、
「映画」ではなく
「真実としかいえないもの」だった。

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苦しいのがほんのちょっとでもまぎれれば。

今回の地震で物理的な被害にあわなかったけれど、
映像を見すぎてダメージを受けてしまったり、
地震以降、どうも気分が落ち着かない、不安が襲ってくる、と感じ続けている人に
ぼくが昔、人から教えてもらって、今回も役立っていることを少し書きます。
恐怖を煽る情報は多いのに
恐怖に対処するための情報がないと感じているので書きます。

(被災地の方たちの物心両面のケアが今いちばん大事と
 思っているのですが、そのことに関しては今ぼくに語れることがないので、
 ひとまず話をつづけます)

●おなかで呼吸をする。
仕事をしていたり、ぼーっと家にいたり、電車にのっているときなどに
妙に不安に襲われたら、「数を数えながら呼吸をする」というのを
やってみてください。
お腹をふくらませながら、4つ数えながら、息を吸う。
→お腹をふくらませたまま、息をとめて、7つ数える
→お腹をひっこめながら、8つ数えながら、息をはく。
1,2,3,4(吸う) 1,2,3,4,5,6,7(止める)1,2,3,4,5,6,7,8(はく)
これを5回くらい繰り返します。
腹式呼吸と、数を数えることに集中してみてください。
ちょっと落ち着いてきます。

●気持ちを書きだしてみる。
何を不安と感じているか、
何がこわいのか、何が心の中でもやもやしているのか、
とにかく紙に書いてみます。
もし、たとえば電車の中などで紙に書けない場合は
ケータイに打ち込んでもよいです。
とにかく、疲れるくらい書きだしてみるとよいと思います。
書くと客観的になれます。
不安なことを書いた後に、じゃあ、自分がどうなりたいか、何をしたいか、
たとえば、
楽しく生きていきたい!もうこんな気分はいやなんだ!あの人に会いたい!
そういうのも書くとよいと思います。

●泣く。
自分が不安だとか苦しいんだ、と気づいてない人も多いんじゃないかと
思います。あるときふと涙が出てきて、それで、ああ、
自分は辛かったんだ、と気づく人もいると思います。
たぶん、今回の地震で辛くない人はいないと思います。
えたいのしれない罪悪感もあるように感じます。
泣けと言われて泣けるものではないと思いますが
ふと泣けてきたときは、我慢せず、とにかく泣くとよいと思います。
思い切り泣いた方がいいと思います。

●仕事する。
自分がいままでやってきた仕事に集中してみる。
家事でも、なんでも、日常としてやらなきゃいけないことを
リストアップして、それをひとつひとつこなしていく。
ちなみに、被災していない人が自分の仕事をちゃんとやることは
たとえそれがどんな仕事であれ、最後には、
被災地とそこにいる方たちが立ち直るために必要なことだと思います。

●祈る。
苦しさの大きな要因は、被災された方たちへの
健全な想像力のせいだと思います。
まっとうに思いをはせられる人だから、苦しい。
いま、苦しいのが健全なんだと思います。
募金する、物資を提供する、できる人はそれをやるといいと思います。
でもきっと苦しさからは逃れられないと思います。
個人でできるどんな貢献より、被災者の辛さがはるかに大きいことが
簡単に想像できるからです。
あとは祈ることだと思います。
どうかがんばってください。どうかへこたれないでください。
声に出しても、心の中でつぶやきつづけてもよいと思います。
祈ることは無意味じゃないと思います。



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ごめんね、ほうさい。


咳をしたら あったかくして寝なさいと 卵酒


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中村直史 11年01月09日放送



二十歳のあなたへ/赤川次郎

人気作家、赤川次郎は
二十歳のころ、自分の時間を守るのに必死だった。

実家の家族を支えるために、
高校を出てすぐに勤めに出たけれど、
小説を書く時間まで奪われたくない。

飲み会をはじめとする
会社の行事を断るのは
今よりずっとタブー視された時代だった。

 つきあいが悪いと幹事やらされるんですよ。
 その時だけやって、次からまた行かないんです。

自分を守り抜いた先には、500にも及ぶ作品と
新作を心待ちにするたくさんの読者が生まれた。





二十歳のあなたへ/松本零士

それは、宇宙戦艦ヤマトが
宇宙へと飛び立つずっと前のこと。

九州から700円を握りしめ上京してきた若き漫画家、松本零士は、
二十歳のころ、貧乏アパートの一室で
自分の個性を探していた。

個性は、ふつう、自分の中にあるもの。
けれど松本さんの場合、
彼の下宿に集まるゆかいな仲間たちが運んできてくれた。
喧嘩っぱやいやつ、
寡黙なやつ、
一年お風呂に入らないやつ、
いろんな仲間がいたけれど
わかったのは、「結局みんな同じ」ということ。
さまざまな個性の奥にある「同じもの」の発見が、自分の個性になると思った。

 友人がいっぱいいたから、友人抜きの自分って存在しないんです。

だから松本さんの漫画には、みんなで旅をする話が多い。
ヤマトの乗組員たちも
得意、不得意を補いながら旅をしている。

明日、大人の社会へと旅立つみなさんも、
ぜひ、素敵な旅を。

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中村直史 10年12月05日放送



つくる人のことば/國中均さん

2003年5月に地球を飛び立ち、
7年を経て地球に帰ってきた
惑星探査機「はやぶさ」。

60億キロメートルを旅し、
全長わずか500メートルの小惑星に降り立ち、
そのかけらを持ち帰った。

技術者たちの快挙に、
「奇跡」との声もあがったが、
開発担当者の一人、國中均さんは
奇跡とは言いたくない、と言った。


 努力です。とても「おもしろかった」ので、みんな一生懸命努力したんです。


人間の努力が成し遂げられることは、
宇宙くらい大きいのかもしれない。









つくる人のことば/はやぶさの若き技術者たち


太陽系の星たちが
どんな風に生まれたのか。

その謎を解き明かす使命の下、
地球から遠く離れた小惑星「イトカワ」に降り立ち、
そのかけらを持ち帰った惑星探査機「はやぶさ」。

7年にも及んだその旅は、
「はやぶさ」にたずさわった技術者たちにとって
立ちはだかる困難との格闘の日々だった。

内之浦(うちのうら)宇宙センター元所長の
的川泰宣(まとがわ やすのり)さんは、
「はやぶさ」を小惑星へ着地させる世界初のミッションを回想し、
次のように記している。


 5回にわたる「イトカワ」への降下オペレーションは、
 思い出しても目頭の熱くなるような感動的な光景だった。
 そこでは、繰り返し襲ってくる人生で初めての試練と難題に、
 懸命に取り組む若い技術者たちの美しい姿があった。


困難の末に手にした
その小惑星のかけらは、
10ミクロン以下という微細なものだったけれど、
宇宙の秘密を解き明かす大きな存在となりえる。
その解明は、まだ始まったばかりだ。


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中村直史 10年11月14日放送



人と石/早田くん


1979年のことだった。
夏休みの自由研究のため、
熊本県御船(ミフネ)町にやってきた
小学一年生の早田くん。

目的は、貝の化石を見つけることだった。

でも、見つけた化石は
貝にしては少し大きく、
貝とは違うギザギザがあり、
貝には見られない尖り方をしていた。

長い長い時を経て、
小学一年生の小さな手にたどりついたモノ。
それは、日本初、肉食恐竜の歯の化石。

早田くんの自由研究は、
世紀の大発見になった。









人と石/メアリー・アニング


その少女は、
地球に何十億年もの歴史があることなど知らなかった。

生物が絶滅するものだ、ということも、
かつて恐竜と呼ばれる生き物が
地球上にいたことも、知らなかった。
無理もない。世界中のほぼだれも、そんなことは知らなかったのだ。

少女は、ただ家計を助けるために、
動物の姿が刻み込まれた石を探し、観光客に売っていた。

いまから150年以上も前、
イギリスの港町にいた化石掘りの少女、メアリー・アニング。

「へえ、イギリスにワニがいるんだ・・・」

そうメアリーに思わせていた、
石の中の6メートルもの長さの生き物は、
イクチオサウルス。海の恐竜だった。

学校に通ったこともなかった
一人の少女は、それからも、
数々の発見で世界を驚かすこととなる。


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