2009 年 10 月 のアーカイブ

薄組・石橋涼子 09年10月18日放送

時を越える


時を越える アントニオ・ガウディ

 人は2つのタイプにわかれる。
 ことばの人と行動の人だ。
 私は後者に属する。

そう語ったのは、スペインの建築家
アントニオ・ガウディ。
そう、あのサグラダ・ファミリア教会の設計者。

幼いころから手先が器用だった彼は
自らの手で作りながら設計することを好んだ。
一方で、自らの考えを伝えたり、
他人の理解を得るために
文章や図面を書くことは大の苦手。

おかげで、着工から120年という膨大な時間の経つ
サグラダ・ファミリアは、今もまだ建築中だ。
なにしろ、ガウディ先生は
たった一枚のスケッチしか
ヒントを残してくれなかったのだから。

晩年、完成までの年月を聞かれるたびに、
彼はこう言ったのだった。

 神様は完成をお急ぎではないよ。

きっと、人は2つのタイプにわかれる。
時間に囚われる人と
時間を越える人。
そして、後者にだけ与えられるのが、
未来に遺せる創造力なのだろう。

400年前からの手紙


400年前からの手紙 俵屋宗達

琳派(りんぱ)の創始者であり、
国宝「風神雷神図」を描いた、俵屋宗達。

その生涯は
自伝もなく、日記もなく、謎に包まれている。
自筆で残されているのは筍のお礼状一通だけだ。

 醍醐のむしたけ、五本送り下され、かたじけなく存じ候

彼が生きた時代から約400年。
自分の記録を残さず、作品のみを残した俵屋宗達が
いっそ潔く見えてくる。

愛の賞味期限


愛の賞味期限 鈴木三重吉

愛情は最高の調味料。
食べ物に対する愛情もその料理をおいしくする。

作家 鈴木三重吉の
湯豆腐に対する愛情は半端なものではなかった。

レシピを訊ねる友人に
4メートル近い巻物に
延々と湯豆腐へのこだわりを書いて送った。

そこまで愛情をそそがれたら、
湯豆腐だってとびきりおいしくなる以外に道は無い。

止まっている時間


止まっている時間 遠藤新(あらた)

1923年9月1日午前11時58分32秒。
その日、そのとき
後に関東大震災と呼ばれるマグニチュード7.9の揺れが起こった。

そして、その日、その時。
帝国ホテルの竣工記念パーティーが
まさに始まろうとしていた。

避難しようと慌てふためく人々の
悲鳴と怒号が飛び交うなか
ひとり、時間がとまったかのように、
ホールで大の字になって寝ている男がいた。

遠藤新。

天才建築家フランク・ロイド・ライトの片腕として
また、ライトが去った後の総責任者として
帝国ホテルを完成させた男である。

彼は言った。

この広い東京のなかで、今、最も安全な場所がここだ。

事実、崩壊と復興でめまぐるしい東京の街に
毅然と建ち続ける は
そこだけ時間が止まっているようだった。

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薄組・薄景子 09年10月18日放送

魂の待ち時間


魂の待ち時間 ミヒャエル・エンデ

時間どろぼうを描いた「モモ」で知られる、
ドイツ人作家、ミヒャエル・エンデ。
彼のコラムに、インディアンの興味深い話がある。

中米奥地の発掘調査団が
荷物の運搬役としてインディアンのグループを雇ったときのこと。

初日からすべり出し好調。
作業は予想以上にすすむが、
5日目、インディアンたちは地べたに座り込み、
無言のまま、ぴたりと動かなくなった。

叱っても、脅しても、全く動じない。
調査団も根をあげたその2日後、彼らは突然立ち上がり、
荷物を担ぎ上げ、予定の道を歩き出したという。

ずっと後になって、
インディアンのひとりが初めて答えを明かした。

 「わしらの魂があとから追いつくのを、
 待っておらねばなりませんでした」

スピード化、効率化、24時間営業。
次なる便利を求めて、前へ走り続ける文明社会に
もはやゴールは存在しない。

エンデが空想した「時間どろぼう」が
現実となった今。
私たちが、腰をすえて
置き去りにした魂を待つには、果たして何年かかるだろう。

見つかる時間


見つかる時間 森 瑶子

あの17年間は、なんだったんだろう。

与えられたレールにのって
大嫌いだったヴァイオリンを
泣きながら練習した日々。
しかしこの先、一生ガマンすることに耐え切れず、
17年のヴァイオリン人生を捨てる。

その後、彼女は
誰からも教えられたことのない小説を
すらりと書き上げた。

森瑶子38歳。
処女作「情事」、すばる文学賞受賞。

彼女は言う。

 「何かを好きで好きでたまらないほど、
 好きになれるのは、天賦の才なのだ」

その「何か」が見つかるまでの時間は、
人それぞれ、
寿命のように定められているのかもしれない。

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坂本和加 09年10月17日放送

1

タンデムストーリーズ①「ガストン・ライエ」 

身長は、たった163センチ。
そのハンデをもろともせずに、
パリダカの二輪部門で2度の優勝歴を持つ、
小さな巨人、ガストン・ライエ。
誰もが、そんな足の着かないバイクで
いったいどうやって? と、不思議がる。

ガストン・ライエの答えは、至ってシンプル。


 だったら、どうやったら足を着かないで、走りきれるかを考えたのさ。

現役引退後も、みんなと同じようにバイクを楽しみ、
世界中のバイク乗りに愛されたライダーだった。

2

タンデムストーリーズ②「マックス・フリッツ」

BMWという名車を語るなら、
そのエンブレムがプロペラに由来していることよりも、
そのオートバイの生みの親、
マックス・フリッツという男を知っている方がかっこいい。

エンジニアであった彼の最大の功績は、
水平対向2気筒、通称ボクサーツインと呼ばれる
エンジンを完成させたこと。
そのスタイルは、
1923年の初号機から今に続くビーエムだけのもの。

ドイツ、ミュンヘンにはBMW本社併設の博物館があるが
展示のほとんどをバイクが占める。
ビーエムのカーオーナーたちが、
ちょっとがっかりするくらいに。


3

タンデムストーリーズ③「ビバンダム」

ことしで111才になる。
世界的に有名な彼の名前は、ビバンダム。
そのからだは、うずたかく積み重なった
白いタイヤでできている。

創業者である、
ミシュラン兄弟のユーモアから生まれた
彼の名前は、「ヌンク・エスト・ビバンダム」という
ラテン語で書かれた最初のポスターから。
「今こそ飲み干すとき」という意味がある。

白いタイヤ男は、
生まれたときからからマーケットを飲み干す勢いで、
現在も世界トップシェアに君臨する。


4

タンデムストーリーズ④「チェ・ゲバラ」

23才の医学部生、エルネスト・ゲバラは
友人とふたりで一台のバイクにまたがり旅に出た。

アルゼンチンからチリ、ペルー、
そしてベネズエラへ。

相棒になったバイクは、英国製のノートン500。
タフなヤツというあだ名だったけれど
実際はひどいポンコツで、旅の間に壊れて鉄くずになった。

本当の旅がはじまったのは、それからだった。

バイクは、彼らが経済的に恵まれていることの象徴だった。
その垣根がなくなったとき
はじめて人々はゲバラに心を開いた。

百万長者よりも、文盲のインディオの方が好きだと言うゲバラが
旅行中に記した日記は、こう締めくくられている。

 この流浪は、僕を想像以上に変えた。
 僕は人民のために生きるだろう。


5

タンデムストーリーズ⑤ 山村レイコ

80年代は、バイクに乗る女の子、
ただそれだけで珍しがられる時代だった。
山村レイコが、そうだった。

バイクで旅する楽しさを伝えたいと、
彼女はエッセイストになった。
パリダカを走る国際ラリーストにもなった。
その魅力は、やっぱり書くことで伝えた。

そしてロハスが流行るずっと前に、
酪農や農業をして生きようと決めた。
大好きなバイクが自然との距離を近くしたから。

生きること、楽しむこと、働くこと
山村レイコのなかで
この三つは、いつも同じこと。


5

タンデムストーリーズ⑥浮谷東次郎

浮谷東次郎は14才のとき、バイクで1500キロを旅した。
とにかくよく飛ばす男は、カーレーサーになった。

けれど、最初は群を抜いて遅かったという。
のちの、最後尾からのゴボウ抜き逆転優勝は、
彼が理詰めで勝ち取ったもの。

そんな浮谷東次郎を語る言葉がある。

 カッコよく革ジャンを着ていました

そうか、こういう人がカッコいいんだ。


7

タンデムストーリーズ⑦ 藤沢武夫

昭和24年、真夏の阿佐谷で
本田宗一郎と藤澤武夫が出会い、
「技術の本田、経営の藤澤」の伝説が生まれた。

ホンダが、世界のホンダと称される由縁は、
原動機付き自転車「カブ号」の爆発的ヒットにある。
そのカブ号に目をつけ、
抜群のセンスで売り込んだのが藤澤だ。
「自分に似た人間なら、2人いらない」
そう断言する本田が、選んだ相棒だった。

神話のような本田の決断の数々も、
必ず藤沢の意見があった上でのこと。

「ホンダの社長は技術畑でなくては」、
という藤澤哲学にもとづいて
つねに経営がシナリオを書き
技術が主役をつとめるホンダのサクセスストーリーは、
いまや、MBAの教科書になった。

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五島のはなし(49)

ほんとどうでもいい話なんですが。
女性の下着の「シュミーズ」。
あれを僕は長い間「清水(しみず)」という名称だと思ってました。
五島のばあちゃんがそう呼んでいたからです。
ホントにそう呼んでいたのか、
僕がそう聞き違えてたのかは、
今となっては確かめようがありませんが。

夏の暑い日は、ばあちゃんが清水姿で
うちわを扇いでいたことを思い出します。
長い間、「清水」というブランドの下着なんだろう
と(頭の片隅で)思ってました。
(でも五島の女性に似合うのはシュミーズではなく清水だと今でも思います)

こういう思い違い、けっこうあると思いませんか。
僕の上司の娘さんは中1になるまで
チンパンジーのことを「チンパン人(チンバンジン)」だと思っていたそうです。
テレビで、もしくは動物園でチンパンジーを見るたびに
「この生き物はちょっと毛深くてちょっと小さいヒトなのだ」と
(なんとなく)思っていたのでしょう。
それが実は「人じゃない」と知ったときの驚きは、
彼女の子ども時代に終わりを告げる一撃だったと思います。

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名雪祐平  09年10月11日放送

宇野千代


宇野千代

ラブレターを書こう。
とても上手に。

そんなとき、
恋に生きた作家・宇野千代の
アドバイスが助かる。

私はあなたが好きです。

こういう書き出しが、いちばん。
かんたんで、わかりやすくて、
使い慣れた飾り気のない言葉ほどよい。

恋に、文章に
生涯をかけてきたからこそ言える、
シンプルな教え。

お試しあれ。

サルバドール


サルバドール・ダリ

幼い息子が死んだ。
両親は悲しみ、その子と同じ名前を
次に生まれた弟にも名付けた。

やがて少年となった弟。
ある日、兄の墓を見て、衝撃をうける。

墓に刻まれていたのは、
まちがいなく自分の名前。

サルバドール・ダリ

 自分は生きているんだ!
 そう証明しなければ。

死への強烈な抵抗。
それが天才画家ダリの作品にほとばしる
生命力の源かもしれない。

ジョーン


ジョーン・バエズ

プロテストソングを歌い、
ボヴ・ディランがカリスマになった60年代。
女性フォークシンガーの代表は、
ジョーン・バエズ。

ベトナム戦争の底なし沼に
アメリカがどっぷりはまっていたころ、
彼女はこんな発言をした。

 私は過去3年間、
 所得税のうち40%しか払っていません。
 国家予算の60%は軍事費ですから。

歌と行動。
ただごとではない覚悟が、そこにある。

さて、プロテストソングが
あまり聴こえない近ごろは、
60年代より平和なのだろうか。

松下幸之助


松下幸之助

経営の神様、松下幸之助。

昔、彼が採用面接をしていた頃、
必ずした質問が、

 あなたの人生は、
 いままでツイていましたか?

ツイていません。と答えると不採用。
はい、ツイていました。と答えれば全員採用。

物事は自分の力だけじゃない。
ツイています、と言える人には
周りへ感謝する才能があり、
いい人材に育つのだという。

神様の質問は、やっぱり、意味深。

ガルリ


ガルリ・カスパロフ

史上最強のチェスの王者、
ガルリ・カスパロフ

彼の前に、怪物が現れる。
IBM製スーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」

1997年、世紀の決戦は、
「人間 対 機械」という哲学の現場になった。

世界が息詰まる大接戦。
機械の、圧倒的な分析力。
冒険しないぶん、リスクもすくない。

結果は1勝2敗3分けで、人間の敗北。
それでも、人間の王者は誇らしくこう言った。

 人間に直感が備わっていてよかった。

たしかに。分析力だけなら、
機械の圧勝だったろう。
でも、冒険しないゲームなんて、ゲームじゃない。

淡谷のり子


淡谷のり子

ぜいたくは敵だ。
ドレスなど、もってのほか。

そんな戦時中にも、
ブルースの女王・淡谷のり子は
歌うためのドレスを絶対に脱がなかった。

ステージを見張る憲兵に、
もんぺをはけ!と怒鳴られても、

 ドレスは私の戦闘服よ!

と啖呵を切った。

何度も、何度も書かされた始末書。
それは、歌うことに一切妥協しない
自分への勲章でもあった。

ドヴォルザーク


ドヴォルザーク

作曲家ドヴォルザークは、
鉄道オタクでもあった。

作曲以外の時間は、
機関車の模型作りに没頭するか、
町の操車場で、
何時間も飽きずに機関車を眺めていた。

 ♪ユーモレスク〜

このユーモレスクの調べも
汽車に揺られながら思いついたとか。

無料の高速道路もいいけれど、
鉄道の旅がしたくなりました。

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バリ島見聞録(5)

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塀の向こうに見える塔はいったいなんでしょうか?
そもそもこの場所はなんなんでしょう。お寺?
こういった、街の風景が島中に見受けられます。

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実は普通の民家なんです。
塀から除く塔は、バリ・ヒンズー教の“どの民家”にも建てられている
家族のお祈りの対象となるトゥングン・カランと呼ばれる社(やしろ)です。

どんなに貧乏でもバリ人であるかぎり、この信仰の場所確保しなくては行けない。
木の枝を四隅に立てて、竹で編んだお供え置きを載せるだけでもいいらしいです。

この社の役目は、外の邪悪な力から、屋敷の中に居るものを守ることで、
その中にはカラ神というヒンズー教の神様が祭られています。
破壊を強いる神のようですが、そこにお供え物をすることで神はなだめられ、
屋敷の中に居るものを守ってくれるというのです。

バリ人の信仰っぷりは凄まじく、お金を得たバリ人たちは、
お金が入った分だけ次々とトゥングン・カランを敷地内に立てていきます。
すると、そこがお寺であるかような風情を醸し出すようになってしまうのです。

バリはもともと肥沃な土地で飢えるという心配がありません。
日本と同じく稲作が盛んですが、2期作から3期作行なっています。
木々は様々なフルーツを実らしており、外に出れば何か食べ物にありつけます。
そこに観光産業が入ってきたので、基本的にバリ人は豊かです。

土地を海外の資本家に貸し、莫大なお金を得る人達もでてきてます。
でも、彼らはお金を使う必要があまりありません。
なので、社をどんどん立ててしまうのです。

バリ人の実直さ、信仰心の厚さを表す現象と言えます。

一部の地域にはそれがありません。
つまりその地域はヒンズー教でないといえます。
特に繁華街は、外国やお隣の島、ジャワ島からの出稼ぎが多く来ており、
バリ・ヒンズー教でない人々が多く住むようになりました。

旅の恥はかきすてではないのですが、
心ない事件はバリ島以外からきた人が行なっていることが多いようです。

バリ人は信仰心が厚く、カースト制度がある村社会でもあり、
近隣の監視があるので、悪いことをしてもすぐにばれてしまいます。

バリ人が恐れているのは村八分になることです。
そしてバリ人の村八分はおそろしい。。。らしいです。

なのでなかなか悪いことしません。
しませんよ。

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小山佳奈 09年10月10日放送

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司馬さんとみどりさん 「原稿用紙」

作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
二人は職場恋愛だった。

同じ新聞社の同じ部で
向かい合わせに座る二人。
かぎつけるのが仕事の記者たちの中で
ひそひそと恋を育んだ。

連絡はいつも机の隙間からするりとすべり込む
原稿用紙の切れ端。


 サントス亭で待ってます。

原稿用紙から始まる作家の恋なんて
順当すぎてつまらないけど、
司馬さんとみどりさんには
ことのほか似合っている。

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司馬さんとみどりさん 「四天王寺」

作家、司馬遼太郎と、
妻みどりさんがまだ恋人だった頃。

四天王寺をそぞろ歩きながら
司馬さんはこんなことを言った。


 僕たちは弱点で結ばれたんだから、
 壊れることはないよ。

そうして37年。
たしかに二人は歩き続ける。
一瞬も一片も壊れることなく。


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司馬さんとみどりさん 「ピーマンの皮」

作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
みどりさんは料理がさっぱりできない。

晩ご飯にバナナを一房だけ買ってくる。
ピーマンの皮をむいたら
中に何も入ってないと騒ぎ出す。

そんなみどりさんに司馬さんはプロポーズする。
「そんなことはどうでもいい」。

そういえば
司馬さんの小説に出てくる女性たちも
みんな男まさりでおてんば。

司馬さんの好みは
一貫している。


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司馬さんとみどりさん 「風邪」

作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
司馬さんは風邪をこの世で一番怖がった。
みどりさんは、夫が風邪を引くことを
この世で一番怖がった。

たった36度5分で
司馬さんは暴君のようになった。

そばにいれば「あっちへ行け」
あっちにいると「何してるんだ」
あげくお医者さんには
「大した風邪でもないのに
うちの家内が騒ぐもので」。

やれやれ。
新型インフルエンザなんて聞いたら
司馬さんの前にみどりさんが卒倒する。


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司馬さんとみどりさん 「結婚記念日」

作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
二人は晴れがましいことが大の苦手。

結婚式は本当に内輪で済ませたし
結婚記念日なんて祝うどころか
思い出すことすらしなかった。

ただ一度、何十回目かのその前の日、
ソファに寝転がりながら司馬さんが呟いた。


そうか、明日は俺たちの日なんだ。

たった一言が
何十年分の愛。

司馬さんは、ずるい。

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司馬さんとみどりさん 「21世紀」

1996年。
夫の司馬遼太郎が亡くなっても
妻のみどりさんは泣かなかった。

蔵書を整理し記念館をつくり財団を立ち上げ、
息つく間もなく迎えた2001年のお正月。

21世紀に酔う街並を見て
みどりさんは唐突に司馬さんを思った。

この瞬間、いっしょにいたかった。
司馬さんが、愛し、憂えたこの国の21世紀を、
二人で見たかった。

みどりさんはその日、
司馬さんが亡くなってから
初めて泣いた。


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司馬さんとみどりさん 「呼び方」

作家、司馬遼太郎の妻みどりさんは、
一度も夫を「主人」と呼ばなかった。

「司馬さん」。
それがみどりさんの呼び方。

ただ司馬さんが亡くなってから
ごく近い人にごくたまに
ちがう呼び方をしてみる。

「あのひと」。

そう呼ぶと少しだけ甘い気分になれるから。
そう呼ぶと少しだけあの日に帰れる気がするから。

「あのひと」。

そう呼んだ日は
少しだけ泣きたくなる。

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バリ島見聞録(4)

初めてバリの街をしばし歩いたとき、
何が心に響いたかというと、
生茂った緑や棚段ではなく、

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石像でもなく、

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放し飼いのアヒル、鶏、犬ではなく、

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オリエンタルな服装に身をつつんだ女性でもなく、
カラフルな「お供え物」の数々でした。

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聞くところによると、お供え物は朝夕2回にそれぞれにお供えして、なんと!
各家庭で毎日30箇所から40箇所置くそうです。
それがあって女性は大忙しです。

神棚みたいなところにも置きますが、バリでは各部屋にあり、
そればかりではなく、玄関、裏口、、

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炊飯器、

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ガス代、

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スクーター、車にまで置いてあります。
とてもキレイで安らかな気持ちになります。

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神聖なものかと思うと、
一度お供えしたらそれで用がすむようで、
踏んでも構わないようです。
大地に帰ったとみなされているのかもしれません。
にわとりも踏みます(当り前)。

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どんなに資本主義が入り込んだ最先端のナイトスポットでもありました。

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バリ島ではインドネシアのほとんどがイスラム教の中、
バリ・ヒンズー教というものを信仰しています。

今後数回は、私の心をうごかしたバリ・ヒンズー教の特殊性をすこしずつ紹介出来ればと思います。

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Vision収録見学記 part2-(3)

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石橋涼子-閑話休題オヤツのはなし

ちょこっと脱線ですが。
j-waveのスタジオ内は、禁酒禁煙はモチロンのこと、飲食もNGです。
ドアのすぐ外にワゴンがあって、
そこに飲み物やお菓子が置いてあるのです。

Visionの現場のオヤツ係は、ナレーターのVieVieさんです。
誰が決めたわけでもありません。自主的オヤツ係です。

VieVieさんのオヤツセンスはステキです。
今日のオヤツは「醤油チョコ」って。
普通、買いませんでしょ。
薦められたとき、以前、韓国土産でもらった
「キムチチョコ」の悪夢がよみがえりそうでした。
あと、「名古屋コーチンパイ」の白昼夢。
(なぜかうなぎパイに唐辛子が乗っています)

が!!
これが、おいしいんです!!
醤油とチョコのハーモニー!!
そのまんまですが。
なんか、おいしいんです!!!
(・・・伝わってますか?)

さっそくコンビニで探したところ、
全く見つかりません。
確かに、私が店長だったら入荷は躊躇する・・・

というわけで「醤油チョコ」の情報を
お持ちの方がいらっしゃいましたら、
コメント欄にお寄せ頂けますと幸いです!
お待ちしております。

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細田高広  09年10月4日放送

斉藤茂吉


斉藤茂吉と鰻

歌人斉藤茂吉の好物は、うなぎだった。

皆でうなぎを食べる時、
弟子たちは気をつかって、
いちばん大きなものを茂吉の前に置く。

茂吉は真剣な眼差しで鰻の大小を比べ、
「そっちの方が大きい」とダダをこねては
何度も交換した。

鰻はあちこち移動し、結局、最初の並びに戻ったという。

 ゆふぐれし机のまへにひとり居りて、鰻を食ふは楽しかりけり。

食欲の秋は、創作の季節でもある。

梅田晴夫


梅田晴夫 料理と浮気

今、結婚する3組に1組が
離婚に至るという。

結婚の難しい時代と言われるが、
結婚を続けるのはさらに難しいようだ。

生涯に6度の結婚を経験した劇作家、梅田晴夫。
彼は離婚のプロとして、
夫婦円満の秘訣をこう説いている。

 料理のうまい女の亭主は、生涯浮気をしない。

毎日のご馳走が食べられなくなる。
そんなリスクを犯してまで、
他の女に手を出す男はいない。

なんでも美味しく感じる食欲の秋は、
夫婦円満の季節かもしれない。

コレット


コレット 料理は魔法

産地や、調理法や、歴史や。
薀蓄を知り、薀蓄を語り合うことで、
料理は一層味わい深いものになる。
私たちは料理を食べながら、知識を食べている。

その半面、度を過ぎた知ったかぶりや
知識のひけらかしには辟易してしまうもの。

もし、そんな人とレストランで
同席することになったとしたら。

グルメで知られるフランスの女流作家コレットは、
こう言ってたしなめる。

 魔法が使えないのなら、
 料理に余計な口を出すには及びませんよ。

料理は、ひとつの魔法だから。
客は黙って術にかけられればいいのだ。

料理を美味しくする秋。
魔法の季節の、到来です。

幸田露伴


幸田露伴とファストフード

幸田露伴は、生粋の食いしん坊だ。

人に会えば、挨拶代わりに
「なにかうまいものに出くわしたかね」
と聞いた。

牛タンの塩茹でを愛する美食家でありながら、
合理的な面も持っていた露伴は、
明治時代にあって、こんなことを書いている。

 清潔で、迅速で、上品で、少しの虚飾も無く
 単に食事を要領よく出す。
 こういう店を多くつくればいい。

まさに、現代のファストフードの予言である。

05-shimada


島崎藤村

しなびたりんご。
冷たくなった焼き味噌。
寂しい時雨の音を聞きながら飲む酒。

島崎藤村は、料理をまずそうに書く天才だった。

名をなして多額の印税を手に入れ、
ご馳走を食べていた彼が、何故、
まずそうなものをたくさん書いたのか。

料理の味は「いつ、どういう状況で食べるか」
に大きく左右される。
祝いの席で飲む酒はうまいが、
別れの席で飲む酒はわびしい。

藤村は、あえてまずい食を書くことで、
人の孤独や寂しさを書こうとした。

どんなご馳走だって、
ひとり思い悩んで食べたら、美味しくないもの。

さて、食欲の秋。
あなたは、誰と食べたいですか。

北大路魯山人


北大路魯山人と食器

プラスチックのパックをお皿代わりに
お惣菜や、サラダを食べる。
日本の家庭では、もう驚かない風景になりました。

 食器は料理の着物である。

と言ったのは北大路魯山人。
料理の風情を美しくあれと祈る。
それは、美人に良い衣装を着せてみたい心と同じだ、
と魯山人は説きます。

食器と料理を鑑賞するなんて、
他の国には、あまり見られない
食の楽しみ方だから。

たまには食器にも少しこだわって、
見た目から味わってみませんか。

食欲の秋も、芸術の秋も、一皿に。

タレーラン


タレーランの外交術

外交の天才、タレーラン。

40年にわたってフランス外交の中心に君臨した彼は、
今でも
「交渉の場で卓越した存在」
の代名詞になっているという。

そのタレーランが、
外交の秘訣についてこう語っている。

 外交官にとっての最高の助手とは、
 間違いなく彼の料理人である。

食欲の秋は、ビジネスチャンスだ。

サヴァラン


サヴァラン 美味礼賛

19世紀のはじめ、
料理を学問として研究した美食家、ブリア=サヴァラン。

 新しい星を発見するより、
 新しい料理を発見する方が幸せになれる。

そう信じて来る日も、来る日も、
食を考えているうちに、彼はふと気が付いた。

自分が、人間を研究しているということに。

著書、「美味礼賛」の冒頭で彼はこう言っている。

 ふだん何を食べているのか教えてごらん、
 どんな人だか当ててみせよう。

欲張りな人。品のいい人。
見栄っ張りな人。真面目な人。面倒くさがりな人。
食事には、その人の人となりが出てしまう。

食欲の秋。

鏡より、お皿を覗く方が、自分は見える。

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