小野麻利江 19年5月26日放送


Photo by rawpixel.com from Pexels
Beautiful Harmony 五味の調和

甘い・辛い・酸い・苦い・塩辛い。
それらを五つの味、「五味(ごみ)」と呼び
食べ物を分類する考え方が、漢方にはある。

五味は人体の「五臓」と深く関係していて、
酸っぱい味は肝や胆に。甘い味は胃に。苦い味は小腸に。
というように、
口から入った食べ物は、
味ごとにそれぞれ違う臓器に働きかけると考えられている。
五味のバランスを考えた食事をとることが
五臓の調子を整えて健康を維持するとされ、
これを、「五味調和」と呼ぶ。

令和は英語でBeautiful Harmony。
新しい時代も美味しいものを賢く食べて、
身体の中にも、いい調和をもたらそう。

topへ

小野麻利江 19年5月26日放送



Beautiful Harmony ハーモニーの語源

調和を意味する「ハーモニー」という言葉の語源は、
実は、「夫と一緒に蛇に変わってしまった」女神の名前。

ギリシャ神話に登場する女神、ハルモニア。
美の女神・アフロディーテが
戦いの神・アレースと浮気をして生まれた。
アフロディーテの実の夫である
鍛治神・ヘーパイストスはこれにいたく嫉妬し、
復讐の矛先は、ハルモニアへ向けられた。

都市国家テーバイの始祖・カドモスと
ハルモニアが結婚したさい、
ヘーパイストスは、呪いをかけた首飾りを贈った。
その首飾りの呪いによって、カドモスは蛇に変えられてしまった。
ハルモニアは夫をずっと抱き続け、
最後には自らも蛇に変わってしまうという「調和」を果たしたという。

令和は英語でBeautiful Harmony。
ギリシア神話の神々のような
諍い(いさかい)とは無縁な、
穏やかな調和の時代を、願うばかりである。

topへ

茂木彩海 19年5月26日放送



Beautiful Harmony 君が代の音階

「君が代」を聴く機会があると
他の国にはない、独創的な国歌だと改めて気づかされる。

最大の特長は、なんといっても
手拍子が打てない流れるようなメロディーと、独特な音運び。

日本独自の音階は、「四七(ヨナ)抜き音階」呼ばれ、
ハ長調である「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」の場合で考えて
4番目の「ファ」と7番目の「シ」を抜いた音階、ということになる。

なじみが無いようにも感じるが、
演歌やJ-POPにも広く使われており、
古くから日本人の耳になじみやすい音階と言える。

令和は英語でBeautiful Harmony。
日本ならではの美しい音使いに耳を傾ける。
そんな年にしてみるのも良いかもしれない。

topへ

茂木彩海 19年5月26日放送


Nam2@7676
Beautiful Harmony 生け花のバランス

日本発祥でありながら、世界的にファンも多い生け花。

欧米のフラワーデザインでは
統一されたフォルムであることが評価されるが、
生け花は、花だけでなく、時に枯葉を使ったり、
木の枝をあえて曲げたりしながら
全体のバランスを見て、空間を美しく見せることに評価が置かれる。

令和は英語でBeautiful Harmony。
生け花に限らず、アンバランスな調和に美を見出す日本人。

時代の変わり目に、日本ならではの美意識をあらためて意識する。

topへ

古居利康 19年5月25日放送



英一蝶・島一蝶

元禄十一年。
江戸の絵師、英一蝶(はなぶさいっちょう)が島流しに遭った。

行き先は三宅島。
その罪状は諸説あって定まらない。

時の権力者、柳沢吉保が
おのれの出世のために、
自分の娘を公方様に差し出した。
そんな醜聞を揶揄する絵を描いたのが
致命的だったんだ。

いやいや、
生類憐れみの令で禁じられていた
魚釣りをしたせいさ。

当世の人気絵師を襲った過酷な運命。
口さがない江戸っ子の噂が噂を呼んだ。

topへ

古居利康 19年5月25日放送



英一蝶・島一蝶

英一蝶という絵師がいた。
四十七歳で三宅島へ島流しになった。

島へ送られるその日、
江戸霊岸島に大勢の見送りが詰めかけるなか、
一蝶はこんな約束をする。

「島に行ったら、
 干物をつくって生計を立てる。
 その魚のエラに必ず松の葉を入れておく。
 松の葉の入った干物を見つけたら、
 わたしが生きている証しと思ってほしい」

三年後、
じっさいに松の葉が入った干物を
見つけた男がいる。
松尾芭蕉の一番弟子、宝井其角。
英一蝶の、無二の親友だった。

topへ

古居利康 19年5月25日放送


Norio.NAKAYAMA
英一蝶・島一蝶

江戸の人気絵師、
英一蝶は島流しに遭った。

島にいても絵をあきらめなかった。

江戸の友人たちに
絵の具の仕送りを頼んだらしい。
流人であっても、手紙や物資のやりとりは
許されたのだろうか。
一蝶は絵を江戸に送った。
その絵は珍重され、高値で取引された。

島の人にも観音様や天神様の絵を進呈した。
この時代の英一蝶の作品は
のちに「島一蝶(しまいっちょう)」と呼ばれるようになる。

島一蝶の作品で財を成したのか、
英一蝶は罪人の身でありながら島の娘と
所帯をもって、子どもを二人ももうけた。

江戸の人気絵師は、
ころんでもただでは起きない、
したたかな男だった。

topへ

古居利康 19年5月25日放送



英一蝶・島一蝶

江戸の人気絵師、
英一蝶が島流しに遭ったのは、
元禄十一年。

その三年後、浅野内匠頭が
江戸城殿中で吉良上野介に斬りかかる。
その次の次の年、浅野の元家臣四十七名が
吉良邸を襲撃し、主君の遺恨を晴らす。

世に言う、赤穂浪士の討ち入り。
三宅島にもその知らせは届いていただろうか。
英一蝶、齢、五十をとおに越えていた。

その後、徳川綱吉が亡くなる。
将軍逝去の恩赦で無罪放免となり、
英一蝶は江戸に帰れることになった。

島には十二年いた。
江戸帰還の二年前、親友其角が亡くなっていた。
酒好きで、豪放磊落で、憎めない男だった。
二度といっしょに遊べないことが悔しかった。

帰りの船のなかで一頭の蝶を見つける。
これは自分だ。自分は生まれ変わって
生きなおすのだ。

そう思った男は、古い名を捨て、
「英一蝶」の名をはじめて名乗った。
五十八歳になっていた。

topへ

古居利康 19年5月25日放送



英一蝶・島一蝶

江戸の人気絵師、
英一蝶は島流しに遭って十二年後、
将軍逝去の恩赦で江戸帰還をゆるされる。

不在の十二年を埋めるかのように。
精力的に絵を描いた。

この時期の作品で、
『雨宿り図屏風』という絵がある。
降り出した雨を避けて、大きな屋敷の
庇の下に人々があわてて駆け寄る図。
侍。あきんど。お坊さん。遊女。
老人も子どもも野良犬もいる。
夕立は身分の上下に関係なく、
平等に降ってくる・・。

十七の時、狩野派に入門しながら、
すぐに破門された英一蝶。
市井の絵師として、人間の愛らしさや
滑稽さを描いてきた。

江戸に帰って十五年後。
残りの人生をめいっぱい使いきって、
英一蝶死す。七十三歳だった。

topへ

澁江俊一 19年5月19日放送



渋沢の理想

1万円札の新しい顔になるのは
経済人では初めて日本のお札になる渋沢栄一。

日本資本主義の父と言われる渋沢。
彼が目指していたのは
「道徳経済合一」というしくみだ。

国や社会のためになる道徳と
しっかりお金を稼ぐという経済が
どちらも実現されている状態。
その理想を貫いて渋沢は
500社もの企業の立ち上げにかかわった。

道徳と経済。
ついお金ばかり追いかけてしまう企業が
まだまだ多い現代日本。
偉大な父の理想のように
会社が果たすべき道徳の大切さに
思いをはせてみようじゃないか。

topへ


login