佐藤延夫 15年2月1日放送

150201-05

大富豪のマネーライフ ヘンリー・フォード

アメリカの自動車王、ヘンリー・フォード。
それまで高級品だった自動車を低価格で販売し、
自動車業界に革命を起こした。
総資産1990億ドルとも言われた彼が
次に目をつけたのは、天然ゴムだった。
自動車用のタイヤを自給自足するために
アマゾン川付近の密林を買い占め、
フォード・フロンティアと名付けた。
広さは200万エーカーとも言われる。
この場所に、労働者のために住宅をつくり
病院や学校のみならず
道路や消防署、ホテルまで建設したというから徹底的だ。
しかし現実は無情だった。
アマゾン特有の伝染病や害虫に悩まされ、
さらに現地労働者の反発、未熟な技術などが重なり、
フォードは何も得ることなく撤退する。

ただ、彼の資産を考えると、
蚊が刺したほどのダメージもなかっただろう。

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佐藤延夫 15年2月1日放送

150201-06

大富豪のマネーライフ アンドリュー・カーネギー

アメリカの実業家、アンドリュー・カーネギー。
製鉄事業で財を成し、鉄鋼王とも言われる男は、
金持ちのまま死ぬのは恥だと考えていた。
33歳で会社を設立した際に、こんなメモを残したという。

「年収は5万ドル。
 財産はこれ以上増やさず、余った金は慈善事業に寄付をする」

言葉の通り、晩年には世界中に図書館を寄付した。
その数は、2811にも及ぶ。
何か裏があるのでは?と疑われてしまうのも
大富豪の有名税というものだろう。

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佐藤延夫 15年2月1日放送

150201-07
Commonwealth Secretariat
大富豪のマネーライフ ハサナル・ボルキア

ブルネイ国王、ハサナル・ボルキア。
資産総額は200億ドルにもなる彼の趣味は、車だった。
メルセデス・ベンツを531台、
フェラーリを367台、
BMWが185台、
ジャガーは177台。
合計5000台以上の高級車を所有していたという。
もちろん、「ぜんぶ乗れませんよね?」
という質問は、野暮だ。

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佐藤延夫 15年2月1日放送

150201-08

大富豪のマネーライフ アルフレッド・ショシャール

パリのデパート王と呼ばれた、アルフレッド・ショシャール。
ルーブル百貨店創業者のひとりで
絵画のコレクションでは、金に糸目を付けなかった。
そして驚くべきは、自分の葬式の計画を綿密に立てていたことだった。
墓地の場所、墓の形はもちろんのこと、
死装束、霊柩車の飾り付け、
さらに葬儀屋の格好にも口を出した。
髭を剃らせ、召使いの衣装まで着せてしまったという。
葬儀費用は100年前の50万フラン。
現在の貨幣価値では、38億円にもなるそうだ。

しかし賄賂とも言える献金が明らかになり、
安い賃金で働かされる従業員たちの不満と相まって
実際の葬儀のときは、
市民に罵倒されながら旅立ったようだ。

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小林慎一 15年1月31日放送

150131-01

白銀の神様篇

インゲマル・ステンマルク。
アルペンスキーワールドカップ歴代1位の通算86勝。

100分の1秒代の争いになることも珍しくない
スキーレースにおいて
彼は、大回転で4秒09の大差をつけて優勝するという記録を持つ。

スウェーデンの首都ストックホルムから北に1200キロ。
人口600人の小さな村「テナビー」がステンマルクの生まれ育った村だ。
そこにある全長500メートルのちっぽけなゲレンデで
彼はスキーの練習に打ち込んだ。

ステンマルクは
1975年から3シーズン連続で優勝を飾る。
オーストリアやフランスといった
アルペン大国で英才教育を受けたライバル選手達に
「ステンマルクに次ぐ2位は、1位と同じだ」と言わしめた。

彼の履いていたスキー板が、エランという
アルペン大国のメーカでないことも運営側の不評を買い
総合優勝のポイントの計算方法が、彼に不利なように改定されてしまう。

「ルールが改定され、総合優勝できなくなっても、なぜ滑り続けるのか」
とのインタビューにステンマルクはこう答えている。

「子供のころ、砂いじりやトランプに時間を忘れて夢中になったよね。
それと同じことなんだ」

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小林慎一 15年1月31日放送

150131-02
City of Calgary
白銀の爆弾篇

まるで筋肉の固まりが
転がってくるかのような爆発的な滑りで、
「トンバ・ラ・ボンバ」、トンバ爆弾、
と呼ばれたアルベルト・トンバ。

ワールドカップ通算50勝。
カルガリーオリンピックで2つの金メダルを取り、
リレハンメルでは、大回転で史上初の連覇を達成。

女性ファンと気さくにリフトに乗り、
例え不本意なタイムでゴールを切っても観客の声援に応える。
彼は陽気なイタリア男そのものだった。

ニュージーランドワールドカップでのこと。

栄養士による食事管理で腹を空かしていたトンバは、
人口800人の小さな村「メスベン」にひとつだけあるピザ屋に通い
メニューにない、具材を全部トッピングしたピザを、夜な夜な楽しんだ。

そのピザはトンバ・スペシャルと呼ばれ
メスベンで知らないものはいない人気裏メニューとなった。

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小林慎一 15年1月31日放送

150131-03
marfis75
白銀の鉄人篇

ルクセンブルクのマーク・ジラルデリ。
彼は、もともとはオーストリア生まれである。

マークの父親とコーチが指導方法で対立。
ナショナルチームを飛び出し、
オーストリア代表として出場できなくなっため
ルクセンブルクに国籍を移す。

それ以来、親子2人でのワールドカップへの挑戦がはじまり、
1985年から、2シーズン連続で総合優勝を飾る。
試合前、マークが練習をはじめると
イタリアやドイツなどの選手やコーチが集まってくる。
大所帯のナショナルチームが、
一人しか選手のいない国の練習を熱心に見つめた。

ワールドカップ総合優勝5回、通算46勝。
獲得したメダル14個。うち金メダル4個。

そして、この数字も忘れてはいけない。
マークは、何度も大けがを負い、
13回手術を受けたが、そのたびにレースに復活した。

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小林慎一 15年1月31日放送

150131-04
Kevin Pedraja
白銀の奇跡の人篇

最高速度160キロ、アルペンスキー「滑降」。

ノルウエーのアクセル・ルンド・スビンダルは、練習中に転倒し、
顔面骨折に加え、スキー板で身体を深く切る大怪我を負った。

しかし、彼は、事故を起こした
ビーバークリークでの大会で優勝を飾り、
そのシーズンのワールドカップで総合優勝に輝く。

通常、人は1分間に20回まばたきをするが、
スビンダルはレース中は、1分に1回しかまばたきをしない。

また、高速になると、活動しなくなる
位置関係を判断する脳の部分が、
スビンダルの場合、活発に活動していた。
事故と向き合い、恐怖をコントロールしたいと願うことで、
強化された脳を手に入れたのだ。

スビンダルは、こう言う。

「極限の状態を経験することは、
それがよくないことでも、成長するチャンスです。」

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薄景子 15年1月25日放送

150125-01
bhollar
はじまりのはなし ジュール・ルナール

フランスの作家、ジュール・ルナールは言った。

 毎朝、目を覚ますたびに
 お前はこう言ってもいいだろう。
 体が動く。気分も悪くない。
 ありがたい。人生は美しい。

1日のはじまりに、
きょう目覚められたことに感謝する。
ただそれだけで、
その1日が、かげかえのないものになる。

「目覚め」は、きょうも生きている
という奇跡なのだ。

さあ、あなたも
素晴らしい1日のはじまりを。

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薄景子 15年1月25日放送

150125-02
andrewmalone
はじまりのはなし 辻井伸行

全盲の天才ピアニスト、辻井伸行。
その才能に母親が気づいたのは、彼が2歳のとき。
夕食をつくりながら母が口ずさんでいた歌を
2歳の辻井はおもちゃのピアノで奏でてみせた。

やがて才能をどんどん開花させ、様々なピアノコンクールで優勝。
2009年ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールでは、
日本人史上初優勝という快挙を果たす。

ここまで美しいメロディーを、なぜ奏でられるのか、
辻井はあるインタビューでこう答えたという。

 がんばってくださいとピアノに言って気持ちを込めると
 すごく美しい音がでます。

曲のはじまりにこめるピアノへの想い、
その感性の美しさこそが、天才の原点。

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