森由里佳 20年1月12日放送


和服  呉服屋

三越が呉服屋から始まったというのは有名な話だが、
呉服を一般の人びとに広めたのも三越だ。

「店前現銀無掛値」(たなさきげんきんかけねなし)
これは三越が1683年に掲げたスローガン。
きちんと店頭で、定価で売りますよ、という意味だ。

当時、決まった値段は示されず、
裕福な人間しか購入できなかった呉服。
そんな中、三越は価格を抑え、定価の値札を提示することで、
呉服をふつうの人びとにも開放したのだ。

ちなみに、世界でこの販売方法が始まったのは
アメリカ・フィラデルフィア、1876年。
三越の、およそ200年も後のことである。


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佐藤理人 20年1月11日放送


シュリーマン  クリスマスプレゼント

1829年のクリスマス。7歳のハインリヒ・シュリーマンは、
父親から一冊の本をプレゼントされた。

 イリアス

ギリシャの詩人ホメロスが書いた世界最古にして最高の叙事詩。
挿絵には古代ギリシャ軍に滅ぼされるトロイの街が描かれていた。

絵を見た瞬間、ハインリヒ少年の胸にひとつの夢が生まれた。

いつかトロイの遺跡を見つけてやろう。
そしてこの話が真実であることを証明しよう。

考古学の歴史を書き換える壮大な冒険が始まった。


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佐藤理人 20年1月11日放送


シュリーマン  40年越しの夢

トロイの遺跡を発掘したドイツの考古学者、
ハインリヒ・シュリーマン。

彼が最初に選んだ仕事は貿易商だった。
多額の発掘費用を稼ぐため、武器の密輸にも手を染めた。

しかし片時もトロイのことが頭を離れることはなかった。
仕事の合間を縫って古代ギリシャ語を学び、大学に通い、
ギリシャ人女性と結婚した。

1870年、仕事を引退した彼は、
新婚の花嫁を連れてついに発掘へと旅立った。

このとき47歳。実に40年越しの夢だった。


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佐藤理人 20年1月11日放送


シュリーマン  ヒッサリクの城壁

トロイの遺跡を発掘したドイツの考古学者、
ハインリヒ・シュリーマン。

ホメロスの叙事詩「イリアス」に魅せられた彼は、
100人の人夫を連れ、トロイがあったと言われる伝説の場所、
トルコのヒッサリクの丘へ向かった。

発掘から3年後の1873年、高さ6mの城壁が見つかった。

イリアスの王子パリスに奪われた妻ヘレネーを取り戻すため、
メネラーオス率いるギリシャ軍が攻め寄せる。

城壁の上に立ったシュリーマンの目には、
幼い頃に見た「イリアス」の挿絵が映っていた。


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佐藤理人 20年1月11日放送

DieBuche
シュリーマン  遺跡の真実

1873年6月14日。トロイの遺跡を発掘したドイツの考古学者、
ハインリヒ・シュリーマンの前には、目もくらむ財宝が広がっていた。

8700点にのぼる装飾品の数々。中でももっとも素晴らしいのは、
1万6000個の純金を集めて作った、額から肩まで届く宝冠だった。

彼は泣きながら妻に冠をかぶせると、抱きしめて叫んだ。

 おまえはトロイのヘレネーの生まれ変わりだ!

しかし冠は紀元前2300年頃の、もっと古い時代のものだった。

彼は発掘に夢中になるあまり、
トロイの遺跡を掘り抜いてしまっていたのである。


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佐藤理人 20年1月11日放送


シュリーマン  夢への敬意

トロイの遺跡を発掘したドイツの考古学者、
ハインリヒ・シュリーマン。

彼が実際に見つけたのはトロイの遺跡の、
はるか下に埋まっていた青銅器時代の古代都市だった。

それでも考古学者たちは、彼にトロイ発見の名誉を与えた。

考古学がまだ学問として整備されておらず、
発掘技術にも限界があった時代に、
夢を追い続けた男に敬意を表した。

1881年、彼は改めて発掘したトロイの黄金を、
母国ドイツに寄贈し、ベルリンの名誉市民となった。

生涯、トロイの発掘を続けたという。

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大友美有紀 20年1月5日放送

Massimo Catarinella
シャンデリア 語源

シャンデリア。
照明器具の一つなのに、
豊かさと、豪華さを感じる言葉。
シャンデリアの語源は、
ラテン語のシャンデルと言われている。
輝く、明るくするという意味だ。
ローマ時代に
広い部屋をまんべんなく照らすため、
多数のロウソクやランプが灯せる燭台を、
天井から吊り下げた。
それが原型だという。

今のようにきらびやかな
照明器具になったのは、
ガラス工芸が発達したから。

さて、今年は、
明るく照らされる年になるだろうか。


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大友美有紀 20年1月5日放送


シャンデリア 舞台のシャンデリア

シャンデリア。
原型は「吊り燭台」。
広間や聖堂全体を照らすための
照明器具だった。

ロウソクや獣脂が使われていた時代には、
芯が煤けてしまうと、火が消えてしまうことがあった。
そのため「芯を切る」仕事が存在した。
たとえば、劇場で上演中の舞台でも、
その作業が発生する。
灯火係は上演中の舞台に上がっていき、
堂々とランプの芯切りを行なった。
観客は、それも劇の一部と考え、
「ロウソクの芯切り番=ムシュール」は
誰もが見たがる人気者だったらしい。
ムシュールが手際よく仕事をすますと、
拍手喝采を浴びたという。

シャンデリアは、
非日常を演出する
不思議な魅力がある。


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大友美有紀 20年1月5日放送

Andrea Kirkby
シャンデリア デザイン

シャンデリア。
そのデザインは、ヨーロッパの文明や
生活様式の変化とともに発展してきた。
11世紀の初め頃は、車輪状の燭台にロウソクを並べて
天井から吊り下げるスタイル。
ロマネスク建築の教会によく使われていたことから、
ロマネスク様式と呼ばれている。
その後、ゴシック様式やルネッサンス様式と発展していく。

ガラスや水晶のかけらが飾られるようになったのは、
17世紀後半だったという。
ヴェルサイユ宮殿の鏡の間には、
クリスタルのシャンデリアが3列で吊り下げられている。
私たちが「シャンデリア」と聞いて思い浮かべるのは、
そういった煌めくデザインのものだろう。
フランスのクリスタルメーカー、バカラ社は
1764年、国王ルイ15世の認可を受けて誕生した。
1855年のパリ万博では、140灯のシャンデリアを披露している。

クリスタルの装飾が揺らぐ「シャンデリア」のイメージは、
ここから始まったのかもしれない。


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大友美有紀 20年1月5日放送


シャンデリア 迎賓館

ヴェルサイユ宮殿のように、
煌めくシャンデリアが並ぶ場所が日本にもある。
迎賓館赤坂離宮。
日本で唯一のネオ・バロック様式の宮殿建築物。
「朝日の間」、「彩鸞(さいらん)の間」、「花鳥の間」。
いくつもの広間がシャンデリアで照らされている。
なかでも「羽衣の間」のシャンデリアは、
クリスタルガラスをメインに約7000のパーツを
組み合わせたもので、とても大きく豪華。

シャンデリアをきかっけに、
迎賓館に行くのもいいかもしれない。


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