2011 年 のアーカイブ

三國菜恵 11年6月12日放送



あの人の師/井上雄彦

漫画家・井上雄彦。
彼の師匠は、あの『シティーハンター』の作者・北条司だった。

20年もの間〆切を守り、
机の上で肉体と精神をつかい果たす姿をずっと見てきた。

『スラムダンク』がヒットして
師匠にほめられたときのことを、彼はこう語る。

職人に誉められるなんて、とても嬉しかった。



あの人の師/角田光代

小説家、角田光代(かくた・みつよ)には
ちょっと変わった師匠がいる。
それは、プロボクサーの輪島功一(わじま・こういち)さん。

角田さんは、大失恋をきっかけにスポーツジムに入門。
それがたまたま、輪島さんのジムだった。

輪島さんは、
毎日、練習生たちの靴をきれいに並べる。
毎回、気持ちの良いあいさつを返してくれる。

角田さんはその行動に、ひそかに尊敬の念を寄せていた。

彼女が輪島師匠からもらったことばに、こんなものがあるという。

おんなじことを嫌がらずに繰り返しやった人と、やらなかった人とでは、
得られるものがぜんぜん違うんだ。

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中村直史 11年6月12日放送



あの人の師/笑福亭鶴瓶

恐ろしくて、おもしろい師匠だった。
六代目笑福亭松鶴(しょうふくていしょかく)。
弟子のひとりに、あの笑福亭鶴瓶がいる。

弟子をとりたくない松鶴に
最初は居留守を使われながらも、
なんとか面会を許された若き鶴瓶。
向かい合った偉大な落語家の唇に飼い犬の毛が一本
ついているのを見逃さなかった。

師匠が恐ろしいことは知っている。
初対面の緊張もある。
しかし、心の中の声がこう叫ぶのを無視はできなかった。

その毛をとれ。とったらおもろいから、その毛をとってまえ。

突然手を伸ばし「犬の毛がごっつう気になるんで」という鶴瓶に、
松鶴は一言「おもろいやっちゃなあ」。
晴れて、入門は許された。
師匠を心から慕った鶴瓶。
今も、あの犬の毛に感謝しているに違いない。

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三島邦彦 11年6月12日放送



あの人の師/萩本欽一

コメディアン、萩本欽一。
浅草の劇場で働き始めて5ヶ月目、
父親の家が火事になった。
当時まだ見習いの欽ちゃんの月収は3千円。

しばらくは違う仕事に就こう。
そう決めて、師匠の池信一へ申し出た。

数日後、師匠から呼び出された。

お前な、ここにみんなが出してくれた金がある。 

4万5千円。一年分の給料より多い金額。

  すごいだろ、みんなが500円ずつだしてくれた。
  そうじのおばちゃんも500円だしたんだぞ。
この4万5千円を使い切るまでは、ここにいな。

その日、大泣きをした欽ちゃんが、やがて、日本中を笑顔にすることになる。



あの人の師/大杉勝男

その日はきれいな月が出ていたという。

1968年9月6日、
後楽園球場では東映フライヤーズと
東京オリオンズの試合が行われていた。
試合は両者譲らず延長戦。
11回の裏、大杉勝男(おおすぎ かつお)に打順が回ってきた。
大物ルーキーとしてプロ入りし、3年目でレギュラーを獲得したものの、
ここしばらくはスランプに苦しみ、この日もここまでノーヒット。

そんな大杉のもとへ、打撃コーチの飯島滋弥(いいじま しげや)が近寄った。
飯島は、バックスクリーンの上にぽっかりと浮かんだ月を指差して言った。

 あの月に向かって打て。

「この言葉で、ホームランの打ち方がわかった。」後に大杉はそう語る。

大杉の打球は、月に向かって高々と舞い上がり、
美しい放物線を描きながら歓喜に湧くスタンドに突き刺さる。

後に2度のホームラン王になる強打者が誕生したきっかけは、
師がくれた、わかりやすく、美しい、たったひとつの言葉だった。

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中村直史 11年6月12日放送



あの人の師/平岩弓枝

「はやぶさ新八御用帳」(はやぶさしんぱちごようちょう)など、
すぐれた時代小説で知られる作家、平岩弓枝(ひらいわゆみえ)。

歴史資料のその奥に潜む
人間をていねいに描きだすことで、
オリジナルな物語を生みだす。

彼女にそのことを教えてくれたのが、
恩師であり、大衆文学の祖とも言われた
長谷川伸(はせがわしん)だった。

長谷川は、小説家としての大事な心構えのほかに、
お守りとなる言葉をひとつ、平岩にのこした。

 将来、本当に君が人生に行きづまり書けないとなったら、
 必ず幽霊となって出てくる。
 だから、君が僕の幽霊に出会わない限り、行きづまりの壁にぶつかっていないのだ。

平岩はまだ、恩師の幽霊に
出会ったことがないという。
それが少しさみしいようでもある。

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三島邦彦 11年6月12日放送



あの人の師/竹本住大夫

伝統芸能、文楽。
物語の語り手を「太夫」と呼ぶ。
人間国宝、七代目竹本住大夫(たけもと すみたゆう)は、
父も人間国宝という文楽の家に育ったが
父の勧めにより進学した。

しかし徴兵され、戦地におもむく送別会で
義太夫を語る住太夫を見て父は言った。

 お前そないに好きやったら、帰ってきて太夫になれ

これはしめた、生きて帰ろう、と
住太夫は決心したそうだ。

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三國菜恵 11年6月12日放送



あの人の師/戸田奈津子

職業のなかにはいくつか、
「どうやったらなれるのかわからないもの」がある。

戸田奈津子(とだ・なつこ)さんも悩んでいた。
映画字幕の翻訳家になりたいけれど、なり方がわからなかった。
そこで彼女は、映画のエンドロールの中に、師匠をさがすことにした。

字幕翻訳家、清水俊二(しみず・しゅんじ)。
生涯で2000本もの映画を翻訳した、重鎮だった。

清水さんは戸田さんに、簡単には仕事をくれなかった。
それどころか、いつもこう聞いた。

まだ、あきらめないの?

そのたびに戸田さんは言った。「あきらめません」。

いま、映画のエンドロールに、彼女の名前を見ない日はない。
それは、師匠が鍛えてくれたねばり強さの証かもしれない。

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五島のはなし(146)

五島をふくむ長崎の教会群は
世界遺産暫定リストに登録されている。

福江島各地の教会も
ぜひいちど見てほしい。

下の写真は井持ヶ浦教会。
敷地に入ったところに

 いつも喜んでいなさい。
 いつも祈っていなさい。

とあった。
もう一行「いつも・・・」とあったのだが覚えていない。
上の2行だけで十分と思ったのか。
だれが言ったんだろう?
イエスさま?
だれにせよ、いいこと言うなあ。 

いもちがうら きょうかい

いもちがうらのルルド

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五島のはなし(145)

ひいて見る五島もよいが
ちかよって見る五島もよい
季節によって景色が移り変わるとき
その景色にどんどん近寄ってみれば
分子とか原子のレベルで
たしかな変化が起こっている
ということなのだ

・・・ろうか。

五島の初夏は透き通っている。
何が起きているというのか。

りゅーぼく

にわ

アマメ

キンナゴのさしみ

さらし

クラゲ

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五島のはなし(144)

五島への旅は、
五島自体もたのしいが
その道中もまたスリリングでたのしい。

もしかしたら島に渡れない!?

なんてことがたまに起こる。
天気が悪いと
飛行機や船が欠航するのである。

了承します。

さあいくぞ。

こういうとこ通って

傘をさして

雨の滑走路も歩ける!

わくわくでしょう?

ちゃんと五島福江空港に着いたよ!

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小山佳奈 11年6月11日放送



エディ・タウンゼント1

昭和の日本ボクシング界に
伝説のトレーナーがいた。

彼の名前は
エディ・タウンゼント。

40才を過ぎてから日本にやって来た彼は
片言の日本語で世界チャンピオンを
幾人も育てあげる。

彼はあっけないほどあっさりと
タオルを投げ入れることで
有名だった。

まだ闘えたのに、と詰め寄る
報道陣たちにエディはこう諭す。

「ボクシング辞めた後の方が長いの。
誰がそのボクサーの面倒を見てくれるの?
無事に家に帰してあげるのも私の仕事。」

一瞬の未練が
一生の後悔になる。

エディは人生を
よく知っている。



エディ・タウンゼント2

殴って強い方が勝つ。

ボクシングほど
シンプルで残酷なスポーツはない。

世界チャンピオンを幾人も育て上げた
伝説のトレーナー、エディ・タウンゼント。

彼は言う。

「勝った時には友達おおぜい出来るから
私はいなくてもいいの。
誰が負けたボクサー励ますの?
私は負けたボクサーの味方。」

ボクシングほど
シンプルで残酷なスポーツはない。

そして
愛のあるスポーツもない。



エディ・タウンゼント3

日本ボクシング界における
伝説のトレーナー、
エディ・タウンゼント。

初めて育てた世界チャンピオン、
藤猛との出会いは、ちょっとした奇跡だ。

職もなくお金もなくただ
家でごろごろしていた藤。

そんな藤が
たまたまテレビのボクシング中継で
声を枯らす白人のセコンドを見かける。

それは紛れもなく
近所でよく遊んでくれた
エディおじさんだった。

藤はすぐに
エディのもとを訪れ
弟子入りする。

たまには
暇も大事ということ。



エディ・タウンゼント4

日本ボクシング界における
伝説のトレーナー、
エディ・タウンゼント。

彼が育てた選手の中に
カシアス内藤というボクサーがいる。

「今まで見た選手の中で一番素質がある。
 でも、最後に打つ勇気がない。」

そうエディが語るように
内藤はあまりある才能を持ちながら
最後のところで非情になりきれず
世界タイトルを逃し続けた。

しかし、いや、だからこそ
みんなに愛された。

彼は小説の主人公となり、映画のモデルとなり
歌謡曲にも歌われ、その歌は大ヒットする。

完璧じゃないから
余計にかわいい。

それはエディも同じだったようで
弟子の中でも内藤だけは我が子のように
「ジュン」とファーストネームで呼んでいた。



エディ・タウンゼント5

日本のボクシング界に
世界チャンピオンを幾人ももたらした
伝説のトレーナー、
エディ・タウンゼント。

彼の指導法はそれまでの
根性論一色だった
ボクシング界の常識を
くつがえす。

エディは決して手をあげない。
ほめてのばす。

「試合で殴られるのに
 どうしてジムに帰ってきてまで
 殴られなくちゃならないの」

常識をくつがえした
エディの方が
よほど常識的だった。



エディ・タウンゼント6

日本のボクシング界
伝説のトレーナー、
エディ・タウンゼント。

彼に育てられたボクサーの一人、
田辺清がエディと初めてジムで会ったときの話。

エディは入ってくるなり
田辺の肩をポンとはたく。
「ゴミがついてるよ」

見るとゴミなんてついていない。

田辺ははっとした。

それだけ自分のことを
注意深く見ていると
エディは言いたかったのだ。

信じられるかどうかは
出会った瞬間に決まる。



エディ・タウンゼント7

日本のボクシング界に
世界チャンピオンを幾人ももたらした
伝説のトレーナー、
エディ・タウンゼント。

彼の最後の
弟子だった井岡弘樹の
初防衛戦。

エディは癌におかされた体をおして
会場まで出向き、
エールを送った直後に昏睡。
井岡の勝利を知った5時間後に
息を引き取る。

出来すぎた話だ。
しかしその出来すぎた話に
人は心を動かす。

亡くなってから20年以上たった今。
井岡はこう言っている。

「生まれ変わっても
 エディさんに教わりたい」

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