厚焼玉子 12年4月23日放送


東京タワーとVision

J-WAVEが東京タワーからあなたへお届けする
最後のプログラム、Vision。


1988年
それは東京ドームがオープンした年でもあった。
J-waveは東京タワーに送信所を設け
秋には本放送を開始した。

東京タワーは私たちのシンボルでもあった。

2003年、
J-waveが六本木ヒルズにスタジオを構えたとき
東京タワーは握手できそうな距離まで近づいた。

窓からは毎日東京タワーが見える。
夕暮れに沈んだ街から明かりの残る空に向かって立ち上がる
東京タワーのライトアップは空よりも明るく美しい。

私たちは毎日東京タワーを眺め、東京タワーとともに働いてきた。
だから、お疲れさまは言わない。
さようならも言わない。
いまこの瞬間も東京タワーとお隣同士の距離は変わらないのだから。

J-waveの窓から東京タワーの左を見ると、
ビルのてっぺんから東京スカイツリーが顔を出している。
高さ634メートルのこの新しいランドマークは
みんなに「上を向いて」というメッセージを送っている。


上を向いて、未来を見つめ、希望を抱き
明日に向かって、みんなの心のウエーブをつなげていこう。

YOUR WAVE MAKES THE WORLD

J-waveはこれからも
ふたつのタワーに見守られて
あたらしいウエーブを発信していきます。

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熊埜御堂 由香 12年4月22日放送

八犬伝
師のはなし 司馬遼太郎の言葉

歴史小説を通して
人間を描き続けた作家、
司馬遼太郎はこう言った。

食欲と性欲と睡眠欲が三大本能として、
四番目は教育する本能、
そして教育を受けたくなる本能かもしれません。


春、わけもなくわくわくするのは
知的な新しい出会いを
本能が察知しているからだろうか。

お気に入りの本を、親しくなったあのひとに
思わず、すすめるように。
教え、教わり人は生きていく。


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薄景子 12年4月22日放送

itou
師のはなし 岸本葉子の先生

エッセイスト、岸本葉子。
彼女の人生訓となる、
高校の先生の言葉がある。

「うちの子はやればできる、やらないだけ」
という親がいるが、それは違う。
重要なのは、やるかやらないかだ。

その言葉に導かれるように、
岸本は自分で400枚の原稿を出版社にもちこみ、
それがデビュー作となった。

編集者は言ったという。
「本を出してくれるなら書く」という人は大勢いる。
だが実際に書いてくる人はその何百分の一だ。

人生は、やるかやらないか。
いい教えは、一生、生徒を育てつづける。

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石橋涼子 12年4月22日放送


師のはなし 内村鑑三と斉藤宗次郎

明治のキリスト教伝導者であり
社会運動家でもある内村鑑三のもとには、
弟子になりたいという者が後を絶たなかった。
しかし大きすぎる期待は失望へと変わりやすいもので、
内村のもとを去る者も後を絶たなかったという。

師弟関係というものに絶望した内村は、
弟子を持つの不幸
という文章まで書いた。

そんな師匠を最後まで慕い続けたのが斉藤宗次郎だ。

なにしろ斉藤は、雨にも負けずのモデルになった
と言われている人物だ。
雨の日も風の日も師匠のもとへ通い、敬い、尽くし、
病気の内村を最期まで看取った。

内村鑑三は、最晩年にようやく
弟子を持つことの幸福を知ったのではないだろうか。

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茂木彩海 12年4月22日放送


師のはなし 立川談志のことば

立川談志の人情噺「芝浜」をはじめて聴き、
感動でしばらく席を立てなかった。
立川談春。その時、17歳。
高校を中退し、立川談志に弟子入りすることを決意する。

「師匠が黒と言ったら白でも黒になる」
というほど徹底した師弟関係の中、
大量の用事を言いつけられても、師匠が笑顔になる
その一瞬のために、目の色を変えて駆けずり回った。

そんな談春を悩ませたのが、弟弟子の志らく。
あとから入門してきた彼を談志が何かにつけて誉めるため、
談春はすっかり腐ってしまったのだ。

そんな談春を、ある日師匠は呼び出し、
二人きりになったところで、こう切り出した。

お前に嫉妬とは何かを教えてやる。
己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱味を口であげつらって、
自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。


いま、「最もチケットが取れない落語家」と呼ばれる立川談春。
彼の師匠は、落語だけでなく、
人生の師匠でもあったということは、言うまでも無い。



東十条の王子
師のはなし 尾田栄一郎の師匠

いま、日本で一番売れている漫画。ワンピース。
作者の尾田栄一郎が大学を中退してアシスタントについたのは
「ジャングルの王者ターちゃん」の作者、徳弘正也だった。

この2人が描く主人公には、
“不器用さ”という共通点がある。

ターちゃんは腰蓑ひとつといういでたちで
ジャングルの王者でいながら、徹底した菜食主義者。

一方、尾田の描いたルフィーは、様々な能力者がいる中、
一番弱そうなゴム人間という設定。

その理由を尋ねられた尾田は、こう答えている。

どんなに話が深刻になってもルフィーは伸びたり膨らんだり。
いつでもふざけるチャンスをくれます。

格好良くて、強くて、完璧なヒーローよりも、
不器用なヒーローこそ、読者に永く愛される。

師匠、徳弘の精神は、主人公を通して尾田へと受け継がれている。

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小野麻利江 12年4月22日放送

yoti
師のはなし 香川真司とレヴィ・クルピ

ドイツ・ブンデスリーガの強豪、
ボルジア・ドルトムントで活躍する、香川真司。

Jリーグ・セレッソ大阪に入団当初は、
責任感の強さから、
ミスをすると自分を責める傾向があった。

そんな彼に、監督のレヴィ・クルピはこう言った。

人はミスをして当たり前だ
ミスを繰り返すなかで自分を見つければいい
もっと強気な姿勢を見せてくれ


今の香川の活躍の裏には、
才能を見抜き、励ましてくれた
師の存在がある。



師のはなし 野村克也と江夏豊

1976年。望まないトレードによって、
阪神から南海ホークスへ移籍した、投手・江夏豊。
すでに全盛期を過ぎていた彼は
長いイニングを投げられず、
先発として、思うような成績を残せずにいた。

監督であり捕手でもあった野村克也は、
江夏の制球力は健在なことを見抜き、
リリーフ投手への転向を何度も打診する。

しかし当時リリーフ投手の地位は極めて低く、
先発にこだわる江夏は、反発し続けていた。
「トレードのうえ、今度はリリーフ投手への転向か。
何で自分にばかり、恥をかかせるのか」

ある日のこと。
野村は、江夏が新撰組が好きだと知り、
こんな言葉で説得することにした。

二人で野球界に、革命を起こそう。


リリーフ投手の地位をくつがえし、
日本野球界に革命を起こす「師弟」の誕生。
野村の采配は、ここでも功を奏した。

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蛭田瑞穂 12年4月21日放送


向田邦子のレシピ①

向田邦子は料理が好きだった。
「本当は板前さんになりたかった」と言う程の料理好きで、
執筆中気がつくと原稿用紙にお品書きを書いていることもあった。

「イワシの梅煮」
イワシは幅3センチぐらいの筒切りにする。
出し汁、酒、みりん、醤油を鍋で煮たてた後、
イワシとほぐした梅干しを入れる。
中火で10分煮たら、そのまま冷まして味をしみ込ませ、
器に盛ったらできあがり。


料理をつくっては人を招いた向田邦子。
その料理には温かなもてなしのこころが隠れている。




向田邦子のレシピ②

向田邦子は食べ歩くのが好きだった。
おいしい店を見つけると、その店の味を熱心に真似た。

自分の味にすると、次は独自のアレンジを加えた。
材料がなければ別のもので代用した。
意外な食材が組み合わさることで予想外のおいしさが生まれた。

「白身魚のマヨネーズ焼き」
塩コショウを振った白身魚をバターで焼き、火を通す。
シソの葉と玉ネギをみじん切りし、
あら切りしたリンゴと一緒にマヨネーズであえる。
白身魚にマヨネーズソースを塗って、オーブンで焼いてできあがり。


向田のつくる「白身魚のマヨネーズ焼き」も
グラタンをつくり変えたオリジナルレシピである。






向田邦子のレシピ③

向田邦子は海苔弁当が好きだった。
海外旅行から帰ってくると、
まっ先に食べたくなるのは決まって海苔弁当だった。

火鉢でぱりっと炙った海苔。
削るとぷうんと匂い立つかつお節。
薪でふっくら炊き上げた白いご飯。

良い材料を吟味してつくる海苔弁当は、
ほんとうのおいしさを知る、大人の贅沢な料理。

「向田流海苔弁当」
炊きたてのご飯を弁当箱の1/3ほどに詰める。
その上に醤油をまぶしたかつお節を敷き、
八つ切りした海苔をのせる。
それを3段重ね、最後に薄くご飯をのせる。
ふたをして5分ほど蒸らしてできあがり。


「最後の晩餐」に何を食べるかという友人たちとのおしゃべりで、
必ず話題にのぼったのも、ご飯と海苔とかつお節だったという。




向田邦子のレシピ④

向田邦子はスープが好きだった。
両腕を広げたほどもある大きな寸胴鍋を使って、
スープをコトコト煮込んでいた。

「ジャガ芋スープ」
ジャガ芋、ニンジン、玉ネギ、セロリをスープ鍋の中にすりおろす。
水、ローリエ、塩、ブイヨンを入れ、弱火で20分煮込む。
器に盛ったら、細かく切ったハムとパセリを散らし、
バターを落としてできあがり。


友人が病気と聞けば、小さな鍋で届けた向田邦子。
彼女のつくるスープはやさしい味がしたに違いない。




向田邦子のレシピ⑤

向田邦子は鶏肉が好きだった。
とくに鶏の酒蒸しはよくつくった。

どんな食材とも相性が良いため、鶏肉を好む料理人は多い。
ただ向田の場合、飼っていた猫の好物が鶏肉だったことも
多少の関係があるのかもしれない。
猫に買うついでに、もうちょっとという具合に。

「蒸し鶏とトマトの中華風」
胸肉に薄く塩を振り、酒を振りかけて蒸す。
冷めたら細く裂き、千切りのキュウリと混ぜたら
やや厚めのトマトの輪切りに乗せる。
出し汁、みりん、醤油でつくったつゆに酢とごま油を合わせ、
上からかけてできあがり。


向田邦子が溺愛した猫の名はマミオ。
向田がバンコクでひと目惚れし、帰国後飼い主に手紙を送り、
譲ってもらったというエピソードがある。




向田邦子のレシピ⑥

向田邦子は倹約が好きだった。
余った食材は捨てずに取っておき、次の料理に使いまわした。

食べものをたいせつにするというのは向田家の躾で、
小皿に残った醤油さえ、捨てるとずいぶん叱られたという。

梅干しの赤ジソやかつお節削りに残ったかつおの粉。
そんな食材とも呼べないような残りものを使って、器用に料理をこしらえた。

「梅ジソとかつお節の箸休め」
さっと水洗いした梅ジソをきつく絞って細かく刻む。
刻んだシソの葉にかつお節をまぶす。
最後に醤油で味を調えてできあがり。


食材を無駄にしない。それも料理の腕のひとつ。




向田邦子のレシピ⑦

向田邦子は旬の野菜が好きだった。
春、みずみずしい根三つ葉が青果店に並ぶと、
向田はうきうきしながらそれを買った。

「三つ葉のきんぴら」
三つ葉をざく切りし、サラダ油を熱したフライパンで炒める。
余計な水分を捨て、醤油をまわし入れて味をつける。
仕上げにゴマ油をたらし、器に盛る。
最後に白ゴマをかけてできあがり。


向田邦子の台所にはいつも旬の香りが溢れていた。




向田邦子のレシピ⑧

向田邦子は味つけご飯が好きだった。
とりわけ好んだのは小料理屋を営む妹がつくるニンジンご飯。
ニンジンと油揚げをたっぷり炊き込むニンジンご飯を
「食べ過ぎると眠くなっていけない」と言いながらおかわりしていた。

向田自身がよくつくったのはシソの葉を混ぜ込む青ジソごはんや
山ほどクレソンを入れた炒飯だった。

「クレソン炒飯」
冷やご飯をバターで炒め、パラパラになったら
塩、コショウ、酒で味を調える。
細かく刻んだクレソンを加えてひと混ぜして
お好みで醤油をたらしてできあがり。


一種類の具のみをつかって、おいしい料理をつくる。
その潔さがなんとも向田邦子らしい。

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三島邦彦 12年4月15日放送


いつまでも素敵な女性/小篠綾子

ヒロコ、ジュンコ、ミチコ。
世界的ファッションデザイナー、
コシノ三姉妹の母、小篠綾子さん。

自らもデザイナーとして
大阪の岸和田市で
洋服屋を生涯営んだ。

これは綾子さん88歳の時の言葉。

今や私も良きライバルとして、
また良き友として、娘たちの仲間入りをして、
四姉妹のつもりで歩いていこうと思っています。

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三國菜恵 12年4月15日放送

imajou
いつまでも素敵な女性/宇野千代

今年も、山口県の岩国市に桜が咲いた。
作家・宇野千代の生家にある2本の桜。

生前、

私は幸福を撒き散らす、花咲かばあさんになりたい

と言った、宇野千代。

たしかに彼女は、
いつも春のなかを生きているような人だった。

次から次へと、恋をする。
新しい興味が、次々に湧く。
作家。編集者。着物デザイナー。
その肩書の多さは、好奇心の証し。

彼女の人生訓を、ひとことで言うと、こうなるのだという。

人生は、行動である

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三島邦彦  12年4月15日放送


いつまでも素敵な女性/ 幸田文

明治の文豪、幸田露伴はある日、
子どもたちにそれぞれ木を与え
庭で育てるよう命じた。

次女の幸田文はその庭で、
草木に強く心をよせた。

時が流れ、孫も生まれた文は、
北海道のえぞ松から
屋久島の縄文杉まで、
珍しい木が見られるとあれば
人に背負われてでも森へ山へと
分け入るようになっていた。

松やイチョウ、ヒノキにポプラ。
木の皮が織りなす模様を
美しい着物のように愛でる彼女。

今そこに生きる命として、
木の立ち姿を味わった。

これは、そんな幸田文の言葉。

いのちの詩をうたって山野にいる姿と、
いのち終えてなお美しく力ある材となった姿と、
どちらをもともにいとおしむ心情を、
若い人にもってもらいたい、と切におもう。




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