名雪祐平 13年1月27日放送



大島渚がいた 6

1980年、ロック界のスーパースター、
デヴィッド・ボウイに
大島渚が映画出演をオファーした。

映画は『Merry Christmas,Mr,Lawrence』
日本では『戦場のメリークリスマス』

映画音楽もボウイに依頼したが
領域外と断られた。

自分から音楽をやりたいと言ったのが
坂本龍一だった。

そこから、あの傑作サウンドトラックを生まれ、
坂本は4年後の『ラストエンペラー』で
アカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞する。

坂本ともに出演したビートたけしも、
この映画がなければ
世界的な映画監督にならなかったかもしれない。

きっかけは大島渚という
二人にとってのヒーローだった。

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名雪祐平 13年1月27日放送


Rita Molnár
大島渚がいた 7

1996年、映画『御法度』の
製作発表をしてまもなく、
大島渚はロンドン・ヒースロー空港で倒れる。
脳出血だった。

治療とリハビリの闘病生活を経て
1999年『御法度』を完成。

これまで個性的な新人を見いだしてきたように、
俳優の故・松田優作の息子、松田龍平を
主役に抜擢。
松田はこの年の賞を総なめにする。

映画への執念と殺気によって
大島らしい緊張感のある映像美がつくられた。

大島渚、13年ぶりのこの新作が
遺作となった。

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名雪祐平 13年1月27日放送



大島渚がいた 8

1993年、当時31歳だった映画監督、
園子温との対談で
大島渚はこう語った。

 犯罪者なんて
 動機が分からないからやるんであって、
 動機があったら犯罪なんてやりませんよ。

 僕が映画で犯罪を取り上げてきたのは、
 そこであってね。
 「俺はこういう理由で人を殺すんだ」
 なんて分かってたら人を殺せないですよ。

 動機が分からないから、一番怖い。

大島渚は、分からないから、映画にした。

大島渚の自由さとは何だったのだろう。
それも分からないから、おもしろかった。

僕たちの時代に、大島渚がいた。
ありがとうございます。

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澁江俊一 13年1月26日放送


Max chang
海の向こうで愛されている日本人 八田與一

海の向こうで愛されている
日本人の話を
知っているだろうか。

日本統治時代の台湾で土木課の技師として活躍した
八田與一(はったよいち)は
15万ヘクタールの田畑を旱魃から救うため
公務員の身分を捨て
1920年から10年にわたってダム建設の指揮をとった。

台湾の嘉南(かなん)平野に広がる
烏山頭(うさんとう)ダム。
上空から見るとサンゴの枝のように広がるダムの湖面は
今も美しく風景に溶け込んでいる。

卓越した設計技法だけでなく、
危険な現場にも足を踏み入れ、
作業員の労働環境を向上し、
事故の慰霊は日本人も台湾人も分け隔てなく行った
八田與一の業績は台湾の教科書でも紹介され
その命日には烏山頭ダムで慰霊祭も行われている。

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澁江俊一 13年1月26日放送



海の向こうで愛されている日本人 浅川巧

海の向こうで愛されている
日本人の話を
知っているだろうか。

浅川巧(あさかわたくみ)。
兄の伯教(のりたか)とともに
日本の植民地だった朝鮮に暮らし
土地の人々や、山々の木や草に、深い敬意を払った。

その清らかな目は
李朝の白磁や、家具・民具のなかに
当時、朝鮮の人々さえ気づかなかった美しさを発見し
日本に紹介した。

日本軍の行いに心を痛め、
朝鮮の人々が、その美しい文化に、
自ら目覚めることを願いながら、
41歳の若さで亡くなった巧の墓は
今もなお、韓国にある。

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澁江俊一 13年1月26日放送



海の向こうで愛されている日本のヒーロー キカイダー

海の向こうで愛されている
日本のヒーローを
知っているだろうか。

1972年に日本で放映されながら、それ以上に
ハワイで絶大な人気を集めた「キカイダー」。
再放送されるたび世代を超えてファンは増え
2002年ハワイ州知事により4月12日が
「ジェネレーション・キカイダー・デイ」に
制定されるまでになる。

石ノ森章太郎(いしのもりしょうたろう)がデザインした
左右非対称で、頭の一部から
中の機械が見える斬新なヒーローは、
日本の視聴者から気持ち悪いとクレームが殺到。
しかしキカイダーが持つ「不完全な良心回路」と
そこから生まれる苦悩は、ハワイの人々の心に、
今も大きな勇気を与えている。

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澁江俊一 13年1月26日放送


rajkumar1220
海の向こうで愛されている日本人 西岡京治

海の向こうで愛されている
日本人の話を
知っているだろうか。

1964年、農業を指導するため、
ブータンを訪れた西岡京治(にしおかけいじ)。
日本の技術を無理に押し付けず
現地の状況を見つめながら住民と対話を繰り返し
最少の費用で、最大の効果を目指した。

大根をはじめ、数々の野菜を紹介し、
並木植えにより米の収穫を増やし
多くの水路や田んぼ、道路をつくった西岡は、
2年の予定を延長し、28年もの間ブータンに貢献。
国王から最高の栄誉である「ダショー」の称号を授与された。

西岡が惜しみなく与えた知識は
世界一幸福な国に、
今も多くの実りをもたらしている。

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磯部建多 13年1月26日放送


Thanos Lazopoulos
海の向こうで愛されている日本人 服部匡志

海のむこうで愛されている
日本人の話を
知っているだろうか。

服部匡志(はっとりただし)。
ベトナムで6,000人の患者を失明の危機から救った
“神の手を持つ男”と呼ばれる眼科医だ。

まだまだ貧しい患者の多いベトナム。
服部は治療の報酬を、一切受け取とることはない。
人々の眼に光を取り戻すことこそ
自分の生きがいなのだ、と彼はいう。

その献身的な活動は、
ベトナムの人々に確かな希望を
見せてくれている。

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奥村広乃 13年1月26日放送



海の向こうで愛されている日本人 本島健三

海の向こうで愛されている
日本人の話を
知っているだろうか。

測量士、本島健三(もとじま・けんぞう)。
1978年、本島がギニアの地を訪れた時、
ギニアは世界の最貧国となっていた。

公共施設は破壊され、土地は荒れ放題。
マラリアや40度を超す暑さと闘いながら
4年を超す月日を、測量に費やした。

命懸けでギニアの地図を作り上げた本島に、
セクトーレ大統領が伝えた言葉がある。
「私たちと対等に付き合ってくれた外国人は、
あなたたち日本人が初めてです!」

この地図をもとに、
少しずつ、確実に、ギニアの復興は進んでいった。

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熊埜御堂由香 13年1月20日放送



夢のはなし 横光利一の鋭い指摘

新感覚派の天才といわれた
小説家横光利一がこんなことを言った。

 夢の話というのはひとりがすると
 からなず他の者がしたくなる。
 すると前に話したものは退屈するのだ。
 なぜならそれは夢に過ぎないからだ。

そう、夢とは取るに足りず、
ひとりよがりで、
自分にとってはおもしろおかしく、
ときに恥ずかしく、
それでも許されるものなのだ。

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