2017 年 10 月 のアーカイブ

三島邦彦 17年10月28日放送

171028-02
よりよき世界の破片たち オスカー・ニーマイヤー

ブラジルの高級住宅街。
広い庭で空想のスケッチを
楽しんでいた少年はやがて、
104歳まで現役を貫いた伝説の建築家となった。

オスカー・ニーマイヤー。
若き日に現代建築の巨匠ル・コルビジェとともに設計した
国連本部ビルをはじめ、
首都ブラジリアの都市計画など、
その100年を超える人生、
80年を超える建築人生は、
最後まで情熱が絶えることはなかった。

『ニーマイヤー 104歳の最終講義』
という本で、彼は人生についてこう語る。

 人生は一瞬だ。
 それゆえに私たちは学ばなければならず、また、
 礼儀正しくそこを通過しなければならない。


誰よりも学び、誰よりも礼儀正しかった建築家。
そして、その生涯を終えるまで
空想のスケッチを楽しむ心を
忘れなかった人だった。


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中村直史 17年10月28日放送

171028-03 whologwhy
よりよき世界の破片たち 橘曙覧

江戸時代に生きた歌人、
橘曙覧(たちばなのあけみ)。

短歌の伝統といえば、
花鳥風月を歌に詠むこと。
けれど橘曙覧は、
日々の何気ない「たのしみ」を歌にした。

 たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時
(たのしみは、妻と子が仲良く集まり、頭をならべてごはんを食べる時)

 たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時
(たのしみは、朝起きて、昨日まで咲いてなかった花が咲いているのを見た時)

 たのしみは心をおかぬ友どちと笑ひかたりて腹をよるとき
(たのしみは、気がねない友だちと語り、笑いあって、お腹をよじるとき)

何百年もたって、インターネットにAIと
社会はずいぶん変化したけれど、
人が「いいなあ」と思う対象って、
そんなに変わらないのかもしれません。


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三國菜恵 17年10月28日放送

171028-04
よりよき世界の破片たち 伊藤菜衣子

注文の多い夫と暮らして
日々のありかたを模索するうちに、
これは冒険なんじゃないかしらと気づいた。

暮らしかた冒険家・伊藤菜衣子(いとうさいこ)。
これまでの暮らしの常識を見直し、
これからの暮らしかたとは何かを探っている。

夫婦で住む場所を探す旅にでて、
たどりついたのは北海道の地だった。
DIY を繰り返していくうちに、断熱性と気密性の高い、
リノベーションハウスができあがった。

2040年には、日本の40%が空き家になる。
「ないものねだりより、あるものみっけの暮らしかた」
そういう感覚がこれからきっと大事になると伊藤は語る。


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三國菜恵 17年10月28日放送

171028-05 zacktionman
よりよき世界の破片たち 森栄喜

LGBTという言葉がうまれるずっと前から、
男と男の愛情も、女と女の愛情も、普遍的にそこにあった。

でも、いまの自分はまだセクシャルマイノリティ。
そう公言する写真家・森栄喜(もりえいき)は、
写真を通じて、家族とは何か、恋人とは何か、
社会に問いを立ててきた。

森は、時に、街の人にもシャッターを押してもらう。
ウエディングドレスを思わせる
白い衣装に身を包んだ男性二人を、
商店街の通りすがりの、老夫婦が撮る、小学生が撮る。

そこには森と、パートナーの、くったくのない表情がきざまれる。
世界が変わることは、私達が変わることだと、その作品は教えてくれる。


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河田紗弥 17年10月22日放送

171022-01 Pedro
文房具のあれこれ 〜鉛筆〜

エリザベス王朝時代の1564年。
イギリスのボローデル山で、黒いかたまりのようなものが発見された。
その黒いかたまりが、現在の鉛筆の芯の原料となる黒鉛だ。

はじめ、人々は黒鉛そのものを手に持って、文字や絵を書いていたが、
手が汚れて使いづらかったため、
木に挟んだり、布で巻いたりして、使うようになった。

こうして、多くの人々が黒鉛を使うようになった結果、
約200年後には、ボローデル山から黒鉛が姿を消してしまった。

そこで、ニコラス・コンテとカスパー・ファーバーは
他の山からとれる黒鉛を細かい粉にし、粘土と混ぜ、焼き固め、
見事に鉛筆の芯をつくりあげたのだ。
また、黒鉛と粘土の割合を変えることで、
芯の濃さを変えることができることも発見した。

黒鉛の使う量を減らすために、生まれたこの方法。
使い勝手も、書き心地も、以前の方法よりよかったため、
今でも、鉛筆の芯は、この方法を基本に作られている。


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河田紗弥 17年10月22日放送

171022-02
文房具のあれこれ 〜シャープペンシル〜

1838年、
アメリカ人のキーランが「エバーシャープ」という名で
シャープペンシルを発表した。
当時は、ネジのついた棒を回して、中の芯を押し出すタイプのものであった。

日本に、はじめて輸入されたのは1877年。
1915年には、日本製のシャープペンシルが発売されたが、
芯の太さが1mmもあり、高価であったため、一般には広がらなかった。

1960年に、国内メーカーが
現在最も多い形であるノック式のシャープペンシルを発売し、
その2年後には、芯の太さが0.5mmのタイプを発売すると、
瞬く間に、多くの人々に使われるようになった。

0.5mmの芯は、
画数の多い漢字を使う日本語にぴったりの細さだったのだ。


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河田紗弥 17年10月22日放送

171022-03
文房具のあれこれ 〜ボールペン〜

ボールペンは、
1884年にアメリカのジョンラウドが発明したと言われている。
しかし、彼が発明したものは、インク漏れがひどく、
とても文字を書けるようなものではなかった。

その後、新聞の校正に携わっていたハンガリー人のラディスラオ・ピロが
新聞印刷に使われるインクが素早く乾き、
紙が乾いたまま保たれ、滲みもないことに気がついた。

最初はそのインクを万年筆に入れて試したが、
粘性が強すぎたため、ペン先までインクが伝わらなかった。

そこで、彼は化学者であった弟ジョージとともに、
回転するボールを使ってインクを誘導するという
現在のボールペンの原型を1943年に完成させた。

日本にボールペンが入ってきたのは、
第二次世界大戦後、
進駐してきた米軍が持ち込んだことがきっかけだ。
これを手にいれた製造者らが、生産を開始し、
1947年には国産のボールペンが出回るようになっていたという。


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河田紗弥 17年10月22日放送

171022-04 Pedro
文房具のあれこれ 〜付箋〜

1969年、アメリカの科学メーカー3Mに、
ある一つの失敗作が生まれた。

研究員スペンサー・シルバーは、
強力な接着剤を開発しようとしている最中に、
非常に弱い接着剤を作り出してしまった。

当初、この弱い接着剤は用途が見つからなかったが、
1974年に、3Mの研究員アーサー・フライが
本のしおりに応用できないかと思いついた。

1977年には試作品が完成し、
大企業の秘書課に配られた試供品が好評を博し、
1980年の全米販売につながった。

そう、これが
ポストイット誕生の瞬間だ。


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佐藤理人 17年10月21日放送

171021-01 Pedro Netto
カラー・オブ・ジャズ 「ブルー」

マイルス・デイビスの最高傑作のひとつ、

 「カインド・オブ・ブルー」

彼はこのアルバムのピアニストに、
バンドメンバーのウィントン・ケリーではなく、
ビル・エヴァンスを起用した。

がっかりしたケリーは、
トランペッターのブルー・ミッチェルと組んで、

 「ブルース・ムーズ」

というアルバムを作った。

最先端をいくマイルスの、
クールなサウンドとは真逆の熱いハードバップ。
それは憂鬱の青ではなく、カラッと晴れた空のブルー。

このアルバムはミッチェルの最高傑作となった。


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佐藤理人 17年10月21日放送

171021-02 Brianmcmillen
カラー・オブ・ジャズ 「レッド」

ジャズは難しそうでちょっと苦手。

もしもあなたがそう思うなら、
レッド・ガーランドのピアノを聴いてほしい。

ビートにのった左手のブロックコードと、
メロディーを奏でる右手のシングルトーン。
シンプルな技でコクのあるジャズを聴かせてくれる。

そのわかりやすさは時に

 カクテルピアノ

と揶揄されたが、ガーランドは決して
自分のスタイルを変えようとはしなかった。

シンプルということは、裏を返せば、
演奏のアラが目立つということ。

だが、彼のアルバムに駄作は一枚もない。


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