2009 年 8 月 29 日 のアーカイブ

渋谷三紀 09年8月29日放送

中川李枝子

ぐりとぐらと中川李枝子

おとなが思うより、こどもはおとなの策略に敏感。
教育にいいとか、教訓になるとか、
そんなことには
ぷいっとよそを向いてしまう。

だから、
「ママ、なにか読んで」といわれたとき
こんな絵本はいかがでしょう。


 ぼくらのなまえは ぐりとぐら
 このよで いちばん すきなのは
 おりょうりすること たべること

二匹のねずみが主人公。
40年以上も愛されつづける絵本「ぐりとぐら」。
作者の中川李枝子さんはいいます。


 本で何かを教えようなんてしてはいけないと、私は思うの。
 楽しめれば、それでいいのよ。

そうか、だから子供と仲良しなんですね。





笑福亭鶴瓶

アイツは、いい人じゃなくて、
いい人だと思われたい人なんだよ。

そう言ったのはタモリ。
アイツとは、ご存じ、笑福亭鶴瓶である。
本人みずからこんなことを言う。


 子供が「ツルベ!」って言ってくれるのは、
 「ツルベ!」って言ってもらおうと思ってやってることなの。
 だから自然じゃないよね。
 だけど、そうやってることが三十八年続くと、もう自然なの。
 だからよう言うの。
 俺、ホンマにどんな性格かもわからんようになってもうたって。

芸歴38年。いい人でいることも、鶴瓶の芸のひとつ。


ナンシー関

ナンシー関

オリンピックがはじまる前に
「感動をありがとう」っていう
番組編成しちゃうのがすごいよ。

消しゴム版画家にしてテレビ評論家、ナンシー関。

テレビの向こうに、ぼんやりと感じる違和感。
そのあいまいなものの正体を、
4センチ角の消しゴムと、原稿用紙のマス目の中に、
ナンシーは刻みつけた。

見えるものしか見ない。
しかし目を皿のようにして見る。そして見破る。

そんな目が私にも欲しい。


花森安治

花森安治(はなもりやすじ)

ある家庭のみそ汁の作り方を改めさせるほうが、
内閣の一つ二つを倒すより難しい。

それは花森安治の口ぐせだった。
もっと暮しを大切にとの思いを込めて
戦後まもなく創刊された
雑誌「暮しの手帳」の編集長。

実は花森、戦時中は国の標語の
開発にかかわっていた。
「ほしがりません、勝つまでは」
という有名な標語も花森がつくった。

でも、ある日のこと。
「贅沢は敵だ」と書かれたポスターに
一文字の落書きが見つかる。


「贅沢は素敵だ」

犯人は花森だという噂が流れた。
ほんとうだとしたら、なんて素敵。

誰より言葉のちからを信じた、
誰より言葉のちからを恐れた、
反骨とユーモアのひと、花森安治らしい。

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土居美由紀 09年8月29日放送

Noguchi_Hideyo

野口英世の母

明治45年
アメリカで研究を続ける野口英世に届いた一通の手紙がある。

文字というものをほとんど書いたことのなかった母が
一所懸命書いた手紙は
すべてひらがなで書いてあった。


 おまえの出世には、みなたまげました。
 わたくしもよろこんでをりまする。

 どか はやくきてくだされ
 はやくきてくだされ
 はやくきてくだされ
 はやくきてくだされ
 はやくきてくだされ

母の言葉は息子を呼び寄せる。
それから3年後、野口英世は最初で最後の帰国を果たした。

会いたい。早く会いたい。
人を想えば生まれる言葉の、なんと強きこと。

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宮田知明 09年8月29日放送

1

大塚保治(おおつかやすじ) 

関東大震災の火の手が迫ってきたとき
その人は大切にしてきた友人からの手紙を、
一枚一枚、焼き始めた。

夏目漱石が自分だけに打ち明けた悩みや相談の手紙が
万一他人の目に触れることがあってはいけない。

手紙を焼いた人の名前は、大塚保治。
漱石よりふたつ年下だったけれど
漱石より4年早くヨーロッパに留学し
漱石より3年早く東大の教授になっていた。

焼かれた手紙には、若き日の夏目漱石の、
恋の悩みが綴られていたと言われているが
それを人目にさらさない誠実さを信じて
漱石も悩みを打ち明けたのだろう。

大塚保治が大学で教えていたのは美学。
彼の人生もひとつの美学で貫かれていました。




三島由紀夫の言葉


 おじさんはもうすぐ死ぬけれど…

と、三島由紀夫が10歳の少女に語ったのは
その死の前の年の夏だったそうだ。


 おじさんはもうすぐ死ぬけれど…
 そんなおじさんが責任をもってあなたに読むことを勧められるのは
 辞書だけです。

三島は大学で文学ではなく法律を学んだ。
法律を学ぶには法律の用語を完全に理解しなければならなかった。
これを文学にあてはめるとこういうことになる。

文章を理解するためには
まず言葉を理解しなければならない。
文章を書くためには
言葉の意味を他人に説明できるまで理解する必要がある。

子供はどんな本を読めばいいですか、という
女の子の質問に
文学の心構えをやさしい言葉で語ったこのエピソードは
いかにも完璧主義の三島由紀夫らしい。

辞書を読むことをすすめられた女の子は
やがて作家になった。
神津カンナという名前だった。

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