小林慎一

山本貴宏 20年8月23日放送


YoTuT
果物で涼をとるアフリカ

ジブチシティーは、アフリカ北東部のジブチとエチオピアにまたがる灼熱の三角地帯。
最高気温はなんと71.5度にまで達し、地上で最も暑い場所と言われている
その暑さは日向に置いてあるコーラの瓶を溶かすほどだ。
そんなジブチシティー、
昼間は人っ子ひとり出歩いていないが
夜になって涼しくなると商店街は一変にぎやかに。
雨もほとんど降らないジブチの店頭に並ぶのは色鮮やかな果実たち。
そんなジブチ人が大好きなのが、イスラム教徒のラマダンの夜に食べるスイカ。
9割が水分である上に、果汁には解熱作用があり熱中症対策にもなると言われている。
日本人にも馴染み深いスイカを今年もまた、頬張ってみたくなる。

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山本貴宏 20年8月23日放送



色で涼をとるスペイン

緑や水を眺めたり、視覚から涼をとるのも暑さをしのぐひとつの方法。
街全体に白い壁の家が立ち並ぶ景色が特徴的なのは、スペイン南部のアンダルシアだ。
西洋漆喰が塗られているのだが、
ただ景観を美しくするだけでなく、現地で暮らす人々の暑さ対策になっている。
アンダルシアは石炭岩の産地なので、白く塗った下はレンガ壁。
土でできているレンガは湿度を調節してくれるので、
気温が高くても、気化熱が発生しやすい。
そして白は熱を反射して吸収しないため、
室内を涼しくしてくれるというとても理にかなった美しい景観なのだ。
美と快適を両立させる国スペインへ、いつかまた足を運びたい。

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山本貴宏 20年8月23日放送



辛さで涼をとる東南アジア

東南アジアの食生活といえば「辛い料理」が思い浮かぶ。
元はといえば、手に入りにくい塩の代わりとして唐辛子を使ったからだと言われている。
スパイスがふんだんに使われた料理を食べると、
汗が体を冷やしてくれるというのはよく知られているが、
唐辛子が役立っているのは発汗作用だけではない。
辛味成分であるカプサイシンは食欲増進を助け、夏バテ防止になるのだ。
クーラーの元でのんびりもよし。
たくさん食べて汗をかくのもまた、健康的で、夏らしい。

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河田紗弥 20年7月26日放送



耳で楽しむ夏の風物詩。 花火

夏の風物詩のひとつである、花火。

花火の原料となる火薬が発明されたのは、
今から2000年以上も前のこと。

中国で薬を発明したり、錬金術を研究したりしている研究者たちが、
偶然火薬を発明したことが始まりだったとされている。

ここで発明された火薬は、
世界中の戦いで使われることとなり、
日本でも戦国時代に鉄砲や打ち上げ式ののろしなどに
使われていた。

そんな火薬が、
花火として人々に観賞されるようになったのは、
江戸時代に入ってからのこと。

戦いがなくなったとき
人は火薬が作り出す美しさに気づいたのだろうか。

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河田紗弥 20年7月26日放送


MO
耳で楽しむ夏の風物詩。 花火

日本ではじめて花火を観賞したのは、
あの徳川家康だと言われている。

1613年に、駿府城で
吹き出し型の花火を見物したという文献が残っており、
これをきっかけにçの生産が開始されたという。

新しい文化に敏感だった江戸庶民。
もともとは
疫病退散や水神祭のイベントとして開催されていたが
次第にお祭りとしての人気も高まり、
いつしか江戸では花火が大流行。

ただ、江戸の木造家屋は火事に弱いため、
たびたび花火禁止令も出されていたそうだ。

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河田紗弥 20年7月26日放送



耳で楽しむ夏の風物詩。 花火

日本最古の花火大会でもある
隅田川花火大会が始まったのは1733年。

当時は、「両国川開き」と呼ばれていた。
このときに花火を打ち上げたのは、
日本最古の鍵屋という花火業者であった。

その約150年後、
鍵屋の番頭が独立して花火業者を始めたのが玉屋だ。

鍵屋と玉屋。
両国橋の上流を玉屋、下流を鍵屋が担当するなど、
ライバルとして、
この二つの花火業者は、さらに発展していった。

しかし玉屋はのちに火災を出してしまい、
これがきっかけで家名が断絶。

それでも「たまや〜」「かぎや〜」という声が
今でも花火大会では、どこからともなく聞こえてくる。

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河田紗弥 20年7月26日放送



耳で楽しむ夏の風物詩。 かき氷

かき氷の歴史は古く、平安時代、清少納言の「枕草子」に出てくる
「削り氷」が最初と言われている。

「削り氷に、甘葛(あまずら)入れて、
あたらしき鋺(かなまり)に入れたる。」
という文章がある。

冷蔵庫や製氷機のない時代、
夏の氷は非常に貴重なものだった。

冬の間に天然の氷を切り出して、
山の麓などに作った「氷室」という貯蔵施設に保存し、
夏に氷を切り出して、都に運ばせ、
宮中で暑気払いを行なっていた。

運ぶ間にも氷は溶け、御所に着く頃には、
氷は小さくなって、
その氷を小刀で削って食べることができたのは、
一部の貴族階級の人たちだけだったとか。

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河田紗弥 20年7月26日放送



耳で楽しむ夏の風物詩。 かき氷

横浜港が開港した江戸時代の末期、
アメリカのボストンから氷を輸入したアメリカ人がいた。

出発から半年以上もかけて、アフリカを経由して
横浜に到着した氷は、
みかん箱ほどの大きさで、3両、
現代の約22万円もしたと言われている。

この氷に着目したのが、中川嘉兵衛だ。

三河の国出身の彼は、
横浜で英国公使のもとでコックとして働いたのち、
東京で最初の牛肉店を開いたり、幅広く商売をしていた。

来日した宣教師に、
医療や食品の保存に氷が有益であると教わった彼は、
天然氷の製造・採取と販売の事業化を目指し、
各地で天然氷づくりを試みた。

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河田紗弥 20年7月26日放送



耳で楽しむ夏の風物詩。 かき氷

1862年の夏。
箱館や諏訪湖から氷を運び、
中川嘉兵衛は
横浜の馬車道通りに、
日本で最初のかき氷屋「氷水屋」をオープンさせた。

店を始めた当初は、
「腹に悪い」という噂のせいで、
なかなか売れなかった…。

しかし、ひとたび安全だとわかると、
夏の暑さもあって爆発的に人気になり、
1杯2文、現代の約30円で、
2時間並ばないと買えないほどの人気になった。

その後も、北海道の五稜郭に製氷場を設け
本格的に生産を始め、
のちに宮内庁御用達にもなった。

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河田紗弥 20年7月26日放送



耳で楽しむ夏の風物詩。 金魚すくい

日本にはじめて金魚がやってきたのは、
室町末期の大阪。

当時は高級品で、一部の貴族の間で、
“生きた芸術”として話題になっていた。

江戸中期になると、
藩士たちが副業として金魚養殖を始め、
大量生産されるようになり、金魚の価格が下がったことで、
江戸に金魚ブームが到来。

当時は、ガラスがなく、
陶器に入れて、上から見るのが主流のスタイルだったとか。

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