佐藤延夫 13年2月2日放送


osanpo
五味太郎とは3

絵本作家の五味太郎さんは
絵について、こんな考えを持っている。

絵に描くしか方法がないと思う場合に絵を描けばいい。
つまり、絵でしか表せないことを絵で描き、
絵なら表せることを描く。

だから火の用心のポスターに、絵はいらない。
「火の用心」というコピーがすべてを表現しているから。

絵が、言い訳をするかのように
ちょこんと紙の上に載っている。
そんな姿を、彼はミジメだと言う。

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佐藤延夫 13年2月2日放送


Misato
五味太郎とは4

絵本作家の五味太郎さんは、
もともと絵に興味があるわけではなかった。

高校生のときにカントリーソングのバンドを組み、
コンサートのポスターを描いてみた。
友達の家の障子に、歌舞伎の絵を描いた。
学園祭のポスターも引き受けた。
油絵も始めてみた。

絵は得意だし、好きになってきた。
それでも将来、絵描きになるとは思わなかった。

美大を受験するが、どうも勝手が違う。
デザインの専門学校を見つけ、そのあと広告プロダクションに所属。
クライアントの要望に沿うものを作ることが苦痛になってきた。
そして絵本に辿り着いた。

本が好きで、絵や文章の世界が好き。
イラストもデザインも好き。
絵本は、彼の気持ちを全て受け入れてくれた。

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佐藤延夫 13年2月2日放送


ひでわく
五味太郎とは5

絵本作家、五味太郎さんの代表作「きんぎょがにげた」。

この本をつくるとき、最初に浮かんだのは
「きんぎょがにげた」というフレーズだけ。
それから先は、金魚と相談しながら描いたそうだ。

「どこに逃げる?」
「ちょっとあそこに行きましょうか」
「どれどれ」

金魚はいろんなところに逃げたがり、
気がつくと残りは2ページしかない、という状態。

ストーリーは、つくるものではなく、
勝手にできてしまうもの、なのだ。

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佐藤延夫 13年2月2日放送


@Doug88888
五味太郎とは6

 「いったい、どうなっちゃうんでしょう」

絵本作家、五味太郎さんは、ピンチになると
いつもこう思うそうだ。

彼の人生には、いろいろトラブルがあった。
誰かに嫌味を言われて絡まれたり、
怖い人が突然やってきたり。
国税局とか病気も然り。

 「いったい、どうなっちゃうんでしょう」

ピンチになっても動じない。
頭の中では、絵本のように愉快なストーリーが
描かれていくそうだ。

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佐藤延夫 13年2月2日放送


Lio-photo
五味太郎とは7

絵本作家、五味太郎さんが考える人生。

10代で度胸を決めて、
20代で情報収集して、
30代で実際に始めて、
40代からが人生の本番。

やりたいことがあれば、とりあえずやってみる。
そうすれば、自分の好きなこと、得意なことが見えてくる。
将来が不安なんて、当たり前。
そもそも生きてること自体が不安なわけで、
明日のことなんて誰にもわからない。
だから面白い。
それに気付かないと、自分のわかる範囲でしか
結論を出せなくなってしまう。

つまり、希望は社会の中ではなく、個人の意識の中にある。

そのメッセージを伝えるために、
彼は絵本を描き続けているのかもしれない。

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名雪祐平 13年1月27日放送



大島渚がいた 1

駅前で、少年が鳩を売っている。

巣に帰ってくる鳩の本能を利用した
ずるがしこい商売だった。

同情した金持ちの少女が、
少年を貧しさから
救おうとするのだが・・・・・・。

そんな甘いセンチメンタリズムを遮断し、
社会のシビアな現実をあぶり出した
映画『愛と希望の街』

大島渚、27歳のときの処女作である。

愛、希望、街、という言葉をかさねた
センチメンタルな題名は
映画会社のご都合。

最初の題名は、
『鳩を売る少年』だった。

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名雪祐平 13年1月27日放送


quinn.anya
大島渚がいた 2

女子高生が色じかけで
中年男を誘う。

あとから若い男が現れ、
中年男から金をまきあげる。

映画『青春残酷物語』で大島渚は、
若い性と暴力を描きながら、
旧い世代へのいらだちをあらわにした。

戦争責任をとらない父の世代。
学生運動に挫折する兄の世代。

腐った大人たちにいらだつ
若い二人も破滅に向かっていく。

中絶手術のあと、麻酔で眠る女を見下ろし、
男がリンゴをまるごと
音を立ててかじるショットは鮮烈。

それ以降、青春映画といえば、
主人公の若者がリンゴをかじるようになった、
という説があるほど。

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名雪祐平 13年1月27日放送



大島渚がいた 3

1960年、大島渚は
3本の映画を公開した。

『青春残酷物語』
『太陽の墓場』
この2本はヒット作となり、
大島は松竹ヌーベルヴァーグの旗手と呼ばれ、
スターになった。

だが、3本目の『日本の夜と霧』は、
公開わずか4日で上映中止になる。

表向きの理由は「不入り」。

実は、時の国家権力から
クレームが入ったといわれている。

60年安保闘争を舞台に
ディスカッションを繰り広げる
前衛的な映画だった。

社会党の浅沼委員長が17歳の少年に刺殺されるという
不穏な世の中の空気のなかで公開された。

そういう時期に、政治状況に対する批判を含む
『日本の夜と霧』の上映に
政治的な横やりがあったという。

無断で上映中止した松竹に、大島は激怒した。
激しく抗議し、会社との契約を破棄。
違約金を払い、松竹を退社した。

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名雪祐平 13年1月27日放送


Patrick Feller
大島渚がいた 4

 俺たちは完璧に死刑場を調べ、
 本物そっくりの死刑場を建て、

映画『絞死刑』の予告編。

大島渚は、
首つりのロープの輪に自分の首をはめ、
苦しそうに、しかし、必死に訴えた。

 国家がある限り、
 俺たちは何をするのも許される。
 
 つねに国家に罪があり、
 俺たちには罪がない。

 国家こそ有罪で、
 俺たちは無罪なんだ。

大島は、
国家はなぜ死刑や戦争で合法的に
人を殺すことができるか
という命題を観客に突きつけた。

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名雪祐平 13年1月27日放送



大島渚がいた 5

愛する男、吉蔵の首を腰紐で絞め、
性器を切り取った女、阿部定。

この阿部定事件をモチーフに、
大島渚は傑作『愛のコリーダ』を
完成させた。

男と女のエロスが極限となり、死にいたる。

その本質をどう描くか。
大島は日本初のハードコア・ポルノの表現をとった。

美しい映像と人間の精神世界が見事に描写され、
国際的な高い評価を得たが、
日本では膨大な修正を経て、1976年に公開。

目をつけた警視庁は、
映画の脚本と写真が掲載された単行本を押収。
東京地検はわいせつ文書として大島を起訴した。

大島は、裁判でこう喝破した。

 「わいせつ、なぜ悪い」と問いたい。
 わいせつは検察官の心の中にだけしかない。

そして、無罪判決を受け、言った。

 有罪のほうがよかった。
 憲法判断を避けた肩すかし判決だ。

映画『愛のコリーダ』が
ほぼ完全ノーカット版で日本で公開されたのは
2000年のこと。

大島の思想に遅れること、24年。やっと。

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