2018 年 4 月 7 日 のアーカイブ

大友美有紀 18年4月7日放送

180407-01 sniggie
日本の色 春はあけぼの

 春はあけぼの。
 やうやう白くなりゆく山ぎは、


有名な「枕草子」の冒頭部分。
日が昇り、光の変化とともに
色味が変わっていく様子が描写されている。
日本の色の名、「アカ」「クロ」「シロ」「アヲ」は
光の色から生まれたとする説がある。

アカは、夜明けの赤く染まる空。
クロは、太陽が沈んだあとの闇。
シロは、夜が明けてあたりがはっきりと見えること。
「顕著」の「ちょ」が転じた言葉とされる。
アヲは、夜明けと闇の間の状態からきている。

太陽の移り変わりを見つめていた古代人が
生み出した色の名だという。


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大友美有紀 18年4月7日放送

180407-02
日本の色 禁じられた紅(アカ)

「庄屋惣百姓共に
 衣類紫紅梅に染間敷候」
しょうや、そうびゃくしょう ともに
 いるい むらさきこうばいに そめまじきこと


これは寛永20年の禁止令。
庄屋、農民などが、紫根染めの本紫、(しこんぞめのほんむらさき)
紅花染の紅梅色を着ることを禁じている。(こうばいいろ)

江戸時代、幕府は町人の経済的発展を懸念して、
頻繁に「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」を発令し、
町人の贅沢を禁じた。

ところが江戸町人は法の目をかいくぐり、
表地は地味色の木綿縞を使い、
裏地に絹織物を使い、
偽紫や偽紅梅などの色をつくり出して染めていた。
これぞ、江戸町人の意気込み、「粋」だった。


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大友美有紀 18年4月7日放送

180407-03
日本の色 異世界との境界の色、黒

 粋な黒塀 見越しの松に
 仇な姿の 洗い髪


春日八郎が歌った「お富さん」の歌詞。
くろべいとは、黒い塀のこと。
江戸では、料亭、小唄の師匠、
お妾さんの住まいなどは黒塀で囲まれていた。
吉原の大門には黒い瓦屋根があった。
江戸城の鬼門にあたる上野寛永寺。
その表門も黒かったという。
闇から生じた「黒」は境界の色であり、
特別な存在を意味する色であった。

江戸末期に来航したペリーの黒船は、
偶然とはいえ「異世界からの来訪」を象徴したのだろう。
文明開化で日本に取り入れられた蒸気機関車、自動車、
人力車も鉄製で黒い色をしていた。
当時はポストでさえ黒かった。
西洋の黒いものたちを使うことで、
無意識のうちに異世界を日常に
取り入れようとしたのかもしれない。


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大友美有紀 18年4月7日放送

180407-04
日本の色 フジタの白

 グラン・フォン・ブラン
 すばらしい肌の白


1920年代パリに渡った日本人画家、
藤田嗣治が描いた「寝室のキキ」に寄せられた賛辞だ。
フジタは、浮世絵で表現されている
肌の白さや黒の輪郭線を再現することが、
日本人画家としての独自性になると考えた。
浮世絵の白を表現するために、
キャンバスに木綿のシーツのような
やわらかな生地を張り、
何種類もの顔料を使って白を描き出し、
最後にてかりを抑えるために
タルカムパウダーを用いた。
独自性を出すには、独自の方法が必要だった。


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大友美有紀 18年4月7日放送

180407-05
日本の色 紺屋

「紺屋の明後日」
 約束が当てにならないこと
「紺屋の白袴」
 他人のことに忙しくて自分のことができない状態

江戸時代、幕府によって贅沢が禁じられた町人は、
絹や錦、金糸銀糸、紅花や本紫の染め物などを
使うことができなかった。
着ていたのは、藍染木綿の縞の着物。
農民も藍染の木綿や麻の野良着を着ていた。
藍は丈夫で汚れが目立たない。
においが強く、蝮や害虫がよりつかない。
洗えば洗うほど色が冴える。保温効果もある。
大工、左官、職人たちも仕事着として着るようになり、
商家ののれん、風呂敷、布団、座布団、手ぬぐい、
漁師の晴れ着にまで使われるようになる。
町には数多くの藍染屋「紺屋」や「青屋」が登場する。
大繁盛したために「紺屋の○○」などという言葉までできた。
幕府が贅沢を禁じてくれたから、
今の時代の私たちも藍の良さを知り、
藍を楽しむことができているのだ。


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大友美有紀 18年4月7日放送

180407-06
日本の色 藤色

 森に咲く小さな花々の模様を飾った
 えもいわれぬ似つかわしい色合いの
 たいそう淡くたいそう地味な藤色の
 朱子織の長い衣裳が
 とりどりの真珠をちりばめた
 硬い縫取りにおおわれている。


明治時代の外相、井上馨の夫人が
舞踏会で着ていた衣裳だ。
フランス海軍将校の観察日記に記されている。

 ほっそりとした鞘型の胴着、
 ようするにパリに出しても
 通用するような服装


と続く。
不平等条約の解消を目的とした鹿鳴館での饗応。
「たいそう地味な藤色」もパリで通用するならば、
舞踏会の開催はあながち間違いではなかった。


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大友美有紀 18年4月7日放送

180407-07
日本の色 柿色

 ああ綺麗な柿だ。
 あの柿のような色を出したいものだ。


江戸時代前期の陶工、
酒井田喜三右衛門は、仕事に疲れて縁側に座っていた。
ふと見上げると柿の実が輝くように夕陽に照らされていた。
それから5、6年取り付かれたように
柿色の焼き付けにのめりこんでいった。
そうして作りあげたのが、
九州有田の「赤絵」といわれる色絵磁器である。
時の藩主、鍋島光茂がこの「赤絵」を見て、
まるで柿のような色なので、柿右衛門と名乗るように
と言ったと伝えられている。

これが酒井田初代柿右衛門、誕生の物語である。
太陽と自然からもらった色と名だった。


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大友美有紀 18年4月7日放送

180407-08
日本の色 ピンク

 はしきやし、吾家(わぎへ)の毛桃、本しげみ
 花のみ咲きてならざるめやも


万葉集、詠み人知らず。
桃の花がこんなに茂っているのに
実を付けないわけがないでしょう。
実とは恋を指し、桃が恋愛成就の象徴として詠われている。
桃色は少女の色であり、恋の色である。
日本語で使われる「ピンク」にも、
愛情や性的な意味合いがある。
けれども、元来英語のPINKは、
撫子やナデシコ科の植物・石竹(せきちく)の意味。
艶っぽい含みはない。
色に意味を見いだし、感情を重ねる。
日本の色は奥深い。


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