澁江俊一 14年5月11日放送

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シンボルの理由

日本サッカー協会の
シンボル八咫烏(やたがらす)。

熊野三山にまつわり、
古事記の時代からあがめられた伝説のカラス。
三本の足を持ち、勝利に導くといわれ
まさに日本サッカー協会にふさわしいシンボルだが
なぜ、八咫烏が選ばれたのだろう。

きっかけは、ひとりの男だった。
中村覚之助(なかむら かくのすけ)。
明治11年、熊野に生まれた覚之助は
学生時代にサッカーと出会い
日本初のサッカー指導書「アッソシェーションフットボール」を出版。
日本初のサッカーチームをつくり、
横浜でアメリカのチームと日本初の対外試合をした。
多くの観衆で盛り上がった試合は2対2の引分けだったという。

しかし日本サッカーの普及を見届けることなく
覚之助はわずか29歳で、この世を去る。

後の昭和6年、
覚之助の後輩で、日本サッカー協会の創設に尽力した
漢文学者、内野台嶺(うちの たいれい)が、
覚之助の故郷、熊野にちなんで八咫烏を
シンボルにしたと言われている。

ああ、伝説のカラスよ。
どうか日本を素晴らしい結果へと、
導いてください。

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松岡康 14年5月11日放送

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The 2-Belo
岐阜のラモス

熱いプレーで愛されたラモス瑠偉は、
今年FC岐阜の監督になった。
常に最下位を争っていたチームだ。

2014年の開幕戦。FC岐阜は3-1で快勝する。
開幕戦勝利は実に4季ぶりだ。

しかし、ラモスは激怒した。

 なんで3-0から自分たちのサッカーをやらなかったのか。
 オレは許さん。せっかくこれだけサポーターが来てくれているのに。

勝っても負けても、死ぬ気でやる。
熱い男のまっすぐなコトバ。

岐阜の弱小チームは、
今年、確実に生まれ変わろうとしている。

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澁江俊一 14年5月11日放送

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IsakFotografi
世界を育てたプレー

80年代に一斉を風靡し、
その素晴らしいプレーで世界中を魅了した、
日本人サッカー選手がいる。
ジダンも、デルピエロも、中田も、メッシも、
彼の存在に大きく影響を受けたと公言する。

その日本人の名は、大空 翼。
世界50カ国以上でTV放送された
マンガ「キャプテン翼」の主人公だ。

野球少年だった原作者、高橋陽一は、
当時マイナーだったサッカーをあえて選ぶ。
努力や根性じゃない、サッカーの楽しさを描こう。
それが高橋の狙いだった。

最初の3話、読者の反応は伸びなかった。
第4話、ストーリーをすべて描き直して
生み出した翼の大技がある。
「オーバーヘッドキック」。
読者アンケートは、大好評だった。

理屈じゃない。
スーパープレーにこそ、サッカーの楽しさがある。

大きな自信を、高橋はつかんだ。
翼とそのライバルたちは
「ツインシュート」「タイガーショット」「スカイラブハリケーン」など
人間離れした大技を、次々と繰り出していく。

子どもたちを夢中にしたその大技が、
世界のサッカーレベルを大きく上げてくれたのだ。

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松岡康 14年5月11日放送

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tamakisono
夢への10年

「10年後にはキャプテンマークを付けて、
ワールドカップのピッチに立つ」
Jリーガー中澤佑二が、高校の卒業文集に書いた夢。

彼の夢を信じる者はいなかった。
サッカーデビューが遅い中澤は
常に下手だと言われ続けた。

高校卒業後、無名の彼を
どのクラブも受け入れはしなかった。
フリーターになった中澤は、
後輩たちと練習を続けた。

ある日、母校のサッカー部と
ヴェルディ川崎ユースとの練習試合に
20才の中澤は年齢を隠して出場。
関係者の目にとまり、ヴェルディの練習生となる。
その後も彼は、凄まじい練習を続けた。

そして文集に書いた通り、
2006年ワールドカップのピッチに中澤は立っていた。

あきらめなければ夢は叶う。
でも「あきらめない」とは、それくらい長い時間が必要なのだ。

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奥村広乃 14年5月11日放送

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Doha Stadium Plus
リーダーの目標

本名アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。
愛称は、ジーコ。
彼はこんなリーダー論を持っていた。

もっともたいせつなのは、チャレンジする気持ちだ。
とくに、これから組織を作り上げ、
部下を育てていかなければならないリーダーには、
なくてはならない素質だ。
大きな目標に向かっていこうとしないリーダーに、
誰がついていくだろうか。

高い目標を掲げ、
日本代表を数多くの勝利に導いたジーコ。
優れた監督には、学ぶことも多い。

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奥村広乃 14年5月11日放送

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michibanban
約束 ホルヘ・カンポス

派手なユニフォーム。
小柄な体格に大きなグローブ。
瞬発力、ジャンプ力を武器にゴールを守った。
元メキシコ代表のゴールキーパー、
ホルヘ・カンポス。

彼がメキシコの少年少女たちに、
サッカーの特別授業を行ったときのこと。
授業の最後は、
カンボスのこんな言葉で締めくくられた。

さあ、これで僕のサッカー教室はおしまいだ。
最後にもうひとつだけ憶えておいてほしいことがある。
勝ったチームは、負けたチームにも幸あれ、と祈ること。
プロでもアマチュアでも、
これはキミたちがサッカーを続けていく限り、
絶対に忘れちゃいけない。約束だよ。

サッカーは一人ではできない。
自分のチームがいて、
相手のチームがいてはじめてゲームができる。
そのことに気がついた、
すべてのサッカー少年・少女たちが
身体だけではなく心も
たくましく育っていきますように。

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飯國なつき 14年5月10日放送

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Psicoloco
旅する人① 玄奘

唐の時代、玄奘という僧侶がいた。

「仏教について、一番詳しい人に話を聞きに行こう」。
そんな理由で、聖地インドをめざして旅に出た、
豪胆な人物である。

国禁を犯して出国し、ある時は灼熱の砂漠を越え、
ある時は雪と氷にとざされた山脈を越えた。
その旅の壮絶さは想像に難くない。

そして16年後、玄奘は膨大な数の経典をインドから持ち帰り、
終生を翻訳の作業に費やした。

玄奘が人生を賭したこの旅は、
「西遊記」の物語の元になったといわれている。

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森由里佳 14年5月10日放送

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旅する人② 平田オリザ

劇作家平田オリザは16歳の時、世界一周の自転車旅行に出た。
「なぜ旅に出るのか?」と大人から尋ねられるたびに、
彼はこう答えた。

何故、理由なく旅に出てはいけないのですか?

大義名分を求める大人たちを嗤うかのように、
16歳の平田オリザは飄々と疑問を投げ返した。

平田のその精神は遍歴の旅人ドン・キホーテの物語から
借用したという旅行記のタイトルにも表れている。

『十六歳のオリザの未だかつて
 ためしのない勇気が到達した最後の点と、
 到達しえた極限とを明らかにして、
 上々の首尾にいたった世界一周
 自転車旅行の冒険をしるす本』

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蛭田瑞穂 14年5月10日放送

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旅する人③ ジョン・スタインベック

作家ジョン・スタインベックは58歳の時、
愛犬のチャーリーと共に旅に出た。

自分は祖国の実情を何も知らないのではないか。
そう思った末の、半ば衝動的な旅だった。

自らクルマを運転し、4カ月かけてアメリカ合衆国を一周。
その一部始終を『チャーリーとの旅』という旅行記にまとめた。

本の冒頭、スタインベックはこう記した。

 子どもの時、どこかへ出かけたくなると、
 大人になれば落ち着くと言われた。
 大人と呼ばれる年齢になった時
 中年になれば落ち着くと言われた。
 今58歳だが、病は一向に治らない。

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飯國なつき 14年5月10日放送

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旅する人④ 辺見庸

ルポ・ライターの辺見庸は、
ある日世界各国を食べ歩く旅に出た。

バングラデシュでは、屋台で売られている、
すえた臭いの残飯を食べた。
タイでは、缶詰工場で働く人々の質素な食事を食べた。
ソマリアでは、難民キャンプの発酵したクレープを食べた。

食べ物は、その国の文化や経済状況を如実に映し出す。
しかし辺見は、痛烈な社会批判をすることなく、
リアルな食の現場を、淡々とあぶり出していった。

辺見は語る。

 奇食に見えて、しかし奇食など世界には一つとしてない。
 行く先々にもの食う人びとがいて、
 いまそれを食うことの十二分な理由と、
 食うことと食えないことにかかわる
 知られざるドラマを持っていた。

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