2018 年 8 月 12 日 のアーカイブ

河田紗弥 18年8月12日放送

180812-01
おやつの時間 〜紅茶はいかが?〜

イギリスで最初に紅茶が販売された1657年。
それはまだ”万病に効く東洋の秘薬”としてであった。

しかし、その5年後
チャールズ2世のもとに嫁いできたポルトガルの王女キャサリンが
中国の茶と
当時は貴重だった砂糖を大量に持参し、
宮廷に喫茶の習慣をもたらした。

貴重なお茶に、貴重な砂糖。
この贅沢な習慣は、次第にイギリスの貴族社会に広まっていった。

17世紀後半から19世紀にかけて、
イギリス東インド会社はお茶の輸入を独占し、
その取引の利益こそが
イギリス繁栄の基礎を築いたとまで言われている。


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河田紗弥 18年8月12日放送

180812-02
おやつの時間 〜贅沢の極み〜

17世紀の中頃。
当時、イギリスの貴族や文化人たちの社交場コーヒーハウスで
はじめて紅茶が商品として提供された。

コーヒーハウスでは、
コーヒーや紅茶、チョコレートなど高価な舶来品を
楽しむことができたという。

次第に、コーヒーハウスは大衆化していき、
一般人も通うようになった。
やがて、紅茶は各家庭でも楽しまれるようになり、
食料品店でも販売され、市場は拡大していった。

紅茶と砂糖を合わせて飲む「贅沢の極み」は
イギリス経済に大きな影響を及ぼしたと言えるのではないだろうか。

その後、世界に先駆けて産業革命を成功させると、
中産階級を中心に食生活にも大きな変化が生まれ、
紅茶はすっかり人々の生活の中に定着していく。

19世紀に入ってから、
イギリスが植民地のインドやスリランカでお茶の栽培に成功すると、
19世紀末には中国の紅茶をすっかり凌駕するようになった。


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河田紗弥 18年8月12日放送

180812-03
おやつの時間 〜日本人の最初の一口〜

日本で最初に紅茶を飲んだとされているのは、
伊勢の船頭「大黒屋光太夫」だと言われている。

1782年、伊勢の白子港を出港し、
江戸を目指した光太夫の輸送船は、駿河湾沖で暴風雨に遭遇した。

船はロシアとアラスカの間にある島に漂着し、
先住民族たちに助けられた。
船に積まれた陶器や金銀の豪華さから、
身分ある富裕商人と誤解された光太夫は賓客として扱われた。

ロシアの皇帝エカテリーナ2世は、
なんども宮中に招待し、その度に茶会を行なったと言われている。
当時のロシアでの茶の価値は、
「百匁にて銀一枚より五枚に至る」と言われるほどの高価なものであった。

帰国後の回顧談には、
「銀の壷にのみぐちをつけたる器に入れ、熱湯をさし泡茶(だしちゃ)にして飲む。
是にも多く砂糖、牛乳を加ゆるなり」と記されている。

やがて、日本に帰国することになった光太夫は、
金のメダルや金時計とともに
たくさんの茶と砂糖などの餞別をもらった。

旅の途中も、光太夫は、茶を嗜んでいたんだとか。


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河田紗弥 18年8月12日放送

180812-04
おやつの時間 〜ハイカラのシンボル〜

横浜や神戸の貿易港に、
イギリスやアメリカなどの商館が軒を連ねる頃のこと。

日本国内では、飲み慣れた緑茶への志向が強く、
高価な贅沢品の紅茶を飲むという習慣はしばらく根付くことはなかった。

しかし、そんな日本を変えたのが、文学だ。

夏目漱石や永井荷風、宮沢賢治らの日本文学の中に
紅茶が登場しはじめると、
次第に、広く国内で紅茶が飲まれるように。

文学の中に登場する紅茶好きの人々は、
決まってハイカラ好みの上流階級。

当時の文学の中では
優雅さや豊かさなど、ハイカラの記号として機能していたようだ。

この高級で優雅という紅茶へのイメージは
簡単に手に入るようになった今もなお、
残っているのではないだろうか。


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河田紗弥 18年8月12日放送

180812-05
おやつの時間 〜携帯食としてのクッキー〜

今では、おやつの定番として愛されるクッキー。

もともとは、旅行の携帯食として、重宝されていた。
なぜなら、高い栄養価を簡単にとることができ、
その割に長期間の保存ができ、持ち運びも楽だから。

船旅や海軍の航海において、
冷蔵庫などの設備が存在しない中で、
長期間、全員分の食料を保存するスペースを確保することは難しい。
そこで、手軽な携帯食であったクッキーが必需品だったのだ。

その証拠に、
1588年のスペイン海軍では、
水平や水夫の1日の手当は1ガロンのビールと
1ポンドのクッキーだった。


しかし、携帯食としてのクッキーの質感は硬く乾燥しており、無糖だった。
そんなクッキーが、お菓子として開発されはじめたのは
7世紀のペルシャと言われている。

ペルシャ帝国の料理家によって、
はちみつや果物を入れて、
甘くする工夫をしたことがはじまりだった。


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河田紗弥 18年8月12日放送

180812-06
おやつの時間 〜甘いクッキーのはじまり〜

14世紀になると、お菓子としてのクッキーは
ヨーロッパにおいて当たり前の存在にまで普及し、
あらゆるスタイルで製造され、
すべての階層の人が日常的に食べるお菓子にまで進化を遂げていた。

その大きなきっかけとなったのが
キリスト教国のイベリア半島奪還を目的に行われた700年にわたる戦い
”レコンキスタ”であったと言われている。

イスラム教の国が
スペインやポルトガルがあるイベリア半島を征服したことに対する
キリスト教国の奪還事業であった。

そのため、軍隊の遠征には携帯食として
クッキーが大活躍だったのだろう。

1620年ごろには、
船旅に強いというクッキーの強みを生かし、
オランダを経て、アメリカに持ち込まれ、全米に広まることとなった。


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河田紗弥 18年8月12日放送

180812-07
おやつの時間 〜日本とクッキー〜

1543年。
ポルトガル人によって種子島に伝えられたのは
鉄砲だけではなかった。

クッキーも同じタイミングで、日本に伝わったと言われている。

鉄砲は瞬く間に日本全国に普及したにもかかわらず、
クッキーが庶民の間に普及するまでには
かなりの期間がかかった。

幕末時代、長崎の医師で蘭学者である柴田方庵が
水戸藩からの依頼で製法書を作って送ったという記録がはじめて。

また、薩摩藩にビスケットが納められたという記録もあるが、
どちらも兵士の食料としての扱いであり、
お菓子としてのクッキーとして普及したのは、
明治時代になってからであった。


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河田紗弥 18年8月12日放送

180812-08
おやつの時間 〜クッキーからはじまる文明開化〜

日本において、
クッキーを庶民のためのお菓子として広めたのは
ごぞんじ風月堂。

江戸時代からつづく老舗お菓子メーカーだ。

もともとは、和菓子の御用商人として、
大名たちのお菓子作りを一手に引き受けていたが、
明治維新により西洋文明が導入されていくことを見越し、
洋菓子の開発にいち早く取り組むことを決めた。

そのきっかけとなったのが、クッキーだった。

明治5年、五代目の喜右衛門は西洋菓子の製造を開始し、
明治8年には、クッキー第一号の販売を開始している。

これをきっかけに、
日本でもお菓子としてのクッキーが普及され、
おやつの時間に、
子どもたちを笑顔にする存在になっていった。


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