宮田知明 10年04月24日放送


01-lind
チャールズ・リンドバーグと春

飛行機の窓から見える景色は、
80年前は、まだ当たり前ではなかった。

チャールズ・リンドバーグが、
人類史上初めて大西洋単独無着陸飛行を達成したのは、
1927年の春のこと。

スピリッツオブセントルイス号に乗って
青空に浮かんでいるとき
リンドバーグの脳裏に浮かんだのは
こんな言葉だった。

「何事が起ころうと、この瞬間、生きているだけで充分だ!」

いろんなことに行き詰まったとき。
窓を開けて、ちょっと青空を見上げてみませんか。

topへ

渋谷三紀 10年04月24日放送


03-1000
100回目の春

百歳にもなればその道が見えてくる。
人生も季節と同じで
過ぎてみてはじめて春夏秋冬があることがわかる。

こんなことをおっしゃっているのは
100歳のおばあちゃん、矢谷千歳さん、

終わらない冬はない。
けれど、春だって
いつまでも止まっていてはくれない。

ひとつひとつの季節を
噛み締め、味わって生きましょう。



04
与謝野晶子の春

こころが浮き立つのは
春だから。
理由なんて、それだけで十分。

歌人与謝野晶子の春の歌に
こんな一首がある。

清水へ祇園をよぎる桜月夜
こよひ逢ふ人みなうつくしき

月の美しさ、桜の美しさ
そして、夜桜を見に出て来た人まで美しく見えるのは
春だから、自分の心が浮き立っているから
そして、恋をしているから。

このとき、与謝野晶子は
大阪の老舗の和菓子屋の娘で
与謝野鉄幹の弟子のひとりに過ぎなかったけれど
心には消えることのない恋の灯がともっていた。

清水へ祇園をよぎる桜月夜
こよひ逢ふ人みなうつくしき

こころが華やぐのは
恋をしているから
理由なんて、それだけで十分。

京都は結婚前の与謝野鉄幹と晶子が
忍び逢った町でもあった。



05-sky
スヌーピーの春

世界一有名なビーグル犬、スヌーピー。

チャーリーブラウン少年の家に来るまえ、
別の飼い主に捨てられた過去があることは、
案外知られていない。

よく犬なんてやってられるね。
そんな問いにスヌーピーはこう答える。

配られたカードで勝負するしかないのさ。
それがどういう意味であれ。

現実から目をそらしたり、自分の境遇を嘆いたり、
人間みたいなことはしない。

上を向き続ける。それが人生のコツさ。

そうつぶやく犬小屋の上のスヌーピーみたいに、
空をながめてすごす春の一日も悪くない。





06-na
山村暮鳥の春

詩人山村暮鳥作、「風景」。
そこにはただただ同じことばが並ぶ。

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな

そこにはただただ同じけしきが広がる。

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな

ときにことばは、
どんなハイビジョンより
ほんものの春を映し出す。

topへ

宮田知明 10年04月24日放送


07-phone
城山三郎と春

「そんな人は、うちにはおりません。」
作家・城山三郎に春を告げたのは、
妻のそんな声だった。

城山はそのとき風呂に入っており
玄関では妻が文学界新人賞受賞の電報を届けにきた配達員を
追い返そうとしていた。
妻は夫が城山三郎というペンネームで
小説を書いていることを知らなかった。

城山三郎が「輸出」という小説で
第四回文学界新人賞を受賞したのは1957年の春。
駆け出し作家の貧乏生活を支える妻は
夫のペンネームを知る余裕はなかったのだ。

けれど、その次の年。
直木賞発表の夜、妻はお風呂を湧かして知らせを待っていた。
新人賞のときは城山が入浴中に受賞の電報が来たので
縁起をかついだらしかった。
待っていた電報は来なかったけれど
近所の八百屋の電話が鳴って、直木賞受賞を知らせた。

そんな妻が亡くなって
城山三郎は一冊の本を書いた。
「そうか、もう君はいないのか」

それはスター作家城山三郎ではなく
本名杉浦英一の妻だった女性に宛てた恋文だった。

topへ

中村直史 10年03月18日放送

1マーク・エイブラハムズ

イグノーベル賞/マーク・エイブラハムズ


ノーベル賞と同じノーベルの
名を持ちながら
全く権威のない賞がある。

その名を「イグノーベル賞」。
創設者、マーク・エイブラハムズ。

「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して贈られる賞だ。

権威がないといっても
あなどれない。
だって
世界で最も人を笑わせ、
考えさせてくれる研究って
気になるでしょう?



2アイヴァン・シュワブとフィリップ・メイ

イグノーベル賞/アイヴァン・シュワブとフィリップ・メイ


なぜリンゴは地上に落ちるのか?

万有引力を発見した
ニュートンのように
科学における発見は
「よくよく考えてみると不思議」
を解明することでなされてきた。

そう考えれば、
人々を笑わせ、考えさせてくれる研究
に与えられる「イグノーベル賞」も
すばらしい発見を後押ししている、と言える。

2006年、イグノーベル鳥類学賞。
受賞者はカリフォルニア大学の
アイヴァン・シュワブとフィリップ・メイ。

研究内容は
「なぜキツツキは頭痛を起こさないのか」
だった。



3井上大祐

イグノーベル賞/井上大祐


人々を笑わせ、
そして考えさせてくれる研究に
贈られる偉大な賞
イグノーベル賞。

2004年には
日本人が「イグノーベル平和賞」を受賞した。

その人は、
カラオケの発明者
井上大祐(いのうえ だいすけ)さん。

授賞理由は、
「他人の上手くもない歌を聞かなければならないことで養われる寛容な気持ち」
を世界中に根づかせたこと。

受賞会場の観客はスタンディングオベーションで
井上さんを称えたが、本人はいたって謙虚で。


 僕へのスタンディングオベーションじゃなくて、カラオケに対してやと思いますよ。


井上さん、
受賞スピーチの後には
ちゃっかり歌も披露した。



4ジャック・シラク

イグノーベル賞/ジャック・シラク


人々を笑わせ、
考えさせてくれる研究に
与えられる「イグノーベル賞」。

1996年、その平和賞は
フランスのジャック・シラク元大統領に
贈られた。

受賞理由は、
広島への原爆投下から
50周年にあたる年に、
半年で6回もの核実験を行ったこと。

ときに強烈な皮肉を込めるのも
イグノーベル賞のやり方。



5アストルフォ・ゴメス・デ・メロ・アラウージョ<br /> ジョゼ・カルロス・マルセリーノ

イグノーベル賞/アストルフォ・ゴメス・デ・メロ・アラウージョ
ジョゼ・カルロス・マルセリーノ



世界の歴史は
アルマジロによって
書きかえられている。

そんなバカな、
とも言えない話らしい。

ブラジルはサンパウロ大学の
アストルフォ・ゴメス・デ・メロ・アラウージョと
ジョゼ・カルロス・マルセリーノのふたりは
アルマジロの活動が遺跡発掘現場において
いかに遺物の順序を滅茶苦茶にするか、
またそのことで
どのように人類の歴史が書き変えられてしまうか
を調査した。

この功績により、
2008年、イグノーベル考古学賞を受賞。

あなたが知っている
世界の歴史にも
あのノソノソした生き物が
関与している。

そう考えたらワクワクしませんか。






6渡辺茂・坂本淳子・脇田真清

イグノーベル賞/渡辺茂・坂本淳子・脇田真清


人々を笑わせ、
考えさせてくれる研究に
与えられる「イグノーベル賞」。

受賞した研究の数々を
「バカバカしい」と一蹴する人もいるけれど・・・

1995年のイグノーベル心理学賞を
受賞した渡辺茂・坂本淳子・脇田真清さんの授賞理由は

「ピカソとモネの絵画を見分けられるようにハトを訓練し、成功したことについて」

もしかすると
人間の、鳥に対する見方さえ
変えてしまうような
すごい話。



7中松義郎

イグノーベル賞/中松義郎


突拍子もない研究に
エールを送りつづける
イグノーベル賞。

突拍子もないといえば、
代名詞みたいな日本人がいます。
ドクター中松こと、中松義郎。

と思ったら
やっぱり受賞していました。

2005年、イグノーベル栄養学賞。

「34年間、自分の食事を欠かさず撮影し、
食べたものが脳の働きや体調に与える影響を
分析し続けたこと」に対して。

・・・恐れ入ります。


topへ

小山佳奈 10年04月17日放送

01-sayoko
山口小夜子

1972年。
切れ長の目におかっぱ頭で
パリのランウェイを颯爽と歩く
一人の日本人女性がいた。

彼女の名は、山口小夜子。

「ニューズウィーク」で
世界のトップモデル6人に選ばれ
小夜子のマネキンがロンドンの
ショーウィンドーを飾った。

しかし
彼女は言う。

「本当にやりたいことが
できるようになったのは
 50を過ぎてからよ」

人生の濃度は
名声とも年齢とも
関係ない。

02-niel
ニール・ヤング

001年9月11日。

世界を揺るがせたあの事件の直後
アメリカの大手ラジオ局が
放送自粛の曲目リストをつくった。

その中にはジョン・レノンの
「イマジン」も入っていた。

ほどなくして放送された
犠牲者追悼のチャリティー番組。
おもむろに登場した二―ルヤングは
一分の迷いもなくイマジンを歌った。

「想像してごらん 
 国や宗教が存在しない世界を」

世界中の戦闘機が
パトリオットミサイルの代わりに
このメロディーを積んでくれたなら。

03-aku
阿久悠

作詞家、阿久悠について。

生涯で5000曲以上も書いた
怪物作詞家の別名は
「アナログの鬼」。

パソコンなんて無粋なものは使わない。
原稿用紙に100円のフェルトペンで
キュッキュッと小気味よい音を立てながら
一気に書きあげる。

「原稿は縦書きですから
読んでいる人は自然に頷くんです。」

たしかに彼の歌には
意味もなく頷いてしまう
強さがある。

「人間の心はアナログですから。」

04-buddy
バディ・ホリー

何ごとにもはじまりがあるように、
ロックにだってはじまりがある。

ロックの父といえば、
バディ・ホリー。

ボブ・ディランがギターをにぎったのも
ジョン・レノンが眼鏡をかけたのも
キース・リチャーズは3コードをおぼえたのも
みんなバディ・ホリーになりたかったから。

ありがとう。

あなたがいなかったら
世界はなんとつまらなかったんだろう。

05-atsumi
渥美清

風天の寅さんこと、渥美清。
彼の本名は田所康雄という。

素顔の田所は風天どころか
よく本を読み、よく映画を観る勉強家。
何事にも緻密な計算を立てる
完璧主義者だった。

私生活は一切みせず
家族も家から出さなかった。

車寅次郎を知らない人はいない。
渥美清を知らない人はいない。
田所康雄を知る人はほぼ、いない。

だから寅さんは
あんなに朗らかで
少し寂しい。

桜を見ると
江戸川堤にたたずむ
寅さんの横顔を思い出す。

06-bolan
マーク・ボラン

TREXのマーク・ボラン。
彼は若いころオカルトに凝っていて
魔女と同棲をしていたという噂もあった。

魔女はひとつ予言をした。
「あなたは大成功をおさめるが
 30になる前に血まみれになって死ぬ。」

マーク・ボランはその言葉どおり
30歳になる2週間前に
交通事故で亡くなってしまった。

おぼろにかすむ春の宵は
おぼろな話が気にかかります。

topへ

蛭田瑞穂 10年04月11日放送

1 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち①

ゴダール、
トリュフォー、
エリック・ロメール。

ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちは、
もともとは映画の批評家だった。

伝統的な映画づくりを否定し、
今までにない映画の在り方を主張した。

そうして実際、そのとおりに映画を撮ったのだ。

「有言実行」とは、つまりこういうこと。

2 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち②

フランスの映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」。
その初代編集長、アンドレ・バザン。

彼はその雑誌に、
映画への情熱にあふれる若者たちを集め、
自由に批評を書く場を与えた。

のちに、その若者たちの中から、
ゴダールやトリュフォーといった
映画の歴史を変える監督があらわれる。

アンドレ・バザン。
彼こそが「ヌーヴェル・ヴァーグの父」である。



3 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち③

1954年、フランスの映画批評誌
「カイエ・デュ・シネマ」に、
1本の評論が掲載された。

題名は「フランス映画のある種の傾向」。
執筆したのは21歳の若者、
フランソワ・トリュフォー。

評論の中でトリュフォーは伝統的な映画手法を否定し、
監督の作家性を押し出す「作家主義の映画」を主張した。

これがフランス映画界に波紋を起こす。
波紋はやがて大きな波へと変わり、
世界の映画人を飲み込むことになる。

「ヌーヴェル・ヴァーグ」。
日本語で「新しい波」を意味する
映画運動はこうして始まった。

4 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち④

処女作にはその作家のすべてがある。

映画監督フランソワ・トリュフォーの処女長編は
家族愛に恵まれない不幸な少年の物語。

両親に見捨てられ、孤独な少年時代を過ごした
トリュフォーの自伝的作品といわれる。

タイトルは“LES QUATRE CENTS COUPS”

邦題は、「大人は判ってくれない」。

5 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち⑤

ジャン=リュック・ゴダールの
長編デビュー作「勝手にしやがれ」。
ゴダールはこの作品で、
さまざまな新しい試みをした。

脚本のない即興演出。
手持ちカメラによる大胆な街頭ロケ。
「ジャンプカット」と呼ばれる革新的な編集技法。
そして映画史に残る衝撃のラストシーン。

批評家アレクサンドル・アストリュックはこう語る。

 それは爆弾のように炸裂した。
 たった1本の映画で、
 ゴダールは「明日の映画」を発明したのである。


「勝手にしやがれ」の封切りから今年でちょうど50年。
未だ古びて見えないのは、
フィルムに「明日」が映っているから。

6 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち⑥

映画監督エリック・ロメールの
デビュー作「獅子座」。

その内容はというと。

事件はほとんど起こらない。
物語は淡々と進む。

興行的にも振るわなかった。

でも、それが彼のやり方。
ありきたりの手法を否定することで、
既存の映画に反抗した。

「獅子座」。
それはロメールが起こした、静かな革命だった。

7 ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち⑦

今年1月、
89歳で亡くなった映画監督
エリック・ロメール。

彼の映画はタイトルだけで
瑞々しい映像が浮かんでくるようだ。

「海辺のポーリーヌ」
「緑の光線」
「春のソナタ」
「夏物語」

ロメールが天国で、次の映画を撮るとしたら、
どんなタイトルになるのだろう。

topへ

坂本和加 10年04月10日放送

01-poincare
ポアンカレ予想と数学者① パパキリアコプーロス

数学の世界には、
魔物が住んでいる。
数学者、パパキリアコプーロスも
その魔物に人生を翻弄された。

パパは、最初に
ポアンカレ予想を解く。
みな、そう思っていた。
けれど、結局それは叶わなかった。

神経質で、
ひとと関わりを
持つことを嫌い、
結婚もせず、偏屈な変わり者。
墓さえどこにあるか、
わからないという。

パパの死後、
母国ギリシャの作家によって
一編の小説が生まれた。

パパをモデルにした、
ある数学者の、かなしい物語。

ギリシャでは、
ベストセラーになり、
映画化もされたという。

02-haku
ポアンカレ予想と数学者たち② ストーリングス博士

ポアンカレ予想は、
メルヴィルの『白鯨』に登場する
巨大鯨に似ている。

数学者たちは、
いつの時代も
まさに命がけで
世紀の難問と
対峙してきたのだ。

その難問は
2006年に解決済みだが、
ストーリングス博士は
未だに認めていない。
正しく言うなら、
信じられないのだ。

若かりし頃、博士は、
こんな論文を発表している。
タイトル
「ポアンカレ予想の証明に失敗する人」。

03-yon
ポアンカレ予想と数学者たち③ ハーケン博士

解けそうで、だけど、
どうしても解けないと
世界の数学者たちを
100年にわたり悩ませつづけた
ポアンカレ予想。

ハーケン博士も
そのひとりだったけれど、
途中から、180度、発想を変えた。
「ポアンカレ予想は、間違っている」。
その証明をしようとしたのだ。
格闘のつづく日々は、
正気を失いそうだったという。

けれど、三度(みたび)。
博士は発想の転換をする。
「こっちの難問なら、
午後を楽しく過ごせて、こんなにはかどる」。

ハーケン博士はそう言って、
別の、世紀の難問
「四色問題」を証明してしまった。

04-beauty
ポアンカレ予想と数学者たち④ サーストン博士

数学者たちは、
特別な世界で生きている。
そこで見つけた証明や定理を、
時に「エレガント」と賞賛する。

どう「エレガント」なのかは
凡人のわたしたちに、難しい。
たぶん聞いても、わからない。
そのくらい、数学は、
特別で特殊な別世界なのだ。

しかしサーストン博士は
数学で得た経験を
わかりやすくわたしたちに
伝えてくれる。

数学の本質は、世界をどういう視点で見るか。
物事を習うことは、物事を見ることです。

05-poincare
ポアンカレ予想と数学者たち⑤ アンリ・ポアンカレ

世界中の名だたる数学者たちが
その魅力にとりつかれ、
挑み続けたポアンカレ予想。
提唱者は、アンリ・ポアンカレ。
ニュートンやダヴィンチとならぶ、
19世紀の、知の巨人。

ポアンカレは、
じつに研究熱心な努力家だった。
ノートを持たない外出先で
思い浮かんだ数式を、
停車中の市電の車体に
書き込んでしまうくらいに。

そうでもなかったら、
世紀の難問は、
そう簡単には生まれない。

偶然は、それを受け入れる準備ができた
精神にのみ訪れる。

06-sanshiro
ポアンカレ予想と数学者たち⑥ グレゴリ・ペレリマン

むかし、東大の本郷キャンパスにある
三四郎池をなくそうという話があったとき、
猛反対をしたのは、
数学科の教員たちだったという。

数学者というのは、
「思索のための散歩」が好きなようで、
ポアンカレ予想を解いた天才数学者
ペレリマンも、ひどいときは40キロも
歩くことがあったらしい。

歩くことは、考えること。

最近、歩いていますか?

topへ

八木田杏子 10年04月04日放送



トルストイ


鈍感は最大の罪である。

そんな言葉を残したトルストイ。

鈍感な人間に、
「鈍感は最大の罪である」と言ったところで、
響くはずはないけれど。

彼らにうんざりしている人たちの
傷をうめることはできる。

あきらめて鈍感なふりをすることを、
踏みとどまらせることもできる。

傷を癒しながら、戒めにもなるなんて。
文豪が残した悪口は、気が利いている。





谷川俊太郎


答えのない質問は、大人をひるませる。

どうして、人は死ぬの?
死ぬのはいやだよ。

目をうるませながら問いかける娘に、たじろぐ母親。
詩人・谷川俊太郎は、こんなアドバイスをした。


 ぼくだったら、
 ぎゅーっと抱きしめて、一緒に泣きます。


言葉で答えられない問いかけには、
肌のぬくもりで応えればいい。

ひとりで抱えきれない不安を、
抱きしめてくれる人がいれば、
答えがなくても生きていける。





ジョン・ワラック


この人とは話しても無駄だ。
わかりあえるはずがない。

そう思い込むのは勘違いだと、
教えてくれる人がいる。

シーズ・オブ・ピースを立ち上げた、
ジョン・ワラック。

彼は、パレスチナ系アラブ人と、イスラエル系ユダヤ人の
ティーン・エージャーを話しあわせる。

僕の父さんは、おまえたちのおかげで、死んだんだ。
僕の兄弟は、君たちイスラエル軍に、殺されたんだ。

何日も何日も、憎しみをぶつけあう。
すると、ふと気がつく。

お互いが、同じことを、言っていることに。
お互いが、同じように、傷つけあっていることに。

愚かなのは、憎しみを持ちつづけ、
殺し合いをやめないことだ、と気がつく。

悪魔だと思っていた敵も、
おなじ人間だと知った子供たち。

彼らは、平和の種として、自分の国に帰っていく。





ムソルグスキーとバラキレフ


「ロシア5人組」と呼ばれる作曲家たちを
率いていたバラキレフ。

ムソルグスキーにも、
クラシックの形式を教えこんだ。

しかし、ムソルグスキーが書き上げた曲
「禿山の一夜」は、音楽理論から逸脱していた。

バラキレフは、改作を求める。
ムソルグスキーは、自分に嘘がつけない。

私はこの作品をまともだと思っていますし、
そう思うこともやめません。

理論よりも直観を信じる、ムソルグスキー。

孤独と闘いながら、150年残る、作品をうみだした。





ムソルグスキー


むきだしの魂をぶつける
ロシアの作曲家ムソルグスキー。

心のなかに手をつっこんで、かき乱すような旋律。
腹の底に響いてくる、重くるしい和音。

その音楽は、耳ざわりだけれど、人を惹きつける。

しかし、クラシックの理論をこえた音楽は、
無学と非難され、音楽家としては認められない。

しだいにアルコールに溺れていく彼を
覚醒させたのは、友人の画家の死だった。

ガルトマンの遺作、一枚一枚から、
ムソルグスキーは強烈なインスピレーションをうける。

楽想と旋律がほとばしり、
それを書きなぐる時間さえもどかしい。

わずか3週間で書き上げられた組曲「展覧会の絵」。

およそ100年後の、1970年。
イギリスのロックバンド、ELPが
この曲をアレンジして演奏すると、世界中がわいた。

ムソルグスキーのむきだしの魂は、
クラシックよりもロックのほうが相性が良い。







リムスキー=コルサコフ


武骨な天才ムソルグスキーと、
器用な天才リムスキー。

ふたりは、無二の親友だった。

批判されたムソルグスキーの曲「禿山の一夜」を
リムスキーがアレンジすると、名作といわれた。

それは、ムソルグスキーが亡くなった後、
彼の名前を残すための、苦肉の策だった。

彼が生きていたら、
楽譜に手を入れることを、許さなかっただろう。

ダイヤの原石のような天才、ムソルグスキー。
つややかに磨きあげる天才、リムスキー。

生きているうちに、ぶつかることを恐れずに。

ふたりでひとつの作品を創ったら、
どんな音楽がうまれたのだろう。





宮地勇輔


空気なんて、読まなくてもいい。
時代なんて、読めるはずがない。

農家のこせがれネットワーク代表の
宮地勇輔は、時代の追い風をうけている。

農業ブームなんて想像できなかった頃に、
会社をやめて夢を語る、彼の先行きは不透明だった。

それでも自分の道を歩きはじめたら、
時代のほうから近づいてきた。

狙うと溺れてしまう時代の波は、
無心な人のほうが、のりやすい。


topへ

佐藤延夫 10年04月03日放送

01-ooshima
大島蓼太と桜

気が付けば、もう4月。

なんとなく、
無意識のままに
この季節を迎えてしまったと
少し心を痛めている皆さん。

次に目が醒めると夏になって、
秋は瞬く間に過ぎて
新しい年に変わっている。
またひとつ年をとっている。

そんな予感がしませんか?

時の流れにただ身を委ねていると
生き方まで雑になってしまいそう。

  世の中は 三日見ぬ間に 桜かな

江戸時代の俳人、大島蓼太(おおしまりょうた)の句です。
咲くのも早いし、散るのも早い。
人生もまた然り。
どうか今年の桜は、お見逃しのないように。



02-yamazakura
若山牧水と桜

旅と、酒と、桜を愛した歌人、若山牧水。

明治38年、宮崎から上京し
早稲田大学に入学した彼は、
ソメイヨシノばかりの光景にがく然とする。

牧水の桜は、故郷に咲くような山桜でなくてはならなかった。
だからこんな歌が生まれた。

  母恋し かかる夕べの ふるさとの 桜咲くらむ 山の姿よ

文明開化が広がるとともに
東京から追い払われるように姿を消した山桜。

ソメイヨシノは、悲しくも美しい、新しい時代の象徴だった。

03-shidare
九鬼周造と桜

桜の名所は数あれど、
誰にでも心に残る桜があり
そのすぐそばには、
えてして大切な人がいるもので。

哲学者、九鬼周造(くきしゅうぞう)は
自身の随筆でこんな言葉を残しています。

  いまだかつて京都祇園の枝垂桜にも増して
   美しいものを見た覚えがない。
    見れば見るほど限りもなく美しい。


それもそのはず、
九鬼が二度目に結婚した相手は、
京都の芸妓さんだったのですから。

04-mukou
加舎白雄、小林一茶と桜

夕暮れの桜は、
一抹の寂しさを伴うのでしょうか。

江戸時代後期の俳人、加舎白雄(かやしらお)は
向島の桜を見て、こんな句を残しています。

  人恋し 火とぼしころを 桜ちる

放浪を続けた加舎白雄は、生涯独身を貫きました。
向島の白髭神社に行けば、今もその句碑を見ることができます。

また、深川に住んでいた小林一茶は、
こう吟じました。

  夕桜 家ある人は とくかへる

花見をして家路を急ぐ人々と、
ひとりきりの我が身。

向島の桜は、夕暮れどきであれば
ひとりではなく、誰かと見に行くことをお勧めします。

でも、いま隅田川沿いを歩くと
桜並木よりも目立つのは、
建設中の東京スカイツリーだったりするのですが。

05-lune
中村汀女と桜

今年は千鳥ケ淵か、飛鳥山か・・・

昼間の桜もいいけれど、
夜桜こそまた趣深い。

その理由は、中村汀女(なかむらていじょ)の句を聞けばわかります。

  外にも出よ 触るるばかりに 春の月

大きくて柔らかな、春の月。
震えながらでも
夜桜を見上げてしまうのは、きっと
朧な空に優しいものがたくさん浮かんでいるからだ。

06-somei
ロバート・フォーチュンと桜

ソメイヨシノの学名は、
プルヌス・エドエンシス。

翻訳すると、江戸桜。

命名したのは、スコットランド生まれの植物学者、
ロバート・フォーチュンだった。

でもソメイヨシノが広まったのは
明治時代になってから。

本当に江戸を桃色に染めた山桜は、
今や23区内ではあまり見ることができない。

topへ

小宮由美子

小宮由美子 参戦決定

topへ


login