2018 年 4 月 のアーカイブ

澁江俊一 18年4月8日放送

180408-02

さようならの潔さ

 わたしが一番きれいだったとき
 自分の感受性くらい

など、
潔くも美しい詩を
数多く残した詩人、茨木のり子。

79歳で世を去った彼女が
自分の死を前に残した
最後の言葉もまた美しい。


「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬

 思い出してくだされば、それで十分でございます。


 あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかな

 おつきあいは、見えざる宝石のように、
 私の胸にしまわれ、光芒を放ち、
 私の人生をどれほど豊かに
して下さいましたことか・・・。

この世との別れの言葉は、
できることなら、こうありたい。

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澁江俊一 18年4月8日放送

180408-03

父からのさようなら

小津安二郎監督「晩春」。
妻を亡くした父親が
娘を嫁に出す時の
心の機微を描いた傑作だ。

娘との最後の家族旅行。
帰り支度をする娘は不意に
嫁に行きたくないと、父に白状する。
それを諭す、父。

 結婚することが幸せなんじゃない

 新しい夫婦が新しいひとつの人生を
 作り上げてゆくことに幸せがあるんだよ

 1年掛かるか 2年掛かるか 5年先か 10年先か

 勤めて初めて幸せが生まれるんだよ

 それでこそ初めて 
 本当の夫婦になれるんだよ

晩婚や、離婚が当たり前になった
今だからこそ、じわり、心に染みる
父から娘への、別れの言葉である。

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澁江俊一 18年4月8日放送

180408-04

寂しさにさようなら

日本で最も
別れが似合う男は誰だろう?
それは寅さんこと、車寅次郎かもしれない。

故郷と別れ、妹とも別れ、
日本中で恋をしては、せつない別れを繰り返す。
それでも寅さんは決して
相手を恨んだり、自分を慰めたりしない。
グッとこらえて、その場を立ち去る。

人類のコミュニケーションを
無限大に増やしたSNSの世界では
今日もたくさんの別れが親指の動き1つで
加速度的に生み出されている。
その孤独に溺れそうになったら、
寅さんのこんな言葉を思い出してほしい。

 寂しさなんてのはなぁ、

 歩いてるうちに
 風が吹き飛ばしてくれらぁ。

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田中真輝 18年4月8日放送

180408-05

さよならの湿度

また逢う日まで 逢えるときまで
別れのそのわけは話したくない

名曲「また逢う日まで」の、
作詞家、阿久悠は著書
「ぼくのさよなら史」の中で
こう語っている。

人間はたぶん、さよなら史が
どれくらいぶ厚いかによって、
いい人生かどうかが決まる。

人の心はいつも少し湿り気を帯びて
いなければならない。
カラカラに乾いていては味気ない。
人の心には、さよならによって
湿りが加わるのである。

阿久悠の歌は、それが底抜けに
明るい歌であっても、いつも少し湿っている。
湿っているからこそ、乾いた心に深く、
染みていくのかもしれない。

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田中真輝 18年4月8日放送

180408-06

おまじない

 だいせんじがけだらなよさ

このおまじないのような言葉は、
寺山修司がカルメン・マキのために書いた
曲のタイトル。

さかさまに読むと、
「さよならだけがじんせいだ」。

井伏鱒二が唐の時代の「勧酒(かんしゅ)」という
詩を訳した、その中にこの言葉はある。

幼い頃父を亡くし、12歳で母とも生き別れに
なった少年、寺山修司は、この言葉をさかさまに
して、おまじないのように、何度も唱えながら、
孤独に耐えていたという。

 だいせんじがけだらなよさ
 だいせんじがけだらなよさ

唱えるたびに、むしろ孤独感が強まるような、
そんな気がしてしまうのは、わたしだけだろうか。

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田中真輝 18年4月8日放送

180408-07
Flickmor
ラストシーン

2016年公開のミュージカル映画「La La Land」、
ご覧になった方も多いのではないだろうか。

アカデミー賞6部門を獲得した名作だが、
その印象的な結末に、見る人の意見は分かれ、
賛否両論の声で世間は賑わった。

この結末について、監督のデミアン・チャゼルは
こう語っている。

愛について語るとき、愛自体が主人公の二人よりも
大きな存在でなければいけないと僕は思う。
二人が一緒にいるいないには関係なく、
愛はまるで3番目の登場人物のようにそこあり続けるんだ。
現実とは全く別の次元でね。主人公の二人の関係が終わって
しまったとしても、愛はそこに永遠に存在するということ。
僕はそれが美しいと思う。

そんな愛の形を、美しいと感じるか、それとも…。
まだご覧になっていないという方はぜひ、
ご自身で確かめて頂きたい。

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田中真輝 18年4月8日放送

180408-08
Renaud Camus
長い別れ

アメリカ人作家、レイモンド・チャンドラーの小説、
「ロング・グッドバイ」。

以降のハードボイルド小説の典型となった
この作品は、村上春樹をして最も影響を受けた
作品と言わしめた名作である。

主人公、フィリップ・マーロウは、大きな権力と
暴力の中で翻弄され、傷つきながらも、どこまでも
タフに、自分の信念を貫いていく。

そんなタフな頑固者が、ふとつぶやくセリフ。

「さよならを言うことは、少しだけ死ぬことだ」

一人称で語られる小説なのに、主人公マーロウの
心情が描写されることはほぼなく、だからこそ、
ふとしたセリフに滲む、この頑固者の限りない優しさ、
繊細さが、読む者の胸を衝く。

長い、別れ。そのタイトルが意味するものは、
マーロウの心の中に、いつまでも消えずに
止まり続ける別れの悲しみと切なさ、
なのかもしれない。

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大友美有紀 18年4月7日放送

180407-01
sniggie
日本の色 春はあけぼの

 春はあけぼの。
 やうやう白くなりゆく山ぎは、

有名な「枕草子」の冒頭部分。
日が昇り、光の変化とともに
色味が変わっていく様子が描写されている。
日本の色の名、「アカ」「クロ」「シロ」「アヲ」は
光の色から生まれたとする説がある。

アカは、夜明けの赤く染まる空。
クロは、太陽が沈んだあとの闇。
シロは、夜が明けてあたりがはっきりと見えること。
「顕著」の「ちょ」が転じた言葉とされる。
アヲは、夜明けと闇の間の状態からきている。

太陽の移り変わりを見つめていた古代人が
生み出した色の名だという。

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大友美有紀 18年4月7日放送

180407-02

日本の色 禁じられた紅(アカ)

「庄屋惣百姓共に
 衣類紫紅梅に染間敷候」
しょうや、そうびゃくしょう ともに
 いるい むらさきこうばいに そめまじきこと

これは寛永20年の禁止令。
庄屋、農民などが、紫根染めの本紫、(しこんぞめのほんむらさき)
紅花染の紅梅色を着ることを禁じている。(こうばいいろ)

江戸時代、幕府は町人の経済的発展を懸念して、
頻繁に「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」を発令し、
町人の贅沢を禁じた。

ところが江戸町人は法の目をかいくぐり、
表地は地味色の木綿縞を使い、
裏地に絹織物を使い、
偽紫や偽紅梅などの色をつくり出して染めていた。
これぞ、江戸町人の意気込み、「粋」だった。

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大友美有紀 18年4月7日放送

180407-03

日本の色 異世界との境界の色、黒

 粋な黒塀 見越しの松に
 仇な姿の 洗い髪

春日八郎が歌った「お富さん」の歌詞。
くろべいとは、黒い塀のこと。
江戸では、料亭、小唄の師匠、
お妾さんの住まいなどは黒塀で囲まれていた。
吉原の大門には黒い瓦屋根があった。
江戸城の鬼門にあたる上野寛永寺。
その表門も黒かったという。
闇から生じた「黒」は境界の色であり、
特別な存在を意味する色であった。

江戸末期に来航したペリーの黒船は、
偶然とはいえ「異世界からの来訪」を象徴したのだろう。
文明開化で日本に取り入れられた蒸気機関車、自動車、
人力車も鉄製で黒い色をしていた。
当時はポストでさえ黒かった。
西洋の黒いものたちを使うことで、
無意識のうちに異世界を日常に
取り入れようとしたのかもしれない。

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