2013 年 1 月 27 日 のアーカイブ

名雪祐平 13年1月27日放送



大島渚がいた 1

駅前で、少年が鳩を売っている。

巣に帰ってくる鳩の本能を利用した
ずるがしこい商売だった。

同情した金持ちの少女が、
少年を貧しさから
救おうとするのだが・・・・・・。

そんな甘いセンチメンタリズムを遮断し、
社会のシビアな現実をあぶり出した
映画『愛と希望の街』

大島渚、27歳のときの処女作である。

愛、希望、街、という言葉をかさねた
センチメンタルな題名は
映画会社のご都合。

最初の題名は、
『鳩を売る少年』だった。

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名雪祐平 13年1月27日放送


quinn.anya
大島渚がいた 2

女子高生が色じかけで
中年男を誘う。

あとから若い男が現れ、
中年男から金をまきあげる。

映画『青春残酷物語』で大島渚は、
若い性と暴力を描きながら、
旧い世代へのいらだちをあらわにした。

戦争責任をとらない父の世代。
学生運動に挫折する兄の世代。

腐った大人たちにいらだつ
若い二人も破滅に向かっていく。

中絶手術のあと、麻酔で眠る女を見下ろし、
男がリンゴをまるごと
音を立ててかじるショットは鮮烈。

それ以降、青春映画といえば、
主人公の若者がリンゴをかじるようになった、
という説があるほど。

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名雪祐平 13年1月27日放送



大島渚がいた 3

1960年、大島渚は
3本の映画を公開した。

『青春残酷物語』
『太陽の墓場』
この2本はヒット作となり、
大島は松竹ヌーベルヴァーグの旗手と呼ばれ、
スターになった。

だが、3本目の『日本の夜と霧』は、
公開わずか4日で上映中止になる。

表向きの理由は「不入り」。

実は、時の国家権力から
クレームが入ったといわれている。

60年安保闘争を舞台に
ディスカッションを繰り広げる
前衛的な映画だった。

社会党の浅沼委員長が17歳の少年に刺殺されるという
不穏な世の中の空気のなかで公開された。

そういう時期に、政治状況に対する批判を含む
『日本の夜と霧』の上映に
政治的な横やりがあったという。

無断で上映中止した松竹に、大島は激怒した。
激しく抗議し、会社との契約を破棄。
違約金を払い、松竹を退社した。

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名雪祐平 13年1月27日放送


Patrick Feller
大島渚がいた 4

 俺たちは完璧に死刑場を調べ、
 本物そっくりの死刑場を建て、

映画『絞死刑』の予告編。

大島渚は、
首つりのロープの輪に自分の首をはめ、
苦しそうに、しかし、必死に訴えた。

 国家がある限り、
 俺たちは何をするのも許される。
 
 つねに国家に罪があり、
 俺たちには罪がない。

 国家こそ有罪で、
 俺たちは無罪なんだ。

大島は、
国家はなぜ死刑や戦争で合法的に
人を殺すことができるか
という命題を観客に突きつけた。

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名雪祐平 13年1月27日放送



大島渚がいた 5

愛する男、吉蔵の首を腰紐で絞め、
性器を切り取った女、阿部定。

この阿部定事件をモチーフに、
大島渚は傑作『愛のコリーダ』を
完成させた。

男と女のエロスが極限となり、死にいたる。

その本質をどう描くか。
大島は日本初のハードコア・ポルノの表現をとった。

美しい映像と人間の精神世界が見事に描写され、
国際的な高い評価を得たが、
日本では膨大な修正を経て、1976年に公開。

目をつけた警視庁は、
映画の脚本と写真が掲載された単行本を押収。
東京地検はわいせつ文書として大島を起訴した。

大島は、裁判でこう喝破した。

 「わいせつ、なぜ悪い」と問いたい。
 わいせつは検察官の心の中にだけしかない。

そして、無罪判決を受け、言った。

 有罪のほうがよかった。
 憲法判断を避けた肩すかし判決だ。

映画『愛のコリーダ』が
ほぼ完全ノーカット版で日本で公開されたのは
2000年のこと。

大島の思想に遅れること、24年。やっと。

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名雪祐平 13年1月27日放送



大島渚がいた 6

1980年、ロック界のスーパースター、
デヴィッド・ボウイに
大島渚が映画出演をオファーした。

映画は『Merry Christmas,Mr,Lawrence』
日本では『戦場のメリークリスマス』

映画音楽もボウイに依頼したが
領域外と断られた。

自分から音楽をやりたいと言ったのが
坂本龍一だった。

そこから、あの傑作サウンドトラックを生まれ、
坂本は4年後の『ラストエンペラー』で
アカデミー賞オリジナル作曲賞を受賞する。

坂本ともに出演したビートたけしも、
この映画がなければ
世界的な映画監督にならなかったかもしれない。

きっかけは大島渚という
二人にとってのヒーローだった。

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名雪祐平 13年1月27日放送


Rita Molnár
大島渚がいた 7

1996年、映画『御法度』の
製作発表をしてまもなく、
大島渚はロンドン・ヒースロー空港で倒れる。
脳出血だった。

治療とリハビリの闘病生活を経て
1999年『御法度』を完成。

これまで個性的な新人を見いだしてきたように、
俳優の故・松田優作の息子、松田龍平を
主役に抜擢。
松田はこの年の賞を総なめにする。

映画への執念と殺気によって
大島らしい緊張感のある映像美がつくられた。

大島渚、13年ぶりのこの新作が
遺作となった。

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名雪祐平 13年1月27日放送



大島渚がいた 8

1993年、当時31歳だった映画監督、
園子温との対談で
大島渚はこう語った。

 犯罪者なんて
 動機が分からないからやるんであって、
 動機があったら犯罪なんてやりませんよ。

 僕が映画で犯罪を取り上げてきたのは、
 そこであってね。
 「俺はこういう理由で人を殺すんだ」
 なんて分かってたら人を殺せないですよ。

 動機が分からないから、一番怖い。

大島渚は、分からないから、映画にした。

大島渚の自由さとは何だったのだろう。
それも分からないから、おもしろかった。

僕たちの時代に、大島渚がいた。
ありがとうございます。

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