阿部広太郎 13年1月13日放送



マリリン・モンローの20歳

セクシーの中に垣間見せるチャーミングさで、
世界中の男性を虜にしたマリリン・モンロー。

彼女の芸能人生のはじまりはモデルだった。
16歳からはじめるも、鳴かず飛ばず。
20歳になって心機一転。
20世紀フォックスのオーディションに参加。
「女優」マリリン・モンローが
生まれたのはこの時のことだった。

契約を前に、モンローはこう言ったという。

「お金が欲しいんじゃない。
 ただ、素晴らしい女になりたいの」

当時無名だったひとりの女優。
でも20歳の志は、すでに一流だった。

明日は成人の日。

topへ

阿部広太郎 13年1月13日放送



アン・サリバンの20歳

アン・サリバンの人生は困難の連続だった。

3歳の時に目の病気にかかり、
5歳の時にはほとんど見えなくなっていた。
その上、9歳の時に母を亡くし、
その悲しみから父はアルコール依存症になってしまう。

盲学校に入学したサリバンは、
学校での訓練と手術の結果、ある程度の視力の回復を果たす。
悲しい過去を乗りこえてきた自信、
道を切り開こうとする意志が、彼女を勉強に駆り立てる。

最優秀の成績で盲学校を卒業したサリバン。
そこに声がかかったのが、
「目と耳が不自由な子どもの家庭教師」だった。
その子どもこそ、ヘレン・ケラー。
サリバン、20歳。新たな困難への挑戦だった。

「失敗したら初めからやり直しなさい
 その度にあなたは強くなっていきます」

ヘレン・ケラーに言ったこの言葉は、
困難に挑み続けてきた20年の実感に違いない。

明日は成人の日。

topへ

佐藤理人 13年1月12日放送



フランシス・ベーコン①「2人のベーコン」

 知は力なり

と唱え、学問の体系化に取り組んだ
ルネサンス期イギリスの哲学者、
フランシス・ベーコン。

約300年後の1909年、
彼の子孫がアイルランドに生を受けた。

体が弱く痩せっぽちなその男の子はやがて、
ピカソと並ぶ20世紀を代表する画家になった。
奇しくもその名は偉大な先祖と同姓同名の、
フランシス・ベーコンであった。

topへ

佐藤理人 13年1月12日放送


patrick h. lauke
フランシス・ベーコン②「軍人の父」

アンソニー・ベーコンはいら立っていた。

息子のフランシスがひ弱すぎるのだ。
この間の仮装パーティで見せた女装はひどかった。
背中の空いたドレスを着て
イヤリングをつけた姿なんて女そのものじゃないか。
わが家は3世代続く由緒正しい軍人の家系。
これ以上あんなふるまいを許すわけにはいかん。

その日、寝室のドアを開けたアンソニーが目にしたもの。
それは母親の下着を試着するフランシスの姿だった。

息子がゲイだと知ったとき、
男らしさの塊のような父は何を思っただろう。

1920年代のイギリスで同性愛に対する理解など皆無。
アンソニーが感じたのはただ怒りだけだった。

家を勘当されたフランシスはロンドンに向かう。

自分がやがて20世紀を代表する画家になることなど
知る由もないその胸は、
父から解放された喜びでいっぱいだった。

topへ

佐藤理人 13年1月12日放送


Cea.
フランシス・ベーコン③「生きる恐怖」

歯をむき出して絶叫する顔。いびつにねじれた肉体。
人間とも動物ともつかない奇怪な生き物。
画家フランシス・ベーコンが描く人物はどれも、
グロテスクにデフォルメされ、破壊されている。

アイルランド独立戦争と
二度の世界大戦を体験したベーコンにとって、
暴力は日常であり、死は身近な存在だった。
彼は言う。

 17のときです。道端に犬のフンが落ちていて、
 それを見ているうちに突然思ったのです。
 これだ、人生とはこういうものだ、と。
 自分は今ここにいるけれど、
 存在しているのはほんの一瞬であって、
 壁に止まっているハエのように
 たちまちはたかれてしまうのです。

人間はなんと無力な生き物だろう。
肉体とはただの容れ物にすぎない。
彼にとっては、生きていること、
それ自体が既に恐怖だった。

彼はその恐怖を、

 うきうきする絶望

と呼んだ。

topへ

佐藤理人 13年1月12日放送


Francis Bacon
フランシス・ベーコン④「叫ぶ教皇」

 死が人を奮い立たせる。

フランシス・ベーコンの絵には、
常に暴力と恐怖の臭いが漂っていた。

彼が好んで描いた題材に
「泣き叫ぶ教皇」というものがある。

世界中のカトリック教徒を導き、
神の代理人をつとめるローマ教皇。
彼でさえ未知の力を前にして、
赤ん坊のように喚き、断末魔の叫びをあげる。

その絶望した表情は私たちに、
運命に対して人間は等しく無力である、
という残酷な事実を突きつける。

その彼をしても、

 新聞やTVを見てごらん。
 私が描くものは到底、
 今の世界の恐怖には敵わないよ。

と言う。

topへ

佐藤理人 13年1月12日放送



フランシス・ベーコン⑤「むき出しの本能」

 何があなたに描かせるのか?

画家フランシス・ベーコンに
あるインタビュアーが尋ねた。

ベーコンは困った。

いくつもの戦争を経験し、
16歳からその日暮らしをしてきた彼にとって、
理由などなんの意味もなかった。

信じられるのは自分の本能。そして運。

 絵描きなら見る物を本能で描くことができるんだ。
 自己流で絶望しながら、本能に従って、
 あっちに行ったりこっちに行ったりしている
 ということだな。

描ける。だから描く。理由なんてない。

作品から一切の物語を排除し、本能のまま
むき出しの感情をキャンバスに叩きつけた
彼らしい答えだった。

topへ

佐藤理人 13年1月12日放送


Cea.
フランシス・ベーコン⑥「ダイア」

出会いは強盗だった。

ジョージ・ダイアというコソ泥が
一軒の家に忍び込んだ。
そこには金目の物どころか
不気味な油絵と画材しかなかった。

侵入するとき天窓から落ちたせいで、
彼はすぐ家の主に見つかってしまう。

主は言った。

 キミは大した泥棒じゃないね。

彼の美しさに気づくと主はこう続けた。

 服を脱いでベッドに来たまえ。
 何でも好きなものをあげよう。

こうしてダイアは、
画家フランシス・ベーコンの最愛の恋人にして、
最高のインスピレーションになった。

彼を友人に紹介するときベーコンはいつも

 こいつは天から降ってきた贈り物さ

と笑って言った。

topへ

佐藤理人 13年1月12日放送


Cea.
フランシス・ベーコン⑦「人生のギャラリー」

恋人が死んだとき、画家は喝采の中にいた。

1971年パリ。20世紀を代表する画家、
フランシス・ベーコンの大展覧会。
その記念すべき初日、
彼の恋人ジョージ・ダイアは自ら命を絶った。

 みんな死んでいく
 まるでハエのように

人生の冷徹なギャラリーである彼にとって、
心を病んだ恋人の姿は絶好の観察対象だった。

観察することは距離を置くことだ。

絵を描くときも、生身のモデルではなく
モデルを撮影した写真でデッサンするほど、
被写体を寄せ付けなかったベーコン。

彼の心の扉を開けない無力感が、
ダイアに死を選ばせたのだろうか。

topへ

大友美有紀 13年1月6日放送


humi
「春の七草」七草粥

 せり なずな ごぎょう はこべら
 ほとけのざ すずな すずしろ
 これぞ ななくさ

明日は一月七日。
歳時記によると、
七草粥を食べる風習は、
平安時代から始まったようだ。
七草は、六日の晩にまな板の上で叩く。
その時に、はやす言葉がある。

 七草なずな 唐土(とうど)の鳥が
 日本の土地に 渡らぬ先に 七草なずな

もとは鳥追い文句のようだ。
ななくさ打ち、宵なずな、とも言う。

topへ


login