2014 年 5 月 のアーカイブ

藤本宗将 14年5月25日放送

140525-07
sizima
千利休と大豆健康法

茶道を大成させた千利休。

お茶を飲むことも健康に良さそうだが、
彼はさらに大豆をすりつぶして作った
「呉汁」をよく飲んでいたという。

しかし利休の命を奪ったのは病気ではなく
時の権力者・秀吉との確執。
切腹を命じられたのは、69歳のことだった。

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藤本宗将 14年5月25日放送

140525-08

伊達政宗と水健康法

東北の独眼竜として知られる武将、伊達政宗。

彼が生きたのは戦が続き、
いつ命を落としても不思議ではないような時代。
しかも幼い頃に病気で片目を失った彼が
健康の大切さを身にしみて感じていたことは想像に難くない。

残された記録によれば、
正宗はいくつもの健康法を実践していたらしい。
そのひとつが、「水分補給」。
つねに大きな茶碗を手元に置き、
こまめに水を飲むようにしていたという。
確かに現在から見ても理にかなった健康法だ。

さらに「行水」の習慣もあった。
冬の厳しい東北にもかかわらず、
正宗は四季を通して朝の水浴びをしたという。

こんな健康法が効いたのかどうか。
天下取りの夢は果たせなかったが、
政宗は戦国の世を最後まで生き抜いた。

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佐藤理人 14年5月24日放送

140524-01
Anny Chien 簡安妮
レンジの流儀①「レッツプレイ」

鏡の中の自分が、
本当の自分とは限らない。

俳優石橋蓮司に
そう教えてくれたのは勝新太郎だった。

役をどこまで深く理解できるかこそ
役作りだと頑なに信じていた石橋。

役の解釈をめぐって
監督とケンカになることも
珍しくなかった。

自分が思う自分と、世間が期待する自分。
その間で彼は揺れた。

世間が俺を見る目はこうなんだということを
ムキになって否定せず受け入れていこう。

勝の助言に素直に従った石橋は、
その後、演技の幅を大きく広げた。

彼はそのときのことを

 役を遊べるようになった

と笑う。

そういえば劇は英語で「プレイ」という。
偶然でしょうか。

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佐藤理人 14年5月24日放送

140524-02
tokyoform
レンジの流儀②「演じない演技」

演技が上手い役者は演技をしない。
嘘だと思うなら石橋蓮司に聞いてごらん。

 役作りなんかしてません

そう言って笑うと、彼はこう付け加える。

 役は自分の一部です

警察官だからマジメとは限らないし、
殺人鬼だから素敵じゃないとは限らない。

どんな善人の中にも悪人が住んでいる。
彼は自分の中にあるいろんな自分を
意識的に強めることで役を自分に引き寄せる。

職業や肩書ではなく、人間を見る。
技術ではなく、自分自身で勝負する。

そんな彼にもひとつだけ苦手な役がある。
それは、サラリーマン。

確かに、本音と建前を
器用に使い分ける「自分」は、
彼の中にはいなそうだ。

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佐藤理人 14年5月24日放送

140524-03
[4k]shike
レンジの流儀③「黄金の街」

いい役者は、人間の専門家でもある。

石橋蓮司が演技を最も学んだ場所。
それは舞台でもカメラの前でもなく、
新宿ゴールデン街だった。

70年代のそこは文化の戦場。
理論武装なしではどこのバーにも入れない。
演技とは何か。人間はどう生きるべきか。
あらゆる論客が集まっては
夜毎、激論を闘わせていた。

そんな場所で若き石橋青年は、
自分だけの答を求めてもがき続けた。

役者を続ける理由を聞かれると
彼はいつも、

 人が好きだから

と答える。

今でもヒマを見つけてはバーに行くそうだ。
インターネットでは絶対に見つからない
面白い出逢いを求めて。

いつかこんな男に好かれてみたい。

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佐藤理人 14年5月24日放送

140524-04
TANAKA Juuyoh
レンジの流儀④「弔辞」

 原田芳雄に向かって自分が弔辞を言う、
 こんな馬鹿げた悪ふざけはあるだろうか。

本当に悲しい時、
人は映画みたく泣いたりしない。

原田芳雄の葬儀で石橋蓮司は怒った。

 芳雄の業績なんか称えたくないし
 人に伝えなくていい。
 ただただ、オマエが今
 ここにいてくれればいい。

 ほらみろ、
 破綻してしまったじゃないか。
 おまえが悪い。

悲しみと悔しさで千々に乱れた心で
冷静に弔辞の準備なんかできやしない。
だから彼は言った。

 これは映画の一場面として、
 アドリブで何か喋ってみる。

最後に共演した映画のこと。
これから二人でやりたかったこと。
たった一人の観客に向かって、
彼は思いの丈をぶちまけた。

親友を超えた戦友を失って悲しむ
ひとりの男の素顔がそこにあった。

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胡留さんのグーパー (猫愚痴28)

猫バカなもんで、こんな動画をつくってしまいました。
胡留(うる)さんは私の猫です。
日曜日の午前中に撮った動画を
午後になって、音楽データ待ちの時間がちょっとありまして
データ来ないと為すすべもないもんですから
こんなのつくっていたわけですね。
待ち時間が2時間くらいあったんで
youtubeのアカウントもつくってしまいました。

このグーパーはフミフミと同じ、
仔猫がおっぱいを飲むときの仕草だと思います。
猫は眠くなるとよく布団をフミフミしていますが
胡留(うる)さんの場合は、
寝ころがるのでグーパーになるわけですね。

それにしても前足を広げたり閉じたり
ちゃんとグーパーになっていますよ(なかやま)

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薄景子 14年5月18日放送

140518-01

学びの話1 ウィリアム・ウォード

アメリカの作家であり、牧師であり、教育者でもある
ウィリアム・ウォード。

彼がのこした言葉の中で
世界の教師たちの座右の銘となっている名言がある。

 平凡な教師は言って聞かせる。
 よい教師は説明する。
 優秀な教師はやってみせる。
 しかし最高の教師は子どもの心に火をつける。

教えるということは、
決して「押しつける」ということではない。

教師という言葉を
「人間」におきかえると
だいじなことが見えてくる。

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薄景子 14年5月18日放送

140518-02

学びの話2 ホイットマン

問題の渦中にいるときは
なかなかそうは思えないのだが。

悩み苦しんだことは、時がくるとたいてい、
あの時があったから今があるのだと
自然と思えてくるから不思議である。

アメリカの詩人、ホイットマンは言う。

 寒さにふるえた者ほど、太陽の暖かさを感じる。
 人生の悩みをくぐった者ほど、生命の尊さを知る。

すべての経験は、
あたりまえの日々に感謝するための
学びの時間。

そして、その人生に必要な学びは、
一生を終えるその日まで、
果てしなく続く。

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熊埜御堂由香 14年5月18日放送

140518-03

学びの話3 高峰秀子

昭和を代表する女優、高峰秀子。
5歳で子役デビューして、あっというまに人気者になった。

それは彼女を、「学校」から遠ざけた。
小学校はもちろん、いわゆる義務教育を
満足に受けることができなかった。

彼女が26歳のときに発表したエッセイ集、「私の渡世日記」。
文章の巧みさに世が驚いた。
出版社に、ほんとうに本人が書いているのか?と
問い合わせが殺到したほどだった。

高峰は、子役時代から、自分の出演する映画の脚本を、
あたりまえのように読んできた。
さらに、キャリアを積み出演作を選ぶようになると、
より脚本を精緻に読み込むようになったという。
出演作は400作を超えた。

さらに結婚した映画監督、松山善三が病に倒れると、
脚本の口述筆記を一手に引き受けた。
右手の中指に、ペンだこが固まって
指がいびつに太くなっても、
夫の言葉をかきとめ続けた。

彼女は言う。
 私の生きてきた道は常に文章と道づれでした。

女優として、妻として、
読んで、書いて、生きた。
厳しく、清らかな、学びの姿勢がそこには、ある。

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