Kentaro
奇跡の年
1666年。
英国艦隊がオランダに勝利したこの年を、
詩人、ジョンド・ライデンは「奇跡の年」と呼んだ。
しかし、人類にとっての本当の奇跡は、この年に、
アイザック・ニュートンが
万有引力の理論をつくりあげたことであろう。
宇宙に存在する物質は互いに引き合う。
この力は物質の質量が大きくなるほどに強くなり、
物質の距離の二乗に反比例して弱くなる。
科学者はニュートンの方程式を使って、
矢の飛び方から、彗星の軌道までを計算した。
ニュートンの理論は、
宇宙の法則のすべてを支配したように見えた。
しかし、ニュートンは、手記の中で、こう述べている。
私は、真理の大海の前で遊んでいる子供に過ぎない、と。
その後、真理の大海への挑戦者が現れるのに、
人類は200年以上待たねばならなかった。
アインシュタインの登場まで。
2014 年 8 月 30 日 のアーカイブ
小林慎一 14年8月30日放送
小林慎一 14年8月30日放送
天国と地獄の年月
1905年。
特殊相対性理論を発表した後、
一般相対性理論へのアイデアを得たことを
アインシュタインは「人生の中でもっともすばらしい考え」と呼んだ。
しかし、それに続く年月の精神状態を、
次のように友人達に手紙を書いている。
「脳みそを拷問にかけるように絞り上げた」
「精神病院に閉じ込められる危機」「地獄の責め苦」
アインシュタインはこの試練に耐え、
1915年、ついに一般相対性理論を完成させる。
時間と空間はお互いにからみあう「時空」であり、
伸び縮みする時空こそが重力の根源である。
リンゴは地球の重力に引っ張られ落下するのではなく、
地球の質量によってできたくぼみに転がり落ちて行く。
理論は完成した。
しかし、次は、観測による実証という戦いが待っていた。
小林慎一 14年8月30日放送
科学敗北の年
一般相対性理論を観測によって証明するために
アインシュタインと天文学者のフロイントリヒは太陽に着目した。
太陽の重力によって時空が曲げられ、
太陽の後ろにある星が、あたかも太陽のはしにあるように見えるはずだ。
そのことを証明するためには、
皆既日食が起こっている場所で、観測を行う必要があった。
果たして、1914年8月21日にクリミア半島で皆既日食が起こる。
フロイントリヒは観測隊を組織した。
7月19日、フロイントリヒはベルリンを出発し、
ロシアへと向かった。
しかし、彼は皆既日食の間、牢屋にいた。
1914年6月に、オーストリアの皇太子が暗殺され、
8月にドイツがロシアに戦線布告した。
ドイツ人のフロイントリヒは
スパイ容疑で逮捕されてしまったのだ。
第一次世界大戦がはじまっていた。
小林慎一 14年8月30日放送
真の奇跡の年
今から100年前。
第一次世界大戦によって、純粋な科学の発展は止まってしまう。
若い科学者は、自ら進んで兵器の開発をはじめた。
あらゆる研究は、戦争に勝つことだけを目標にするようになった。
1919年5月19日。
一般相対性理論を実証するための観測がようやく再開する。
観測隊の隊長であったアーサー・エディントンは、
天文学と数学における世界有数の頭脳と、確固たる信念を持ち、
そして、熱帯地方への旅に耐えられるだけの体力にも恵まれていた。
エディントンは、皆既日食の起こる、赤道ギニア沿岸のプリンシペ島に向かった。
しかし、観測の時間が近づくと、雨が降りはじめた。
エディントンは、一瞬の晴れ間を信じて、
302秒を刻むメトロームの音に合わせて正確に作業を進めた。
雲がかからなかった写真は、たったの1枚だけだったが、
その写真はアインシュタインの理論が正しいことを証明していた。
撮影中に手応えを感じていた、エディントンはこう電報を打った。
「雲出るも、希望あり」と。
人類が、宇宙を仕組みをすべて解明する。
人類が、あらゆる戦争を放棄する。
真の奇跡の年は、どちらが先に訪れるのだろうか。