2009 年 8 月 22 日 のアーカイブ

小野麻利江



朝はやく起きて、夜はやく眠くなります。

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熊埜御堂由香 09年8月22日放送

武田百合子

妻の呼び名-武田百合子


「やい、ポチ。わかるか。神妙な顔だなぁ」
夫は妻をポチと呼んだ。


作家、武田泰淳と百合子。
仕事部屋の掃除をしながら、積み上げられた本に
夢中になる妻をからかった言葉だ。


文壇の真ん中で、もの書く夫に、憧れつづけた。

泰淳の死後、百合子はエッセイストとして名を残す。
丁寧に綴られた泰淳とすごした日々。
夫の不在がポチをもの書きにしたのだ。


その日記のせつなさは、どこからともなく、
かすかに聞こえてくる犬の遠吠えにも似て。




山田詠美

彼女の批評-山田詠美


 ちょっと古いものは、いちばん古臭い。


芥川賞選考委員、作家・山田詠美が、
ある若手女性の作品について書いた。
その文芸批評のたしかさには定評がある。


50歳で、美しく、新鮮な作品を世に送り出し続ける、
このひとが言うのだから、
強く、正しく、おそろしい。


すこしだけ、いじわるな解釈をすれば、
「ちょっと古い女は、いちばん古臭い。」とも読める。


どうしようか、
とびきり古めかしい女になるか、
ぴかぴかに新しい女になるしかない。



森茉莉

少女であり続けた女-森茉莉


文豪・森鴎外が贅沢三昧で育てた、娘・茉莉。
16歳でお嫁にいくまで、父の膝の上が特等席であり続けた。


父の死後、結婚に失敗。帰る家をなくした。
恋と言い切った父との関係を、書き始める。


晩年は、貧乏をした。
茉莉の美意識でうめつくされた、「ゴミ屋敷」が最後のお城。
ひとりきり、世界はそこだけで完結した。


子どものままに年老いた。
父の膝の上のような小さな楽園で、夢うつつで暮らした。
彼女は言った。
現実、それは「哀しみ」という意味。


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石橋涼子 09年8月22日放送

ドラ・マール

泣く女-ドラ・マール


その人は、とてもよく泣く女の人だった。

ドラ・マール。
写真家であり、画家であり、ピカソの恋人。


「愛してる」と笑っては泣き、「浮気者」と責めては泣く。
彼女はいつだって、全力で泣いた。
どんな言葉よりもまっすぐで、激しくて、正直な、
彼女の涙はとても魅力的。


ピカソも一度だけ、彼女に涙を見せた。


 人生はあまりにもひどい、
 という以外に説明ができない


と、言いながら。

男の人の涙って、
理屈っぽくって、うすっぺらで、ダメね。



樋口一葉

彼女の名は-樋口一葉


樋口一葉の人生は、貧困との戦いだった。

「一葉」というペンネームは
達磨大師が一枚の葉っぱに乗って川を下る
故事からとった。



 達磨さんも、わたしも、
 おあしが無いから。


おあしは足、そしてお金。
足のないダルマさんとお金のない自分を
しゃれで笑い飛ばす強さがここにある。


一葉は原稿料をもらうために小説家になったが
お金のための小説、というものは書かなかった。
江戸前のいい女だったに違いない。


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薄景子 09年8月22日放送

金澤翔子

母と娘の書-金澤翔子


娘は右上がりに書くということが
理解できなかった。
母はプールに行く坂道を
いっしょに何度も上り下りし、
右上がりを体で教えた。


ダウン症の書家、金澤翔子。
競争を知らない彼女の書には、
邪念のかけらもなく。
見るだけで涙を流す人がいる。


お金の多い少ないも、ジャンケンの勝ち負けもわからない。
社長さんも、ダンボール暮らしも、みな同等。
庭に咲いた白い花に手を合わせ、深々と頭を下げる。


いつの日か、将来の夢をきくと、
「三日月になりたい」と
片言で言う。
ただそこにあり、まわりに照らされ、
優しく光る月のような人。


千人にひとりの、染色体が一個多い赤ちゃんに
かつて絶望した母は、今こう言う。


 千人にひとり、選ばれてこの世に降り立った







フジ子・ヘミング

女の手-フジ子・ヘミング


悪い夢をみている、と彼女は思った。
一流のピアニストとして認められるはずのリサイタル。
その直前、耳が聴こえなくなった。
ポスターが街に貼られる中、
演奏会はキャンセル。
「私の出番は、天国にしかないだろう」
そう、長い間思っていた。


フジ子・ヘミング。
その半生は、波乱つづき。
一時は聴力を失い、国籍を失い、
生きていくために、病院で掃除婦をして過ごした。



 その経験が大切に思えることが、いつか必ずあるのよ


美しい手をしたピアニストがあふれる中、
フジ子の手はゴツゴツしている。
労働をかさねた、その手でしか弾けない音は、
一音一音、生きものように鳴る。






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五島のはなし(33)

僕が通った五島高校は、
城壁の中にあります。
そのころは、高校とはそういうもんだ、としか
思ってなかったですが、考えてみれば特殊です。

五島城は、「日本で一番最後にできた城」なんだそうです。
つまり、江戸の末期も末期。
世の中が、もう将軍の時代じゃないんじゃない? そろそろ開国じゃない?
と言ってた頃に、五島ではようやく「よし、城をつくろう」と
なったわけですが、これには理由があって、
「黒船の襲来に備える」ために建てられたのだそうです。
三方を海に囲まれた(現在は埋め立てのために海に面していませんが)
日本で唯一の「海城」でした。

結局、お城として存在した期間はとても短く、
本丸の跡に校舎が建てられ、今年で110年。

僕が在学中に90周年記念行事をやった覚えがあるから
それからもう20年。早いなあ。
毎日くぐった城門を改めて眺めてみたら
なかなかかっこいいのでした。

この門の先に高校が。

この門の先に高校が。

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