2018 年 4 月 28 日 のアーカイブ

厚焼玉子 18年4月28日放送

180428-01
アルハンブラ はじまり

711年4月28日
7000人のイスラム軍が海を渡って
イベリア半島に上陸し
アルハンブラの丘を占領した。

それから数年でイスラムの勢力はイベリア半島全域に及んだ。
イスラムは他の宗教に寛容だったため
土地のキリスト教徒も次第にイスラムの支配を受け入れ
後のスペイン文化の基礎を築くことになる。

イスラム建築の最高傑作といわれるアルハンブラ宮殿の土台は
こうして固まった。

イスラム軍の最初の上陸地点は指揮官の名前を取って
ジャバル・アッターリク「ターリクの丘」と名付けられ
のちにジブラルタルと呼ばれた。


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厚焼玉子 18年4月28日放送

180428-002
アルハンブラ 原型

スペインの古都グラナダの南東の丘に建つアルハンブラ宮殿は
もともと外敵を阻止するための砦からはじまる。

当時の首都はコルドバにあり、
イスラムの王のもとで
ヨーロッパでもっとも進んだ文化が花開いていた。
このイスラムの王国は宗教の自由を認め、
留学生を受け入れる一方で
外敵の侵入や農民の反乱に悩まされていたらしい。
砦は13世紀に拡張工事が行われ
兵士たちの住居のほか、
武器弾薬も収納する軍事要塞になった。
砦はアルカサーバと呼ばれた。

いまも残る砦の見張りの塔(ベラの塔)からは
グラナダの街が一望できる。

この砦がやがて
アルハンブラ宮殿と呼ばれる建築群に発展する。


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厚焼玉子 18年4月28日放送

180428-03 Tuxyso
アルハンブラ 建築

13世紀の後半、
キリスト教の勢力に追われたイスラム圏に残されたのは
グラナダを中心としたアンダルシア南部だけになっていた。
首都は当然グラナダで、
イスラムの王はこの土地をいつくしみ、
砦を広げ、水道を引き、庭園をつくり、宮殿を建てた。

皮肉なことに
アルハンブラが大きく拡張されたのは
イスラムの残照ともいうべきこの時期だったのだ。

1492年、グラナダは陥落し、
アルハンブラ宮殿はキリスト教徒の手に落ちる。


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厚焼玉子 18年4月28日放送

180428-04
アルハンブラ 水

アルハンブラ宮殿に水道が引かれたのは13世紀。
当時のイスラムの王ムハンマド一世とムハンマド二世の
二代にわたる大工事だった。

アルハンブラにはふんだんに水がある。
池、噴水、滝、水路。
ガイドの説明によると
これらの水はシエラネバダの雪解け水だそうだ。
シエラネバダはグラナダの南に連なる山脈で
標高3478メートル。
標高差を利用してサイホンの原理で水を運ぶ。

グラナダが陥落したとき
最後の王ムハンマド11世はシエラネバダに落ちのび
アルハンブラを振り返って惜別の涙を流したという。


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厚焼玉子 18年4月28日放送

180428-005
アルハンブラ 色

アルハンブラ宮殿の「アルハンブラ」は
アラビア語のアル・ハムラー「赤い城」が語源だという。
なぜ赤なのかについては諸説がある。
周辺の土が赤土だから。
宮殿はもともと赤い漆喰で覆われていたから。
そして、建築の際に
夜を徹してかがり火を焚いて工事をしたから
赤く見えたのだという説もある。

お天気のいい夕暮れ、
グラナダの展望台にはたくさんの観光客が訪れる。
そこで目にするのは夕日で赤く染まったアルハンブラだ。


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