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2014 年 8 月 31 日 のアーカイブ

三島邦彦 14年8月31日放送

140831-01 ぜっとん♪
あの人の夏 阿久悠

「怪物」と呼ばれたヒットメーカー、阿久悠。

作詞家としてこれ以上ない多忙を極める中でも、
毎年夏の15日間は特別な仕事のために空けられていた。

その仕事は、夏の甲子園を見て、一日に一篇の詩を書くこと。

大会期間中の阿久は、
一日四試合、片時もテレビの前を動かなかった。
画面から目を離さずに食べられるよう、食事はいつもどんぶり飯。
グラウンドの球児たちにも負けない気迫で一球も目をそらすことなく、
自己流のスコアブックに色鉛筆で結果や印象を綴っていく。
そして感じたドラマに対し、一回戦で敗退したチームにも、
優勝したチームにも、惜しみない称賛を送り続けた。

1979年から2006年まで足かけ27年、
その間に生まれた詩は、360篇を超える。

これは、その中の一節。

甲子園は去る人の闘いで
だから
熱狂の底に感傷がある
大物も去る 普通も去る
敗者も去る 勝者も去る
たとえ 優勝しても
終る人 去る人に変りはない



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三島邦彦 14年8月31日放送

140831-02
あの人の夏 いわさきちひろ

淡く幻想的な色彩で
こどもたちの姿を
描き続けた画家、
いわさきちひろ。

1945年8月。
ちひろ26歳の夏。
戦争が終わった翌日からつけはじめた日記が残っている。

 青草がそっと足になびいてたまらなくいとしい。
 この草草の色、山のあおさ、日本の大空よ!!


青春をまるごと戦争に奪われてしまった女性は、
その五感で、これまでとは違う夏を感じていた。


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三島邦彦 14年8月31日放送

140831-03
あの人の夏 中田喜直

夏が来れば思い出す

名曲「夏の思い出」の作曲家、
中田喜直(なかだよしなお)。
その父、中田章(なかだあきら)は、
春の代表曲「早春賦」の作曲家だった。

春の歌に関しては自分は父の『早春賦』にまさる曲を作ることはできない

父への敬意と対抗心。
息子は、夏を代表する歌を生んだ。







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三國菜恵 14年8月31日放送

140831-04
あの人の夏 少年アヤ

からだは男の子だけれど、心はどこか女の子。
かわいいものが昔から大好き。
そんな作家・少年アヤの夏は、
ハウスダストに苦しめられた夏だった。

好きが高じて集めたファンシーグッズの数々。
日焼けで傷まないように
大切にしまいこんでいたら、
埃の温床になってしまったのだ。

その光景を見たアヤ。
随分と申し訳ない気持ちになった。

物って、視線を行き届かせていないとたちまち傷む。
「愛してるよ、大切にするよ、宝物だよ」という姿勢が肝心な気がします。

さんざんな夏だったけれど、
モノとの関係を見直せた夏だった。


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中村直史 14年8月31日放送

140831-05
あの人の夏 天正遣欧使節

海外への旅がほぼ死を意味した
戦国時代のことだった。

弱冠13歳前後の4人の少年が
ヨーロッパを視察するため
長崎の港を旅立った。

伊藤マンショ、千々岩ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノ。

2年半にも及ぶ航海の末、
4人は真夏のポルトガルに上陸する。
彼らの経験は想像を絶するものだった。
けれど、彼らの記録は日本から消し去られることになる。
4人が戻った日本は
キリスト教を許さない国になっていた。


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中村直史 14年8月31日放送

140831-06
あの人の夏 フェリペ2世

1584年夏。ヨーロッパに上陸した
天正遣欧使節団の少年4人は、
絶大な権力を誇ったスペイン国王フェリペ2世に謁見した。

驚いたのは国王のほうだったらしい。
少年らの着物に施された花や鳥の模様。
袴に差した大小の刀。
上から下へと書かれたキリシタン大名からの書状。

フェリペ2世はそのひとつひとつに近寄り
伊東マンショの履いていた草履は、
わざわざ手に取って、まじまじと眺めたという。

4人の少年が
当時のヨーロッパに与えたインパクトは
計り知れず大きかった。


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三國菜恵 14年8月31日放送

140831-07 johnnyjiang
あの人の夏 桑田真澄

野球界のレジェンド、桑田真澄。
彼は小学5年の夏、
ラジオから聞こえてきたあるフレーズに心を奪われる。

「逆転のPL」

PL学園の初優勝。そのフレーズがあまりに魅力的だった。
桑田はその日、しずかに自分の進路を決めた。


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三國菜恵 14年8月31日放送

140831-08 よっちん
あの人の夏 大林宣彦

日本はこの夏、終戦69年をむかえた。
戦争を知らない子どもたちは69歳になった。

映画監督・大林宣彦は今年76歳。
7歳のとき、終戦を経験した。
そのときの空気を彼はこう振り返る。

生者と死者の区別があまりなくて、
亡くなった人がすぐそばにいる感覚で育った。
学校の行き帰りではお墓が遊び場だったし、
ひいじいちゃん、ひいばあちゃんの遺影が置かれた座敷に入ると
2人が話しかけてくる気がした。
戦地に赴いたおじちゃんがお骨になって帰ってきたときには、
セミがうるさく鳴く中、にいさんが僕の頭をやさしくたたいた。

子ども心にその空気は、絶対に忘れてはならないと思った。
だから大林はいまも映画を撮るという。
正義を語るためではなく、
人間が正気でいられるようにと祈って。


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