澁江俊一 15年3月8日放送

150308-03

妖怪千体説

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

いったんもめん、ぬりかべ、砂かけ婆、
子泣き爺、ろくろ首、ぬらりひょん…
あなたは世界中にどれくらいの
妖怪がいると思うだろうか?

漫画家であり、
妖怪研究の第一人者水木しげるによれば、
世界各地の妖怪はほぼ共通していて、
およそ1000体に集約できるらしい。
それを「妖怪千体説」と言う。

確かにドラゴンやトロル、
河童や魔女などは、
世界中のどこの昔話にも出てくる。

「妖怪はできる限り創作すべきではない」
そう語る水木しげるは
アメリカインディアンやアボリジニ、
アフリカのドゴン族など、
世界中の民族を訪ね、スピリチュアルな文化に触れて
妖怪のフィールドワークを行ってきた。
そんな彼が言うのだから、
「妖怪千体説」は説得力が違う。

ある時訪れたマレーシアのジャングルで
自らが描いた「水木しげるの妖怪画集」を持参したら
「知っている」「見たことがある」と
現地の人々が、日本の妖怪に次々と反応したという。

世界中にいる妖怪たちは
異なる文化がつながるヒントを
私たちに、教えようとしているのかもしれない。

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松岡康 15年3月8日放送

150308-04
puffyjet
神様の嫉妬

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

漫画の神様手塚治虫。
ある出版社のパーティで彼は
一人の漫画家を捕まえてこう言い放つ。

  あなたの絵は雑で汚いだけだ。
  あなたの漫画くらいのことは僕はいつでも描けるんですよ。

その相手は、水木しげる。
手塚は水木の才能に驚き、嫉妬したのだ。

その場では何も言い返さなかった水木だが、
のちに手塚をモデルとした「一番病」という漫画を描く。
主人公は、一番になることばかりにあくせくする棺桶職人。
手塚を痛烈に皮肉った。

才能を認めているからこそ、反発する。
二人は生涯、ライバルであり続けた。

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澁江俊一 15年3月8日放送

150308-051

戦場の怒り

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

水木しげるが最も思い入れがあると語る作品は
妖怪ではなく、戦時中の人間を描いた
「総員玉砕せよ!」である。

妖怪漫画家として世に出るはるか前、
若き日の水木しげるは、
兵隊として南太平洋にいた。
毎日、徹底的な鉄拳制裁をくらい、
ついたあだ名は「ビンタの王様」。

昭和19年の春、ゲリラ兵の襲撃で
見張りに立っていた水木を残して
分隊の仲間たちが全滅した。
ふんどし一丁でジャングルをさまよい
命からがら部隊に戻ると、
「なぜ死ななかったのか」と上官に激しく責められた。
さらにマラリアを発症し、爆撃で左腕を失う。

あまりにも簡単に人が死んでゆく。
今では考えられないような
理不尽な苦しみが次から次へとやってきた。

 ぼくは戦記物を描くと
 わけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。
 多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。

あらゆる人間を壊していく戦場で、
それでも水木は目をそらさず、すべてを見ていた。
見えない妖怪を見つめる眼差しも、
その時に養われていたのだ。

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奥村広乃 15年3月8日放送

150308-06

水木の高校受験

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

ゲゲゲの鬼太郎、河童の三平、悪魔くん。
数々のヒット作を生み出した水木しげるも
若い頃は様々な失敗をしてきた。

小学生の頃から勉強よりも睡眠を優先。
成績は芳しくなかった。
そこで、受験先に選んだのは、大阪府立園芸高校。
定員50名に対し、受験者は51名。
このうえなく低い競争率だった。

これは間違っても入るだろう。
そうおもった水木しげる。
校長先生との面談で、
将来の夢を画家だと正直に語ってしまう。

しかし、そこは園芸学校。
農業で身を立てる学生が欲しかった。

水木は、その年のたった一人の
不合格者となったのだった。

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奥村広乃 15年3月8日放送

150308-07

水木と弟

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

水木しげるは幼い頃、
弟を海に突き落とそうとしたことがあると言う。
そこは船着き場。
水の流れは速く、海の底は深かった。

人が死んだらどうなるのか。
その興味をおさえきれなかったのだ。

幸い彼は踏みとどまり、弟は命を落とすことはなかった。

水木しげるは当時5歳。
死後の世界への興味が、
後の作風に大きく影響を与えている。

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礒部建多 15年3月8日放送

150308-08

水木しげるとパプアニューギニア

今日は、漫画家水木しげるの誕生日。

水木しげるほど、マイペースな漫画家はいない。
たっぷりと睡眠を摂り、自分が好きなこと以外には、一切興味を示さない。
そんな水木のルーツの1つが、パプアニューギニアにある。

戦時中、水木は兵隊として南方戦線へと駆り出される。
過酷な戦場での玉砕命令を命からがら生き延びた水木は、
そこで原住民たちとの交流を深めていた。
彼らの生活は1日2〜3時間働くだけ。
あとは踊ったり、唄ったり、好きなことに没頭する。
そんな生き方が、水木の価値観に大きく影響を与えた。

 自然のままの生活というのだろうか。
 僕はそういう生活が、人間本来の生活だと思っている。

原住民から教わった哲学を、
水木しげるは「怠け者になりなさい」という一言に込めて、
世の中に発信し続けている。

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大友美有紀 15年3月7日放送

150307-01
JeremiahsCPs
「プラントハンター西畠清順」ネペンセス・ラジャ

プラントハンターという職業がある。
17世紀から20世紀の初めにかけて、ヨーロッパで
王族や貴族のために世界中の珍しい花を求めて冒険し、
苗や種を持ち帰っていた人たちだ。

21世紀の日本にもプラントハンターがいる。
西畠清順。150年続く植物卸問屋「花宇」の五代目。
中学、高校と、野球漬けの青春。植物にまったく興味がなかった。
ところがボルネオで運命の出会いを果たす。

キナバル山の奥の秘境におもろい植物があるから探してこい、と父に言われた。
その時点でも西畠の興味は、植物ではなく「秘境」。
登りはじめると、キナバルは想像以上に険しい山だった。
同行者は普通の登山客、植物探しにつきあわせるわけにはいかない。
みんなより早く歩いてあたりの林を探しまわった。
そして標高2600m付近でその「おもろい植物」に出会う。
世界最大の食虫植物「ネペンセス・ラジャ」だ。
怪しい赤い色を放つ、ほかの植物とは違う圧倒的な存在感。
西畠の中で感動がドカンと弾けた。

 植物って俺が考えているよりも、もっとすごいもんとちゃうか。

これが西畠の植物探求の旅の始まりになった。

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大友美有紀 15年3月7日放送

150307-02
Domenico / Kiuz
「プラントハンター西畠清順」ミレニアムオリーブツリー

プラントハンター西畠清順は、
世界各国を駆け巡り依頼のあった植物をお客様に必ず届ける。
だが、時には買い手のない植物を輸入することもあった。

それは樹齢千年のオリーブ。
さまざまな植物のプロから「絶対不可能」と言われたそのプロジェクトは
2006年の衝撃的な1本の木との出会いから始まる。

ヨーロッパにプラントハンティングに行った西畠は、
スペイン人の植物バイヤーから近くにすごい木があるから
見に行こうと誘われる。
それはとてつもないオリーブの巨木。
太さは大人が両腕を伸ばして3人がかりでやっと囲めるぐらい。
うねるように波打つ木肌は、ねじれ、ある部分は大きくえぐれていた。
ミレニアムオリーブツリーと呼ばれるその木は、
神が宿っているかのような神々しい佇まいだった。

 どうしても日本人に見てほしい。そして感動してほしい。
 これこそが自分の求める「人の心を豊かにする木」だ。

そして5年後の2011年、様々な苦難を乗り越え、その思いは実現した。
樹齢千年のオリーブの木は、今、小豆島に植えられている。

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大友美有紀 15年3月7日放送

150307-03
hichako
「プラントハンター西畠清順」桜の開花

たとえば、デパートのディスプレイなどで、桜の季節よりも前に
桜の花が咲いているのを見たこと、ありませんか。

プラントハンター西畠清順が五代目を務める
植物卸問屋「花宇」には、開花調整という技術がある。
桜の枝を温室にいれ、温かい環境をつくって、
桜に季節を誤解させ咲かせるのだ。
そうして注文の時期に桜を咲かせる。
簡単なようだが調整中の水ひとつにも細心の注意をはらっている。

花宇が開花調整に使う桜の供給源になっている村がある。
長野の筑北村。西畠の祖父が村の人と意気投合して、桜づくりが始まった。
以来50年近く苗から育ててもらっている。
あるとき西畠は、最初に桜を植えた人、西澤寿雄さんの書を見た。

 その花を愛し、その根を思う。

人に支えられてこそできる仕事、おごらずに謙虚にしなければならない。
西畠は、そう教えられた。

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大友美有紀 15年3月7日放送

150307-04
T DOUGLAS
「プラントハンター西畠清順」ドラゴンブラッドツリー

ソマリアとイエメンの間に浮かぶ小さな島、ソコトラ島。
ドラゴンブラッドツリーや砂漠のバラなど約300種の固有種があり、
環境保全の必要性から2008年世界遺産に登録された。

プラントハンター西畠清順は、
初めてソコトラを訪れたとき、あまりに美しすぎて
地球上に実在する場所とは思えなかった。
なかでもそびえ立つドラゴンブラッドツリーのインパクトが強烈だった。

ソコトラ島には植物の保護活動をしている親子がいた。
絶滅危惧種の植物を山でハンティングして育苗場で育てている。
今のうちから育てておかないとソコトラ島の未来が危ないと、
息子のアハマドは言う。
山には何千、何万という木が生えているが、若い木がほとんどない。
野生化した山羊が木の若芽を食べてしまうのだ。
そのことに気づいたから、木を育てることにした。

おもだった産業のないこの島では、観光業だけが頼りだ。
世界遺産に登録されてから多くの人が訪れるようになった。
巨大なドラゴンブラッドツリーが枯れてしまったら、致命的なダメージをうける。
親子は、何十年、何百年後の島のことを考えて植物を増やしはじめた。

 貴重な植物を守るため、木を切らせないという 保護の仕方も理解できる。
 しかし、植物を守るためにあえて人の手でハンティングし、育てる、
 というやり方もあるのではないか。

プラントハンター西畠は、あらためて、そう思った。

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