2014 年 5 月 25 日 のアーカイブ

村山覚 14年5月25日放送

140525-01
貝原益軒の儒教的健康法

江戸時代の学者・貝原益軒が書いた
「養生訓」には自身の経験と中国の古典に
基づいた健康法が数多く載っている。

 眠り過ぎるな
 少量の酒は有益
 薬や鍼灸に頼るな


当時としては珍しく
85歳まで生きた益軒先生の言葉には
説得力がある。

そうそう、「養生訓」にはこんな教訓も。

 口数を少なくせよ

はい先生。分かりました。


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村山覚 14年5月25日放送

140525-02 Wil C. Fry
野村克也の亀的健康法

元プロ野球選手、野村克也 78歳。
ぼやく名監督ノムさんとしての印象が強いかもしれないが
選手として、監督として、出場した試合数もすごい。

現役27年間で3,017試合。
監督としては3,204試合。
半世紀以上に渡って球場に通い続けた男の大記録だ。

そんなノムさん、健康法を尋ねられたときに
こんな風に答えたそうだ。

 亀やワニは百年生きるというけど、
 見ていると川岸でじっとしているでしょう?
 だからワシも動かないことが健康法です。


体は動かさなくても、頭の中は野球のことでいっぱい。
夢中になれるものを見つけた人に、休んでいる暇はない。


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村山覚 14年5月25日放送

140525-03
カルマンのプロヴァンス的健康法

122歳まで生きたフランス人女性、ジャンヌ・カルマン。

「人類史上最も長生きした人物」として
ギネスブックに載っているだけではなく、
フィンセント・ファン・ゴッホと街の画材店で会ったことがある、
85歳からフェンシングを始めた、
100歳まで自転車に乗っていた、
114歳で映画に出演した、
など、話題に事欠かないアクティブな女性だった。

煙草も晩年まで吸っていたそうで、
禁煙をした理由は「介護してくれる人に
マッチを擦ってもらうのが申し訳ないから」。
なんともチャーミングな理由である。

長寿に憧れ、尊敬の念を抱く人々やマスコミは
彼女の食生活や習慣、つまりは“健康法”を真似しようとした。

ポートワインをよく飲んでいた
チョコレートが大好きだった
オリーブオイルを好み、肌にも塗っていた
毎日、日光浴をしていた
友達とよくおしゃべりをしていた

どれも真似できそうなことばかり。理にもかなっている。
でもカルマンさんは「ポリフェノール」や「骨粗鬆症」、
「アンチエイジング」なんて言葉は一切気にせずに、
毎日をただ陽気に暮らしていたのではないだろうか。

ある日、マスコミに「お肌がきれいですね」と言われた
カルマンさんはこう答えた。

 これまでにできた皺はひとつだけ。
 私は今でもその皺の上に座っているのよ


マダム、それって…おしりのことですか?


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阿部広太郎 14年5月25日放送

140525-04
イマヌエル・カントの勤勉な健康法

ドイツの哲学者、イマヌエル・カント。
彼は自分にルールを課していた。

朝は必ず5時に起床。
同じ時間に同じ道を散歩。
その正確さは絶対。道行くカントを見て
人々は時計の針を合わせたという。

80歳まで生きたカント。
きつそうなこの生活を、
カントは楽しんでいたようだ。

 疑う余地のない純粋の歓びの一つは、
 勤勉の後の休息である。



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阿部広太郎 14年5月25日放送

140525-05 Alan Vernon.
徳川光圀の食べる健康法

 無病延命の術は、鳥獣に習うしかない。
 鳥獣は腹が減ったら食い、空腹が収まったらもう食わない。


健康維持の秘訣をこう語ったのは、
水戸黄門として知られる徳川光圀。
ほどほどの食生活を心掛けながらも、
食に対しての好奇心は旺盛だった。

生類憐みの令が出ていても
お構いなしに牛肉や豚肉を食べたり。
また、無類の麺好きだったこともあり、
中国から亡命していた儒学者を呼び寄せ、
麺の作り方を調べ、ラーメンを食べたりも。
ちなみに、ラーメンも、餃子も、チーズも、牛乳も、
日本で最初に食べたのは光圀とされている。

光圀の食への探求は、ついに薬まで行きついてしまった。
中国、朝鮮、オランダから草木を取り寄せて漢方に。
大変貴重な薬だったとしても、
領内で薬を必要とする者がいたら惜しげなく与えたという。

 庶民が住んでいる所には、医者もいないし、薬もない。
 庶民は病気になったら自然に治るのを期待するしかない。
 求めやすい漢方薬の処方を編纂し彼らに与え、彼らを救え。


光圀は水戸藩の医師に命じ、
いまで言う家庭の医学書「救民妙薬」を発行させる。
食べることが好きだった光圀だったからこそ、
誰よりも薬の大切さに気づいたのかもしれない。

73歳まで生きた光圀。
 「この紋どころが目に入らぬか」
肌身離さず持っていた印籠は薬箱である。


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藤本宗将 14年5月25日放送

140525-06
伊能忠敬とウォーキング健康法

全国をめぐり、日本地図をつくった伊能忠敬。

彼が日本各地を歩いて測量したのは
55歳から71歳にかけて。
すでに高齢だった忠敬にとっては
かなりきつい行程であったらしく、
家族に宛てた手紙で何度も苦労を伝えている。
そのため卵で栄養を取るようにするなど、
日々の食事にも相当気を使っていたようだ。

けれど彼のいちばんの健康法といえば、
やはり全国行脚という
ウォーキングだったのではなかろうか。

享年73歳。
まさに人生という長い道のりを歩き切った。



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藤本宗将 14年5月25日放送

140525-07 sizima
千利休と大豆健康法

茶道を大成させた千利休。

お茶を飲むことも健康に良さそうだが、
彼はさらに大豆をすりつぶして作った
「呉汁」をよく飲んでいたという。

しかし利休の命を奪ったのは病気ではなく
時の権力者・秀吉との確執。
切腹を命じられたのは、69歳のことだった。


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藤本宗将 14年5月25日放送

140525-08
伊達政宗と水健康法

東北の独眼竜として知られる武将、伊達政宗。

彼が生きたのは戦が続き、
いつ命を落としても不思議ではないような時代。
しかも幼い頃に病気で片目を失った彼が
健康の大切さを身にしみて感じていたことは想像に難くない。

残された記録によれば、
正宗はいくつもの健康法を実践していたらしい。
そのひとつが、「水分補給」。
つねに大きな茶碗を手元に置き、
こまめに水を飲むようにしていたという。
確かに現在から見ても理にかなった健康法だ。

さらに「行水」の習慣もあった。
冬の厳しい東北にもかかわらず、
正宗は四季を通して朝の水浴びをしたという。

こんな健康法が効いたのかどうか。
天下取りの夢は果たせなかったが、
政宗は戦国の世を最後まで生き抜いた。


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