アーリーロケットメン①「王冨」
1500年頃の中国に、
人類初の宇宙旅行を計画した男がいた。
名は王冨(ワンフー)、明の高級官吏だ。
2つの凧で引っ張り上げた竹製の椅子に座る王冨。
椅子の後ろに取り付けた47基の火薬ロケットに
47人の男たちが火をつけた。
バーン!
煙が晴れたとき、そこにあるのは
粉々になった椅子の残骸だけだった。
駆け寄った人々は口々に言った。
王冨は天国へ行ってしまった。
科学的に計算すると、
その火力で天国に到着するのは約7分後。
しかし彼の場合、7秒もかからなかったに違いない。
月面の、とあるクレーターに、
この無謀かつ勇敢な挑戦者の名が付けられていることは、
あまり知られていない。
2013 年 3 月 9 日 のアーカイブ
佐藤理人 13年3月9日放送
佐藤理人 13年3月9日放送
アーリーロケットメン②「セレービ」
キリストに会いに行って参ります。
男はそう言って空へ飛び立った。
17世紀のオスマン・トルコ。
王の娘の誕生パーティを、
大型花火による人間飛行で盛り上げることになった。
そこに名乗りをあげたのが国一番の技術者、
ラガーリ・ハッサン・セレービだった。
7枚の翼と1.2トンの火薬を乗せたロケットは、
トプカピ宮殿の屋根から
ボスポラス海峡に向かって約300メートル飛んだ。
落下するかに見えた瞬間、セレービは見事な翼さばきで、
無事、王の待つ宮殿の庭に着陸。
群衆の歓声を浴びながら、王に言った。
陛下、キリスト様からよろしくとのことでした。
佐藤理人 13年3月9日放送
アーリーロケットメン③「ロー」
弾丸人間
の異名を持つアメリカのスタントマン、
ロドマン・ロー。
彼は高層ビルや自由の女神から
パラシュートで飛び降りるだけでは飽き足らず、
20キロ先の町までロケットで飛ぶことを計画。
しかし彼のロケットは、
大量の火薬を積んだだけの巨大な筒。
案の定、大爆発を起こした。
奇跡的にかすり傷で済んだ彼は、
すぐに再挑戦したがったと言う。
どうやら肝っ玉まで弾丸だったらしい。
佐藤理人 13年3月9日放送
アーリーロケットメン④「キバルチッチ」
ロケットエンジンの理論を発見したのは、
皇帝の暗殺者だった。
ロマノフ王朝の皇帝アレクサンドル二世を
三度も付け狙って暗殺した過激派グループ
「人民の意志」の一員、ニコライ・キバルチッチ。
彼は処刑を待つ牢獄の中で、
火薬を段階的に爆発させれば、
ロケットを加速できるとひらめいた。
これこそ現代のジェットエンジンに使われている、
徐燃式爆発
と呼ばれる技術。
アレクサンドル二世は、
ロシアの自然資源を開発するために
優秀な科学者の育成に尽力した皇帝だった。
皮肉にもキバルチッチは、
その政策によって育てられた
爆破のスペシャリストだったのである。
彼の才能と執念深さを研究に生かしていれば、
と思わずにはいられない。
佐藤理人 13年3月9日放送
アーリーロケットメン⑤「ツィオルコフスキー(前編)」
幼い頃に聴力を失ったことが、
ロケットの父
コンスタンチン・ツィオルコフスキーを本の虫にした。
孤独を癒すために読んでいた物理や天文学の本は、
やがて彼の生きる原動力になった。
着るものも食べるものも構わず、
頭の中は常に大空と宇宙のことでいっぱい。
独学で研究を続けた彼は、ライト兄弟が空を飛ぶ20年も前に、
宇宙を飛ぶロケットの理論を発見していた。
当時の飛行研究家は皆飛ぶことだけを考えていたため、
機体を軽い木や布で作るのが常識だった。
しかし既に宇宙を見据えていた彼は、
エンジンを乗せるには頑丈な金属の機体が必要と考え、
飛行船の模型を作って政府に助成金を申請した。
しかし役人たちはその模型を、
風のオモチャ
と言って相手にもしなかった。
世界初の飛行船「ツェッペリン号」が誕生したのは、
それから10年も後のこと。
健康な目や耳を持っていても、
何も見えず、聞こえない人のなんと多いことか。
佐藤理人 13年3月9日放送
アーリーロケットメン⑥「ツィオルコフスキー(後編)」
宇宙への行き方も、
ロケットの作り方もすべてわかっている。
しかし彼は地球から一歩も動けなかった。
ロケットの父、
コンスタンチン・ツィオルコフスキー。
ロケット作りの理論や公式を
数多く発見したにもかかわらず、
使える研究費はわずかな奨学金のみ。
何一つ形にできないまま月日だけが過ぎていった。
1917年、ロシア革命が成功すると、
彼は科学アカデミーの正会員に選ばれた。
生活費も研究資金も
ソ連政府から充分に保障されたが、
すでに60歳。宇宙に行くには年を取り過ぎていた。
その代わり彼の周りには、
いつも若い学者が大勢集まって、
教えを請うようになった。
地球は人類の揺りかごである。
しかし人類はいつまでも
揺りかごに留まってはいないだろう。
ツィオルコフスキーの言葉通り、
ユーリ・ガガーリンが
人類史上初めて宇宙へ飛び出したのは、
その言葉の主が亡くなってから
26年も後のことであった。
佐藤理人 13年3月9日放送
アーリーロケットメン⑦「コロリョフ」
第二次大戦後の空をどう守るか。
アメリカは飛行機を。ソ連はロケットを選んだ。
それが宇宙競争における両国の明暗を分けた。
1957年、ソ連のミサイル開発のリーダー、
セルゲイ・パヴロヴィッチ・コロリョフは
世界初の人工衛星「スプートニク」を打上げ、
そのわずか1カ月後には、ライカという犬を乗せた
「スプートニク2号」の打ち上げに成功する。
しかし彼の名は決して脚光を浴びることはなかった。
共産党の機関紙に
K・セルゲーエフ
の名で記事が載ることがあったが、
それがコロリョフの偽名だった。
CIAに暗殺されることを恐れての配慮だったと言う。
文字通り、宇宙競争は命がけ、なのだ。