2016 年 7 月 のアーカイブ

澁江俊一 16年7月10日放送

160710-03

落語家と納豆

今日は、納豆の日。

その人間性を含めて
多くの落語好きから愛された
昭和の名人、古今亭志ん生

関東大震災では
酒がこぼれては困ると居酒屋に飛び込んだり、
酔っぱらったまま高座に上がり
居眠りをしたこともあるほど
酒好きだった志ん生は
納豆もまた、こよなく愛していた。

若かりし頃、
落語界から追い出されて
仕事がなかった時に
納豆売りで生計を立てようとした志ん生。

ところが「納豆ぉ~納豆ぉ~」の声が
恥ずかしくてなかなか出せずに、
人のいないところばかり
売り歩いていてまったく売れなかった。
大量に売れ残った納豆を
家族とともに朝昼晩と食べていたという。

そんな苦い思い出があってもなお
好きと言える好物に出会えるなんて、
なんと幸せな人生だろう。

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澁江俊一 16年7月10日放送

160710-04

文豪と納豆

今日は、納豆の日。

「走れメロス」「斜陽」「人間失格」など
人間の寄る辺なさを
ユーモアのある
美しい文章でつづった文豪、太宰治。
彼の好物は、納豆だった。

ひきわり納豆に
醤油のかわりに筋子を入れて混ぜ
熱々のご飯にのせて食べていたという。
一見、不思議な組み合わせにも思えるが
その不思議さもどこか、太宰らしく
食べてみたくさせる魅力がある。

納豆と、筋子。
子供の頃から食べていたというその味は
太宰にとって故郷津軽を感じられる
懐かしい味だったのかもしれない。

その食べ方は「太宰丼」と呼ばれ
今も青森では多くの人に愛されている。

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田中真輝 16年7月10日放送

160710-05
Jun Seita
いつかは蟹味噌

今日、7月10日は納豆の日。

かの食通、北大路魯山人は、
その著書の中で、
「納豆は糸の姿がなくなってどろどろになるまで
よく攪拌する」と語っている。

ある実験では、
100回の攪拌で、アミノ酸が約1.5倍、
300回で2.5倍に。
また、甘み成分は100回で2.3倍、
400回で4.2倍と、攪拌するほど、
旨みと甘みが強くなる、という結果も
示されている。

ちなみに、1万回混ぜると、その姿は
ペースト状になり、味は蟹味噌に
近くなるという実験結果も。

時間に余裕のある方は、
チャレンジしてみてはいかがだろうか。

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澁江俊一 16年7月10日放送

160710-06
こうへい
サッカーと納豆

今日は、納豆の日。

華麗なプレーで観客を魅了し
ピクシーの愛称で多くのファンに愛された
サッカー選手、ドラガン・ストイコビッチ。

日本食をこよなく愛していた
彼のいちばんの好物は納豆だった。
故郷のセルビアには
発酵食品がなかったにもかかわらず
その愛し方はなみなみならぬものがあった。
オーストラリアキャンプでは
朝食に頼んでいた納豆がないと知るや
怒ってスタッフに日本食材の店まで
買いに行かせたほどだったという。

糸を引くように正確な
パスやシュートのパワーの源が
納豆だったと知ると
日本人ファンとしては
また彼を愛してしまう理由が増えそうだ。

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田中真輝 16年7月10日放送

160710-07
hepp
くさいはうまいか

今日は、納豆の日。

納豆は臭いから苦手
という人は多いが
臭さではさらに上をいく食品がある。

発酵食品分野の権威、
小泉武夫教授らが開発した
アラバスターという機器で測定すると、
納豆の臭気数値は452。

そして、世界一臭い食べ物とされている、
スウェーデンの塩漬けニシンの缶詰、
シュールストレミングの数値はなんと8070。

小泉はその著作の中で、
その匂いを「腐敗したタマネギに、
くさやの漬け汁を加え、それにブルーチーズとフナ鮓、
古くなったダイコンの糠漬け、さらには道端に落ちて靴に
踏まれたギンナンを混ぜ合わせたような
空前絶後の凄絶なにおい」
と表現している。

そしてその味については
「やや不味い部類」とのことである。

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澁江俊一 16年7月10日放送

160710-08

探検家と納豆

今日は、納豆の日。

外国人は納豆を食べないとか
納豆は日本人ならではの食材とか
私たちはよく口にするが、
本当だろうか?

探検家であり作家の高野秀行は
タイやミャンマー、中国やブータンなど
アジア各地を回り、
納豆を食べる文化と次々と出会った。

そこでは
様々な調味料と合わせたり、
煮たり焼いたり炒めたりせんべいにしたり
納豆が幅広く調理されていた。

アジアでの納豆料理の
レパートリーの豊かさを見た高野は
「日本はむしろ納豆後進国なのではないか?」
と感じたという。

納豆は日本のもの
そんな常識は、
そろそろ賞味期限切れなのかもしれない。

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佐藤理人 16年7月9日放送

160709-01

ゴーストライターズ 「ダンテ」

1321年、ダンテが亡くなったとき、
「神曲」の一部は行方不明だった。

二人の息子ヤコポとピエトロは、
何ヶ月もかけて遺品を探したが、
ついに見つけることはできなかった。

ある晩、ヤコポは父の夢を見た。
夢の中でダンテは白い服に身を包み、
まばゆい光に包まれていた。

ヤコポが作品は完成したのか尋ねると、
ダンテは頷き、書斎の秘密の場所を教えた。

翌朝、教えられた場所を調べると、
小さな隠し戸棚があった。

中にはカビに覆われた
「神曲」の最後の数ページが入っていた。

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佐藤理人 16年7月9日放送

160709-02

ゴーストライターズ 「アーヴィング」

1859年のある夜。
コグスウェル博士はニューヨークの図書館で、
本を読むひとりの友人を見かけた。

アメリカ最古の幽霊小説、

 スリーピー・ホロウの伝説

の作者ワシントン・アーヴィング。

しかし彼はそこにいるはずがなかった。
数日前亡くなったばかりだったからだ。

コグスウェルが声をかけようとすると、
アーヴィングは本を戻して消えた。

生前、幽霊を信じていなかったアーヴィング。
死後に自分が幽霊となって現れたと聞いたら、
さぞ面白がったことだろう。

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佐藤理人 16年7月9日放送

160709-03

ゴーストライターズ 「ワース」

1913年、パール・カランは交霊術の会に出た。
催眠術にかかった彼女は、

 ペーシェンス・ワース

という名前を書いた。

その日以来、催眠状態になると、
彼女はワースという別人格になり、
さまざまな歴史小説を口述した。

キリストの時代を描いた「悲しい物語」、
19世紀を舞台にした「ホープ・トゥルーブラッド」、
中世の英語で書かれた「テルカ」。

作品はどれも評論家から高い評価を得た。
しかし不思議なことにカランは、
歴史については何の知識もなく、
中世の英語を勉強したことさえなかった。

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佐藤理人 16年7月9日放送

160709-04

ゴーストライターズ 「ブラウン」

1964年、フランツ・リストが目の前に現れたとき、
ローズマリー・ブラウンは驚かなかった。

彼女に楽譜を書き取らせた作曲家の幽霊は、
彼が初めてではなかったからだ。

リストは一度に数小節ずつ書き留めさせた。
ショパンは1音ずつ彼女の指を鍵盤へ導いた。
シューベルトは40ページに及ぶソナタを歌って聴かせた。
ベートーヴェンは10番目と11番目の交響曲を完成させた。

何人もの専門家が調べたが、詐欺の証拠は見つからなかった。
楽譜はどれも作曲家たちの作風と完全に一致していた。

何より彼女はブラームスの幽霊が指導したにもかかわらず、
ピアノがほとんど弾けなかった。

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