礒部建多 14年12月14日放送

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南極への放送

「南極観測船「ふじ」の乗組員と、
南極観測員だけに向けた番組を作りたい。」
昭和40年、当時のNSB日本短波放送のプロデューサー
野尻鷹雄は、こんな企画を上層部に提案した。

12月1日に出港する「ふじ」に乗り込む人数は223人。
公共放送として彼らだけに向けた番組を放送するなど、
前代未聞であり、社内から反対の意見もあった。
しかし、野尻の想いは強かった。

  日本国民の声援という精神的支えが、
  彼らにとって何よりの清涼剤としての役割を果たすはずである。

様々な苦労を乗り越えて、
「お元気ですか ふじの皆さん」という掛け声で番組はスタート。
気象情報や音楽のほかに、
遠い地で活躍する223人の家族からのメッセージも届けられた。
その放送は観測員だけでなく、
それを聞く日本国民までをも温かい気持ちにした。

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奥村広乃 14年12月14日放送

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オーロラキッチン
南極料理人

栄養を摂るだけの食事なら、
サプリメントや点滴でいい。
それでも、人が食事をつくり、
食卓を囲むのはなぜだろう。

2009年に公開された映画『南極料理人』。
その原作者、西村淳。
彼は調理担当として、南極地域観測隊に参加していた。

見渡す限りの氷の大地。
夏でも気温がゼロ度を超すことがほとんどない、南極。
食材も調理器具もブラリと買いにいけない。
そんな環境で1日3食、仲間の食事を作りつづけた。

西村はともに南極で冬を越した仲間から
こんな手紙をもらったそうだ。

『南極では、家族への思い、研究がうまく行かない、
仲間とのちょっとした気まずい関係など、
日本では考えられないイライラは、私を含めた隊員皆あったようです。
ところが、おいしいものを食べると幸福な気持ちになり、
明日もがんばるという気持ちになれました。
その節は本当にありがとうございました。
食事が、気分だけでなく、円滑な人間関係にも
大きく影響を与えると悟りました。』

おいしい料理は、
人の心をほぐす力がある。
だから人は料理をつくり、食卓を囲むのだろう。
仕事仲間やパートナーと、
うまく行かずに冷えきったときは
おいしい料理を一緒に食べるといいのかもしれない。

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松岡康 14年12月14日放送

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プレハブの元祖

「プレハブ建築」に良いイメージを持つ人は多くはないだろう。
隙間風、騒音、耐久年数の短さ。
しかし日本のプレハブ第一号は強く頼もしかった。

1956年、戦後初の本格的な南極観測のため、
日本建築学会が総力をあげて作り上げた昭和基地だ。

風速60mのブリザードが吹き荒れる、
-50℃という過酷な環境でも建てられ
観測船に資材の積み込みが容易で、
ソリで運べる大きさや重さでないといけない。

建築家浅田孝の答は、プレハブしかなかった。

観測隊8人、10時間で建てられた昭和基地は、
その後20年以上にわたって南極観測隊の住処となり続けた。

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渋谷三紀 14年12月13日放送

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ハインリヒ・ハイネの不幸

詩人ハインリヒ・ハイネ。

生業につかない自分を捨て、
裕福な男性に嫁いだ初恋女性への想いを
詩にした。

 女というのは、
 どこまでが天使でどこからが悪魔か
 わからないものだ。

結婚してからは、
浪費家の妻に苦労させられながらも、
詩を書きつづけた。

 結婚とは、いかなる羅針盤も、
 かつて航路を見つけたことのない、荒波だ。

人の不幸は、願うものではない。
相手が詩人の場合を除いては。

今日はハイネが生まれた日。

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渋谷三紀 14年12月13日放送

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ハインリヒ・ハイネの人生

詩人ハインリヒ・ハイネ。

ユダヤ人の子としてドイツに生まれたハイネは、
幼い頃から「自分はよそ者だ」と感じていた。

叔父に憧れて、実業家を目指したものの、
ビジネスに興味が持てず、隠れて詩を書いた。

母に勧められ、大学では法律を学ぶが、
文学と哲学に没頭してしまう。

27歳でキリスト教に改宗し、
34歳でパリに亡命。

今いる場所に留まれないのが、ハイネ。
胸を打つ愛の言葉は、詩人の自由と孤独から生まれた。

今日はハイネが生まれた日。

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渋谷三紀 14年12月13日放送

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ハインリヒ・ハイネの友人

詩人ハインリヒ・ハイネ。

ハイネの親友だったのは、
マルクス経済学の祖カール・マルクス。

同時代に生きた天才同士は、
二十以上の年の差を越え、深く心を通わせる。

マルクスが理論的に取り組む諸問題を、
ハイネは鋭い直感で文学的に先取りしていった。

ふたりが出会わなかったら、
人類は二つの大きな光を失うところだった。

今日はハイネが生まれた日。

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渋谷三紀 14年12月13日放送

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ハインリヒ・ハイネの言葉

詩人ハインリヒ・ハイネ。

ハイネの著作物は、
メッテルニヒに弾圧され、
ビスマルクに発禁されたけれど。
実は、ふたりともハイネを愛読していた。

愛しているからこそ、知っていたのだ。
ハイネの言葉の力を。
民衆を奮い立たせ熱狂させる、言葉の力を。

厳しい時代を生き延びたハイネの詩。
ページをめくれば、今日もみずみずしいリズムで、
あなたの心に語りかける。

今日はハイネが生まれた日。

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飯國なつき 14年12月7日放送

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贈り物① よさこい節

 土佐の高知の
 はりまや橋で
 坊さん
 かんざし買うを見た

高知県に伝わるよさこい節は、
江戸時代に起こった実話をもとにして、作られたと言われている。

竹林時のお坊さんであった純真は、
修行中の身でありながら、
お馬という女性と恋に落ちてしまう。

お坊さんであっても、恋い慕う気持ちはもちろん同じ。
お馬にあげるかんざしを、こっそりと買い求めた純真だったが、
街の人に目撃され、噂が立ってしまう。

駆け落ちを試みるも失敗し、
ついぞ、二人が添い遂げることはなかった。

純真の思いの丈のつまった一瞬は、
今も、民謡として歌い継がれている。

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飯國なつき 14年12月7日放送

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びぃ
贈り物② 伊藤理佐「おいピータン!」

漫画家、伊藤理佐さんの作品「おいピータン!」。
登場人物のひとり渡辺さんが、誕生日を迎えた時のこと。

同じ職場の彼氏は、なぜかその日はお休み。
「誕生日の私が働いているのに…」
と、いらいらする渡辺さん。

彼氏の家に行ってみると、思わず感激する。

大量の本を片付けるために棚が手作りされ、
電球は全部入れられ、
布団もちゃんと片付けられ…
渡辺さんがずっと気にしていたことを、全部やってくれていたのだった。

そして、おまけのプレゼントは、
渡辺さんが「一度やってみたい」と言っていた、
いくらの食べ放題で、大喜び。

どうすれば相手が喜んでくれるか。
それさえ大切にしていれば、
贈り物の形は、もっと自由になっていいのだ。

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飯國なつき 14年12月7日放送

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贈り物③ マルチン・ルター

クリスマスの贈り物に、
親はいつも悩まされるものだが。

1535年、まだ貧しい大学教授だった
宗教改革の創始者マルチン・ルターは
子供たちへの贈り物を買うお金にすら困っていた。

しかし妻から、
子供たちの好きな肉団子のスープを作るから大丈夫、
と励まされ、ルターは歌を作って贈り物にすることを決める。
山から抜いてきたもみの木の周りで歌った歌は、
翌年以降も一家の定番となった。

後にルターはこんな言葉を残している。

 ドイツの国をくれるといわれても、
 私は、それよりも、優しい妻がいる家庭を選ぶ。 

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