2014 年 3 月 のアーカイブ

蛭田瑞穂 14年3月22日放送

140322-01

治す人々①

赤十字の父アンリ・デュナン。

1859年、イタリア統一戦争のさなか、
アンリ・デュナンは北イタリアで、
20万の兵士が衝突する激しい戦闘を目にした。

無数の負傷兵が横たわる戦場で
アンリ・デュナンは敵味方の分け隔てなく救援活動を行なった。

3年後、その時の体験を綴った手記を出版。
この本が契機となり、のちに国際赤十字が結成された。

現在、国際赤十字は世界189カ国に設立され、
戦争や災害の犠牲者に対する救援活動をおこなっている。

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蛭田瑞穂 14年3月22日放送

140322-02

治す人々②

1854年に勃発したクリミア戦争に従軍し、
戦場で傷ついた多くの兵士を看護した
フローレンス・ナイチンゲール。

その献身的な働きぶりから、彼女はいつしか
「クリミアの天使」と呼ばれるようになった。
現在、看護師を「白衣の天使」と呼ぶのは彼女に由来する。

そのナイチンゲールはこんな言葉を残している。

 天使とは美しい花をまき散らす者ではなく、
 苦悩する者のために戦う者である。

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蛭田瑞穂 14年3月22日放送

140322-03

治す人々③

1971年、ナイジェリアの内戦を機に
フランスの医師とジャーナリストたちによって創設された
「国境なき医師団」。

 すべての人に医療を受ける権利があり、
 医療の必要性は国境より重要である。

その信念に基づき、世界各地の貧困地域や紛争地域で
医療援助活動をおこなっている。

2011年に起こった東日本大震災では
震災の翌日に被災地に入り、医薬品や救援物質の配布をおこなった。
その活動は震災から3年がたった今も続けられている。

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蛭田瑞穂 14年3月22日放送

140322-04

治す人々④

作家魯迅は23歳で日本に渡り、仙台医学専門学校、
現在の東北大学医学部に留学している。
医学によって祖国中国の近代化を進めることが
彼の夢だった。

しかし、日本から祖国を見て、必要なのは医学ではなく、
文学による精神の改革であると感じ、作家を志す。

魯迅の代表作『故郷』はこんな言葉で結ばれる。

 思うに希望とは、
 もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。
 それは地上の道のようなものである。
 もともと地上には道はない。
 歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。

人々を癒し、希望の光を当てる。
医学にも文学にも同じ力がある。

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三島邦彦 14年3月16日放送

140316-01

夢みるおとなたち アントニオ・ガウディ

1926年6月7日、
バルセロナで一人の老人が路面電車にはねられその生涯を閉じた。
身元は、行方不明の捜索を願い出てきた
弟子たちによって判明した。

老人の名前はアントニオ・ガウディ。
未完の大聖堂サグラダ・ファミリアの設計者である天才建築家だった。

31歳で大聖堂の設計を任されてから
74歳で天に召されるまで。
ガウディはその人生のすべてを
サグラダ・ファミリアの設計にささげてきた。

教会の設計をするには
キリスト教への強い信仰が必要だと言って、
厳しい断食を自らに課すなど、
その姿勢は鬼気迫るものがあったという。

ガウディがサグラダ・ファミリアですごした死の前日。
仕事を終えたガウディは、弟子たちにこう声を掛けた。

 明日はもっといいものを作ろうじゃないか。

ガウディから明日を託された者たちによって、
その見果てぬ夢は、少しずつ完成へと近づいている。

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三島邦彦 14年3月16日放送

140316-02

夢みるおとなたち トーマス・エジソン

発明王、トーマス・エジソン。
彼が67歳の時、
研究所が大きな火事になった。
燃えさかる研究所を
家族と一緒に見つめながら、
大発明家は平然とこう言ったという。

 自分はまだ67歳でしかない。明日から早速、ゼロからやり直す覚悟だ。

新しい発明にいつも大きな夢を見ていたエジソン。
その後も17年に渡り、斬新なアイデアを生み出し続けた。

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三島邦彦 14年3月16日放送

140316-03
ilovetypography.com
夢みるおとなたち 草間彌生

美術家にとって夢とは何か。
水玉模様をモチーフにした作品で知られるアーティスト、
草間彌生はこう語る。

 歴史的な仕事をしていきたいです。
 後世、100人見て、たったひとりの人がこれは素晴らしいと
 いってくれるような作品を残していきたいですね。その他は目じゃないです。

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中村直史 14年3月16日放送

140316-04
S/L
夢みるおとなたち レスリー・キー

どうして日本に来たのか。
その質問に、
シンガポール出身の写真家レスリー・キーは答えた。

 日本に来てカメラマンになったら、
 大好きなユーミンに会えると思ったんだ!

工場で働いて、日本へ行くお金を貯めた。
学校に入るため、日本語を猛勉強した。
プロになって、写真をとりまくった。

シンガポールを離れて7年。
2001年の5月13日、
その日はやってきた。

自身初の写真集のため、ユーミンを撮影した。
コンセプトは
“Dream of the Lovers”だった。

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中村直史 14年3月16日放送

140316-05

夢みるおとなたち アルフレッド・ヴェーゲナー

時は20世紀初頭。
男は、世界地図を広げ、考えた。
南アメリカの東の海岸線と
アフリカの西の海岸線が似ているのは、なぜだ。

それまでも、この疑問に答えを出そうとした科学者はいた。

けれど、気象学者アルフレッド・ヴェーゲナーの結論は、
ひときわ夢想じみたものだった。

「かつて、地球上のすべての大陸は、ひとつの巨大大陸だった」

異端の学説として退けられた、
ヴェーゲナーの大陸移動説。
それが、地球物理の定説となった時、
ヴェーゲナーはもうこの世にいなかった。

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三國菜恵 14年3月16日放送

140316-06
keatl  
夢みるおとなたち 手塚治虫

小説家になりたかった。
野球選手になりたかった。
けれど、普通の大人になっていた。

そんなみなさまへ、
漫画家・手塚治虫のこんな言葉を。

夢は2つ以上持ってください

じつは医者になりたかった手塚治虫。
漫画家のかたわら、医師免許獲得のために勉強をつづけていた。

なぜなら夢が1つしかないと
その夢がやぶれたときに挫折してしまうから。

かなった夢と、かなわなかった夢。
2つを交互に磨くことが
自分をかなえるエネルギーになるようです。

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