薄景子 12年9月2日放送



果物のはなし アレックスちゃんのレモネード

その女の子の名前は、アレックスちゃん。
1歳になる2日前に小児ガンが見つかり、
物心つく前からガンと闘ってきた女の子。

アレックスちゃんは、同じ小児ガンと戦う友だちと
ふたりでガンをやっつけようと約束します。
しかしその矢先、友だちの死に直面。
そして、彼女は決意するのです。

「ママ、私、レモネード屋さんやりたい」

売り上げを病院に寄付して、ガンの薬をつくって、
子どもたち、みーんなを元気にしたい。
そんな一心で、自宅の庭でレモネードスタンドをはじめます。

おつりを寄付する人、遠いところから駆け付けてくれる人。
アレックスちゃんの夢を支えたいと、
やがてスタンドはアメリカ全50州に広がり、
病院への寄付金は膨大な額に上りました。

8歳で天国に旅立つまで、ぎりぎりの力を振り絞って
みんなを元気にする夢を追い続けたアレックスちゃん。
そんな彼女が残した言葉。

「人生が、酸っぱいレモンをくれるなら、
 それで甘いレモネードをつくればいい」

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茂木彩海 12年9月2日放送



果物のはなし 角田光代と梨

忙しくなると、めっきり果物を食べなくなる。
バナナのように簡単に皮がむけるものはさておき、
りんごや梨など秋の果物は、冷やしたり、切ったり面倒だ。

梨好きの作家、角田光代は、果物は娯楽であると言いきる。
ごはんや野菜と違って食べなくともなんの支障もない。
だからこそ、果物には、毎日の余裕があらわれる。

角田は言う。
「そんなに駆けまわらず、あくせくせず、優雅に梨の皮を剥きたいものです。」


rocky
果物のなはし 吉本ばななとバナナ

新人文学賞選考委員の中村真一郎は、
なによりもその「途方もない筆名」に驚いたという。

吉本ばなな。

学生のころアルバイトをしていた喫茶店でバナナの花を見かけた彼女は、
その姿、形に一目ぼれ。
「あんなに大きくて変なものがこの世にあるなんて、それだけで嬉しい」

ばななのそんな感性に出会いたくて、
今日も誰かが、彼女の本を手に取るのだろう。

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小野麻利江 12年9月2日放送



果物のはなし 酒井順子のマンゴープリン

日本のサクランボだのみかんだのといった
生娘のような果物は、
束になってかかっても、
マンゴー姐さんのお色気には
太刀打ちできません、という感じ。

『負け犬の遠吠え』をはじめ、
切れ味鋭く軽妙な語り口に定評のある
エッセイスト・酒井順子。
彼女は人間のみならず、果物にも手厳しく、
マンゴーそのものに対して以上に、
マンゴープリンに手厳しい。

本当に美味しいマンゴープリンには、
生のマンゴーを食べる時の喜びを
さらに増幅させたような感動があると、彼女は言う。
そんなマンゴープリンの存在の希少さを
酒井はまた、独特の表現で言い回す。

美味しいマンゴープリンが少ないのは、
本当に美しい大人の女性が少ないのと、同じこと。

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佐藤延夫 12年9月1日放送


ドメーヌ・ピータン
宮脇綾子の世界1

アップリケの芸術家、宮脇綾子さんは
ごく平凡な主婦でした。

夫は洋画家で、子どもが3人。
毎日、家の雑用に追われていると、
妻、あるいは母という立場で時間が流れてしまうことに
違和感を覚えたそうです。

そして第二次大戦が終わったとき、
自分の中に、ある気持ちが芽生えました。

  今まで防空壕の中に入ったり、出たりした時間が、
  そこにぽっかり浮いた。
  ああそうだ、この時間で何かしてやろうと思ったのだ。

戦争に負けたショックなんて
微塵も感じさせないほどの強さをお持ちでした。



宮脇綾子の世界2

アップリケの芸術家、宮脇綾子さんは
自由に、思うままに、作品をつくりました。

彼女のアップリケは、布のコラージュ。
モデルを観察し、大まかな形をスケッチして
それを布に写し取り、配色や布の柄を考える。

素材は、ありとあらゆるハギレのほか、
古着に布団の切れ端、コーヒーフィルターや畳縁まで何でも利用しました。

モチーフは、魚、果物、野菜、庭に咲く花々。
目に飛び込むものなんでも。全て。

  工夫し、考え、そしてそれが出来上がったときの喜び、
  この気持ちは作ってみた者でなくては分からない感激です。

綾子さんは、自分だけの芸術を手に入れました。



宮脇綾子の世界3

アップリケの芸術家、宮脇綾子さんは
少女時代に、裕福と貧しさの両方を味わったそうです。
小学生のとき親の家業が傾き始めると、
何人もいたお手伝いさんや書生がいなくなり、
女学校の道も諦めました。

  貧乏は悲しい。
  人にも言えず、憶い出したくもない。
  死んでしまいたいと思ったことも幾度かあった。

そのうち、ひとつの小さな縁から、
ある青年との文通が始まりました。
それはのちに夫婦という深い絆で結ばれる、
洋画家の宮脇晴(はる)さんでした。

運命は綾子さんに、やっと微笑んでくれました。



宮脇綾子の世界4

アップリケの芸術家、宮脇綾子さんは
なかなか頑固な人でした。

アップリケを始めるときも、
「家でできること」「人がまだ手がけていないこと」
という取り決めを自分の中でつくったそうです。

アップリケに型紙は使いません。
一日一点を目標にして、
百貨店で見つけた鮭の切り身や
干し柿、巨大なタコに、玉ねぎの断面。
暮らしの中にそっと佇む美しいもの、楽しそうなものを、
すべて作品に変えていきました。

  心して見れば道ばたの草花でも
  台所に転がっている野菜、枯れた花、一匹のさんまでも、
  美しいと思うと美しく見えるのである。
  その感動を私は布へ持っていっただけなのである。

彼女の作品を、一度ご覧になってみてください。
ハギレとハギレの間に、なんとも言えない温かさが見えますから。



宮脇綾子の世界5

アップリケの芸術家、宮脇綾子さんは
仕事に対して忠実な人でした。

自然をよく見ること。

デッサンをしっかりすること。

よきものを見、感動すること。

美は真似るものではなく創り出すこと。

巧くやろうと思うな全力を尽くせ。

そして、日本古来の美しさや職人技を、後世に残すべきだと思いました。

藍染めの木綿、縞(しま)、絣(かすり)、更紗(さらさ)、縮緬。
その全ての繊維は、伊勢海老や唐辛子、アネモネの花に変わり、
ユーモラスな命が吹き込まれていきました。



宮脇綾子の世界6

アップリケの芸術家、宮脇綾子さんの作品には、
必ず「あ」という文字が入っています。

これは、綾子の「あ」であり、
アップリケの「あ」でもあり、
何かに感動したときの「あ」という意味でもあるそうです。

魚の多くが受け口であること。
れんこんの穴の数はいつも9つであること。
そんな純粋な驚きが、「あ」という文字に込められています。

あなたも明日から、「あ」を探しに行きませんか。



宮脇綾子の世界7

アップリケの芸術家、宮脇綾子さんと夫の晴さんは、
一卵性夫婦と言われるほど仲良しだったそうです。

洋画家の晴さんは、綾子さんのアップリケに敬意を払っていたのでしょう。
亡くなる前、子どもたちにこんなことを言い残しました。

  お母さんをいたわって、仕事を続けさせてくれるように頼む。

それから何年かして開催された、
創作アップリケ40周年の展覧会。
その図録の巻末には、綾子さんから晴さんへ、愛の言葉が記されていました。

  あなたが病床でおっしゃいました。
  「お前に会えてよかった」と。
  私こそ、あなたと暮らした58年が、
  私の楽しい一生でした。すばらしい人生でした。
  ありがとうございました。合掌。
  もう一度あなた、お逢いしたいです。

こんな美しいラブレターには、
なかなかお目にかかれません。

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三國菜恵 12年8月26日放送



夏の終わりに  鎌田敏夫(かまた としお)

関西弁で「そやさかい」というのを、
徳島弁では「ほなけんな」というのだそうだ。

徳島出身のシナリオライター
鎌田敏夫(かまたとしお)は、
こののんびりとした言い回しを聞くと、
故郷の夕なぎの景色を思い出すのだという。

 夏の夕方にそよとも風が吹かなくなる、あの一瞬。
 阿波弁を聞くと、ぼくは、いつも、そのときの空気を
 思い出してしまうのである。



夏の終わりに  青山七恵(あおやま ななえ)

「ひとり日和」などの作品で知られる
小説家・青山七恵(あおやまななえ)。

彼女はある夏、フランスに留学した。
そのときに、旅先から帰国後の自分へ手紙を送る、
というあそびをしてみた。

7月27日。
彼女は、手紙のなかで帰国後の自分にこう問いかけた。

 元気ですか?

それに対して、
8月31日の青山さんが書いたのは、こんなお返事。

 私はたぶん、少しだけ変わりました。
 学生時代からずっと長くしていた髪を切りました。
 少なくとも、髪の毛くらい、変えることはかんたんだと、
 よくわかりました。

夏のはじまりにはなかった気持ちが
夏の終わりには育っている。


きっちん
夏の終わりに 岡野廣美(おかの ひろみ)

東京・根津にある花屋
「花木屋」の店主、岡野廣美(おかのひろみ)。

彼女は職業柄もあってか、
匂いから季節を感じるのが得意なのだという。

十字路で沈丁花の香りに出くわせば、三月。
市場でバラの匂いがすれば、五月。
不忍池で蓮の匂いがあたり一面に漂えば、真夏。

そんな彼女に、都会で秋を感じる匂いを聞いてみた。

 空気が汚れていると、花つきが悪いと言われているキンモクセイも
 秋には香りのよいオレンジ色の花を咲かせます

キンモクセイが香るころは
衣替えも終わっているだろうか。

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三島邦彦 12年8月26日放送


ヤマザキノブアキ
夏の終わりに 安野光雅(あんのみつまさ)

1945年の夏の終わり。
19歳の青年が、靴下いっぱいにつめた米を手に、
軍隊から両親の住む家へと帰ってきた。

出征の時に
両親と別れた峠に再びやって来ると、
ふもとの野原には曼珠沙華が一面に咲いていた。

 わたしは着ていたものをすべて脱いで煮沸し、
 シラミの卵を退治して、やっと兵隊というものから、
 普通の人間に戻ったのだと思っている。

青年はこうして自分の日常を取り戻していった。
焼け跡のぼろぼろになった街を歩きながらも、
安野の目には明るい未来がほのかに見えていた。

 絶望に似た不思議な混沌から、
 何かが芽生えてくる期待だけがあった。

青年の名前は、安野光雅。
豊かな色づかいとやわらかなタッチの水彩画で、
画家として、絵本作家として、
後に海外からも高い評価を受けることになる。

その夏の終わりは
日本中で新しい季節が始まろうとしていた。



夏の終わりに 堅田外司昭(かただ としあき)

1979年の夏の甲子園。
和歌山の箕島高校と
石川の星稜高校の延長戦は
星陵が2度のリードを守れず
最終イニングの18回へ。
両校とも体力は限界に達し、
決着は翌日の再試合に持ち越しかと思われた。

しかし、18回の裏、
星陵の堅田投手が投げた208球目が打たれ、
星陵の夏は突然の終わりを迎える。

その日を振り返り、堅田投手は言う。

 ぼくは泣かなかった。
 眠れずにみんなと話し合っていたことは、
 これで野球からしばらく解放されるということだった。

夏が終わるたび、球児たちは大人になる。
全力を尽くしたものだけが持つ輝きを手に入れて。

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中村直史 12年8月26日放送


あまから
夏の終わりに   井上陽水と玉置浩二

せつなさを感じるのは、
大切にしたい何かをもっている証拠です、と言った人がいた。
大切にしたいと思う時間や、人物や、感情がある。
それらと自分の間に距離を感じてしまうとき、
せつなさを感じてしまうのだと。

8月最後の日曜日。
去りゆく夏を、どんな気持ちで見送ればいいだろう。
もし、せつない気持ちを感じていたら、
それは、何かを大切だと思っている証拠。

「夏の終わりのハーモニー」という歌がある。
井上陽水と玉置浩二、2つの才能が、奇跡的な出会いをしたこの歌も、
せつなさは決してネガティブな感情ではないと教えてくれる。

 真夏の夢 あこがれを
 いつまでも ずっと 忘れずに

忘れられないせつなさを抱きしめた
夏の終わりを感じられますように。

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三島邦彦 12年8月26日放送



夏の終わりに  正岡子規

病の床で正岡子規は、
一年前の夏を思い出していた。
フランクリン大統領の自伝を読むことを日課にしていた夏だった。

 去年はこの日課を読んでしまうと、
 夕顔の白い花に風がそよいで
 初めて人心地がつくのであったが、
 今年は夕顔の花がないので暑苦しくて仕方がない。

晩夏の厳しい日射しの中で、
子規の最後の夏が
ゆっくり終わろうとしていた。

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中村直史 12年8月26日放送


tokushima2000
夏の終わりに  桜井広海

なんにもしないうちに、
夏が終わってしまったなあ。
そんなセリフがちらほらと聞こえだすこの季節には、
15年前、とある男が海辺で言った一言を思いだす。

 夏の終わりは自分で決める。

テレビドラマ「ビーチボーイズ」の中で、
反町隆演じる桜井広海(さくらいひろみ)が言った言葉。

なにかはじめるのに遅いことなんてない。
そんな気持ちにさせてくれる。

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古居利康 12年8月25日放送



ドナルド・エヴァンズの国へ ①

ドナルド・エヴァンズは画家だった。
その絵はすべて、
切手のかたちで描かれた。

どこにもない国の、
だれも行ったことのない風景。
だれも食べたことのない果物。
だれも会ったことのない動物。

そんな絵を、
ちいさく緻密に描いて切手にした。

31年という、
決して長くないその生涯において、
42の架空の国をこしらえて、
その国々で発行された切手を
4000枚以上遺した。

ドナルド・エヴァンズは画家だった。
こどもが切手をあつめるように、
切手の絵だけを描きつづけた画家だった。



ドナルド・エヴァンズの国へ ②

1945年、
アメリカ・ニュージャージー州の
モリスタウンで生まれた画家、
ドナルド・エヴァンズ。

女王エリザベスⅡ世が1953年に
戴冠したとき、8歳のエヴァンズ少年は、
架空の記念切手をつくった。

野球やオートバイや女の子・・。
おなじ世代のアメリカの男の子たちが
夢中になるものよりも、
地図や百科事典が好きな少年だった。

10歳のころ、どこにもない国の切手を
すでにつくっていた。

その国に名前をつけ、
その国の風景を想像し、
その国の歴史や言語まで発明した。

15歳になったとき、
15の国と1000枚の切手ができていた。
ドナルド・エヴァンズは
それを3冊の切手アルバムに
だいじにおさめていた。



ドナルド・エヴァンズの国へ ③

ドナルド・エヴァンズは、
じぶんの頭のなかでこしらえた想像の国で
使われている切手だけを、生涯描いた画家だった。

たとえば、
中南米のどこかにあるかもしれない
架空の国、バナナ共和国。

バナナ共和国で実るフルーツ。
バナナ共和国に生きている動物・鳥・虫。
バナナ共和国に生えている花・樹木。
バナナ共和国で暮らす人々の日用品。

外国資本によるプランテーションをめぐって
つねに政治闘争に明け暮れている、
という想定でつくられた国。
しかし、その国の切手はどれも牧歌的だ。
もしかしたら、どこかにあるかもしれない国の、
ふしぎなリアリティがそこにあった。



ドナルド・エヴァンズの国へ ④

どこにもない国。
でも、どこかに存在していても
ふしぎじゃない国。
そんな国を想像力でつくりあげ、
その国の風物を絵にして、切手をつくった、
切手の画家、ドナルド・エヴァンズ。

スカンジナビアのどこかにある
というイテケ王国は、女王イテケの国。
美しい舞踏家、イテケ・ヴァーテボルグを
モデルに、女王の肖像画を36枚描いて
切手にした。

パスタ自治区という国は、
エヴァンズのパスタ好きが高じて生まれた。
絵柄はもちろん、スパゲッティやマカロニ。

宋栄(スンソン)王朝は、
エヴァンズが好んで収集していた
中国・宋時代の陶磁器から命名。
漢数字をデザインした。

フランス領アミとアマンとういう双子の島。
雷で打たれ、焼け焦げたヤシの木だけを
20枚描いて、切手にした。

ドナルド・エヴァンズが夢想した国。

フランディア。
スロボヴィア。
ジェルメンド。
オランダ領アハターデイク。
リュプス王国。
東クンストランド。
西クンストランド。
トロピデス諸島。
アジュダニ。 
グノーティス。
  ・
  ・
  ・

どの国も、
匂いや音や手触りをもっている。
ドナルド・エヴァンズの想像力は、
つねに具体的だった。



ドナルド・エヴァンズの国へ ⑤

ドナルド・エヴァンズは、
画家を志して大学に入り、
ニューヨークに出て働きながら
絵を描いていた。

あるとき、3冊の切手アルバムを
友人に見せた。おどろいた友人は、
きみはこれをつづけるべきだ、と言った。

やがて、ドナルド・エヴァンズは
オランダに渡る。
レンブラントやフェルメールの国で、
再び切手の絵を描きはじめる。

ヨーロッパの小国、ナドルプ。

マレー半島にあるスラマット・マカン共和国。

敬愛する作家、ガートルード・スタインを
モチーフにしたスタイン国は、
文芸独裁制という独特の政治をおこなう国で、
切手にはスタインの文章がそのまま
書かれていた。

国は次から次へ生まれ、切手が増えていった。



ドナルド・エヴァンズの国へ ⑥

「切手というものは、」

と、ドイツの文明批評家、
ヴァルター・ベンヤミンが書いている。

 「大きな国が、子供部屋で差し出す名刺である。
  こどもはガリヴァーとなって、切手の国々や
  民族を訪ね歩く。」

画家ドナルド・エヴァンズが
つくった切手は、
どこにもない国へつづく、
ちいさな入り口なのかもしれない。

paloetic
ドナルド・エヴァンズの国へ ⑦

切手の画家、ドナルド・エヴァンズは、
1977年、アムステルダムの友人の家で
火事に巻きこまれて焼け死んだ。

31歳。
オランダに渡って5年後のことだった。

詩人、隆は、
ドナルド・エヴァンズが残した
切手の世界にどうしようもなく惹かれ、
二度と戻らない旅に出てしまった
ドナルド・エヴァンズに宛てて、
何枚も葉書を書いた。

たとえば、こんな葉書を。

『あなたが描いた四千枚の切手、
 それを描くことでつくられていった
 空想の四十二の国々と、
 その気候、風物、通貨、言語、そして人々。
 あなたはそれらを、充分に秩序立てて
 描いたばかりではなく、
 あなたにとっての唯一の書物ともいうべき
『世界のカタログ』の中に、
 それらの発行にかんする詳細なデータを付して、
 封じ込めていった。あなたが描くたびに、
 その書物はふくらみ、ひとたびあなたが
 描かなくなると、増殖と飽和の果てで
 中断された書物は、かえって、世界という
 吹き曝しの地平をひろげてみせるようです。』

そんな葉書を186通あつめたうつくしい本、
平出隆の『葉書でドナルド・エヴァンズに』。
本の帯にはこんな惹句が載っている。

  「架空の国の切手の、
  架空の国々への、
  ほんとうの旅」

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