2019 年 3 月 のアーカイブ

田中真輝 19年3月24日放送


サイトウ
農業が育むもの

農業の6次産業化、という言葉をご存じだろうか。

1次産業者である生産者が、2次産業の加工、そして
3次産業である流通と販売まですべてを行うことで、
農産物の価値を高め、農業の収益性を上げていこうと
する試みのことである。

農家が運営するレストランや農業体験、また米農家が
店舗を構えて収穫した米で作ったおにぎりを販売する
など、様々な形での6次産業化が進められている。

自然と対話しながら、命を育む農業。
それは単なる経済活動ではなく、豊かな文化を
生み出す営みでもある。その価値を生産者と
消費者がわかちあえる社会こそ、豊かな社会であるに違いない。

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佐藤理人 19年3月23日放送



過去への探検  イグアノドン

世界で初めて恐竜の化石を発見した、
イギリスの医者ギデオン・マンテル。

1822年、彼は仕事の帰りに珍しい石を見つけた。
専門家に見せると、象の歯だと笑われた。

しかし熱狂的な古生物マニアだった彼は、
それが1億2千年前の爬虫類の歯だと突き止めた。

体長7mを超すその生物に、
彼は「イグアナの歯」を意味する

 イグアナドン

という名を授けた。

イグアナドンの完全な化石は現在、
ベルギーの王立自然史博物館に展示されている。

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佐藤理人 19年3月23日放送


John Cummings
過去への探検  メガゾストロドン

2億年前に哺乳類が存在した事実は、
約50年前までわからなかった。

1966年、南アフリカ博物館の研究員アイオーン・ラドナーが、
恐竜の化石を発掘中に小さな白い塊を見つけた。
拡大鏡でよく見てみると、歯がついていることがわかった。

それから数ヶ月。
かつて見たことのない小動物の全身の骨が、
細心の注意のもとに掘り出された。

体長10cm、しっぽ4cm。
トガリネズミに似たその生物は、

 メガゾストロドン

と名付けられた。

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佐藤理人 19年3月23日放送



過去への探検  ジャイアントモア

1936年、ニュージーランドの田舎道で、
荷車を引いていた一頭の馬が倒れてこの世を去った。

馬の持ち主のジョーゼフ・ボグデンという農夫が、
亡骸を埋めるために穴を掘ると、
約800羽もの巨大な鳥の骨が見つかった。

古生物学者が調べたところ、
16世紀に絶滅した

 ジャイアントモア

の骨だとわかった。

身長4m、体重250kg。
史上最大の鳥類でありながら、
翼がなく飛べなかった悲劇の鳥。

骨は古い泥に埋まっていた。
もしもモアが飛べたら、今も生きていたのだろうか。

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佐藤理人 19年3月23日放送



過去への探検  最初のアメリカ人

1947年、人類学者ヘルムート・デ・テラが、
メキシコでマンモスの骨を見つけた。

よく見ると、隣には人間の骨も埋まっていた。
彼はマンモスがいた1万1000年前、
アメリカにすでに人類が存在したと考え、その骨を、

 テペスパン人

と名付けた。

しかし彼の発見はいい加減な発掘作業によるものだと、
無視されてしまった。

5年後、同じ場所で見つかったマンモスの骨に、
矢が刺さっているのが発見され、
テラの説が正しかったことが証明された。

アメリカ大陸に存在した最初の人間は、
4万年前に移住したアジア人だった。

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佐藤理人 19年3月23日放送


Ryan Somma
過去への探検  ネアンデルタール人

1856年、ドイツのネアンデル谷で、
石灰岩を掘っていた作業員が一体の骨を見つけた。

地元の理科教師ヨハン・フールロットが、
その骨を組み立ててみると、
猫背で額の出た、二本足の生物だとわかった。
彼はそれが原始人の骨だと確信。発見場所にちなんで、

 ネアンデルタール人

と名付けた。

しかし当時、進化論は神への冒涜とみなされており、
彼の発見は怒りと嘲笑で迎えられた。

ネアンデルタール人の存在が受け入れられたのは、
11年後、フールロットが亡くなった年だった。

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河田紗弥 19年3月17日放送


shok
ちいさなフルコース

ご飯、メインのおかず、副菜に、デザート。
配置や彩り、栄養、旬も考えられた日本のお弁当は
まるでちいさなフルコース。

そんな「弁当」を日本に初めて確立させたのは、
あの織田信長だ。

安土城で働く大勢の軍勢に食事を配るとき、
箱にご飯とおかずを詰めれば、
配膳が楽になるのではと考えた。

そして、そのご飯とおかずを詰めた箱のことを、
「弁(そな)えて、用に当てる」という意味をこめ、
「弁当」と名付けたのだ。

織田信長が名付けた「弁当」という言葉。
今では、海外でもアルファベット表記で「BENTO」として記され、
立派な日本文化になっている。

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河田紗弥 19年3月17日放送



ちいさなフルコース 幕の内弁当

江戸時代、庶民の間で人気だったのが、芝居見物。

当時の芝居は、朝から晩までの長時間娯楽であった。
そのため、芝居の間の“幕の内”に食べるお弁当のことを
「幕の内弁当」と呼ぶようになった。

幕の内弁当のご飯に俵形のおにぎりが多いのも、
狭い場所でも、短時間で食べやすいようにという意味が込められている。

そう、歌舞伎見物の楽しみは
「か・べ・す」と言われていた。
菓子・弁当・寿司、のことだ。

歌舞伎をつまみに、飲んだり食べたり、
自由気ままに楽しんでいたんだとか。

そんな観客の様子を見て、
「なあに、客が飲んだり食べたりするのを忘れるくれえ、
うまい芝居をして見せてやらあ!」と
役者たちも張り切っていたようだ。

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河田紗弥 19年3月17日放送


Miguel Discart
ちいさなフルコース

海外でのBENTOブーム
火付け役になったのは、日本のアニメや漫画だ。

学校でお弁当を広げ、みんなで食べるシーンや
好きな人に手作り弁当を渡すシーン。
そして、そこで描かれるかわいくて、おいしそうな、
おにぎりや玉子焼き、タコさんウィンナーに
世界中が虜になったのだ。

真っ先にBENTOに目をつけたのは日本文化に関心の高いフランス。

元々フランスでは、
優雅にランチタイムを堪能しないのは
“かっこ悪い”という風潮があったのだ。
そのため、昼休みのランチに
2時間もの時間をかけてコース料理を楽しむのが普通だったとか。

しかし、リーマンショックの影響を受け、
フランスは不景気に見舞われた。
昼休憩が削られ、収入も減ってしまったフランス人は、
オフィスで簡単に食べられるサンドウィッチや携帯食を昼に食べることが増えた。

そんな生活に、どこか寂しさを感じていたフランス人の間で、
おいしそうな料理の数々が
色鮮やかに詰められた日本のBENTOが普及していくのに、
時間はかからなかった。

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河田紗弥 19年3月17日放送



ちいさなフルコース 駅弁

日本の鉄道の歴史は
1872年の新橋–横浜間の開業によって始まった。
しかし、その当時は、
「食まかりならず」との御触れが出されていて、
列車内での飲食が禁じられていた。

しかし、
1885年7月16日。
当時の日本鉄道が大宮–宇都宮間の開通と当時に歴史は変わった。

電車に乗っている時間が増えたため、
車内での食事が認められるようになり、
宇都宮の旅館 白木屋が駅で弁当を売り始めた。

白木屋の斎藤嘉平氏が販売したのは
梅干しいりのおにぎり2個に
ごま塩をふりかけ、
たくあん2切れと一緒に竹の皮に包んだもの。

それから132年、
現在は約4000もの種類の駅弁が販売され、
列車だけではなく、家で楽しむ人もいるんだとか。

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