2015 年 8 月 のアーカイブ

伊藤健一郎 15年8月23日放送

150823-08

友へ チェ・ゲバラ

チェ・ゲバラと、フィデル・カストロ。
二人の革命家は、キューバ革命を成し遂げた後、
ほどなくして別々の道を歩みだす。

再び革命に身を投じる道を選んだゲバラ。
彼は、キューバを離れる祭に、一通の手紙を友におくる。

「フィデル」と語り始めるその手紙には、こんな想いが綴られている。

 もし異国の空の下で、最期のときを迎えるようなことがあれば、
 僕の最後の思い出は、この国の人々に、とりわけキミに馳せるだろう。
 キミの与えてくれた教えやお手本に感謝したい。
 そして、僕の行動の最後まで、それに忠実であるよう努力するつもりだ。

ときに、政治観の不一致や仲違いが騒がれることもあった二人。

けれど、革命家として、友として、ときに肉親以上の絆で結ばれていた。
フィデルにあてた手紙は、こう結ばれる。

 ありったけの革命的情熱を込めて、キミを包容する。 チェ

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藤本宗将 15年8月22日放送

150822-01

あるオタクの話 徳川家康

平均寿命が40歳にも満たなかった戦国時代。
75歳という長寿を得た「健康オタク」がいた。
江戸幕府をひらいた徳川家康だ。

彼は将軍になっても贅沢な食事を好まなかった。
主食は麦飯。季節はずれのものや冷たいものは避けるなど、
食生活の管理は徹底していた。
もちろん体を動かすことも忘れない。
足腰を鍛えられる鷹狩りを好み、野山を駆け巡った。
さらにはオタクが高じて薬の研究にも没頭。
自ら薬草を育て、薬の調合までするほどだった。

幼い頃から人質に取られ、戦場でも幾度となく命の危険を味わった家康。
生き抜くことへの執念は誰より強かったのだろう。彼はこう言っている。

「長命こそ勝ち残りの源である」

最後に天下を取ったのは、最強のオタクだった。

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上遠野茜 15年8月22日放送

150822-02
thefoxling
あるオタクの話 クエンティン・タランティーノ

32歳の誕生日にアカデミー脚本賞を受賞した映画監督、
クエンティン・タランティーノ。
ディープな映画オタクとしても有名だ。

20代はレンタルビデオ店で働き、毎日映画三昧。
ハリウッド映画のみならず、マカロニウエスタンや
日本のヤクザ映画、B級モノまで観まくった。
映画の話が白熱すると客でもお構いなしに殴り倒し、
敬愛する映画監督には直接会いに行くほどの
熱烈な映画オタク。

タランティーノ作品の特徴は、
大好きな映画のエッセンスや友人のエピソードを
脚本に盛り込んでしまうこと。

他人の焼き直しだと批判され、友人たちに恨まれても、
彼はこう開き直る。

「俺はかつて作られた映画全てから盗む」

オタク愛の示し方は、人それぞれだ。

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村山覚 15年8月22日放送

150822-03

あるオタクの話 アントニン・ドヴォルザーク

チェコを代表する作曲家、ドヴォルザーク。

彼が作った「ユーモレスク」のリズム。
汽車が走るガタンゴトンというリズムに
どこか似ていませんか?

実はドヴォルザーク、筋金入りの鉄道オタク。

作曲の合間に駅まで散歩して、
汽車を眺めたり、運転士と交流するのが趣味。
時刻表や車両のナンバーも丸暗記。
汽車の模型もよく作っていたそうだ。

友人のブラームスには
「もし新型の機関車が手に入るなら
 交響曲全部を投げ出してもいい」

と語ったという。

現在、オーストリアとチェコを結ぶ特急列車には
様々な作曲家の名前が付けられているが、
「ドヴォルザーク号」も走っている。
どうせ乗るなら鉄道オタクの名前が付いた列車に
乗ってみたいものだ。

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福宿桃香 15年8月22日放送

150822-04
kndynt2099
あるオタクの話 嶺脇育夫

タワーレコード社長、嶺脇育夫。
女性アイドルについて検索すると、必ず彼の名前に辿り着く。

CDショップに入社した理由は、洋楽が好きだったから。
ところが、たまたまテレビで見たモーニング娘。にハマり、
ありとあらゆるアイドルにのめりこんだ。

嶺脇は、周りのスタッフがアイドルというジャンルに対して
意識を向けていないことに不満を持った。

誰もやらないなら、自分がアイドルを売り出すしかない。

今では当たり前となった店舗内でのアイドルイベントの
仕組みを作り出したのは、彼だ。

現場での積極的な活動は評価され、社長に就任。
その数ヶ月後にはなんと、T-Palette Records
というアイドル専用レーベルまで立ち上げた。

「やっぱり売る側が好きだって言わないと、
 お客さまにも届かない。僕でよければ
 アイドルがどんなに好きかってことを語りますよ」

彼は、アイドルオタクにとっても
アイドルにとっても、希望だ。

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奥村広乃 15年8月16日放送

150816-01
HAMACHI!
東京音頭

屋台の香り。
提灯の明かり。
太鼓の音と、歌声。
輪になって踊る人々。
 
日本の夏に、
盆踊りは欠かせない。
 
有名な盆踊り曲のひとつ、「東京音頭」。
作詞者の西條八十はこんな言葉を残している。
 
 人を動かすことに詩の価値がある。

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礒部建多 15年8月16日放送

150816-02
DBduo Photography
炭坑節

「月が出た出た月が出た」
日本中の盆踊りで、最も親しまれているのが炭坑節。
もとは福岡県田川市の小さな炭坑で生まれた
地方民謡だった。

炭坑節の流行は
戦後に発売されたレコードが次々にヒットしたことによるが
その皮切りとなったのが、
1948年に発売された芸者歌手赤坂小梅の炭坑節だった。

4拍子の軽快なリズム、快活な旋律に、力強い歌声。
日本の復興を信じ、
日夜労働に励む人々にとって、
大きな励みになった歌だった。

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澁江俊一 15年8月16日放送

150816-03
Eliana Nieves
謎の掛け声

「ヤーレンソーラン」
「ヤッショマカショ」
盆踊りで流れる歌には
個性豊かな掛け声がいろいろあるが
最も謎めいた盆踊りの掛け声をご存知だろうか?
それが

ナニャドヤラ

である。

青森県南部や岩手北部などの
旧南部藩に伝わり
日本最古の盆踊りとも呼ばれている。

この謎の掛け声は
民俗学者、柳田國男が唱えた
恋の歌という説をはじめ
方言くずれだという説、サンスクリット語説など
諸説ある中、最も異色なのがヘブライ語説だ。

ヘブライ語といえば
キリスト教の聖書の言葉。
青森県の新郷(しんごう)村には
キリストの墓があり、
今もこの墓のまわりで、
ナニャドヤラを踊る祭りがある。

謎の答えはどうあれ
こんな盆踊りもあるのが、
日本の懐の深さなのだ、と思う。

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松岡康 15年8月16日放送

150816-04
クワトロ@JZA80
終戦の日の盆踊り

1945年8月15日。
天皇陛下の声で太平洋戦争の終戦が
全国民に告げられたその日に
開催された盆踊りがあった。

毎年岐阜県郡上八幡の郡上踊りだ。

夜の8時頃から、
空が明るくなるまで踊り続けることで有名な郡上踊り。

終戦日には官憲からの中止勧告があったが、
市民たちは自然と踊り始めたという。

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澁江俊一 15年8月16日放送

150816-05

ビートルズと音頭

歌詞の意味を変えたり
楽曲の世界観を変えるような
大幅なアレンジには
かなり厳しいビートルズ。

彼らが認めた数少ない例外が
人気の曲「イエロー・サブマリン」を
日本ならではの音頭に変えた
「イエロー・サブマリン音頭」だ。

1982年に発売されたこの曲の
プロデュースを手がけたのは
ポップソングの名手、大瀧詠一だった。

「ナイアガラ音頭」「クリスマス音頭」などを手がけ
並々ならぬ音頭への愛があった大瀧。
日本の伝統的リズムにぴったりハマった
ビートルズのメロディは、
日本人なら、一度聞くだけで頭から離れない。
つい、身体も動いてしまう。

どうやら
ポール・マッカートニー本人も
気に入っているらしい「イエローサブマリン音頭」。
2013年に来日したライブでも
BGMとして流していたという。

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