茂木彩海 14年6月8日放送

140608-031

家のはなし 坂口恭平の家

図面も引けなければ、ろくな家を建てたこともない。
建築家、坂口恭平。

早稲田大学理工学部で建築家を志し、勉強に励む一方で
土地を買って所有し、莫大な金額を払って家を建てる
という日本の建築システムに疑問を感じていた。

そんな折、隅田川の河川敷で
鈴木さんという路上生活者との出会いを果たす。

鈴木さんの家をのぞかせてもらうと
ざっと3畳はありそうな部屋に
車のバッテリーを改造して電気を通し、
拾ってきた冷蔵庫や洗濯機を動かしている。

そこには大都会、東京の中で、確かに自分の手で建てた家が存在していた。

坂口は言う。

 
エコノミクスの語源は、「住まい」という意味の「オイコス」
 と「あり方」という意味の「ノモス」である。
 つまり、僕たちは経済をどうしていくか考えるときには必ず
 家とはなにかを考えなくてはならない。

現代社会で考える、効率的な家とは何か。
坂口が考えたのは、予算3万円の移動できる家、モバイルハウス。

家づくりの常識を変えた男はいま、
生き方の常識も同時に変えようとしている。

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茂木彩海 14年6月8日放送

140608-04
ミルちょ
家のはなし 隈研吾の家

世界的な建築家、隈研吾のデビュー作は
伊豆の別荘だった。

太平洋が見渡せるすばらしいロケーションにありながら
竹とトタン板を組み合わせた外観に、段ボールでつくった茶室。
工業的なものを使うことで、別荘特有のメルヘンなイメージを変えた。

 
哲学のない建築は人の心を動かさない。
 僕は図面を書くときは、
 手紙だと思って書けと言ってるんです。

彼からの、家のかたちをしたメッセージに、
世界はこれからも、何度となく驚かされるのだろう。

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小野麻利江 14年6月8日放送

140608-05

家のはなし 伴美里の部屋の中

アーティストの伴美里(ばん みさと)が
自分の部屋を見渡した時、
そこは、彼女が年月をかけてつくりあげた
「世界の箱庭」になっていた。

「ミラーワーク」という刺繍がほどこされた
インドのキーホルダー。

バリ島で買った「バティック」という、
ろうけつ染めのスカーフ。

ベルギーはアントワープで見つけて
「文化遺産」という呼び名をつけた
大きめのカフェオレボウルに、

イギリス湖水地方、
ウィンダミアの山から持ちかえった石ころが
あったかと思えば、

プラグの周りは、いろんな国の電化製品が共存して
大変なことになっている。

自分の部屋にある思い入れの深いものをスケッチし、
それぞれにまつわるエピソードを添えた伴美里。
彼女のドローイングブック
『100 Things in My Room』の中には、
そんな「家あそび」の極意がぎっしりと詰まっている。

雨続きで、外に出られない。
そんな日は、お家の中を旅するチャンスかもしれません。

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小野麻利江 14年6月8日放送

140608-06

家のはなし 谷崎潤一郎の暗がり

外の光がまったく届かない建物の
暗がりの中にある、
金の襖や金屏風。

作家・谷崎潤一郎は、著書『陰翳礼讃』の中で
その微かな色彩の、照り返しをいつくしむ。

 
私は黄金と云うものが
 あれほど沈痛な美しさを見せる時は
 ないと思う。

明かりを消してしまえば、
何も見えなくなる訳ではない。
私たちの眼に、
闇が見せてくれるものもきっとある。

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薄景子 14年6月8日放送

140608-07

家のはなし ジョン・ミルトン

イギリスの詩人、
ジョン・ミルトンは言った。

 
心は己をその住まいとす

どんなにのぞんでも
自分の心は他人の肉体に
引っ越しすることはできない。

人が住まいにこだわり、
自分の家を自分流にしたがるのは
そんな理由からかもしれない。

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薄景子 14年6月8日放送

140608-08
calium
家のはなし 茨木のり子の家

「茨木のり子の家」という写真詩集がある。

使いこまれて皺がよった皮のソファ。
すりガラスにきざまれた楕円のパターン。
いま見てもモダンな自宅写真の合間に
彼女の詩が美しくレイアウトされる。

 

食卓に珈琲の匂い流れ
ふとつぶやいたひとりごと
 あら
 映画の台詞だったかしら
 なにかの一行だったかしら
 それとも私のからだの奥底から立ちのぼった溜息でしたか


曳きたてのキリマンジェロの香りは、
彼女の鼻腔を通ってことばとなり、
きっとこの部屋から
いくつもの詩が生まれたことだろう。

家は、そこに住む人の匂いを記憶する。
茨木のり子の家の写真からは
珈琲の香りが漂ってくる。

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大友美有紀 14年6月7日放送

140607-01
Jorge in Brazil
「オスカー・ニーマイヤー」曲線

ブラジル建築界の巨匠、オスカー・ニーマイヤー。
ニューヨークの国連ビルの設計者の一人として知られている。
彼のキャリアは、ブラジル、ベロ・オリゾンテ、
パンプーリャで始まった。

今年、ワールドカップのリーグが開催される地区でもある。

1943年、サンフランシスコ・デ・アシス教会。
波のような4つの放物線からなる屋根。
ファサードにタイルで宗教画が描かれている。

 私は人間が生み出す硬直した直線には興味がない。
 私が魅せられるのは、自由に流れる感覚的な曲線である。
 故郷の山々の稜線、うねる川の流れ、空に浮かぶ雲、
 そして私が愛して止まない女性の体の線に、
 私はそのような曲線を見いだす。
 曲線は全宇宙を構築する。
 アインシュタインの湾曲した宇宙を。

 
当時、世界中の建築家が影響を受けた
バウハウスの構造主義に、真っ向から対向している。
さながら、ドイツ対ブラジルの美の闘いだ。

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大友美有紀 14年6月7日放送

140607-02
¡Carlitos
「オスカー・ニーマイヤー」永遠の空間

ブラジルの首都、ブラジリア。
人工的につくられた街だ。
ブラジル建築界の巨匠、オスカー・ニーマイヤーは、
この地の主要な建築物を手がけている。
なかでもカテドラルは、デザインと構造が統合した最高傑作。
16本の曲線の柱が建物を取り囲んでいる。
天に祈りを捧げる腕のようだ。

 ありきたりの発想が、これまでの暗いカテドラルを生んできた。
 地上に暮らすひとびとの叫びや希望から生まれた、
 空気のような外観を、私は実現したかった。
 そして、薄暗い回廊。
 光と外観のコントラストをしっかりと出し、
 世俗的な雑念を捨て、聖堂の中へ、永遠の空間へと
 深遠な気持ちで入っていける雰囲気を作りたかった。

 
ただ独創的な外観を作りたかったのではない。
祈りへのニーマイヤーの想いがこめられている。

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大友美有紀 14年6月7日放送

140607-03
AHLAM
「オスカー・ニーマイヤー」ラテンアメリカ記念公園

ブラジル建築界の巨匠、オスカー・ニーマイヤーは、
ブラジルでのクーデターを逃れ、一時期ヨーロッパに滞在する。
そして、母国に戻った時、友人たちと語り合ううちに、
おのずと議論の中心が自分たちの生きている世界の不平等や
貧困という問題に向かうことが多かった。

サンパウロで彼が手がけたラテンアメリカ記念公園は巨大な作品だ。
それはこの建物の目的の偉大さを表現している。
市民広場には、高さ8mのコンクリート製の手のオブジェがある。
絶望を示す、やや曲がった指。一筋の血が手首まで流れ落ちている。

 汗と貧困が、我々の分断され抑圧されたラテンアメリカをあらわす。
 今や、この大陸を再び立て直し、統一し、
 その独立と幸福を保障できる不可侵の一枚岩に変えることが
 極めて重大である。

 
それは、挑発というよりは、批判や警告を伝えている。
影の差す過去や、希望はあるが不確かな未来への想いがあった。

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大友美有紀 14年6月7日放送

140607-04
Rodrigo_Soldon
「オスカー・ニーマイヤー」空中に咲く花

ブラジル建築界の巨匠、オスカー・ニーマイヤーは、
とても仕事が速かった。
リオデジャネイロのニテロイ現代美術館の最初のスケッチは、
小さなレストランで注文した魚を待っている間に、
ナプキンにささっと描いたものだった。
その美術館は空中に咲く花のように建っている。

 景観が壮大なので、自然の景色を隠したくなかった。
 私は建物を建てて、景観を広げなければならなかった。
 中心の支柱から建物は花のようにのびやかに立ち上った。
 この美術館は、この場所で美しいものを保存しなくてはいけないのだ。

 
2012年12月、オスカー・ニーマイヤーは、104歳で亡くなった。
自分の建築は、政治的で公共の巨大な建物が大半だけれども、
一般の人々、無力な人々に喜びを与えてきたものもあると思う、と語っていた。
ありきたりなものを嫌い、抑圧する側へ反抗しながら、
謙虚なヒューマニストだった。

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