佐藤理人 13年2月16日放送


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ミカ・ハッキネン③「カート」

初レースの記憶は、父親の心配そうな顔だった。

フィンランド最高のF1レーサー、
ミカ・ハッキネン。

彼がジュニアレースを始めたのは6歳のとき。

  成績が下がったらレースは禁止

そう言われたミカは大嫌いな勉強を頑張った。
両親はそんな彼を力一杯支えた。

毎週末レース場に付添い、
仕事の他にバイトをいくつもかけもちして
レース費用をねん出した。

彼が速くなるにつれて、
家族はやがてチームになった。
家計は苦しかったけれど、幸せだった。

レースはハッキネン家に、
家族が一つになれる
かけがえのない時間をくれた。

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佐藤理人 13年2月16日放送



ミカ・ハッキネン④「Mr.クリーン」

 アイルトン・セナの再来

F1王者は数いれど、
そこまで言われた男は一人しかいない。
フィンランドが誇る最高のレーサー、
ミカ・ハッキネン。

「カミソリの切れ味」と呼ばれた
コーナリングテクニックで彼は、

 悪魔のように速い

と恐れられた。

あまりに速すぎて、
これ以上速く走ることは物理的に不可能と
コンピュータがはじき出したタイムを
上回ったことがあるほどだ。

しかしそれ以上に
彼のトレードマークとなったのは、
そのクリーンなレーススタイルだった。

他のドライバーに
危険なことや意地悪をしたことなど一度もない。

シューマッハをはじめ、ライバルたちはみな、
彼ほどフェアなレーサーはいないと断言する。

ブロックするのではなく、抜き返す。
誰かにではなく、自分に勝つ。

それが常にハッキネンのスタイルだった。

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佐藤理人 13年2月16日放送



ミカ・ハッキネン⑤「最悪のクラッシュ」

どんな天才レーサーも事故と無縁ではない。

フィンランド最速の男ミカ・ハッキネン。

1995年のオーストラリアグランプリで
コンクリートの壁に激突したハッキネンは、
舌を噛み切る意識不明の重傷を負う。

 正面からぶつからなければ、
 恐怖を克服することはできない。

病院のベッドでそう悟った彼は、
翌年の復帰戦を同じサーキットで迎える。

世界が注目する中、
クラッシュしたコーナーを難なくクリアし、
5位という好成績でゴール。

スタッフに拍手で迎えられた彼は、

 5位で騒ぐな!

と悔しがった。

不幸を糧にできるのもまた、天才の所以。

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佐藤理人 13年2月16日放送



ミカ・ハッキネン⑥「最高のオーバーテイク」

2000年F1ベルギーグランプリ。

周回遅れで走っていたリカルド・ゾンタの後ろに
突如2台のマシンが現れた。

トップを争うミハエル・シューマッハと
ミカ・ハッキネンだ。

シューマッハのために左を開けたゾンタを、
右から強引に抜こうとするハッキネン。
しかし右の路面は前夜の雨でびしょ濡れだった。

スピンする!

ハッキネンは迷わずアクセルを踏みこんだ。
時速330km。
世界初の追い越し速度で二人を抜き去り、
彼は見事優勝を飾る。

 20世紀最高

と絶賛されたこのオーバーテイク。
味わった張本人のゾンタは、

 狂ってる!

と思わず叫んだという。

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佐藤理人 13年2月16日放送


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ミカ・ハッキネン⑦「恐妻家」

フィンランド最速のレーサー、
ミカ・ハッキネン。

その妻イリヤの
レースを見つめる眼は険しかった。
険しすぎて、

 ハッキネンは恐妻家だ

というジョークが生まれたほど。

恐らく彼女も闘っていたのだ。
いつ事故で夫を失うかもしれない、
というプレッシャーと。

キャリア絶頂にして突然、
ハッキネンは引退を発表する。

理由は、彼女の妊娠。

二人の間には、勝利より強い絆があった。

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大友美有紀 13年2月10日放送



オーロラ・神秘の言葉

凍てついた雪の大地。
夜空にひらめく光のカーテン、オーロラ。
太陽から放出されたプラズマが
太陽圏に突入することによって発光現象。
科学的にその謎が解明されていても、
実際目にした時、この世のものとは思えない、
神秘的な光景に体が震えるという。

 オーロラはローマ神話の夜明けの女神、
 アウローラの名に由来する。
 人々に明るさと希望をもたらす女神だ。

2012年から13年は、オーロラの当たり年らしい。
明るさと希望がもたらされますように。

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大友美有紀 13年2月10日放送



「オーロラ・神秘の言葉」アリストテレス

オーロラを見るためには、北極の近くの
寒い国へ行かなければならない。
けれど、ギリシャの哲学者アリストテレスの著書、
「気象学」にはオーロラと思える記述がある。
「光のたいまつ」「小さな光明(こうみょう)」
「丸い水差し」「飛び跳ねるヤギ」などと表現している。
現代のローマでオーロラが出現するのは10年に1度ほど。
地球の磁力が今と違っていたのだろうか。

 1点から光が吹き出し、天が避けていく。

これもアリストテレスの記述だ。
未知なるもの、
想像を越えて、なお美しいものは、
恐れられる。

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大友美有紀 13年2月10日放送


musubk
「オーロラ・神秘の言葉」キツネ狩り

中世ヨーロッパの人々は、オーロラは
北の地平線の、さらに彼方の「この世の果て」に出現し、
神の怒りのしるしだと考えていた。

けれどもオーロラが日常的に現れる国々では、
もうすこしやさしい存在だ。

 雪をかぶった山々を
 大キツネが、尾を風になびかせて
 駆け回る。
 大キツネのきらめく毛は、
 色とりどりの光を生み出す。

ラップランド地方では、オーロラの現れる夜は、
キツネ狩りができるほどの明るさなのだ。

フィンランドのボスニア湾に面した地方では、
オーロラは海から生まれると考えられていた。

 巨大なクジラの尾が海面をたたく。
 水しぶきは、光となって空に舞い上がる。

人知を越えた自然の天体ショーは、
恐れにも恵みにも変わる。

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大友美有紀 13年2月10日放送


Billy Idle
「オーロラ・神秘の言葉」ダンス

オーロラは、めまぐるしく動く。
美しい光が夜空でダンスを披露する。
まるで生きているかのように見える。
カナダ北部のイヌイットの言い伝えでは、
それは精霊のダンスだと考えられていた。

 太陽がいない時、
 死者の精霊が、色とりどりの衣をまとい、
 透明な光の中で、楽しく踊る。

オーロラは、異界をかいま見せてくれる、
スクリーンだった。

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大友美有紀 13年2月10日放送



「オーロラ・神秘の言葉」探検家

オーロラの神秘をより多くの人へ
世界へと伝えたのは、「探検家」だ。

ノルウエーの探検家・ナンセンは、
1893年から95年の北極圏征服の旅で、
氷に阻まれ身動きができなくなった。
そのとき何度もオーロラと遭遇する。

 真上のかすかな光が現れ、
 それに向かって地平線から鋭い矢がつき刺さる。
 そして、ゆっくり月の光に溶け込んでいく。
 まるで魂が自分を残して旅だっていくのを
 目前にしているようだ。

南極点のアムンゼン・スコット基地の名前の由来となった
英国のロバート・スコットも、南極のオーロラについて書き残している。

 オーロラが人の心を動かすのは、
 なにかとらえがたい霊妙な生命にあふれたものだからだ。

そしてそれが人々の想像力を刺激するという。

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