坂本和加 09年10月17日放送

1

タンデムストーリーズ①「ガストン・ライエ」 


身長は、たった163センチ。
そのハンデをもろともせずに、
パリダカの二輪部門で2度の優勝歴を持つ、
小さな巨人、ガストン・ライエ。
誰もが、そんな足の着かないバイクで
いったいどうやって? と、不思議がる。


ガストン・ライエの答えは、至ってシンプル。


 だったら、どうやったら足を着かないで、走りきれるかを考えたのさ。


現役引退後も、みんなと同じようにバイクを楽しみ、
世界中のバイク乗りに愛されたライダーだった。







2

タンデムストーリーズ②「マックス・フリッツ」


BMWという名車を語るなら、
そのエンブレムがプロペラに由来していることよりも、
そのオートバイの生みの親、
マックス・フリッツという男を知っている方がかっこいい。


エンジニアであった彼の最大の功績は、
水平対向2気筒、通称ボクサーツインと呼ばれる
エンジンを完成させたこと。
そのスタイルは、
1923年の初号機から今に続くビーエムだけのもの。


ドイツ、ミュンヘンにはBMW本社併設の博物館があるが
展示のほとんどをバイクが占める。
ビーエムのカーオーナーたちが、
ちょっとがっかりするくらいに。



3

タンデムストーリーズ③「ビバンダム」


ことしで111才になる。
世界的に有名な彼の名前は、ビバンダム。
そのからだは、うずたかく積み重なった
白いタイヤでできている。


創業者である、
ミシュラン兄弟のユーモアから生まれた
彼の名前は、「ヌンク・エスト・ビバンダム」という
ラテン語で書かれた最初のポスターから。
「今こそ飲み干すとき」という意味がある。


白いタイヤ男は、
生まれたときからからマーケットを飲み干す勢いで、
現在も世界トップシェアに君臨する。



4

タンデムストーリーズ④「チェ・ゲバラ」


23才の医学部生、エルネスト・ゲバラは
友人とふたりで一台のバイクにまたがり旅に出た。


アルゼンチンからチリ、ペルー、
そしてベネズエラへ。


相棒になったバイクは、英国製のノートン500。
タフなヤツというあだ名だったけれど
実際はひどいポンコツで、旅の間に壊れて鉄くずになった。


本当の旅がはじまったのは、それからだった。

バイクは、彼らが経済的に恵まれていることの象徴だった。
その垣根がなくなったとき
はじめて人々はゲバラに心を開いた。


百万長者よりも、文盲のインディオの方が好きだと言うゲバラが
旅行中に記した日記は、こう締めくくられている。

 この流浪は、僕を想像以上に変えた。
 僕は人民のために生きるだろう。



5

タンデムストーリーズ⑤ 山村レイコ


80年代は、バイクに乗る女の子、
ただそれだけで珍しがられる時代だった。
山村レイコが、そうだった。


バイクで旅する楽しさを伝えたいと、
彼女はエッセイストになった。
パリダカを走る国際ラリーストにもなった。
その魅力は、やっぱり書くことで伝えた。


そしてロハスが流行るずっと前に、
酪農や農業をして生きようと決めた。
大好きなバイクが自然との距離を近くしたから。


生きること、楽しむこと、働くこと
山村レイコのなかで
この三つは、いつも同じこと。



5

タンデムストーリーズ⑥浮谷東次郎


浮谷東次郎は14才のとき、バイクで1500キロを旅した。
とにかくよく飛ばす男は、カーレーサーになった。


けれど、最初は群を抜いて遅かったという。
のちの、最後尾からのゴボウ抜き逆転優勝は、
彼が理詰めで勝ち取ったもの。


そんな浮谷東次郎を語る言葉がある。

 カッコよく革ジャンを着ていました

そうか、こういう人がカッコいいんだ。



7

タンデムストーリーズ⑦ 藤沢武夫


昭和24年、真夏の阿佐谷で
本田宗一郎と藤澤武夫が出会い、
「技術の本田、経営の藤澤」の伝説が生まれた。


ホンダが、世界のホンダと称される由縁は、
原動機付き自転車「カブ号」の爆発的ヒットにある。
そのカブ号に目をつけ、
抜群のセンスで売り込んだのが藤澤だ。
「自分に似た人間なら、2人いらない」
そう断言する本田が、選んだ相棒だった。


神話のような本田の決断の数々も、
必ず藤沢の意見があった上でのこと。


「ホンダの社長は技術畑でなくては」、
という藤澤哲学にもとづいて
つねに経営がシナリオを書き
技術が主役をつとめるホンダのサクセスストーリーは、
いまや、MBAの教科書になった。


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名雪祐平  09年10月11日放送

宇野千代

宇野千代


ラブレターを書こう。
とても上手に。

そんなとき、
恋に生きた作家・宇野千代の
アドバイスが助かる。

私はあなたが好きです。

こういう書き出しが、いちばん。
かんたんで、わかりやすくて、
使い慣れた飾り気のない言葉ほどよい。

恋に、文章に
生涯をかけてきたからこそ言える、
シンプルな教え。

お試しあれ。





サルバドール

サルバドール・ダリ


幼い息子が死んだ。
両親は悲しみ、その子と同じ名前を
次に生まれた弟にも名付けた。

やがて少年となった弟。
ある日、兄の墓を見て、衝撃をうける。

墓に刻まれていたのは、
まちがいなく自分の名前。

サルバドール・ダリ

 自分は生きているんだ!
 そう証明しなければ。


死への強烈な抵抗。
それが天才画家ダリの作品にほとばしる
生命力の源かもしれない。



ジョーン

ジョーン・バエズ


プロテストソングを歌い、
ボヴ・ディランがカリスマになった60年代。
女性フォークシンガーの代表は、
ジョーン・バエズ。

ベトナム戦争の底なし沼に
アメリカがどっぷりはまっていたころ、
彼女はこんな発言をした。

 私は過去3年間、
 所得税のうち40%しか払っていません。
 国家予算の60%は軍事費ですから。


歌と行動。
ただごとではない覚悟が、そこにある。

さて、プロテストソングが
あまり聴こえない近ごろは、
60年代より平和なのだろうか。



松下幸之助

松下幸之助


経営の神様、松下幸之助。

昔、彼が採用面接をしていた頃、
必ずした質問が、

 あなたの人生は、
 いままでツイていましたか?


ツイていません。と答えると不採用。
はい、ツイていました。と答えれば全員採用。

物事は自分の力だけじゃない。
ツイています、と言える人には
周りへ感謝する才能があり、
いい人材に育つのだという。

神様の質問は、やっぱり、意味深。



ガルリ

ガルリ・カスパロフ


史上最強のチェスの王者、
ガルリ・カスパロフ

彼の前に、怪物が現れる。
IBM製スーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」

1997年、世紀の決戦は、
「人間 対 機械」という哲学の現場になった。

世界が息詰まる大接戦。
機械の、圧倒的な分析力。
冒険しないぶん、リスクもすくない。

結果は1勝2敗3分けで、人間の敗北。
それでも、人間の王者は誇らしくこう言った。

 人間に直感が備わっていてよかった。

たしかに。分析力だけなら、
機械の圧勝だったろう。
でも、冒険しないゲームなんて、ゲームじゃない。




淡谷のり子

淡谷のり子


ぜいたくは敵だ。
ドレスなど、もってのほか。

そんな戦時中にも、
ブルースの女王・淡谷のり子は
歌うためのドレスを絶対に脱がなかった。

ステージを見張る憲兵に、
もんぺをはけ!と怒鳴られても、

 ドレスは私の戦闘服よ!

と啖呵を切った。

何度も、何度も書かされた始末書。
それは、歌うことに一切妥協しない
自分への勲章でもあった。



ドヴォルザーク

ドヴォルザーク


作曲家ドヴォルザークは、
鉄道オタクでもあった。

作曲以外の時間は、
機関車の模型作りに没頭するか、
町の操車場で、
何時間も飽きずに機関車を眺めていた。

 ♪ユーモレスク〜

このユーモレスクの調べも
汽車に揺られながら思いついたとか。

無料の高速道路もいいけれど、
鉄道の旅がしたくなりました。

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小山佳奈 09年10月10日放送

1010_1

司馬さんとみどりさん 「原稿用紙」


作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
二人は職場恋愛だった。


同じ新聞社の同じ部で
向かい合わせに座る二人。
かぎつけるのが仕事の記者たちの中で
ひそひそと恋を育んだ。


連絡はいつも机の隙間からするりとすべり込む
原稿用紙の切れ端。



 サントス亭で待ってます。


原稿用紙から始まる作家の恋なんて
順当すぎてつまらないけど、
司馬さんとみどりさんには
ことのほか似合っている。







1010_2

司馬さんとみどりさん 「四天王寺」


作家、司馬遼太郎と、
妻みどりさんがまだ恋人だった頃。


四天王寺をそぞろ歩きながら
司馬さんはこんなことを言った。



 僕たちは弱点で結ばれたんだから、
 壊れることはないよ。


そうして37年。
たしかに二人は歩き続ける。
一瞬も一片も壊れることなく。



1010_3

司馬さんとみどりさん 「ピーマンの皮」


作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
みどりさんは料理がさっぱりできない。


晩ご飯にバナナを一房だけ買ってくる。
ピーマンの皮をむいたら
中に何も入ってないと騒ぎ出す。


そんなみどりさんに司馬さんはプロポーズする。
「そんなことはどうでもいい」。


そういえば
司馬さんの小説に出てくる女性たちも
みんな男まさりでおてんば。


司馬さんの好みは
一貫している。



1010_4

司馬さんとみどりさん 「風邪」


作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
司馬さんは風邪をこの世で一番怖がった。
みどりさんは、夫が風邪を引くことを
この世で一番怖がった。


たった36度5分で
司馬さんは暴君のようになった。


そばにいれば「あっちへ行け」
あっちにいると「何してるんだ」
あげくお医者さんには
「大した風邪でもないのに
うちの家内が騒ぐもので」。


やれやれ。
新型インフルエンザなんて聞いたら
司馬さんの前にみどりさんが卒倒する。



1010_5

司馬さんとみどりさん 「結婚記念日」

作家、司馬遼太郎と、妻みどりさん。
二人は晴れがましいことが大の苦手。


結婚式は本当に内輪で済ませたし
結婚記念日なんて祝うどころか
思い出すことすらしなかった。


ただ一度、何十回目かのその前の日、
ソファに寝転がりながら司馬さんが呟いた。



そうか、明日は俺たちの日なんだ。


たった一言が
何十年分の愛。


司馬さんは、ずるい。


1010_6

司馬さんとみどりさん 「21世紀」


1996年。
夫の司馬遼太郎が亡くなっても
妻のみどりさんは泣かなかった。


蔵書を整理し記念館をつくり財団を立ち上げ、
息つく間もなく迎えた2001年のお正月。


21世紀に酔う街並を見て
みどりさんは唐突に司馬さんを思った。


この瞬間、いっしょにいたかった。
司馬さんが、愛し、憂えたこの国の21世紀を、
二人で見たかった。


みどりさんはその日、
司馬さんが亡くなってから
初めて泣いた。



1010_7

司馬さんとみどりさん 「呼び方」


作家、司馬遼太郎の妻みどりさんは、
一度も夫を「主人」と呼ばなかった。


「司馬さん」。
それがみどりさんの呼び方。


ただ司馬さんが亡くなってから
ごく近い人にごくたまに
ちがう呼び方をしてみる。


「あのひと」。

そう呼ぶと少しだけ甘い気分になれるから。
そう呼ぶと少しだけあの日に帰れる気がするから。


「あのひと」。

そう呼んだ日は
少しだけ泣きたくなる。


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細田高広  09年10月4日放送

斉藤茂吉

斉藤茂吉と鰻


歌人斉藤茂吉の好物は、うなぎだった。

皆でうなぎを食べる時、
弟子たちは気をつかって、
いちばん大きなものを茂吉の前に置く。

茂吉は真剣な眼差しで鰻の大小を比べ、
「そっちの方が大きい」とダダをこねては
何度も交換した。

鰻はあちこち移動し、結局、最初の並びに戻ったという。

 ゆふぐれし机のまへにひとり居りて、鰻を食ふは楽しかりけり。

食欲の秋は、創作の季節でもある。





梅田晴夫

梅田晴夫 料理と浮気


今、結婚する3組に1組が
離婚に至るという。

結婚の難しい時代と言われるが、
結婚を続けるのはさらに難しいようだ。

生涯に6度の結婚を経験した劇作家、梅田晴夫。
彼は離婚のプロとして、
夫婦円満の秘訣をこう説いている。

 料理のうまい女の亭主は、生涯浮気をしない。

毎日のご馳走が食べられなくなる。
そんなリスクを犯してまで、
他の女に手を出す男はいない。

なんでも美味しく感じる食欲の秋は、
夫婦円満の季節かもしれない。



コレット

コレット 料理は魔法


産地や、調理法や、歴史や。
薀蓄を知り、薀蓄を語り合うことで、
料理は一層味わい深いものになる。
私たちは料理を食べながら、知識を食べている。

その半面、度を過ぎた知ったかぶりや
知識のひけらかしには辟易してしまうもの。

もし、そんな人とレストランで
同席することになったとしたら。

グルメで知られるフランスの女流作家コレットは、
こう言ってたしなめる。

 魔法が使えないのなら、
 料理に余計な口を出すには及びませんよ。


料理は、ひとつの魔法だから。
客は黙って術にかけられればいいのだ。

料理を美味しくする秋。
魔法の季節の、到来です。



幸田露伴

幸田露伴とファストフード


幸田露伴は、生粋の食いしん坊だ。

人に会えば、挨拶代わりに
「なにかうまいものに出くわしたかね」
と聞いた。

牛タンの塩茹でを愛する美食家でありながら、
合理的な面も持っていた露伴は、
明治時代にあって、こんなことを書いている。

 清潔で、迅速で、上品で、少しの虚飾も無く
 単に食事を要領よく出す。
 こういう店を多くつくればいい。


まさに、現代のファストフードの予言である。



05-shimada

島崎藤村


しなびたりんご。
冷たくなった焼き味噌。
寂しい時雨の音を聞きながら飲む酒。

島崎藤村は、料理をまずそうに書く天才だった。

名をなして多額の印税を手に入れ、
ご馳走を食べていた彼が、何故、
まずそうなものをたくさん書いたのか。

料理の味は「いつ、どういう状況で食べるか」
に大きく左右される。
祝いの席で飲む酒はうまいが、
別れの席で飲む酒はわびしい。

藤村は、あえてまずい食を書くことで、
人の孤独や寂しさを書こうとした。

どんなご馳走だって、
ひとり思い悩んで食べたら、美味しくないもの。

さて、食欲の秋。
あなたは、誰と食べたいですか。



北大路魯山人

北大路魯山人と食器


プラスチックのパックをお皿代わりに
お惣菜や、サラダを食べる。
日本の家庭では、もう驚かない風景になりました。

 食器は料理の着物である。

と言ったのは北大路魯山人。
料理の風情を美しくあれと祈る。
それは、美人に良い衣装を着せてみたい心と同じだ、
と魯山人は説きます。

食器と料理を鑑賞するなんて、
他の国には、あまり見られない
食の楽しみ方だから。

たまには食器にも少しこだわって、
見た目から味わってみませんか。

食欲の秋も、芸術の秋も、一皿に。



タレーラン

タレーランの外交術


外交の天才、タレーラン。

40年にわたってフランス外交の中心に君臨した彼は、
今でも
「交渉の場で卓越した存在」
の代名詞になっているという。

そのタレーランが、
外交の秘訣についてこう語っている。

 外交官にとっての最高の助手とは、
 間違いなく彼の料理人である。


食欲の秋は、ビジネスチャンスだ。



サヴァラン

サヴァラン 美味礼賛


19世紀のはじめ、
料理を学問として研究した美食家、ブリア=サヴァラン。

 新しい星を発見するより、
 新しい料理を発見する方が幸せになれる。


そう信じて来る日も、来る日も、
食を考えているうちに、彼はふと気が付いた。

自分が、人間を研究しているということに。

著書、「美味礼賛」の冒頭で彼はこう言っている。

 ふだん何を食べているのか教えてごらん、
 どんな人だか当ててみせよう。


欲張りな人。品のいい人。
見栄っ張りな人。真面目な人。面倒くさがりな人。
食事には、その人の人となりが出てしまう。

食欲の秋。

鏡より、お皿を覗く方が、自分は見える。

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佐藤延夫 09年10月3日放送

1

信濃の秋/平畑静塔 杉田久女


 壺の国 信濃を霧の あふれ出づ


信濃を「壺の国」と表現したのは、
明治生まれの俳人、平畑静塔だった。


山国、信濃は盆地の中にあり、深い霧に包まれやすい。
その形をぼんやり想像すると、
たしかに、壺から煙が出ているように見える。


信濃では、こんな句も生まれている。
同じく明治生まれの俳人、杉田久女によるものだ。



 紫陽花に 秋冷(しゅうれい)いたる 信濃かな


秋になってもここでは、
紫陽花が凛として咲いている。


俳人たちも、この幻想的な土地に訪れると
いつもより筆が動くのだろう。








1003_2

甲州の秋/飯田蛇笏


甲州地方の山々を愛した、
明治生まれの俳人、飯田蛇笏。


彼の句は、
自然と対話するなかで磨かれていった。


   
 くろがねの 秋の風鈴 鳴りにけり


蛇笏はこの句を詠んだあと、
あまりに簡潔すぎるので
他者の共感が得られるか、思い悩んでいたそうだ。


静けさがなおも深まる山。
風鈴の音もしない、くろがねの秋。


十月の山梨を、覗いてみたくなる。


1003_3

大和の秋/阿波野青畝


アキノキリンソウ、
ヨシノアザミ、
ツルリンドウ。


今ごろ、
奈良県の葛城高原(かつらぎこうげん)では
秋の花が、そっと咲いている。


明治生まれの俳人、阿波野青畝が愛した
大和地方の山々。
この地に生まれた人だから、なのか。
俳句の中に、崇高な世界観が垣間見える。



 秋の谷 とうんと銃(つつ)の 谺(こだま)かな


耳を澄ませば、遠くから聞こえる猟銃の音。
そしてまた静寂が包み込む。


奈良の秋は、神々しく深まっていく。


4

鴨川の秋/鈴木真砂女


千葉県、鴨川に行けば
俳人、鈴木真砂女の句に会うことができる。



 あるときは 船より高き 卯波(うなみ)かな


真砂女の人生もまた、波乱に満ちたものだった。
22歳で恋愛結婚をするも、夫は博打に入れ込み、蒸発。
急死した姉の代わりに、旅館の女将となる。
人に勧められるまま、亡き姉の夫と再婚するも心を許せず、
30歳で、旅館にやってきた海軍士官と不倫。
全てを捨て、思うまま、身を投じた。


銀座一丁目の路地裏に小料理屋を開き、
それでも俳句を読み続けた真砂女は、
96歳まで生きて、ゆっくり目を閉じた。


   
 来てみれば 花野(はなの)の果ては 海なりし


どこに居ても心に浮かぶのは、
穏やかな鴨川の秋だったのかもしれない。



5

草城の秋/日野草城


柿食えば、鐘が鳴るなり・・・という有名な俳句があるけれど、
俳句の中に柿を登場させた数で言えば、
明治生まれの俳人、日野草城に分があるかもしれない。


   
 岡寺の 大きな柿を 買ひにけり 


   
 小包を 解くやころころころと柿


   
 食ふまでの たのしさ尽きず 寒の柿


   
 柿を 食ひをはるまで われ幸福に


いつのまにか、柿の甘さが頭の中を駆け巡っている。
そういえば草城は、こんな句も詠んでいた。


   
 秋の夜や 紅茶をくぐる 銀の匙


この人は、紅茶もお好きだったようだ。


1003

放哉の秋


結婚するはずの女性と別れる。
会社をひと月で辞める。
酒癖の悪さに、禁酒を命ぜられる。
朝鮮半島に渡る。
禁酒の戒律を破る。
サラリーマンに嫌気がさす。
妻と別れる。
いくつかの寺に世話になる。
小豆島に辿り着く。
そこが終の棲家となる。


自由律の俳人、尾崎放哉は
生き方まで自由だった。
ひとりで生きることを望み、それに苦しみ、
ただ海を見つめ、言葉を残した。


   
 菊 枯 れ 尽 し た る 海 少 し 見 ゆ


枯れ果てた菊の花と、
その向こうに見える海。


孤独を噛みしめたいときは、
冬の近づく海辺で、放哉の句を呟くといい。



7

山頭火の秋


孤独の俳人、尾崎放哉が世を去った三日後、
流転の旅に出たのが、種田山頭火。
放哉と同じ、自由律というスタイルだった。


それなのに
ふたりの生き方は、あまりにも対称的で・・・。


放哉は、海を愛し
山頭火は、山に魅せられた。


放哉は、孤独に苦しみ
山頭火は、孤独を笑い飛ばした。
だから、こんな句ができた。


   
 も り も り も り あ が る 雲 へ 歩 む


昭和十五年、十月。
彼の辞世の句には、
ひとりの寂しさなど微塵も感じられない。


孤独を楽しみたいときは、
山に向かい、山頭火の句を呟くのが良さそうだ。


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厚焼玉子 09年9月27日放送

ワーズワースの家

ワーズワースの家


湖の詩人ワーズワースが生まれたのは
イギリスの湖水地方、
川や森に囲まれたコッカマスの町。

その目抜き通りに面した家を見学に行くと
なんだかいい匂い。
キッチンでミートパイを焼いている最中です。
庭では野菜を収穫しています。

お父さんの書斎や客間の道具に
手を触れることはできませんが
子供部屋の家具やおもちゃはご自由にどうぞ。

ただ家を眺めるだけでなく
当時の暮らしぶりも見ることができる。

ワーズワースの家はまだ生きて呼吸しています。



ワーズワースの落書き

ワーズワースの落書き


湖の詩人ワーズワースは8歳で母親に死に別れます。

裕福な法律家だった父は
幼いワーズワースを湖水地方中部の村
ホークスヘッドのグラマースクールに送りました。
9歳の少年が下宿生活をしながら
学校に通ったのです。

その学校は小さかったけれど
16世紀に創立した伝統ある学び舎でした。
白い壁に木の床、細長い木の机に
椅子は背もたれのない木のベンチ。

机のひとつには
ワーズワースの名前が刻まれていました。
少年ワーズワースが
小刀で刻んだいたずら書きです。



ワーズワースとアンおばさん

ワーズワースとアンおばさん


湖の詩人ワーズワースが
母の死をきっかけに
ホークスヘッドで学校生活を送っていたころ
その下宿先のおかみさんにアンおばさんと呼ばれる人がいました。

アンおばさんは孤独な少年に愛情を注ぎ
少年も母のようにアンおばさんを慕いました。

ワーズワースが大学生になった夏休み
なつかしいアンおばさんに会うために
ホークスヘッドを訪れたときの詩があります。

ヒースの野を越え
牧場の丘からウィダミア湖へ駆け下り
大声で渡し船を呼んで湖を渡ると
また丘を駆け登ってホークスヘッドへ向う…
その飛ぶような足取りとはやる心を
その詩はうたっています。

丘から見える湖は青く輝き
その湖の向こうになつかしいおばさんがいる。

ワーズワースがその詩のなかで
アンおばさんを表現した言葉「kind and motherly」は
湖水地方の風景そのものでした。





ワーズワースのクリスマス休暇

ワーズワースのクリスマス休暇


13歳のワーズワースは
クリスマス休暇で家に帰るために
迎えの馬車を待っていました。

待ち切れず、原っぱに駆け出し岩山に登り
吹きさらしの風のなかで
草の上にしゃがみこんで馬車が来る道を眺めていました。

それほど待ちかねたクリスマス休暇の最中に
ワーズワースの父は亡くなり
馬車を待っていたときの風の声、森や水のざわめきは
ワーズワースの心の中に暗く沈みます。

その風景は一生ワーズワースにつきまとい
常に警告を発するブレーキの役割を果たしました。



ワーズワースの散歩

ワーズワースの散歩


大学から湖水地方を離れていたワーズワースが
再び湖のそばに戻って来たのは1799年のことでした。

グラスミア湖のほとりの
もとは宿屋だったというダヴ・コテージを借りて
妹のドロシーと一緒に暮らしはじめます。

家は湖に面し、小さな果樹園と庭がありました。
バラとスイカズラが白い壁を彩っていました。

この頃の生活の中心は散歩。
ふたりは昼でも夜でもかまわず歩きまわりました。
5キロ離れた隣の町などは散歩のうちにも入らないくらい
20キロ先の友人の家でも気軽に歩いて遊びに行きます。
けれども、本当に好きなのは山や谷、森に湖。
ここにはワーズワースの作品のテーマが
すべてそろっていました。

大自然こそ自分の書斎と言い切るワーズワースにとって
山や湖を歩くことは
感性を研ぎすまし、詩の風景をさがすことでもありました。

そんな詩人の心中を知らない村の人々は
ワーズワースのあまりに長い散歩の理由がさっぱりわからず
ときには、こんな愉快な噂もあったようです。
「フランスのスパイかしら?」



ワーズワースの最後の家

ワーズワースの最後の家


1813年
湖の詩人ワーズワースは最後の引っ越しをします。

古い農家を改築したその家からは
ふたつの湖を眺めることができました。
庭はワーズワース自身が設計し
まわりの風景に溶け込むように
注意深く木々や草花が植えられています。

この最後の家こそワーズワースにとって完璧な家。
でも自分が死んだらどうなるだろう…
 
 家の正面の壁や石段はそのまま残るだろうか。
 庭はどうだろう。
 美しいシダやコケ、野生のゼラニウム…


ご心配なく。
心ある人たちの手でいまもちゃんと守られています。



ワーズワースの朗読

ワーズワースの朗読


湖の詩人ワーズワースが
書き上げたばかりの新しい詩を真っ先に聴いたのは
庭の小鳥たちでした。

ワーズワースは
新しい詩をつくるたびに庭に出て朗読をし
小鳥が返すさえずりで
作品の出来を判断していたといいます。

批評家の小鳥の名前は
残念ながら伝わっていないのですが。



ワーズワースの自然保護

ワーズワースの自然保護


湖の詩人ワーズワースの存在は
イギリスの湖水地方を世界的に有名にする一方で
湖水の景観を守る意識を人々に植えつけました。

1844年、この地方に鉄道を敷く計画が持ち上がったとき
ワーズワースは湖の環境だいなしにすると猛反対。
モーニング・ポストに反対の意思を表明する文書を投稿し
それがきっかけで鉄道計画は中止になります。

いまでもウィンダミアから湖に向う鉄道はなく
自動車では近づけない湖もあります。
そのかわりに活躍するのがフットパスと呼ばれる散歩道。

歩いてください。
そして美しい自然を楽しんでください。
ワーズワースの声が聞こえるようです。

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保持壮太郎 09年9月26日放送

カーネル・サンダース

カーネル・サンダース


彼の人生は
波乱に富んでいた。

消防士、車掌、タイヤのセールスマン。
さまざまな職についたが失敗。
29歳で事業を興したものの倒産。

3度目の倒産で
一文無しになった彼が思いついたのが、
フライドチキンの
フランチャイズビジネスだった。

彼は65歳になっていた。
けれども彼は働きつづけた。

 人間は働きすぎてだめになるより、
 休みすぎてサビつくほうがずっと多い。


 カーネル・サンダース

いまだに彼は、
雨の日も、風の日も
街角で微笑みつづけている。



西村真琴

西村真琴


ROBOTという言葉の語源は
チェコ語で“労働”を意味する。

ロボットというものには、
もともと“人間の労働を肩代わりするもの”
という発想が少なからず含まれていた。

1928年、大阪。
東洋で初めてのロボットが発表された。

けれども、
そのロボットができたことは
ただ
“ほほえむ”
ことだった。

開発を担当した西村真琴は、植物学者。

“労働”という意味から
解き放たれたロボットは、
その後この国で、
独自の進化を歩むことになる。



ウィンストン・チャーチル

ウィンストン・チャーチル


偉大なる政治家、
ウィンストン・チャーチル。

第二次世界大戦下では
首相兼国防相をつとめ
戦後、ミズーリで行った
「鉄のカーテン」演説では
東西冷戦の到来を予言。

文才にも秀で、
ノーベル文学賞も受賞した。

ただ、
彼のもっとも偉大なる業績については、
wikipediaには乗っていない。

彼は、こう語った。

 私の功績の中でもっとも輝かしいことは、
 妻を説得して私との結婚に同意させたことである。






ガガーリン

ユーリ・ガガーリン


地球にキャッチコピーを
つけるとしたら
あなたはどんな言葉を選ぶだろう。

人類初の
宇宙飛行を体験した
ユーリ・ガガーリンは、こう言った。

 地球の色は、優しく光る淡い水色で、
 暗黒空間へとつづく境目は、
 とてもなめらかな曲線で美しい。
 地球の影からでたとき、
 地平線はまた違ったようにみえた。
 地平線には、明るくオレンジ色にひかる帯があり、
 その色は、再び、淡い水色に、そして濃厚な黒色に変わった。


その表現は、
あまりに綿密だったので
誰かが勝手にこう略した。

 地球は、青かった。

あれから半世紀。
これ以上のキャッチコピーを
わたしたちは知らない。



ヤンソン

トーベ・ヤンソン


心覚えていますか。
生まれたときのことを。

覚えていますか。
泣くこと、食べること、歩くことを
ひとつひとつ
身につけていった日々を。

覚えていますか。
そのあと起きた
もしかしたら人生で
一番すばらしい出来事を。

フィンランドの作家、
トーベ・ヤンソンは、
彼の腐朽の名作のひとつ
「ムーミンパパの冒険」に
こう書いています。

 わたしは、ひとりめの友だちを見つけたのでした。
 つまり、わたしは、ほんとうの意味で生きることをはじめたのでした。


そう。
僕たちは、
あしたも誰かと
生きている。



ヘンドリックス

ジミ・ヘンドリックス


ロックの歴史は、
僕らの中で、
少なくとも2度変わった。

一度目は
ジミ・ヘンドリックスが登場したとき。

そして二度目は
ジミ・ヘンドリックスがこの世を去ったときだ。

たった4年間のきらめきが、
あまりにもまぶしすぎて。

僕らは
彼に“史上最高のギタリスト”なんて
チープな呼び名をつけて
なんとか前にすすむことにした。



モハメド

モハメド・アリ


たらればの話をしよう。

もしもあなたが
ボクシングの
世界チャンピオンになったら、
という話だ。

ファイトマネーで、
豪邸を買うのもいい。
知名度を活かして、
政治家になるのも悪くないだろう。

カシアス・クレイという青年がいた。
彼はそんなたらればに、こう答えた。

 チャンピオンになったら、
 古いズボンを穿き、
 汚い帽子をかぶって
 髭をはやすんだ。

 そして僕であるということだけを
 愛してくれそうな素敵な
 オンナノコをみつけるまで
 道を歩きつづけることにするよ。


そして彼は、
偉大なるチャンピオン
モハメド・アリとなる。

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江口順也 09年9月20日放送

E.yazawa1

矢沢永吉 12歳


はじめてビートルズを聴いたとき、
あなたは、なんて思っただろうか。


12歳だった矢沢永吉は、
ラジオから流れてきた
“プリーズ・ミスター・ポストマン”を耳にして、
こう思った。



 こいつは、儲かりそうだ。


海の向こうのサクセスストーリーを、
矢沢少年は、
他人事では片づけない。


もしかして俺だって、音楽をやれば、
世の中ひっくり返せるんじゃねぇの?


イギリスから来たポストマンが
広島の少年に届けたのは、
ロックスターへの招待状だった。







E.yazawa2

矢沢永吉 上京


ふるさとを捨て、
ロックスターになるために上京してきた
若き日の矢沢永吉。


その口は、もっぱら二つのことに使われた。

ひとつは、歌。

もうひとつは、ハッタリ。

初めてのマスコミ取材で、
大新聞の記者を相手に
将来の目標を、こう答えてみせた。



 10メール先のタバコ屋にもキャデラックで行って、
 ピュッとハイライト買えるくらいの男になりたいっすね。


ツテもない。金もない。夢しかない。
ナメられたら、はい、それまでよ。
オレに、還る場所はない。


ヤザワのハッタリは、
自分を夢から逃げさせないための
ディフェンスラインだった。



E.yazawa3

矢沢永吉 スター街道


階段を一段抜かしで登っていくと、
人よりも早く、てっぺんに着く。


矢沢永吉の生き方には、
そんな無言のルールが感じられる。


初めてのライヴハウス、皆が浮かれているときに。
ヤザワは独り、それをどうレコード会社に売り込むか考えていた。


デビューバンドが、全国のチャートを沸かせているときに。
ヤザワは独り、世界の音楽シーンへの挑戦を考えていた。


いつも周囲より、一段先へ、先へ。
それが幼いころからの矢沢のクセであり才能であり、
孤独。


 
 お前らとは夢のデカさが違うんだ。


そう心に秘めながら、走り続けたその道を、
人は後から、スター街道と呼んだ。



E.yazawa4

矢沢永吉 臆病


みずから敵の間へ躍り込んでいくのは、
臆病の証拠であるかもしれない。


と言ったのは、ニーチェだ。

矢沢永吉は、自身を臆病者と呼ぶ。


 「大丈夫かな?」
 「今のオレは、間違ってないか?」
 「後悔してない?」
 「これでいいのか?」


そういつも、自分にクエスチョンしている。

臆病なやつは、常に怖れているから、
次にどうすべきかを必死で探る。調べる。計算する。


大胆なライオンよりも、
本当に恐いのは、
臆病なライオンのほうだ。



E.yazawa5

矢沢永吉 どん底


てっぺんを走っていた男は、
ある日、どん底へと突き落とされる。


スタッフに裏切られ、
35億円というフザけた借金を
ひとり背負わされた、矢沢永吉。


傷つき、落ち込み、苦しみ抜いて、
しかし男は、こう考えるようになった。



 これは、矢沢永吉という役なわけ。
 田舎から夜汽車に乗って上京し、
 いろいろ苦労して最後にスーパースターになるって役さ。
 悪くないだろ?


視点を変えれば、気持ちが切り替わる。
地獄から這い上がったスターは、
いま苦しい人に、強く語りかける。



 リストラされたって、借金を背負ったって、それは役だと思え。
 苦しいけど死んだら終わりだから、本気でその役を生き切れ。


E.yazawa6

矢沢永吉 スタイル


テクノロジーが、あっという間に、
ものごとや価値観を変えていくようなときに。
矢沢永吉は、こう答えを出した。


 
 ひとつだけわかったことはね、
 ダウンロードできないものを作らないといけないと思ったの。


すべては検索でき、すべてがデジタルコピーできる時代。

歌はダウンロードできる。

しかしスタイルは、ダウンロードできない。


E.yazawa7

矢沢永吉 Happy Birthday.


時間よ止まれ。

かつて、
そんなタイトルで日本中を酔わせた
矢沢永吉も、


五日前に60歳の誕生日を迎えた。

Happy Birthday、永ちゃん。

二十代の終わりに出した
自伝「成りあがり」を開くと、
こんなことが記されている。



 50になってもケツ振って
 ロックンロールを歌ってるような
 かっこいいオヤジになってやる。


今夜、開かれるのは、
予言の年齢を10も超えた
「還暦記念ライヴ」。


その公演タイトルはズバリ、

「ROCK’N’ROLL」。

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名雪祐平 09年9月19日放送

1

イチロー


イチロー、あなたは、タイムマシーン。

1世紀以上も昔の大リーグ記録を
時空を越えて連れて来てくれる。

あなたの打球が、
青い空を切り、芝生の絨毯の上を縫う間、
世界の時間は止まる。

何千本のヒットを重ねても、
あなたはこう言った。


 ヒット1本って、
 飛びあがるくらいに嬉しいんですよ。


野球が好きで好きでしょうがない。
限りないひたむきさが、
きっと、タイムマシーンのエンジン。


2

コラソン・アキノ


大統領選挙の立候補用紙。
彼女はその職業欄に、
「Housewife」主婦と書いた。

フィリピンの独裁政権に
立ち向かった夫が暗殺され、
いわば、その代役。

独裁者マルコスが、
素人に政治は任せられない、と攻撃すると、
彼女も見事に反撃。


 国民を欺き、盗み、
 暗殺した経験がないという意味では、
 私は素人だ。


苦しんできた国民が熱狂しないはずはない。
1986年、元Housewife、
コラソン・アキノ大統領はこうして誕生した。


3

鈴木澄子


女の幽霊は、美人に限る。

戦前の美人女優、鈴木澄子は
四谷怪談のお岩さんや、化け猫役で売れた。

私生活でも、人をびっくりさせる
いたずら好き。

トイレに入っているとき、
ノックされると、
いつもこんなふうに
こたえたのだという。


 どうぞ。


やっぱり、この美人、
ちょっとこわい。


222

やなせたかし


ぼくの顔をたべてごらんよ。

そんな型破りなヒーロー、
アンパンマンは、
なぜ生まれたか。

作者やなせたかしが、
戦争体験と、戦後のひどい食糧事情で
こう思い知らされたから。


 究極の正義とは、
 ひもじい人を救うこと。


アンパンマン、
もし、あなたが実在するとしたら、
まず、どこへ行きますか。


5

桑田真澄


その巨人・阪神戦で、
三塁とホームの間に小さなフライがあがった。

ピッチャー桑田真澄は、
キャッチしようとダイビング。

その着地の衝撃で、右肘靱帯を断裂。
それから2シーズンを棒に振る重傷だった。

661日ぶりのカムバック第1戦。
小さなフライがあがる。

残酷にも、あの日を再現するような。

それでも桑田は、迷うことなく
全力でダイビングした。

無事だった。
よく、ベストを尽くす、というけれど、
どこまでいったらベストなのか。
その答えが桑田のプレイにあった。


6

千利休


われこそが一番。

豊臣秀吉は、天下人となっても
まだまだ権威が欲しかった。

その欲望は、茶の湯に向かった。
「秘伝の作法」をつくり、それを教える資格を
自分と千利休の2人だけで独占。

利休はそれを弟子に伝授しながら、
きゅうくつな秘伝などまったく重要でない、
一番の極意は別にある、と伝えた。


 それは自由と個性なり。


利休の茶の湯は400年後のいまに残った。
人間の自由と個性は、権威より、しぶとい。






111

北島康介


日本のスポーツ選手のインタビューは、
どこか似ている。

たとえば、話し始めに、
そうですね。と付けるパターン。

そうですね。と話す間に
次の言葉を考える、というメディア対策の
テクニックかもしれないけれど。

もうすこし、自由な言葉を望むのは、
わがままだろうか。
たとえば、水泳の北島康介選手のような。


 チョー気持ちいい。

 何もいえねぇ。


試合直後のこんなナマな言葉が
心をつかむと思うから。


7

マザー・テレサ


ノーベル平和賞の受賞インタビューで
マザー・テレサに次の質問があった。

世界平和のために、
わたしたちは何をしたらいいのですか。

マザー・テレサのこたえは、
とてもわかりやすかった。


 家に帰って、
 家族を大切にしてあげてください。


平和はまず手近なところから。
一人暮らしの人は、だれかを想うところから。

今夜も、穏やかに、おすごしください。



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古田組・八木田杏子 09年9月13日放送

村上春樹のギフト

村上春樹のギフト


天才が、才能にめざめる瞬間。

村上春樹のそれは、二十九歳の春に訪れた。

一行も小説を書くことなく、
肉体労働をしていた頃のこと。

神宮球場で野球観戦をしていたとき、
彼は突然、不思議な感覚におそわれた。

空から羽根が降ってくるみたいに、
「書きたい」と強く思った。

それは、天の啓示のような感覚。
常人には理解しがたい感覚。

さらに彼は、こう付け加えている。

そういうのは誰の人生にも、
一回くらいは起こるんじゃないかな。
ただ、人によっては見過ごしちゃうのかもしれない。

微かで儚いひらめきを、日常に埋もれさせなければ、
才能が目覚める瞬間は、きっと、誰にでも来る。



村上春樹の確信

村上春樹の確信


誰もがその才能を認めても、
村上春樹は、自分の作品が気に入らなかった。

はじめて書いた小説「風の歌を聴け」で、
新人賞をとったとき、彼はこんな挨拶をした。

四十歳になるまでには、
まともなものを書けるようになりたい。

小説の書き方がわからずに、
自分が扱える材料で創ったものへの不満。

一二年では、書けないという確信。
十年続ければ、書けるという希望。

小説家であり続けるために、
村上春樹は、人生を設計する。

ゆっくり、しっかり育てた才能は、
三十年間、輝き続けている。



村上春樹の世界

村上春樹の世界


光が届かない世界では、色も形も変わってしまう。

色とりどりの珊瑚礁や魚を通りすぎて、
さらに深く潜っていくと、
赤も黄色も、灰色がかった青になり、
そのうち全てが黒になる。
魚の形も、いびつなものになっていく。

人間の心の奥深くにも、
そんな世界が広がっている。

村上春樹は、そこまで降りていく。

自分の魂の不健全さ、歪んだところ、狂気を孕んだところ。
その「たまり」みたいなところまで、
実際に降りていかないといけない。

鍛えあげた肉体を、頼りに。
家族や友人との絆を、命綱にして。

人が立ち入れない世界に行けるから、
人が見たことのない物語が書けるのだ。



村上春樹の仕事

村上春樹の仕事


村上春樹の仕事は、
小説家ではないのかもしれない。

彼は、こう断言する。

注文を受けては小説を書かない。
ものを書く喜びが、なくなっちゃうから。

では、小説を書きたくないときは、何をしているのか。
彼は、翻訳をしている。

文章の技術を磨きながら、
自分の中の抽出を、満たしていくために。

そのあいだに溜まったものを、
引っ張り出して、長編小説がうまれる。

村上春樹は、小説を書くために、生きている。

だから、生きていくための仕事が、
もうひとつ必要になる。


こころのプロフェッショナル

こころのプロフェッショナル


心理学をやると、
人の心が、わかるようになりますか。

そう聞かれると、河合隼雄は、こう答える。

人の心を、わかったつもりになるのが、アマチュア。
人の心は、わからないと思えるのが、プロフェッショナル。

なるほど。
そう思って、まわりを見渡すと。

あの人は、こうだよね。
と言うときは、わかったつもりで終わらせていた。

あの人は、わからない。
と言うときは、その人のことを知ろうとしていた。

では。
いま、となりにいる人は、どうだろう。



エリザベス1世の誕生

エリザベス1世の誕生


エリザベスがイギリスの女王になったときの絵を見ると
王冠をいただいて戸惑うような表情を浮かべている。

実際に
王室の側近フランシス・ウォルシンガムが
はじめて会ったときのエリザベスは
女王としてはまだ心もとない存在だった。

政略結婚を嫌がって、恋人とのダンスに耽る。
大臣の言いなりになって、戦争に負ける。

そんな女王が、暗殺されそうになったとき、
ウォルシンガムは、命をかけて首謀者を追い詰めた。

そして、彼に守られたエリザベス1世は、
髪を切り、女を捨て、イギリスと結婚をする。

ウォルシンガムが、命をかけて見せつけた覚悟が
ひとりの偉大な女王を育てたのだろうか。





エリザベス1世の帝王学

エリザベス1世の帝王学


エリザベス1世は、
何も持っていない女王だった。

私生児と呼ばれ、幽閉され、
命さえ狙われていた。

だれもが、私を、疑う。
だれもが、私を、一度は裏切ろうとする。

どんなに不安が膨らんでも。
女王は、人を信じつづけた。

自分の弱さを隠す、強がりではなくて。
ひとの弱さを許す、強さを持とうとした。

そんなエリザベス1世だから、
弱小国家だったイギリスを、
世界の強国にできたのだ。



エリザベス1世の親友

エリザベス1世の親友


お世辞だとわかっていても、男は喜ぶ。
お世辞だとわかっているから、女は冷める。

だれもが誤魔化して生きる宮殿で、
エリザベス1世は、自分を誤魔化せない。

だから彼女は、飢えていた。
まっすぐ向かってくる人間に。

その男は、世界をぐるりとまわって、
抱えきれないほどの財宝をもって、現れた。

フランシス・ドレーク。
海賊でもある彼は、女王を恐れない。
小賢しいやりとりは、いらない。

女王と海賊は、
取引ではなく、友情で結ばれていく。

エリザベス1世が追い詰められたとき、
型破りな海の王者は、
スペイン無敵艦隊を焼き尽くした。

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