佐藤理人 12年9月22日放送


Mike Strand
ニューヨーク・デパートストーリーズ②
「メイシーズ」

あきらめたらおしまいか。
それともあきらめが肝心か。

R.H.メイシーがニューヨークのマンハッタンに
小さな雑貨店を開いたのは1858年、36歳のとき。
既に5つの職を転々とし、6つの店を潰していた。

自分に商売の才能があるなんて、
これっぽっちも思わなかったに違いない。

しかし彼の7つめの店「メイシーズ」は、
今では

 世界最大のデパート

としてギネスブックに載っている。

あきらめが悪いというのは、
立派な才能だと思う。

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佐藤理人 12年9月22日放送


juliana lop’s
ニューヨーク・デパートストーリーズ③
「サックス・フィフス・アヴェニュー」

女性にとって靴はアクセサリーではない。
生き方を表現する芸術品だ。

そう思うなら一度は訪れるべき場所がある。

ニューヨークの高級デパート
『サックス・フィフス・アヴェニュー』の8階。

マンハッタン一の広さを誇るシューズフロアは、
広すぎて独立した郵便番号を持つほどだ。

10万足の高級靴が宝石のように並べられた様は、
まるで靴の美術館のよう。

それは何より創業者ホーレイス・サックスの

 美術館のような店で買い物をしたい

という願いそのものだった。

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佐藤理人 12年9月22日放送


loop_oh
ニューヨーク・デパートストーリーズ④
「ノードストローム」

全米最大の高級デパート『ノードストローム』は、
決して「ノー」と言わないことで有名だ。

その噂を確かめようとある雑誌記者が、
開店以来一度も取扱いのないタイヤを返品しにやってきた。

断られて当然の話。しかし店員は返品に応じてくれた。
記者が理由を尋ねると、店員は答えた。

お客さまの勘違いにせよ、返品に来られたら、
受け入れるのがお客さまにとって最良の対応ですので。

 常に最良の判断をせよ。

ノードストロームの規則はこの一つだけ。
社長のブレーク・ノードストロームは言う。

 親切な人を雇って販売方法を教えることはできるが、
 販売のプロを雇って親切になることはできない。

お客さまは神様じゃない。ただの人間だ。
だからこそ、親切にされると弱いのである。

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佐藤理人 12年9月22日放送


Kevin H.’s
ニューヨーク・デパートストーリーズ⑤
「ヘンリ・ベンデル」

デザイナーの卵は、
どこでヒヨコに孵るのだろう。

 世界一オシャレな人が集う場所

の異名をもつニューヨークのデパート
『ヘンリ・ベンデル』。

そこでは年2回、無名デザイナーのための
売り込みイベントが開催される。
バイヤーが気にいれば、
その場で発注が決まることもしばしばだ。

そもそも創業者ヘンリ・ベンデルは、
シャネルを初めてアメリカに紹介した人物。

オープンから100年以上経った今も、
彼の「センス」という技術は、
確かに受け継がれている。

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佐藤理人 12年9月22日放送


vpickering
ニューヨーク・デパートストーリーズ⑥
「バーグドルフ・グッドマン」

ニューヨークの超高級デパート
『バーグドルフ・グッドマン』が有名なのは、
顧客リストの豪華さだけじゃない。

クリスマスシーズンのウィンドウディスプレイ。
ゴージャスで芸術的なだけでなく、
物語まで感じさせるその表現力に、
道行く人はみな足を止めずにいられない。

14年間デザインを担当するデビッド・ホイは言う。

 ショービジネスの華やかさと
 舞台芸術の美しさ、
 そして紙芝居の要素を込めるのさ。

彼の傑作が、
今年もニューヨークの冬を盛り上げる。

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佐藤理人 12年9月22日放送



ニューヨーク・デパートストーリーズ⑦
「ロード・アンド・テイラー」

アメリカで最も古いデパートは、
初めて女性が社長になったデパートでもある。

ドロシー・シェイヴァーがニューヨークの老舗
『ロード・アンド・テイラー』の社長になったのは、
第二次大戦直後の1945年。

彼女はカジュアルでありながらエレガントな

 アメリカンルック

という流行を生み出した。

それは正にドロシーのような女性が、
社会に進出していくのにピッタリの服であった。

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猫がご機嫌なとき

窓は開いているし
ご飯はさっき食べたばかりだし
そのナマリブシは節の真ん中あたりの
柔らかくてうまい部分だったし
暑くもないし、風も通っているし
昨日シャンプーされたときは思い切り怒ったけれど
いまはさらさらの毛で気持ちいいし
カーペットは掃除機かけて自分が持ち込んだ砂が
キレイになくなっているし…

どれどれ、ここはひとつ
ころんちょしてみようかな…

という気分のハエタロー(♀年齢不詳)

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厚焼玉子 12年9月16日放送


なお
夢二の手紙 1 秋の気配
竹久夢二の手紙

 今日はぼんやりしたお月さま、
 ちょうどおまえのようだね。
 風がことこと障子をゆすると、
 人間はすべてさみしいものだと思う。

 いま日が暮れるところで
 紅い横雲が美しい。

大正10年の秋
夢二が留守をしている恋人に宛てて書いた手紙には
肌寒く、寂しい夜の景色が見える。

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厚焼玉子 12年9月16日放送


jikatu
夢二の手紙2  宵待草

竹久夢二の手紙

 今夜は暗い星月夜です。
 ふっと、波の音が耳に響いてきたのです。
 今更、あなたの心をどうしようというのではないのです。
 今後、十年二十年、逢うことはあるまいけれど
 また、あなたも逢うことを欲しまいけれど
 私がひとりで松原を夢みるという事実を妨げることは
 誰も出来ないのだ。

この手紙の相手は
夢二が千葉の海岸で出会った人だった。
夢二は片思いのその人を「おしま」と呼んだ。
宵待草のモデルになった人だった。

夢二は結局この手紙を出すことがなかった。

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厚焼玉子 12年9月16日放送



夢二の手紙3 女学生

竹久夢二の手紙

 こうして手紙のくる日まで待っている私かと思えば
 この日ごろの私があわれまれる。

 あなたもいとしい、かわいい。
 私もかなしい。

 なんというかなしい、寂しい恋であろう。
 思うまい思うまい
 ゆくすえのことは誰が知ろう。
 こうして待ってこがれている今日の日が事実ばかりで。
 きのうもあすも知らない。

 それにしてからが
 いまのいまのこの心の置きどころのわびしさ。
 心のひまのないこの頃のようでは、私は死ぬであろう。
 とりとめて、しっかりと、何も私は握っていない不安。

 やはり、ただひとりの思う人がなくては
 生きていられない私を思う。

それは大正三年ころだった。
夢二は自分のファンだった女学生と恋に落ちてしまった。
夢二には妻があり、女学生には許婚がいた。

手紙のやりとりさえ身も細る思いのふたりだった。

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