蛭田瑞穂 14年8月9日放送

140809-03
Jimmy Walker
走る③ 村上春樹

作家村上春樹には旅先におけるひとつの習慣がある。
それは走ること。

ローマ、ハンブルグ、ホノルル、ボストン、ミコノス島。
ランニングウェアに着替え、ジョギングシューズを履き、
行く先々の町を彼は走る。

村上春樹は言う。

 旅に出て、その町を走るのは楽しい。
 時速10キロ前後というのは風景を見るには
 理想的な速度だろうと僕は思う。
 それぞれの町にはそれぞれの空気があり、
 それぞれの走り心地がある。
 僕はそういう町の表情を眺めながら
 のんびりと走るのが好きなのだ。

topへ

森由里佳 14年8月9日放送

140809-04

走る④ 坂井義則

1945年、8月。
原爆が落ちた1時間半後のヒロシマで生まれた、坂井義則。

東京オリンピックで聖火リレーの最終ランナーに選ばれ、
大観衆の前で聖火を灯した。

日本が、被爆国という歴史を背負ったその日に生まれた坂井。
その彼が灯した、平和の祭典の幕開けを告げる炎は、
戦災からの復興を告げる、力強い赤だった。

坂井は、自分が選ばれた理由についてこう語る。

 無名の青年に、日本中の思いを、未来の平和を託したんだと思う。

オリンピックが再びこの国に戻ってくるまで、あと6年。
その聖火の色は、平和を守り続ける決意の赤に違いない。

topへ

大友美有紀 14年8月3日放送

140803-01

「私の発明」トーベ・ヤンソン

1914年、8月、トーベ・ヤンソンは、
彫刻家の父と画家の母の間に生まれた。
今年で生誕100周年。

初めてのムーミン物語は、
50ページにも満たない小冊子として、
ヘルシンキとストックホルムの駅の
キオスクに並んだ。
とてもさり気ないデビュー。

 主人公のムーミントロールは
 私の発明。

トーベ・ヤンソンは、胸を張って言う。
他にはいない生き物。
だからこそ、今でも愛される。

topへ

大友美有紀 14年8月3日放送

140803-02

「ムーミンを生んだ戦争」トーベ・ヤンソン

新椎気鋭の画家だった、若き日のトーベ・ヤンソン。
反戦・反独裁を唱える政治風刺雑誌『ガルム』に連載していた。
いばりちらす権力者をからかい、古くさい社会システムを
笑い飛ばすキャラクターを描いた。
これが、ムーミントロール。

 ムーミンを描くようになったきっかけは、
 戦争で絵が描けなくなったから。
 じつをいうと現実に背を向けて、
 つくられた世界にひたるという
 一種の逃避でした。

 
当時のムーミンは小さくて痩せてて、
しょっちゅう怒っていた。
検閲で思うように絵が描けない
ヤンソンの憤りを象徴するかのように。

topへ

大友美有紀 14年8月3日放送

140803-03
Mundoo
「悲壮感のない少数派」トーベ・ヤンソン

ムーミンを生み出した作家。トーベ・ヤンソンは、
フィンランドの首都ヘルシンキで生まれた。

しかし父も母も話すのはスェーデン語。
家庭や仲間の共通語もスェーデン語だった。
フィンランドでは言語的少数派。
ムーミンの物語は、その環境を反映している。

 わたしが描いたのはスエーデン語系フィンランド人の家族です。
 どんな少数派グループにもある
 一種の孤立がみてとれるはずです。
 ただし悲壮感はありません。
 ムーミンたちは互いに一緒にいて
 幸せだと思っているし、
 自分たちが住んでいる環境や場所に場所に満足しています。

 
とはいえ、そこにははっきりと
スェーデン語系フィンランド人の特長があると言う。
それは、無謀な権力には屈しない、自由と自立を愛する気質だ。

topへ

大友美有紀 14年8月3日放送

140803-04

「嵐」トーベ・ヤンソン

今なお愛される「ムーミン」を発明した作家、
トーベ・ヤンソン。
あまり知られていないことだが、
ムーミン以外の物語も書いている。
「夏について」という短編で
嵐にのために言葉を発明するシーンがある。

 嵐が小屋をぐるりと回り、
 なかに入って来ようとする。
 嵐が吼えた。
 嵐をいいあらわす言葉を探してみる。

 
ムーミンの物語に、
嵐のシーンがいくつも登場する。
ヤンソンは、たくさんの嵐の表現も発明していた。

topへ

大友美有紀 14年8月3日放送

140803-05

「ムーミン一家の不在」トーベ・ヤンソン

今年で生誕100周年のトーベ・ヤンソンが描いた
ムーミンの物語は、全部で9巻。
意外と少ない。
その最終巻にはムーミン一家が登場しない。
ミムラ、スナフキン、ヘルムやフィヨリンカたち、
残された者たちがいなくなったムーミン一家を思って、
ほんとうの自分を見つけ出すお話。
この「ムーミン谷の11月」が刊行される数ヶ月前、
トーベの母、シグネが亡くなっている。

 母は、自ら望んでいたように逝きました。
 麻痺するのでもなく、
 長く待つのでもなく、
 知性をわずかなりとも失うこともなく。

娘のトーベにとって母は、
すべての意味で「ムーミンママそのもの」だった。
大らかだが気配りができて、
機転はきくがでしゃばらず、
どこまでも楽天的なムーミンママ。
生まれながらの画家であったことが
「ムーミンパパ海へ行く」で明かされている。
トーベは、10冊目のムーミンを待ち望む人たちに、
もう書かない、いや、もう書けないのだときっぱりと言った。

topへ

大友美有紀 14年8月3日放送

140803-06

「フリーダ」トーベ・ヤンソン

ムーミンを「もう書けない」と言ったトーベ・ヤンソンは、
けして筆をおいたわけではない。
その後も執筆を続けていた。
彼女が描く物語には、独特な人物が登場する。
たとえば、「事前警告」という短編のフリーダ。
あらゆる事件が自分のせいだという強迫観念に
取りつかれている。
あるとき彼女は、
公道を拓くための爆破でとんできた
花崗岩に頭を直撃される。
包帯でぐるぐる巻きになったフリーダ。
 
  何にも気に病まずにいるなんて
  わたしにゃ生まれて初めてなんだよ。
  最高にいい気分だね。

大きな不幸に出会って、安心する。
心配性のフィヨリンカのようだ。

topへ

大友美有紀 14年8月3日放送

140803-07
o_Ozzzzk
「謎」トーベ・ヤンソン

ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソンが書き綴る短編小説には、
抑制されたパロディ、くすりと笑えるユーモアがある。
そして、冗長な修飾を削って行間を読ませる手法をとる。

 私は、35の言葉を使うところを5つですませるべく
 文体を切り詰めるマニア

 
そしてあえて曖昧なままの結末も多い。
謎めいた存在の、ニョロニョロやスナフキンのようだ。

topへ

大友美有紀 14年8月3日放送

140803-08

「100年かかる」トーベ・ヤンソン

トーベ・ヤンソンは幼い頃から夏は家族で島に住んでいた。
大人になった彼女が見つけた自分だけの島は「クルーグハル」。
フィンランド湾の沖合に浮かぶ小さな島だ。
電気も水道もない、島を一周するのに数分しかかからない。
太陽が水平線上に昇ると起きだして、机の前に座り、
太陽が波間に沈むと、寝支度をする。

 よい芸術家になるには、100年かかるのよ。
 
島の素朴な暮らしは、
時間とエネルギーのすべてを仕事につぎ込む、
という贅沢を与えてくれた。
いつでも手を動かしていたというトーベ・ヤンソン。
100年を待たずして87歳でなくなった。
でも、よい芸術家にすでになっていた。

topへ


login