![120211-01ooshima](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2012/02/120211-01ooshima.jpg)
大島育雄「自然と生きる美学」1
グリーンランドにある地球最北の村・シオラパルク。
そこに住む日本人がいる。大島育雄。
1972年、彼は極地最高峰への遠征の準備のため、
この村を訪れた。
到着した初めて夜、彼は村の歓待をうけた。
すべてイヌイットの料理だ。
胃袋が悲鳴をあげた。外に出て夜空を見上げた。
星が冷たくきらめいていた。
北斗七星の位置が高い。
北極星は、ほぼ真上に近い。
いま、これ以上北に人間は一人もいない。
大島はブルッと胴震いした。
最北の村との出会いだった。
![120211-02ooshima](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2012/02/120211-02ooshima.jpg)
大島育雄「自然と生きる美学」2
大島がシオラパルクを訪れた理由は、
かの冒険家・植村直己だった。
植村は犬ぞり訓練のために村に滞在していた。
大島は極地環境を体験するために植村の協力を仰いだ。
植村とともに村で暮らし、猟を体験し、
その魅力に取りつかれていった。
やがて植村直己は、村を離れ冒険と旅立ち、
さらにその先へと行ってしまった。
大島は、今なおシオラパルクで暮らしている。
冒険に来て、また帰る。
それは何か違うと感じた。
すぐそこにある宝に目を向けず、
通り過ぎていく気がしたんだよ。
![120211-03ooshima](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2012/02/120211-03ooshima.jpg)
ちづ
大島育雄「自然と生きる美学」3
いったん日本に帰った大島は
シオラパルクでの暮らしが忘れられなかった。
その生活は、人に命令されることもなければ、
命令することもない。
電気もなく娯楽も少ない。
けれど、それを超える狩猟の興奮がある。
また、狩猟を中心とした豊かな文化がある。
単純で豊富な生活。
とてつもないスケールの自然のなかで猟をして、
自分の手でとったその獲物を主食とし、衣類とする。
生活の機構が単純で、自分の働きが
そのまま生活に直結する。
良くも悪くも、完全に自分が人生の主人公だ。
![120211-04ooshima](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2012/02/120211-04ooshima.jpg)
大島育雄「自然と生きる美学」4
大島は日本のテレビ局の取材班に同行する形で
シオラパルクに戻ってきた。
取材が終わったあとも、村に残った。
自分の好きなことを、とことんやってみようと
思ったからだ。
8月のある日、住んでいた小屋の外にラジオを持ち出し
無線連絡を聞いていた。
当時、村間の連絡は無線で行なわれていた。
「きのう、どこそこの村ではクジラがたくさん捕れた」という報告や
「誰々が病気だから、親族は行ってやったほうがいい」という個人向けの
連絡までもが放送される。
大島がのんびりラジオを聞いていると
大変な情報がとびこんできた。
「長老イニューツァッソワが、カナックの教会の牧師に
8月某日に結婚式をしたいから
シオラパルクに来てほしいと要請している」というのだ。
そして、その結婚する2人は、大島とシオラパルク村の娘だった。
人は驚くと仰天してしまうものだな。
見上げる空の紺碧の中にチラチラと
光のようなものが 踊っていたよ。
でも、ためらいはなかった。
このなりゆきに身をまかせることにしたんだ。
![120211-05ooshima](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2012/02/120211-05ooshima.jpg)
大島育雄「自然と生きる美学」5
大島とシオラパルクの娘・アンナは結婚して
1男4女をもうけた。
結婚して何年かした頃だった。
世界最北の村、しかも犬ぞりによる伝統的な狩猟で
暮らす村ということで、観光客も訪れようなった。
大島にガイドを頼んでくることもあった。
けれど大島はなるべくガイドを断りたかった。
それよりも好きな猟をしていたかった。
私は猟が好きで猟師になった。
金のために自分がやりたくもないことを
やるのは、つまらない。
金がなければ物質的な生活レベルを落とせばいいのだ。
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Mike Chien
大島育雄「自然と生きる美学」6
大島が幼いこどもを連れて日本へ帰ったことがあった。
198年代時のことだ。彼の生家は東京郊外にあった。
それでも彼の目には、昔小魚をとって遊んだ用水路や川が
汚れてしまって無惨な印象だった。
ちょっとした浦島太郎の感覚だった。
東京にいると何か世界が縮まってしまった錯覚があった。
シオラパルクとは風景の尺度が違い過ぎるのだ。
東京はあまりにも何もかもがひしめきあっているように見えた。
![120211-07ooshima](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2012/02/120211-07ooshima.jpg)
大島育雄「自然と生きる美学」7
今、大島は還暦を過ぎてなお、
グリーンランド、世界最北の村・シオラパルクに住んでいる、
長男と長女は猟師になり、一緒に村で暮らしている。
彼は「腕のいい猟師」として一目置かれる存在になった。
朝7時に起きて約2時間でウミガラスを百羽以上捕獲。
それも柄の長い網一本で、だ。
そのあとは、数日前にとったイッカクを解体、
アザラシ肉の薫製づくりなど一日中体を動かしている。
猟は動物とのだまし合い。英語で猟をゲームと呼ぶけど、
こんなに面白いゲームはないね。
自然の余剰分で命をつなぐ、
自給自足に近い生活を送っている。
狩猟は生態系の一部、とさえ誇っている。
そんな生活にも危機が訪れている。
海氷のとける時期と速度が早く、広くなっている。
氷が溶けてしまうと、猟はできない。
若者には「文明」がひときわ、きらびやかな物に見える。
自分たちの環境との、あまりの隔たり。
しかし焦るな、と言いたい。
とにかくここから始めるしかないのだ。
焦らず、地に足をつけていかなければならない。
かつてシオラパルクに初めて電気入ったときの、大島の言葉だ。