2012 年 のアーカイブ

三國菜恵 12年2月5日放送



野球をおもしろくした男たち/嶋田宗彦

和歌山県・箕島(みのしま)高校出身の野球選手、
嶋田宗彦(しまだ むねひこ)。

彼が出場した、1979年 夏の甲子園は
歴史にのこる名試合だったと言われている。

対戦相手は、石川県の名門・星稜(せいりょう)高校。
両者同点のまま迎えた、延長12回。
星稜高校が1点を追加、箕島高校は窮地においこまれる。

敗戦ムード一色の中、打順がまわってきた嶋田選手。
彼は、ベンチじゅうに聞こえる声でこう叫んだ。

「カントクーッ、ぼく、ホームラン、狙ってもええですかー!」

そのことばに、誰もがハッとおどろいた。
次の瞬間、チームメイト達が顔をあげると
レフトスタンドをめがけてホームランボールが飛んでいた。

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佐藤延夫 12年2月4日放送



松平康隆さんを偲ぶ1

優しい大人が増えている。

学校の先生も、
会社の上司も、
子どもを躾ける親までも。

その優しさは、相手を向上させることではなく、
自分が良く思われたいという思いが見え隠れする。

男子バレーボールの元日本代表監督、
松平康隆さんは、語る。

  大事なことをわからせるために、
  嫌われてもいいという覚悟がなければ
  監督だろうか親だろうが、まともにつとまりゃしない

昨年の大晦日、
厳しい大人がこの世を去った。



松平康隆さんを偲ぶ2

試合を楽しみたい、とコメントするスポーツ選手がいる。

プレッシャーと向き合わない方法なのか、
本気であるが故の照れ隠しなのか、
それとも、本当に楽しむつもりなのか。

男子バレーボールの元日本代表監督、
松平康隆さんは、語る。

  エンジョイしに行くのなら、
  オリンピックとは言わず、ピクニックと言え

こんなことばかり言うから嫌われるんだ、
と松平さんは笑う。


ちづ
松平康隆さんを偲ぶ3

たかがスポーツ、と言う人がいる。

そんな相手に対して、
男子バレーボールの元日本代表監督、
松平康隆さんは本気で抗議した。
ときには作家に、そしてときには政治家にも。

  人間が最も頑張れるのは深い感動の力によって、です。

考えてみれば、
人々が熱狂し、雄叫びをあげるのは
スポーツのワンシーンであることが多い。



松平康隆さんを偲ぶ4

1964年、東京オリンピック。
男子バレーボールは銅メダルを獲得したが、
世間は相手にしなかった。
東洋の魔女、女子バレーが金メダルを取ったからだ。

これを松平康隆さんは、銅メダルの屈辱と呼ぶ。

そして8年後のミュンヘンオリンピックで、
男子バレーボールは、初の金メダルに輝いた。

ウルトラ時間差。
Aクイック。
Bクイック。

現在のバレーボールで常識になった技は、
「小さなナポレオン」と呼ばれた松平さんが開発した。
この言葉を胸に抱きながら。

  常識の延長線上に世界一は絶対にない。
  非常識の延長線上にしか、世界一はない。



松平康隆さんを偲ぶ5

男子バレーボールの元日本代表監督、
松平康隆さんには、
目の不自由なお母さんがいた。
そして人生に必要な多くのことを教わった。

  負け犬になるな
  男は語尾をはっきりしろ
  卑怯なことはするな

松平康隆さんは、サインを求められると
必ず一筆、書き添える。

  負けてたまるか

母から貰った、ありのままの言葉。
その重さを忘れてはならない。


Mike Chien
松平康隆さんを偲ぶ6

それは東京オリンピックの一年前。
男子と女子のバレーボールチームは、
ヨーロッパ遠征に旅立った。

女子は22戦全勝。
かたや男子は22戦全敗。

当時、男子バレーのコーチだった
松平康隆さんは、この屈辱をバネにした。
だからこんな言葉が残された。

  金メダルを取るために、犯罪以外は何でもやった。



松平康隆さんを偲ぶ7

  報われることを期待して、努力してはいけない

男子バレーボールの元日本代表監督、松平康隆さんは、
選手たちに必ずこう言ったという。

それは冷たい言い草のように思えるが、
世の中は、現実は、確かに甘くない。
努力すれば誰でも金メダルが取れるわけではないのだから。

松平さんが言いたかったのは、
「為せばなる」ではなく、
「為そうとする気持ちが大切」ということ。

そして指導者に対しても、自説を語る。

  指導者とは、教える人間ではありません。
  もっとも心掛けなければならないのは、
  生み出すことのできる人間に育ててやることです。

自分の役割をしっかりと心得ている指導者は、
今の日本に、何人いるだろう。

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SBC ラジオCMコピーライターコンクール

去年、このコンテストでグランプリを取ったCMは
消費者のための広告賞でも最優秀賞を獲得しました。
プロアマ問わずチャンスです。
応募の締め切りは2月29日、詳細は下記URLからどうぞ。
http://sbc21.co.jp/radio/cm2012/index.html

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五島の焼き鯖寿司を食べてみた

五島の焼き鯖寿司が銀座のデパートの地下で売られていた。
1本買って帰って会社のみんなと食べた。

えらそうな包装紙にくるんであった。
鯖寿司は棒寿司で、要するに棒のようになっている。
それを切って売るか棒のまま切らずに売るか
客のリクエストに合わせて切ったり切らなかったりするのか
それは店の方針によると思うが
この焼き鯖寿司は切ってあって、さらに一切れづつラップしてあった。

さらに酢飯と鯖のあいだに椎茸と生姜が入っていた。

ちょいと固くなった鯖寿司を火鉢で焼いて…というのが
焼き鯖寿司と思っていたが、なかなかそうではなかった。
他の鯖寿司を調べても
生姜や青じそがはさんであるものが多い。
(シンプルなものもあった)

なるほど….

ところで、焼き鯖寿司には醤油も添えられていたが
どうもその醤油が甘いようだった(玉子)

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西尾まりちゃんの牛深通信はじまる

天草の地域活性化とPRをめざした映画「ワッゲンオッゲン」出演のために
1ヶ月の間、天草市牛深町の一軒家に移り住むことになった
女優の西尾まりちゃんのレポートがはじまっています。

上の写真は天草エアラインの飛行機。
座席数およそ40。


まりちゃんが住み着いた一軒家のちかくに売りに来る魚屋さんと八百屋さん。
魚はビニール袋一杯の鯵が500円、安い!

その一軒家の台所はこんな感じ。
コンロはカセットコンロでしたが、2月1日にガスコンロがつきました。

映画ワッゲンオッゲンのHPはこちら:http://amakusa-movie.com/

Tokyo Copywriters’ STreet「西尾まりの牛深通信」はこちら:
http://www.01-radio.com/tcs/archives/category/ushibuka

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名雪祐平 12年1月29日放送



ぼくらはすこし死んでいる 1.レイモンド・チャンドラー

女から結婚を持ちかけられたが、
それを断ってしまった男。

その心境はどういうものか。

レイモンド・チャンドラーが書いた
小説『ロング・グッドバイ』の一場面。

私立探偵フィリップ・マーロウは、
女と別れた朝、
ベッドに残された1本の黒髪を見た。

その時、小説家は男にこんなセリフを吐かせる。

 さよならを言うのは、
 少しだけ死ぬことだ。

つらい別れにじっと耐え、
世界から切り取られたような男が
そこにいた。


Monosnaps
ぼくらはすこし死んでいる 2.ボブ・マーリー

ボブ・マーリー、
歌うことで国家を変えた男。

ジャマイカが混乱し、悲惨な時、
人々にこう訴えた。

 おまえの口からついてでる言葉が、
 おまえを生かすのだ。
 おまえの口からついてでる言葉が、
 おまえを殺すのだ。

レゲエの神様は教えてくれた。
自分の言葉が、自分に、世界に影響することを。

完全にポジティブになるまで
すこしのネガティブが、すこし殺していることを。

ほんとうに神様だったのかもしれない。
絶大な存在感で、世界を変えた。



ぼくらはすこし死んでいる 3.草野心平

草野心平は、蛙の詩人、である。

昭和3年の詩集『第百階級』は、
全篇、蛙がテーマ。

どうして蛙なのか。
心平によれば、

蛙は人類よりも古くから存在し、
総理大臣もいなくて全員庶民だから、となる。

『第百階級』には、ゲリゲという蛙が登場する。

蛇に呑み込まれたゲリゲが瀕死状態で叫ぶ。
それはこの世でもがく詩人、心平自身の分身。

ゲリゲは仲間に向かって
必死にこう伝えるのだ。

 死んだら死んだで生きてゆくのだ。

肉体は滅びても、魂は生き残る。

心平は命の限り、晩年まで書き続けた。
その魂は、作品というかたちで、
死んだら死んだで生きてゆくのだ。



ぼくらはすこし死んでいる 4.高村光太郎

死ぬことに想いをめぐらし、
死に近づく。
すると、生きる言葉が浮かび上がる。

自分の最期にどんな言葉を刻むか。
高村光太郎の『ある墓碑銘』という詩は
こう始まる。

 一生を棒に振りし男此処に眠る。
 彼は無価値に生きたり。

光太郎の自嘲的なこの言葉は、逆説であるらしい。

話すこと。歩くこと。詩を書くこと。
そういう腹の足しにもならない無駄こそ
全身全霊、命がけでやる、という強い誇りが、
言葉にあふれている。



ぼくらはすこし死んでいる 5.小熊秀雄

 女よ、
 真実よ、
 お前を先に突落して
 逃げかへるやうな
 私は薄情な男ではない
 人生とは
 その日、その日の、
 情死の連続のやうなものさ

これは、戦前のプロレタリア詩人
小熊秀雄の詩の一節である。

人生とは、それぞれの状況で選択を迫られる。
それは自分を限定し、
他の可能性を死なせていくことでもある。

人生はそのくり返し。情死の連続。
と、詩人は記した。

この世に、情死しない男など
いないのだ。



ぼくらはすこし死んでいる 6.岡倉天心

明治時代の思想家、岡倉天心は
こう書いた。

 堂々男子は死んでもよい。

死にもの狂いで新境地を開いていこうとする
渾身の男の言葉である。

現在の東京藝術大学の設立に奔走し、
日本美術院の創設者としても、
近代日本の美術界を築いてきた天心。

死を覚悟してはじめて、
人間の生命力は
ほとばしるのかもしれない。


tokushima2000
ぼくらはすこし死んでいる 7.松田優作

俳優松田優作が残した言葉がある。

 人間は二度死ぬ。
 肉体が滅びた時と、
 みんなに忘れられた時だ。

その意味で、伝説になった彼は
二度死んでいない。

しかし、いま生きている自分の場合は
どう考えたらいいだろう。

まわりから忘れられた時が死ならば、
毎日死んだり、毎日生き返ったり、
ずいぶん忙しそうだ。

せめて自分で自分のことは
忘れずに気をつけていたいもの。



ぼくらはすこし死んでいる 8.ジェームズ・ディーン

もし、エレガンスな死に方があるとしたら、
どういうものだろう。

ある時、ジェームズ・ディーンは
こう言葉にしてしまった。

 速く生き、若く死に、
 美しい死体になろう。

この言葉がまるで予言となり、
死神がすこしずつ忍び寄ってきたのだとしたら。

24歳での衝撃的な自動車事故死。
その死は、はたして、美しかったのだろうか。

時が過ぎ、美しい伝説のように語ることは、
生き残った者の勝手なのかもしれない。

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渋谷三紀 12年1月28日放送


A. Davey
つくる男/映画/三谷幸喜

三谷幸喜監督の撮影現場でのこと。

大工役に
たくさんの老人俳優をキャスティングしたところ、
どうも思うような絵が撮れない。

撮影前は元気なのに、
カメラの前に立つとパワーダウンして
話し方までゆっくりになってしまう。

思い悩むうち、三谷は気づく。
彼らは老人を演じているのだ。

ご老人役にはご老人俳優という作り手の意図。
そこに、演じるという演じ手のプロ意識が加わることで、
いかにもすぎる不自然な老人ができあがってしまうのだから、
なるほど、映画づくりはむずかしい。
三谷監督は俳優たちにこう声をかけた。

普通な感じで演じて下さい。
心配はいりません。
皆さん、普通のままでも十分お爺さんですから。


acaben
つくる男/ファッション/三宅一生

アップルの前CEOスティーブ・ジョブスのトレードマークとなった
黒いタートルネックは、三宅一生のデザイン。
すでに生産中止になった商品にもかかわらず
全く同じ色合い、肌合い、袖を捲り上げたときの感触のものを、
100枚以上つくらせて積んでおくほどの気に入りようだったという。
考えてみれば、

きれいで終わる服じゃなく
着たいと思う服を作ろう。
という三宅一生のデザイン哲学は、

どう見えるかでなく
どう機能するか。
というスティーブ・ジョブスの哲学とみごとに重なる。

シンプルな哲学でつくりあげた
シンプルなプロダクツは
人の身体にも心にもよく馴染むようだ。


hakkaku
つくる男/笑い/萩本欽一

天然ボケ。
いまでは普通に使われているその言葉を
初めてつかったのは、欽ちゃんこと萩本欽一。

当時明石家さんまの運転手をしていたジミー大西に、
「天然にボケてる人だ」と言ったことが始まりだとか。

悪意がなく、みんなを笑わせてくれるボケ役は、
周囲を和ませ、誰からも愛される。

ボケ役について欽ちゃんはこんなことも言っている。

自分の欠点を突かれてニコニコしていられる人は
いいボケができるよ。

それができたら、お笑いの世界じゃなくても、最強かもしれません。


hello_hiroki
つくる男/歌詞/松本隆

書いた曲は2000曲以上。
51曲のオリコン1位は日本一。
アイドルからロック、クラッシックまで
40年以上ヒットメーカーとして走りつづける作詞家松本隆。
現在も依頼がひっきりなしの松本は、
作詞についてこんなことを言っている。

「愛してる」と連呼されても信用できないでしょう。
どうしたら「愛してる」とか「好き」って言葉を使わずに
その気持ちを伝えられるか。
それがわかれば歌になります。

ともすれば、
イメージの広がりよりもわかりやすさがもてはやされる
現在の音楽シーン。
その中にあってなお
聴き手の想像力を信頼できるかどうかが
消費されない作詞家の条件かもしれない。


steevil
つくる男/エンターテイメント/ウォルト・ディズニー

決して忘れてはならない。
すべての始まりが一匹のネズミだったことを。

黒くて丸い耳に、大きな白い靴。
世界中で愛されているミッキーマウスの生みの親
ウォルト・ディズニーの言葉。

貧しかったウォルトは、
ガレージに古いカメラを据えてやっとの思いでつくった
アニメ『うさぎのオスワルド』の権利を配給会社に奪われてしまう。
うなだれて帰る汽車の中ふと浮かんだのが、ネズミのキャラクターだった。

「蒸気船ウィリー」でのデビュー後は、25年で100本以上
ミッキーシリーズの映画が制作され
ドナルド、プルート、グーフィーなど
多くの人気キャラクターがミッキーとの共演から巣立っていった。

ディズニーの成功は映画だけにとどまらなかった。
カルフォルニアを皮切りに世界中にディズニーランドを開園。
現実に夢の世界をつくりあげた。

夢が現実を変え、それがまた、世界に夢を与えつづける。
そのきっかけは複雑な理論でも難解な思想でもなく
たった一匹のネズミだった。


David_Reverchon
つくる男/詩/ジャン・コクトー

フランスの芸術家、ジャン・コクトー。
小説や演劇、舞踏、評論、デッサンと、その活躍は多岐にわたるが
すべての活動の根底には「詩」があり、
彼自身、「詩人」と呼ばれることを好んだ。

あるインタビューで
「あなたは死んだら、地獄と天国のどちらにいくと思いますか?」
と聞かれたコクトーは、こんな風に答えた。

どちらでも。そのどちらにも会いたい友人がいるのでね。

詩人、ジャン・コクトー。
「人生」という作品の根底にもやはり「詩」があった。


Edwin Leung
つくる/建築/アントニオ・ガウディ

サグラダファミリアにグエル公園、カサミラと、
スペインのバルセロナを歩けば目に飛び込んでくる独創的な建物の数々。
それらを手掛けたのが建築家アントニオ・ガウディ。

「鳥の翼は飛ぶためにあります」といった教師に、
「鶏の翼は走るためにありますよね」と反論した。
というエピソードからわかるように、
少年時代から鋭い観察眼で周囲をあっと言わせていたガウディは
こんなことを言っている。

人間がつくりだすものは、
すでに自然という偉大な書物に書かれている。

つくることは、見つけること。
創造の種は世界中にあふれていると
ガウディは教えてくれる。

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冬の猫は暖かい


冬の猫はあたたかい。
ホットカーペットであたたまっている。
湯たんぽにへばりついてあたたまっている。
電気座布団であたたまっている。

あたたまり過ぎて、ちょっと休憩でもするかというときに
飼い主のところに来るが
そういうときに触るとたいていもわっとあたたかい。

写真はホットカーペットであたたまっているハエタロー(玉子)

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三島邦彦 12年1月22日放送


Misogi
立川談志という男

落語家、立川談志は、
ファンからサインを頼まれるといつも、
その時頭に浮かぶ一言を添えていた。

酒場でサインを求められた時は、

 酔おうよ 世の中がきれいにみえてくる

おいしくない定食屋からサインを求められると、

 がまんして食え

その中で、何度も談志が書いた言葉、それは、

 幸せの基準を決めよ

そして、

 人生成り行き



立川談志という男

万雷の拍手。

向けられる先は、舞台の上で頭を下げる一人の男。落語家、立川談志。

深いお辞儀から顔を上げ、両手をふせて拍手をおさめる。
腕を組んで、何度もうなずき、口を開いた。

  また違った芝浜がやれました。
  よかったと思います。

2007年12月18日。東京、有楽町。
立川談志とっておきの十八番、人情噺「芝浜」を演じる恒例の落語会。
何度となくこの噺をやってきた談志師匠にとっても、この日の出来は格別だった。

一度下がった幕が再び上がり、談志がしみじみと語りはじめた。

 一期一会ですね。
 けど、こんなにできる芸人を
 そう早く殺しちゃもったいないような気もします。
 くどいようですが、一期一会、
 いい夜をありがとうございました。

後に、「神がかりの芝浜」と呼ばれるこの会。
落語の神にふれたせいか、いつになく謙虚な談志師匠。
一期一会の名演に、再び拍手がわき起こった。



立川談志という男

 学問は貧乏人の暇つぶしだ。

そんな、高座での奔放な発言も魅力だった、立川流家元、立川談志。
ある日の落語会で、こう語った。

  俺は正しい人間だと言える。
  なぜかというと、いつも間違ってねえかな、大丈夫かなと思ってる。
  これを正しい人間と言うんじゃないんですかね。

奔放の裏側にある謙虚さ。
これが立川流、嘘のない生き方。



立川談志という男

立川談志、35歳の時のこと。
参議院議員選挙に出馬し、周囲を驚かせた。
選挙当日の夜。
開票がはじまったが、
夜が更けても談志の名前は出てこない。
とうとう最後の当選者となった時、
立川談志の名前が呼ばれた。
リポーターからコメントを求められて一言。

 真打ちは最後に出てくるもんだ。

これぞ、落語家、立川談志の粋。



立川談志という男

落語の中には、色々な登場人物が出てくる。

あくびの作法を教える師匠。
生きているのに死んでいると思い込む人。
犬から人間に生まれ変わった人。
みかん欲しさに病気になる人。
狸に殿様、酔っぱらい。
立派な武士まで、実に様々。

落語家、立川談志は、
落語とは何かという問いを、こう結論づけた。

 落語とは、人間の業の肯定である。

業とは、人間の心の奥にある、どうしようもない部分のこと。

人間のありのままを受けとめる。
それが、落語であり、
それが、立川談志だった。

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中村直史 12年1月22日放送



立川談志という男

2007年1月。渋谷パルコ劇場。
落語をやり終えた立川志の輔は、
割れんばかりの拍手を受けながらも、いまだ緊張しているように見えた。

客席に師匠、立川談志が来ていた。
談志が弟子の落語を客席から見るのは極めてまれ。
しかも芸に厳しい談志。
客の前であろうと、何を言い出すかわからない。

「本日は客席に私の師匠、立川談志が来ております」
志の輔が紹介をした。

談志はすっと立ち上がると
ステージの志の輔に向かって、無言で親指を立てグーサインを出した。
深々とおじぎをする志の輔。
どれほどの賛辞か、本人が痛いほどわかっただろう。

立川談志は死んだ。
けれど、談志は生きている。
たとえば、志の輔の落語の中にも。



立川談志という男

精神に肉体が追いつかない。
病と老いに、談志はとまどった。
いらだち、眠れない日々がつづいた。

ヒツジを数えて寝ようとすると、無限に数えてしまう。
だから、キリのあるものにしようと思って
鈴木と名のつく人を挙げてみる。
すると記憶のひだの中から
有名人、無名人、過去の人、いまの人、いくらでも名前が浮かび上がる。
そしてまた眠れない。

ずば抜けた記憶力が
天才、立川談志の芸を支え、
同じくらい苦しめていたかもしれない。


Jaidn
立川談志という男

立川談志が落語に追い求めた「イリュージョン」を受け継いでいる。
そう評されたのが、弟子、立川志らく。

志らくは最後に談志を見舞った日、
心の中でお別れの言葉を言ったという。

 師匠、私がいるから、落語は大丈夫です。

立川流を名乗る者として、
それ以上の別れの言葉はなかった。

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