大友美有紀 19年4月7日放送



作家とアパート 明智小五郎

新年度です。
新しい環境での暮らしには、
期待もあるし不安もある。

ひとところに定住できない、
というタイプの人がいます。
推理小説家・江戸川乱歩は、
生まれてから40歳で池袋に定住するまでに
40回も住処を変えたそう。
彼が生み出した探偵の明智小五郎も
住む場所をいくつか変えている。

最初はタバコ屋の2階の4畳半、
そして次は、御茶ノ水のモダンな「開化アパート」、
そのあとは、麻布竜土町のこぢんまりとした白い西洋館。

住む場所が変わると、
自分のキャタラクターも少し変わる。
転々とするのも、悪くなさそうです。

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大友美有紀 19年4月7日放送


江戸村のとくぞう
作家とアパート 山の上ホテル/御茶ノ水文化アパート

4月、新しい暮らしの始まりですね。
一度はやってみたいホテル暮らし。

お茶の水の「山の上ホテル」は、
文豪たちの定宿としても知られている。
川端康成、三島由紀夫、池波正太郎。
出版社の多い神田神保町の近くということもあり
作家が「カンヅメ」になることもある。
山の上ホテルの設計者は、W.M.ヴォリーズ。
日本初の純洋式アパートメントハウス、
御茶ノ水文化アパートメントも設計した。
江戸川乱歩が生み出した、探偵・明智小五郎の事務所、
開化アパートのモデルでもある。
西洋式の暮らしを前提にした間取り、バスルーム、
共用のゲストルーム、カフェや社交室もあったという。

ヴォリーズの考える住宅は、
ハウスではなくホーム。
家族が健康で幸せに生活できること。
そこには西洋も東洋もない、考え方があった。

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大友美有紀 19年4月7日放送



作家とアパート 花園アパート

新年度、新しい暮らしが始まり、
新しい仲間ができる季節です。

稀代の目利き、
骨董の世界を完成させたとも言われる、
青山二郎。彼のもとには、若い文士たちが集まった。
小林秀雄、河上徹太郎、大岡昇平、そして中原中也。
芸術を語り、人生を語り、酒を飲み、揉み合い、
修羅場を繰り広げる。

その舞台となったのは、木造の薄汚いアパート。
「花園アパート」だった。
萩原朔太郎が暮らした「乃木坂倶楽部」とは大違いだ。
でも、ここには寂しさがない。
中原中也は、毎日誰かが来るので
幸せだと手紙に書いている。

本気でぶつかり合う仲間、
それこそが若い時代に必要なのかもしれない。

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大友美有紀 19年4月7日放送



作家とアパート 太宰治

進学を機に、新たな土地で
暮らし始める人もいるでしょう。
憧れの人ゆかりに地に住みたい、
そんな気持ちありませんか。

芸人で作家の又吉直樹が、
最初に住んだ三鷹のアパートは、
実は太宰治の自宅跡に建てられた
アパートだった。
憧れの人が住んだ場所に
住んでいたことに驚いたそうです。

太宰治は、東京に出てきて、
五反田、杉並、千葉など転々とします。
群馬や三島に出奔することもあり、
その度に、友人や親族に探し出されて、
連れ戻される。最終的に住んだのが三鷹だった。

太宰が最後に住んだ家と、
太宰に憧れる又吉が最初に住んだ家。

偶然?いや運命かもしれません。

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大友美有紀 19年4月7日放送



作家とアパート 森茉莉

さて、新年度です。
もし、引っ越すとしたら、
あなたはどんな家に住みたいですか?

作家・森茉莉は40歳でアパート暮らしを始めた。
作家、森鴎外の娘で、
子どものころは女中さんがいるような贅沢な暮らし。
16歳で結婚し、ヨーロッパに渡り、20歳で帰国。
その後、離婚。実家に戻るが、弟の結婚を機に家を出る。
生涯、家を持つことはなかった。

茉莉にとって現実は厳しいものだった。
仮の住まいで自分の世界をつくりあげることによって、
リアルと距離を置こうとしたのかもしれない。
それが彼女の幸せだった。

どう暮らすかは、
どう生きるかにつながるもの。
自分の暮らしたいように暮らせるといいですね。

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佐藤延夫 19年4月6日放送



宇宙の地図 プトレマイオス

太古の昔から、人は空を眺め、
頭上に広がる宇宙を地図にしようと試みた。

天文学者プトレマイオスの提唱する天動説が主流だった時代。
その地図も、地球を中心に据えたものがほとんどだった。
一枚の絵の中に、月食の様子や、
月の満ち欠けが説明されており、
地球の周りを、太陽や惑星の入った透明な球がまわっている。

月より遠くにあるものは、全てエーテルでできている、と考えられていた。

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佐藤延夫 19年4月6日放送



宇宙の地図 ニコラウス・コペルニクス

1543年、
宇宙に対する考え方は、大きな転換期を迎える。
太陽系の存在を唱えたのは、
ニコラウス・コペルニクス。
しかし、教会が容認しない状況が続き、
100年以上、地動説が日の目を見ることはなかった。
コペルニクスの地図には、
中心に太陽があり、
そのまわりをいくつもの惑星がまわっている。

いたってシンプルな絵が、宇宙の真実を示していた。

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佐藤延夫 19年4月6日放送



宇宙の地図 ティコ・ブラーエ

16世紀に活躍したデンマークの天文学者、ティコ・ブラーエ。
王の支援を受け、コペンハーゲンの島に天文台を建てると、
肉眼で数多くの精密な観測を行なった。

彼は、コペルニクスの地動説を否定はしないものの、
その前に主流とされたプトレマイオスの天動説との折衷案を提唱した。
これを修正天動説と呼ぶ。
太陽と月、12星座は地球のまわりを回る。
ほかの惑星は、太陽のまわりを回っている、というものだ。

地球はあまりに巨大で、公転できない。
その理由で、再び宇宙の中心は地球に戻された。

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佐藤延夫 19年4月6日放送



宇宙の地図 アンドレアス・セラリウス

1660年。
地図製作者のアンドレアス・セラリウスは、
コペルニクスの説をもとに宇宙の地図を描いた。
それより50年前、望遠鏡が発明され、
月の表面がでこぼこしていることや
惑星がちゃんと丸いこと、
なによりも、宇宙には無数の星が存在することがわかった。
セラリウスの地図は、
擬人化された太陽が
中央から放射線状に光を放ち、
オーブをまとった星たちは、
そのまわりをぐるぐると回っている。

なお、宇宙を取り囲むように
12星座が描かれている。

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佐藤延夫 19年4月6日放送


Evgeni Zotov
宇宙の地図 敦煌

星の場所を表す星図で最も古いものは、
中国北西部、敦煌の代表的な石窟(せっくつ)、莫高窟(ばっこうくつ)で発見された。
唐の時代の巻物で、
7世紀から10世紀あたりまで遡る。
この天文図では、
1339個の星が名前付きで記されている。
それは、中国から見える北半球の星のすべてだった。

宇宙を示すこの地図は、
シルクロードを渡ったのだろうか。

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