厚焼玉子 12年9月16日放送



夢二の手紙4

竹久夢二の手紙

 秀子へ
 こんなにまた、切ないやりとりをする自分を
 少しあわれに思う。
 秀子は、なんとも言って来ない。
 もしや、病気かしらともおもう。

 また今日も植木をいじろう。
 こんなときに、なんにも出来ない。

夢二の手紙は日記のようだ。
でも、この日記は返事を欲しがっている。

これが恋文というものかもしれない。

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厚焼玉子 12年9月16日放送



夢二の手紙 5

竹久夢二の手紙

 嘆くようにぼそぼそ降ってきた雨が
 いまはもうこらえきれないで、
 大きな涙を流して泣き叫ぶように降ってきた。

 寂しい寂しい、心のやりばがない。

 じっとこらえていると涙がこぼれそうでならない。
 泣けばなぐさむ心なら、泣きたいと思えど
 ただもうもだもだと泣くに泣かれぬ。

 たったひとりの夜は更けてゆくけれど
 戸をたたくものは雨の音ばかり。

 なんにも聞かいでも、なんにも言わいでも
 ひと目顔が見たい、逢いたい。

いつの手紙かわからない。
誰に宛てたのかもわからない、竹久夢二の手紙。

思い通りにならない恋の相手は誰だったのか。
凜とした強い瞳の持ち主か、世間を恐れる気弱な少女か。
夢二の描いた女の絵をもう一度眺めてみたくなる。

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厚焼玉子 12年9月16日放送



夢二の手紙 6 まあちゃん

竹久夢二の手紙

 まあちゃんは今頃起き出ているであろう。
 そして僕の手紙を読んでいるであろう。
 まあちゃん、本当に早く帰って逢いたいねえ。

 いま汽車は比叡の麓を通っている。
 青い麦の間を青色の日傘をさして近江の少女がゆく。
 湖は紫色をして、桃色の帆船を浮かべている。

夢二が「まあちゃん」と呼んだのは
離婚した妻、環(たまき)のことだった。

別れてもなお、夢二は年上の妻に甘える。

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厚焼玉子 12年9月16日放送



夢二の手紙 7  老詩人

竹久夢二の手紙

 まさ子さん

 私は手紙をあなたへ書きたくなったのです。
 ところが、その気持ちで書いたら
 きっとあなたは笑い出すか、あくびをするでしょう。
 どちらにしても老詩人の愚痴に過ぎないと思うでしょう。
 それほどあなたは若くて美しいのです。

「老詩人」と自分を呼ぶようになっても
夢二は恋をあきらめようとはしていない。

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厚焼玉子 12年9月16日放送



夢二の手紙 8 お葉と呼ばれた女

竹久夢二の手紙

 おれの人形は美しくてなつかしい。
 やはりなんといってもおれのものだ。
 けれど、この人形のからだのどこかに
 おれにわからないものがひそんでいる。

35歳の夢二が出会った理想のモデルは15歳だった。
夢二は彼女にお葉という名前をつけ
自分の好みに仕立て上げようとした。

6年一緒に暮らして、お葉は夢二のもとを去った。
それを呼び戻そうとする夢二の手紙には
お葉のことをおれの人形と書いている。

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大友美有紀 12年9月15日放送


なお
伊豆諸島「島の言葉」

秋のこの時期、敬老の日をはさんだ連休を
「シルバーウイーク」と呼ぶことがある。

今年のシルバーウイークは、少し短い。
遠くへ行くのは無理かもしれないが、
近くの島へ行くのはどうだろう。
伊豆大島。調布の飛行場からなら、30分ほどで到着する。
泳ぐには少し遅いけれど、温泉もある、ハイキングも楽しめる。
有名な「波浮の港」もある。

 磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る

 波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
 明日の日和は

 ヤレホンニサ 凪るやら

昭和3年にヒットした野口雨情作詞の歌謡曲。
しかし、実際の波浮港は、島の南東にある。
海沈む夕陽は見えないという。
行ってみなければ、わからない。
そういうことだ。

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大友美有紀 12年9月15日放送


kumi
伊豆諸島「島の言葉」新島

伊豆七島の一つ、新島へは、
調布の飛行場から40分ほど、
竹芝からは、ジェット船で3時間弱で行ける。
東京に住むサーファーにとっては、
世界で一番近いサーフィンの聖地だと言える。
新島はまた、コーガ石の産地でもある。
火山噴火の水蒸気爆発でできたスポンジ状の軽石で、
主成分は黒雲母流紋岩(くろうんもりゅうもんがん)。
新島とイタリア・シチリア島のあたりだけで産出する。
この石で作られたのが、モヤイ像だ。
実は、イースター島のモアイ像とは何の関係もない。

 古くから新島では「共同して仕事に当たる」ことを「モヤイ」と呼ぶ。
 「モヤイ合う」とは助けあうこと。

昭和59年新島村から蒲田商店街に贈られた「モヤイ像」。
現在では青森県西津軽郡深浦町で、その由来ともに見ることができる。

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大友美有紀 12年9月15日放送



伊豆諸島「島の言葉」三宅島

2000年、三宅島の中心にそびえる雄山(おやま)が噴火した。
そして全島避難。その後も火山ガスの放出が続き、
島民は島に帰ることが出来なくなった。
避難指示の解除が出たのは、2005年。
現在でも三宅村役場では、
毎日火山ガスの放出量を観測し、発表している。
復興の一端を担うネイチャーツアーの主催者の
ホームページには、こう書かれている。

 三宅島は約21年周期で噴火が繰り返されています。
 噴火のたびに緑は失われますが、少しづつ再生していきます。
 その噴火から森が再生する過程を簡単に目の当たりにできるのは
 三宅島だけです。

復興の道のりは、自然の再生とともにある。
竹芝から夜行旅客船に乗れば、朝には三宅島に到着する。

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大友美有紀 12年9月15日放送



伊豆諸島「島の言葉」八丈島

伊豆七島のなかで大島に続いて大きな、八丈島。
黒潮に囲まれ、太古から漂流・漂着、そして流人が
その歴史をつくってきた。
名産品のひとつに黄八丈がある。
室町時代のから続く伝統の手織り絹織物。
八丈島の草木を使い、黄、樺、黒に染め上げた絹糸を使う。
八丈とは、もともと2反の長さを八丈に織り上げた絹織物の呼び方。
そして八丈島の名の由来も、この織物から来ているという。
江戸時代の国学者、本居宣長が『玉勝間』にしるしている。

 伊豆の沖にある八丈が島というところも、
 昔この絹を織りだしたので島の名にもなったのに違いない。

八丈島にはその他にも、八丈太鼓、二重の玉石垣、焼酎など、
島の外から流れ着き、定着したものが多くある。
そしてダイビングスポットや、温泉、八丈富士と三原山、
自然の醍醐味も味わえる。
もちろん黒潮の恵みである魚も楽しめる。
南国リゾートの楽しみと、和の味わい、大自然、
そして古来からの伝統。
八丈島までは、羽田から1時間弱だ。

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大友美有紀 12年9月15日放送



伊豆諸島「島の言葉」御蔵島

切り立った断崖、周囲16キロの小さな島、御蔵島(みくらじま)。
東京から約200キロ、三宅島の南18キロに位置する。
そして、大変珍しいことに、
島のごく近い浅瀬に、野生のイルカが棲息している。
10月末までイルカウオッチングができる。
運が良ければ、イルカと泳ぐこともできる。
しかし、守らなければならないルールがある。

 イルカの自然な行動を妨げない。
 小さい子供を連れた群れにはこちらから接近しない。
 水中で寄って来ないイルカのグループには再度エントリーしない。
 イルカに触らない。触ろうとしない。餌を与えない。
 スキューバダイビングの装備でイルカに接近しない。
 ホイッスル、ダイビングコンピューターなど、
 人工音を発する器具は使用しない。
 水中カメラで撮影するときはフラッシュを使用しない。

イルカはおもちゃではない、アトラクションでもない。
自然に愛されているからこそ、
自然とともに生きる努力が必要だ。

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