2016 年 4 月 2 日 のアーカイブ

佐藤延夫 16年4月2日放送

160402-01
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和菓子の源流 大福とお玉

塩大福、豆大福、いちご大福など
さまざまなバリエーションのある大福餅。
そのルーツは江戸時代にさかのぼる。
考案したのは、小石川に住む、お玉という女性と言われている。
それは、ある冬のこと。生活に困っていたお玉さんは、
餅の中に餡を入れて売り出すことを思いつく。
火鉢に焼き鍋を置き、熱々にして売り歩いたお餅は
やがて評判となった。
ちなみに当時の名前は、大きなお腹と書いて大腹餅。
もちろんお腹いっぱいになるからだ。

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佐藤延夫 16年4月2日放送

160402-02
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和菓子の源流 鶯餅と秀吉

春を呼ぶ和菓子、鶯餅。
求肥などで餡をくるみ、青大豆のきな粉をかけたものが一般的だが、
誕生したのは今から400年以上前のことになる。
現在の奈良県、郡山城の城主だった豊臣秀長は、
兄、秀吉を茶会に招く際、珍しい菓子をつくるように命じた。
御用菓子司(ごようかしつかさ)であった菊屋治兵衛(きくやじへい)は、
粒餡を餅で包み、きな粉をまぶした餅菓子を考案する。
その味に感銘を受けた秀吉公は、
鶯餅という名前を与えたそうだ。

秀吉も認めた銘菓は、春の風物詩になっている。

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佐藤延夫 16年4月2日放送

160402-03
HAMACHI!
和菓子の源流/桜餅と新六

関東では長命寺。関西は道明寺。
この季節の和菓子と言えば、桜餅だ。
長命寺の桜餅が生まれたのは江戸時代。
8代将軍 徳川吉宗のころ、隅田川沿いにある長命寺の門番、
山本新六が考案したと言われている。
土手に咲く桜の葉っぱを塩漬けにし
餅を包んだところ、花見客に大いに喜ばれたという。
小麦粉の生地を焼いたのが長明寺、
一方、道明寺はまったく別で
京都の和菓子がルーツとなる。
使われている粉は、道明寺粉といって
水に浸し、蒸したもち米を干したあと荒く挽いたもの。

関東の人か関西の人か、桜餅の姿を聞けばすぐわかる。

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佐藤延夫 16年4月2日放送

160402-04

和菓子の源流/ういろうと陳宗敬

日本の菓子の中でも、
その発祥にさまざまな説が残っているのは、ういろうだ。
鎌倉時代初期、元から渡来した陳宗敬(ちんそうけい)という人が、ある薬を伝えた。
ところがその薬の名前が難しく、誰も覚えられない。
陳宗敬の役職が、礼部員外郎(れいぶいんがいろう)だったことから
それが転じて「外郎(ういろう)」と呼ばれるようになったそうだ。
当時、彼が伝えたお菓子もまた名前が定かではなく、
こちらも同じく「外郎(ういろう)」という。
もともとは黒砂糖で作られており、薬の外郎と色が似ていたから
同じ名前をつけたと言われている。
名古屋、山口、三重などで名物になっているものの
最初に商品化されたのは京都だという。

陳宗敬さん。あなたの伝えたものは、
調べれば調べるほど、不思議なお菓子になっています。

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佐藤延夫 16年4月2日放送

160402-05
ひでわく
和菓子の源流 まんじゅうと聖一国師

まんじゅう、と一口に言っても、
酒饅頭、揚げ饅頭など数え切れないほどの種類がある。
もちろんルーツもさまざまで、
鎌倉時代に、南宋から帰国した聖一国師(しょういちこくし)が伝えたのが酒饅頭。
博多にある茶屋の主人、栗波吉右衛門(くりはきちえもん)に、
酒で発酵させる饅頭の作り方を教えたのが始まりとされている。
もうひとつ、聖一国師が持ち帰ったものがお茶の種で、
それが静岡茶のルーツになっている。

酒饅頭を食べながら静岡茶をいただくときは、
聖一国師に感謝せねばなりません。

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