蛭田瑞穂 13年1月19日放送



未来をつくる日本人④八木啓太

家電デザイナー、八木啓太。

医療用機器のエンジニアだった八木が会社を辞めたのは2011年。
それから彼はたったひとりで電気メーカーを立ち上げた。

一昔前なら無謀と言われただろう。しかし時代は変わった。
かつて何百万円もしたCADは無料ソフトが公開されている。
3Dプリンターはずっと身近になった。
広告をせずとも評判はネットで瞬時に広がる。

八木が会社を起こして最初につくったのが卓上のLEDライト。
発売後、全国からの注文は引きも切らず、生産が追いつかない。
世界3大デザイン賞のひとつ「レッドドット・デザイン賞」も受賞した。

八木は言う。

 町工場や地方にはすごい技術が埋もれている。
 それをアイデアでつなげれば大きな価値を生み出せるはず。

彼の目はものづくり大国日本の復活を確かに見据えている。

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蛭田瑞穂 13年1月19日放送



未来をつくる日本人⑤三井淳平

レゴブロックビルダー、三井淳平。

レゴブロックをつかってさまざま造形物をつくるビルダーの中でも
レゴ社から公式に認められたプロビルダーは世界にわずか13人しかいない。
三井はそのひとりである。

作品をつくる時、三井は設計図を用意しない。
頭の中のイメージだけで、全長6.6メートルの戦艦大和から
実物大のドラえもんまで、小さなブロックを使い自在につくり上げる。

三井の夢はレゴを通して日本の伝統文化を世界にアピールすること。

 今後はレゴで日本画などを立体的に表現してみたい。

彼はイマジネーションを形にし続ける。

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蛭田瑞穂 13年1月19日放送


UK in Canada
未来をつくる日本人⑥小川誠二

物理学者、小川誠二。

1968年、アメリカのベル研究所に渡り、
脳の機能を画像化する磁気共鳴画像装置「fMRI」の実用化に成功する。

fMRIの開発により、脳の研究は飛躍的に進化した。
その功績は医学的な分野にとどまらず、
脳と心の関係という心理学的な研究も促進させた。

小川は今、iPS細胞の山中伸弥教授に続く、
ノーベル医学賞の受賞が期待されている。

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蛭田瑞穂 13年1月19日放送


mollyali
未来をつくる日本人⑦川久保玲

ファッションデザイナー、川久保玲。

彼女がコム・デ・ギャルソンを創業したのは1969年。
以来川久保は服のみならず、ファッションのビジネスも
自身でデザインしてきた。

低価格帯や若者向けのラインを次々と打ち出し、
他ブランドとのコラボレーションも積極的に行なう。

事業を多方面へ展開しながらも、
川久保がブランドの本質を見失うことは決してない。

彼女は言う。

 コム・デ・ギャルソンは万人受けするブランドではありません。
 そうなったらおしまいです。

クリエーションとビジネスの両立というパラドックスと格闘しながら、
川久保玲はファッションの未来を切り拓く。

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阿部広太郎 13年1月13日放送



野口英世の20歳

医師開業試験に合格するために、
野口英世が医学書と格闘していた時のこと。

仕事で東京から福島に来ていた
医師の血脇守之助(ちわきもりのすけ)に、
激励の言葉をかけられる。

感激してますます勉強に力を入れた野口は、
20歳になって突然上京。
連絡も無しに血脇の家を訪れてこう言った。

「学院の玄関番、車引き、
 なんでもするから使ってほしいのです」

プライドをかなぐり捨てた20歳の決意が、
のちに世界が誇る名医を生んだ。

明日は成人の日。

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村山覚 13年1月13日放送



ウォルト・ディズニーの20歳

第一次大戦中、
若きウォルト・ディズニーはフランスにいた。
愛国心の強かったウォルト青年は
通っていた高校を辞めて軍隊に志願したのだ。

終戦後、アメリカに戻ったウォルトは
新聞や広告のためのイラストレーションを描いて生計を立てた。

その後アニメーションを知ると、その可能性に魅せられて
短編映画の製作を始めたのが20歳の頃。
そして、ミッキーマウスが生まれることになる。

後にウォルトは言った。
「何かをやりたいのに、選んでばかりの人はもったいない。
 チャンスがあるうちに、中に入ってみる。
 そうすれば、そこから何かが生まれるかもしれない」

迷っていないで、まずは飛び込んでみよう。
それが20歳の特権なのだから。

明日は成人の日。

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藤本宗将 13年1月13日放送



ソーニャ・コワレフスカヤの20歳

数学者ソーニャ・コワレフスカヤ。
ロシアで初めて大学教授の地位を得た女性である。

父はポーランド系貴族。母はドイツの名門の生まれ。
輝かしい血統の世継ぎを待ちわびていた一家にとって、
女のソーニャは望まれない子供。
そんな少女がはじめて父に褒められたのが、14歳の頃。
類いまれな数学的才能を見いだされたときだった。
愛情に飢えていたソーニャは、それから数学に没頭。
やがて留学を望むようになる。

しかし時代は19世紀。当時のロシア女性は、
親の承諾なしには国外へ出ることもできなかった。
自分の人生の決定権がなかったのだ。
そのとき彼女がとったのは「偽装結婚」という手段。
結婚することによって親のもとを離れ、
偽りの「夫」とともにヨーロッパに渡ったのである。

ソーニャは推薦状も成績証明書も持たず、
ベルリンの数学者ワイエルシュトラスの門を叩く。
この厄介な訪問者を追い払おうと
ワイエルシュトラスが出したのは、大学院クラスの難問。
しかし彼女はそれを鮮やかに解いてみせた。

ソーニャ・コワレフスカヤ20歳。
女性が自らの手で人生の扉を開いた瞬間だった。

明日は成人の日。

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藤本宗将 13年1月13日放送



エヴァリスト・ガロアの20歳

天才数学者にして革命家。
エヴァリスト・ガロアは革命と反動に揺れる
19世紀のフランスに生を受けた。

自らの才能を自覚していたガロアは
学校教育を軽蔑し、独学で高等数学をマスター。
しかし20歳のときに決闘で若い命を散らしてしまう。

死を予見していたのだろうか。
決闘前夜、彼は「もう時間がない」という言葉とともに
数学的な発想の断片を走り書きで残した。
それは後の数学者たちの研究により、ガロア理論となる。

けれどもしガロアが20歳で死ななければ、
もっと偉大な成果を残したはずだ。
それは数式など必要としないほど、明らかである。

明日は成人の日。

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村山覚 13年1月13日放送



藤子不二雄の20歳

1944年、富山県の小学校に一人の転校生がやってきた。
少年の名前は「あびこもとお」。趣味は漫画。
すぐに友達ができた。同じく漫画が大好きな「ふじもとひろし」。

二人は漫画を描きまくった。
二人で描いた4コマ漫画が新聞に掲載されたこともあった。
しかし高校を卒業するとき、
漫画家になるという夢をいちど諦めた。

安孫子は富山新聞社に、藤本はお菓子メーカーに就職。
安孫子は新聞社でイラストを描いたり、インタビューをしたり、
充実した日々を送っていた。
一方、藤本はすぐに会社を辞めた。
漫画を描いては出版社に投稿する日々。

ある日、安孫子のところに藤本が来て言った。
「一緒に東京へ出よう。」
後に日本を代表する漫画家となる「藤子不二雄」は
夜行列車に揺られて上京した。二人とも20歳だった。

藤子・F・不二雄は、自叙伝でこう語っている。
「面白いマンガを描きたいと思いつづけています。
 夢に終わるかもしれないけれど、
 その夢が僕らを支えているのです」

20歳の夢は、ずっとあなたを支えてくれる。

明日は成人の日。

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村山覚 13年1月13日放送



上原ひろみの20歳

ジャズピアニスト上原ひろみは、
20歳まで大学の法学部で学びながら日本で暮らしていた。
彼女はインタビューでこう語っている。

「アメリカに行きたい!という気持ちがマックスになるまで
 待とうと思ったんです。そういうタイミングで行かないと、
 向こうの音楽学校へ入っても、埋もれてしまうんじゃないか、
 必要なことが吸収できないんじゃないか、と」

20歳で渡米したひろみは、
バークリー音楽大学を首席で卒業。
今や世界中のジャズクラブやコンサートホールで演奏をしている。

「自分自身がまだ体験したことがない
ドキドキするような音楽を追い求めている。
私が私にびっくりするくらい新鮮な音楽を作り続けていきたい」

20歳には、自分も驚くほどの可能性がある。

明日は成人の日。

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