2015 年 3 月 8 日 のアーカイブ

礒部建多 15年3月8日放送

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水木しげるとジャンクフード

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

93歳になる今でもハンバーガーや、牛丼、
スナック菓子など、ジャンクフードを好んで食べる。
彼には、一切の健康法はないと言う。

 何が体にいい、悪いなど気にせず、
 おいしいものをおいしく食べる。


思うままに、楽しみ尽くそうとする。
水木は人生に、希望しか見いだしていない。


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松岡康 15年3月8日放送

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スランプ

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

60年近くにわたる漫画家人生で、
スランプはなかったのか。
聞いてみると水木はこう答えた。

 生きているかぎり描けばいいんです。
 スランプになったとか何とかいうのは、
 人にほめられたい気持ちが
 心の底に無意識にあるに違いない。


40歳を過ぎても、全く食べていけなかった水木。
それでも、好きな漫画をまっすぐに描き続け、
93歳の今でもまだ、描き続ける。

水木しげるの一番の能力は、
人の目を気にせず
好きなものを貫くエネルギーだ。


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澁江俊一 15年3月8日放送

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妖怪千体説

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

いったんもめん、ぬりかべ、砂かけ婆、
子泣き爺、ろくろ首、ぬらりひょん…
あなたは世界中にどれくらいの
妖怪がいると思うだろうか?

漫画家であり、
妖怪研究の第一人者水木しげるによれば、
世界各地の妖怪はほぼ共通していて、
およそ1000体に集約できるらしい。
それを「妖怪千体説」と言う。

確かにドラゴンやトロル、
河童や魔女などは、
世界中のどこの昔話にも出てくる。

「妖怪はできる限り創作すべきではない」
そう語る水木しげるは
アメリカインディアンやアボリジニ、
アフリカのドゴン族など、
世界中の民族を訪ね、スピリチュアルな文化に触れて
妖怪のフィールドワークを行ってきた。
そんな彼が言うのだから、
「妖怪千体説」は説得力が違う。

ある時訪れたマレーシアのジャングルで
自らが描いた「水木しげるの妖怪画集」を持参したら
「知っている」「見たことがある」と
現地の人々が、日本の妖怪に次々と反応したという。

世界中にいる妖怪たちは
異なる文化がつながるヒントを
私たちに、教えようとしているのかもしれない。


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松岡康 15年3月8日放送

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神様の嫉妬

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

漫画の神様手塚治虫。
ある出版社のパーティで彼は
一人の漫画家を捕まえてこう言い放つ。

  あなたの絵は雑で汚いだけだ。
  あなたの漫画くらいのことは僕はいつでも描けるんですよ。


その相手は、水木しげる。
手塚は水木の才能に驚き、嫉妬したのだ。

その場では何も言い返さなかった水木だが、
のちに手塚をモデルとした「一番病」という漫画を描く。
主人公は、一番になることばかりにあくせくする棺桶職人。
手塚を痛烈に皮肉った。

才能を認めているからこそ、反発する。
二人は生涯、ライバルであり続けた。


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澁江俊一 15年3月8日放送

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戦場の怒り

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

水木しげるが最も思い入れがあると語る作品は
妖怪ではなく、戦時中の人間を描いた
「総員玉砕せよ!」である。

妖怪漫画家として世に出るはるか前、
若き日の水木しげるは、
兵隊として南太平洋にいた。
毎日、徹底的な鉄拳制裁をくらい、
ついたあだ名は「ビンタの王様」。

昭和19年の春、ゲリラ兵の襲撃で
見張りに立っていた水木を残して
分隊の仲間たちが全滅した。
ふんどし一丁でジャングルをさまよい
命からがら部隊に戻ると、
「なぜ死ななかったのか」と上官に激しく責められた。
さらにマラリアを発症し、爆撃で左腕を失う。

あまりにも簡単に人が死んでゆく。
今では考えられないような
理不尽な苦しみが次から次へとやってきた。

 ぼくは戦記物を描くと
 わけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。
 多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。


あらゆる人間を壊していく戦場で、
それでも水木は目をそらさず、すべてを見ていた。
見えない妖怪を見つめる眼差しも、
その時に養われていたのだ。


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奥村広乃 15年3月8日放送

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水木の高校受験

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

ゲゲゲの鬼太郎、河童の三平、悪魔くん。
数々のヒット作を生み出した水木しげるも
若い頃は様々な失敗をしてきた。

小学生の頃から勉強よりも睡眠を優先。
成績は芳しくなかった。
そこで、受験先に選んだのは、大阪府立園芸高校。
定員50名に対し、受験者は51名。
このうえなく低い競争率だった。

これは間違っても入るだろう。
そうおもった水木しげる。
校長先生との面談で、
将来の夢を画家だと正直に語ってしまう。

しかし、そこは園芸学校。
農業で身を立てる学生が欲しかった。

水木は、その年のたった一人の
不合格者となったのだった。


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奥村広乃 15年3月8日放送

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水木と弟

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

水木しげるは幼い頃、
弟を海に突き落とそうとしたことがあると言う。
そこは船着き場。
水の流れは速く、海の底は深かった。

人が死んだらどうなるのか。
その興味をおさえきれなかったのだ。

幸い彼は踏みとどまり、弟は命を落とすことはなかった。

水木しげるは当時5歳。
死後の世界への興味が、
後の作風に大きく影響を与えている。


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礒部建多 15年3月8日放送

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水木しげるとパプアニューギニア

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

水木しげるほど、マイペースな漫画家はいない。
たっぷりと睡眠を摂り、自分が好きなこと以外には、一切興味を示さない。
そんな水木のルーツの1つが、パプアニューギニアにある。

戦時中、水木は兵隊として南方戦線へと駆り出される。
過酷な戦場での玉砕命令を命からがら生き延びた水木は、
そこで原住民たちとの交流を深めていた。
彼らの生活は1日2〜3時間働くだけ。
あとは踊ったり、唄ったり、好きなことに没頭する。
そんな生き方が、水木の価値観に大きく影響を与えた。

 自然のままの生活というのだろうか。
 僕はそういう生活が、人間本来の生活だと思っている。

原住民から教わった哲学を、
水木しげるは「怠け者になりなさい」という一言に込めて、
世の中に発信し続けている。


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