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2009 年 6 月 のアーカイブ

中村直史 09年6月21日放送

1

武満徹・段ボールの鍵盤

いつしか大河となり
海へ出ることを夢見る
一滴の湧水のように、
その段ボール紙は、夢を見ていたのかもしれない。


戦争が終わり、
焼け野原からようやく
人々が立ち上がろうとしていたころ。


男は段ボール紙でつくった鍵盤を
ピアノ代わりに作曲していた。


食べるものも着るものも
限られていたけれど、
想像力には限りがなかった。


 私の物言わぬ鍵盤からは、ずっと沢山の音がなり響いていたように思います。

作曲家、武満徹。
ピアノも持たず
音楽学校にも通ったことのない
小さな作曲家が世界を驚かす、
その始まりのこと。


2

武満徹・作曲の作法

表現をする人は
幸せになっちゃいけない、
とある人が言った。


名だたる芸術家たちが
自らの苦しみをもとに
名作を生み出した事実も数多くある。


が、武満徹は違った。

 幸せでないと、作曲なんかできません。

だから、武満の作曲は、
妻に「ごめんね」というところから始まる。


前の日の夫婦げんかさえ、
心にひっかかったままでは
仕事にとりかかれなかったのだ。


3

武満徹・突然のピアノ

豊かさは、お金ではなく、
気持ちで決まると僕らは知っている。
ときどきそれを忘れてしまうのが、残念だけれど。


段ボール紙でつくった鍵盤を手に、
作曲家を夢見た若き武満徹。 
彼のもとに、ある日突然
本物のピアノが送られてきた。


送り主は、作曲家、黛敏郎。
武満の噂を聞き、自分の苦労と重なった。
ピアノは、武満を奮い立たせた。


それから何十年もたった1991年のサントリーホール。
音楽賞受賞のステージで
そのピアノの話になったとき、
武満は突然下を向き、泣きだしてしまった。


苦しい時代を、
豊かに過ごした人たちがいた。
忘れたくない。


4

黒田三郎

 紙風船

 落ちて来たら
 今度は
 もっと高く
 もっともっと高く
 何度でも
 打ち上げよう

 美しい
 願いごとのように


詩人、黒田三郎さんは
言葉を喜ばせるのが上手な人でした。


喜んだ言葉たちは、
お返しに、とばかり
人を喜ばせてくれます。


5

コナン・ドイル   

1893年、事件が起きた。
イギリスで最も有名な男が殺されたのだ。
被害者の名は、シャーロック・ホームズ。


彼の死は、
ロンドン中に衝撃を与えた。
抗議行動が起こり、
プリンス・オブ・ウェールズが、
出版社に手紙を送った。


死に追いやったのは、作者コナン・ドイル。

自ら生み出した世紀のヒーローに
すべての時間を奪われ、
いつしか、殺しの計画を立てていた。


小説には描かれなかった、
もうひとつのストーリー。






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6

南方熊楠

履歴書を前にすると、
あの人のことを思い出す。
そして、敵わないと思う。
あまりの敵わなさに、うれしくもなる。


趣味の欄。
彼ならどう書くだろう。
草花、キノコ、コケ、土、星、化石、人間、
動物、宗教、エトセトラ、エトセトラ。


ミスター森羅万象、南方熊楠。

実際に彼が書いた履歴書は、
長さにして、7メートル70センチ。


ああ、敵わない。

子どものころ
山の草花に夢中になり、
2,3日帰らなかった。
村人たちは神隠しだと言ったが、平気な顔で帰ってきた。
ついたあだ名は「天狗ちゃん」。


やっぱり、敵わない。

おーい、ニッポンのみなさん。
ぼくらにはすごい先輩がいるぞ。


「なんだかこのごろつまらない」
なんて言ってると、はずかしいぞ。


7

永井荷風

何を恥ずかしいと思うかが、
その人の才能なのだという。


彼は、歯の欠けた
その顔を恥ずかしいと思わなかった。


家庭を顧みないことも、
ケチと呼ばれることも、
ノゾキ趣味さえも、
恥ずかしいとは思わなかった。


奇人、永井荷風。

ただ、
誰かが書いた様なものを書くのは、
恥ずかしかった。


8

アーネスト・ヘミングウェイ

「草食系男子」なんて言葉を聞いたら、
ヘミングウェイは笑うだろう。


彼は「男」であろうとした。
生きざまも。小説のテーマも。そして文体も。

 なすべきことは、一文たりと疎かにせず正確な文章を書くこと。
 たがわず顎に一撃くらわす文章を。


男どもよ。
ヘミングウェイという名の、肉を喰らえ。
余分な脂肪はなく、
噛みごたえがあり、
血の滴る肉を。




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保持壮太郎 09年6月20日放送

06_20_1

ジョルジュ・ルメートル


ジョルジュ・ルメートル。

彼は、
宇宙物理学者だった。

同時に
カトリックの司祭でもあった。

科学と宗教。

かねてより干渉や対立を
くりかえしてきた
ふたつの原理が
彼の中には同居していた。
そんなルメートルがとなえた
ひとつの仮説がある。

この宇宙は、
たったひとつの“原始的原子”が
爆発することで生まれた。


のちに“ビックバン理論”と呼ばれる
この科学的かつ神話的な宇宙論は、
ジョルジュ・ルメートルだからこそ、
たどりつけた宇宙に思えてならない。





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06_20_2

クリスチャン・ネステル・ボヴィー


最近のセカイは
くりかえしている。
何もかもが
何かの焼き直しみたいで。

カエルの子はカエル。
セレブの子はセレブ。
僕の感じる孤独は、
たぶん父さんの感じた孤独で。
僕が誰かを軽蔑するときの目は、
母さんが僕を見るときの目に似ている。

アメリカの作家、
クリスチャン・ネステル・ボヴィーは

すべてが失われようとも、まだ未来が残ってる。

といったけれど。
もはや僕らは
すべてを失わないことには
あたらしい未来には
出会えない気がする。

まあ、
こんな不安もきっと、
昨日の誰かのくりかえし。




06_20_3

エリック・ドルフィー


音楽は、
いちど聴き終わってしまえば
空中へと消えてしまうもの。
二度とそれを
掴み取ることはできない。


ジャズにおける
即興演奏の可能性を切りひらいた
エリック・ドルフィーの
そんな言葉を耳にするたび、
僕たちは、
苦笑をかみ殺さずにはいられない。

だって僕たちは、
その消えてしまったはずの
音楽ってやつに
いまさら手を伸ばして、
デジタルでマッピングして、
バカ高いアンプとスピーカーで鳴らして、
必死に掴み取ろうとしているのだから。

ほら、こうして。




06_20_4

清水義範(しみずよしのり)


人間のクリエーティビティが
無限だとするならば、
それを有限の世界に
定着させるためにあるのが
“締め切り”の存在だ。

小説家、デザイナー、
エッセイスト、コピーライター・・・。
彼らは、“締め切り”という名のカミソリで、
自らの創作意欲と、可能性と、
未練と、根拠のない自信を切断し、
ひとつの作品としてカタチにする。

小説家、
清水義範が書いた
「深夜の弁明」という短編がある。

それは、締め切りを守れない作家が、
編集者に言い訳とお詫びの文章を書くうちに、
いつしかその弁明が、
小説の予定枚数に達してしまったというもの。

なるほどそうゆう方法もあるのかと、
締め切りから10日遅れで、
このラジオの原稿を書いている深夜の私。




 face in can

チャールズ・R・ダグラス


1953年、
ラジオ技術者の
チャールズ・R・ダグラスが
ひとつの画期的な発明をした。

Canned Laughter
(SE:Canned Laughter)

“缶詰の笑い”
と呼ばれたその道具は、
ボタンひとつで
人工的な笑い声を
発生させることができた。

その後Canned laughterは
またたくまに世の中へと広がり
笑い声が、笑うべきものの存在を
強化し、強制し、捏造するという
シュールなコメディがはじまった。

戦争。
(SE:Canned Laughter)

貧困。
(SE:Canned Laughter)

そして世界の笑えない現実は
何一つ変わらないまま。
(SE:Canned Laughter)




06_20_6

サルバトール・ダリ


天才と聞いて
あなたが思い浮かべる
イメージのいくつかは、
おそらくサルバトール・ダリ
その人のものだ。

不自然なほどに見開いた目、
ピンと跳ね上げて固めたひげ。
フランスパンを頭にのせてリーゼントヘアと称し、
ソルボンヌ大学での特別講演会には
カリフラワーを満載した
真っ白いロールスロイスで乗り付けた。

混乱が一番。偶然は創造性を生み、秩序は退屈だ。

と語る彼にとって
“天才であること”もまた
彼の芸術の一部なのかもしれない。




8

種田山頭火


小学校のころ
担任だった樫村先生は、
たぶん先生には
むいていない人で。

俳句をおしえるときだって、
5・7・5の話も
季語の説明もせずに、
松尾芭蕉や、
小林一茶なんかのページも
すっとばして、
教科書の隅っこに、
ぽつん、と載っていた一句を、
だいじそうに
黒板の真ん中に書いた。

山から風が風鈴へ、生きてゐたいとおもふ
種田山頭火


騒々しかった教室が、
そのときなぜだか、
しん、と静まりかえったのを覚えてる。

みなさん、これが俳句です。

と言って笑った樫村先生。

おかげで僕らは、
学年テストで赤点をとり、
俳句がちょっと好きになった。



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五島のはなし⑨

五島への行き方はわかった。
ビーチや山や祭りや、見どころもちょっとだけわかった。
で、夜はどう過ごせばいいのよ?
という声(もちろんそんな声あがってませんが)にお応えして、
今日は福江島のナイトスポットをご紹介します。

まず、ごはん。
いい店は、町を歩いている人に聞いてみてください。
ふれあいも生まれますし。
・・・すみません実は18までしか島にいなかったからあんまり外食してないんです。

そしてごはんが済んで、ちょっとお酒でもと思ったら
迷わず「ロイヤルパブ・シャーロック」に行ってください。
福江には人口と同じくらいの数のスナックがありますが、
パブはない気がします。なのにパブを通り越して、ロイヤルパブですから。
楽しいお店です。島の伝説から素潜り漁のことまで。
女性たちの話が抜群におもしろいです。そしてリーズナブルです。

シャーロックをのぞいてみて、もうちょっと静かな雰囲気で飲みたいな
と思ったら、シャーロックの2号店「クラブ・ホームズ」をお勧めします。
クラブです。ウイスキーグラスに入った氷のカランコロン音とともに、
ふけてゆく島の夜を堪能できます。

余談ですが、シャーロックが2号店を出すことになったとき、
「あんた東京でコピーライターなんかしよるけん名前ば考えて」と頼まれました。
シャーロックの姉妹店か・・・僕は迷わず「ワトソン」と言いました。
数日後「名前は、ホームズに決まったけん」と伝えられました。
へこみました。

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五島のはなし⑧(三島邦彦版)



僕の話ばかりでは、みなさんの五島観に偏りが出てしまうので
他の人に五島のことを書いてもらいました。
つい先日、僕と同じ職場に配属になった
新人コピーライター、三島邦彦くんです。
長崎市出身ですが、おばあちゃんが五島・福江島の人という逸材です。
↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓

そんな祭り、本当はないのかもしれません。
実際に見たことがないので、
心のどこかでその暴力的に理不尽な祭りの存在を
信じていない自分がいます。
ただ、毎年一月の大寒の頃、
長崎にはその祭りのニュースが流れるのです。

祭りの名前は「ヘトマト」。
長崎県の五島に伝わる、日本三大奇祭の一つです。
あとの二つは知りません。
へトマトという名前の由来に定説はなく、
トマトは全く関係ないということがわかっているだけです。

では、へトマトを紹介した新聞記事を引用します。

「大草履に女性乗せ 五島で奇祭へトマト

雨の中、体にすすを塗り付けた締め込み姿の男たちは、
大草履を担いで練り歩き、沿道の若い女性を次々に乗せては揺すり、
気勢を上げた」(長崎新聞2007年1月17日)

これが、ヘトマトです。
この、文字にしたときの力強さ、悔しいですが、たまりません。

毎年、1月16日頃に開かれるようですので、お祭り好きの方、
大草履に乗せられたい未婚の女性は、
だまされたと思って行ってみてはいかがでしょうか。
たぶん、本当にある祭りです。(三島邦彦)

奇祭、ヘトマト。 奇祭、ヘトマト。

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五島のはなし、のいいわけ。

「五島のはなし」を始めたはいいですが、
当初から感じている不安がふくれあがり爆発しそうです。
つまり、読む人は「結局お国自慢でしょ」と感じるだろうなあ、ということです。
いや、そう思ってなかったらうれしいですけど、
そう思うだろうなあと僕が感じる限り、
だれかが少しはそう思ってるものなんです。
(つらいですよね、日々生きていくのって)
そう思う方の、そういう気持ちに対して、
僕が言えるたったひとつの言葉は「大目に見て」です。
正直、この文章のことだけではありません。
上司、同僚、友人、家族、お得意さま、すれ違う人、
世の中の僕にかかわるすべての人に言いたいです。大目に見て、と。

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五島のはなし⑦

「読んでだら、すごく行きたくなったよ」という多数の声にお応えして
(ほんとはそんな声ないですうそついてすみません)、
今日は「五島(福江島)への行き方」をご紹介します。

ラクなのは飛行機。羽田→福岡経由→五島福江空港
もしくは羽田→長崎経由→五島福江空港で、
乗継がよければ羽田からたった2時間半。ぎりぎり通勤圏です。
五島福江空港は、前回お伝えした鬼岳のすぐ脇です。
長崎港からの高速船もあります。ジェットフォイルといいます。これが約80分。
ゆっくり行くならフェリーで、こちらは長崎港から4時間くらい。

いちばんのオススメは、福岡の博多港から出ている深夜フェリー「太古」。
夜中の12時に博多を出て、五島の島々に立ち寄り、
終点の福江港に着くのは朝の9時。
長旅ですが、ベッドもありますし、
なんといっても飛行機の3分の1・・・くらいだったかな?の料金。
夜明けごろに甲板に出ると、
うっすらと島々が見えて「帰ってきたー」って感じで、
帰ってきたーと思うのは出身者だけだろって感じですが、
そうじゃない人にも、超思い切って書きますが「心の故郷に帰ってきたー」って感じで、
とにかく見ごたえがあります。

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鬼岳だっ



PeleTears_large

鬼岳の動画を発見。貼っておきますね。
鬼岳は日本ではめずらしい火山涙の産地だそうです。
火山涙はマグマが飛び散って固まったガラス質の球です。
ひとつ欲しいです。(厚焼玉子)


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五島のはなし⑥

「で、五島の福江島には、何があんの?」という質問にいくつか
答えを用意するとしたら、その4番目くらいに出てくるのが
鬼岳(おにだけ)です。

福江の市街地からあまり遠くなく、あまり高くなく、
あまり木も生えていない山です。
名前から察するに、鬼が住んでいるのでしょう。

小1から高3まで、年に1~3回、
遠足はずーーーーーーーーーっと鬼岳でした。
なのにまわりで「え~もうあそこはいいよ~」という声を聞いたことがありません。
恐るべし、鬼の魔力。

さらにこの山は、遠足の次の日ふもとの町(福江)に
雨を降らせるとして、とても限られた人の間で有名でした。
それが鬼ではなく子どもの仕業だと聞いたのは私が小6のころ。
いわく、遠足で山に登った大勢の子どもが、そこら中におしっこをする。
おしっこはやがて大量の水蒸気となり、山の上に雲をつくり、雨を降らせるのだと。

何年か前ひさびさに鬼岳に登ったら
きれいに整備され、天文台までできていました。
もうそこらへんにおしっこする子どももいないのでしょう。

鬼岳から見下ろすと海がきらきら~っとしてて、
それを見るのを楽しみにしている人が多いですが、
わたしは逆に海からこの山ののぺ~っとした姿を見上げるのが好きです。


鬼岳

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小山佳奈 09年6月14日放送

kyoto

湯川秀樹


いじわるな人のことを
京都の人は「いけず」という。

日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹。
京極小、京都一中、京大と根っから京都育ちの彼は、
科学者としての心得を聞かれて
こう答えた。

 科学者というものは、
 女の足の指を舐るようなところがなくては
 あかんのです


戸惑う相手に、
ほくそ笑む湯川。

なるほど彼は科学者の前に
「いけず」な京都人だった。





pisa

ボナンノ・ピサーノ


彼は焦っていた。
「大聖堂建築」という、
国家プロジェクトを担った矢先。
あろうことか、建物が傾き始めた。

欠陥工事の建築家。
世紀を超えた汚名を残すところ。

しかし彼には運があった。

その後の学者たちが
それぞれの時代のありったけの科学で傾いた塔を支え、
今では立派な世界遺産、
「ピサの斜塔」となった。

ボナンノ・ピサーノ。

歴史上もっとも、
幸運な建築家である。




hideyo

野口英世


偉大なる医学者、野口英世。
彼は、偉大なる借金王でもあった。

田舎から留学費だと
金を借りては毎夜の放蕩。
死後80年がたった今でも
未払いの督促状が舞い込むという。

彼はいま、
お金を貸してくれた人たちへ頭を下げに
日本中を飛び回っている。

1000円札になって。

ほら、
あなたのお財布にも
折り曲がった野口英世が。




citynewyork

ロバート・メープルソープ


 自分の名声を見届けるまでは死ねない。

ニューヨークのロングアイランドで生まれた
ロバート・メープルソープは、
カメラを右手に、野心を左手に、
70年代のアートシーンを
一気に駆け上った。

パトロンの金と人脈は
惜しみなく使う。
有名になりたくて何が悪い。

メープルソープの写真は、
だから今でも、
残酷で完璧だ。




degas

パティ・スミス


例えばある女の子に
憧れの人がいたとする。
愛人でもいいからその人に近づきたい、
匂いを嗅ぎたい。

パンクロックの女王、
パティ・スミス。

彼女は元々グルーピー。
ストーンズにあこがれ、
ボブ・ディランに恋をし、
ジミヘンを愛した。

そして、
少女は憧れの世界に愛され、
自ら憧れの人となった。

女の子って、
時々そういう生き物。




maruyama

丸山薫


梅雨。

空にのしかかる雨雲が
あなたの顔をそんなにもくもらせるなら
丸山薫の詩を読もう。

 汽車に乗って 
 あいるらんどのやうな田舎へ行かう


彼がアイルランドを訪れたことは
一度もない。

想像力だけで出来た言葉は、
新たな想像力を無限に呼べる。

 日が照りながら雨のふる
 あいるらんどのやうな田舎へ行かう




color

ディック・ブルーナ


赤、青、黄、緑、茶、グレー。
たった6色と単純な線で出来たうさぎが、
今日も世界中の子どもたちを虜にする。

ミッフィーを50年描き続ける
ディック・ブルーナは、
今でも1枚のミッフィーを描くのに
100枚のミッフィーを描くという。

単純が一番、難しい。

恋も人生もなんだって、
複雑にしたがるのが
人間だから。




lamo

中島らも


中島らもは、言う。

 僕は、楽園だなんて話は信じない。
 そこに好きな人たちがいるところ、
 守るべき人がいてくれるところ、
 戦う相手のいるところ。
 それが楽園なのだと思う。


つまり、
たいていの人にとって、
いま必死で生きているこの場所こそが、
楽園なのだ。

さぁ、明日からまたがんばろう。
おやすみなさい。

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五島のはなし⑤

五島の福江島には
「日本一美しいと言われる、と言われる砂浜」があります。
なぜこんなまどろっこしいかというと、
「日本一美しいと言われる」といろんなところに書かれてますが、
実際に「日本一美しい」と言ってる人にも文にも
出会ったことがないからです。そうすると、私としては
「日本一美しいと言われる、と言われる砂浜」になります。

ちなみにヤフーで「日本一美しいと言われる砂浜」と
検索してみたら、真っ先にヒットしました。

名前は高浜海水浴場。
たしかにきれいです。
ぜひ冬の夕暮れに、恋人と別れ傷いた心で一人このビーチに
立ってみてください。世の中の理不尽な美しさに圧倒されると思います。
(恋人と一緒に、理不尽じゃない美しさに浸るのもアリです)

「日本の海水浴場55選」と「日本の渚100選」にも選ばれています。
・・・しかし「日本の〇〇選」って誰が決めてるんでしょう?国かなあ。
環境庁の人たちが日本中のビーチを巡って
「ねーここ、渚100選に入れてもよくない?」なんて
ワイワイやってるとしたら、何ともうらやましい仕事です。

高浜海水浴場

高浜海水浴場

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江口順也 09年6月13日放送

window

ビル・ゲイツ   


毎週月曜日には、
ビル・ゲイツの言葉を噛みしめたい。


 自分が出したアイデアを
 少なくとも一回は人に笑われるようでなければ、
 独創的な発想をしているとはいえない。



そして、火、水、木、金と、
結局なにかを生み出すことができなくても、
また次の月曜日には、
同じ言葉を口にしたい。

いつかきっと、その仕事に、その日々に、
大きなWindowが開くことを信じて。





tv

マーシャル・マクルーハン   


テレビにとって、映画のスクリーンにあたるものは何か?
この問いに、何と答えるべきか。

ブラウン管? いや、液晶画面?

ところがマクルーハンの答えは、まったく違った。


 テレビの場合、映画のスクリーンにあたるものは視聴者である。


彼は、テレビという巨大な大衆メディアに映し出されるのは、

ふつうの人々、

つまり私たち自身の、夢や欲望、生活や人生が
コンテンツだと言い切ったのだ。

近頃、テレビがつまらない、という声をよく聞く。

それって、だれのせい?




プルースト

マルセル・プルースト


人はときどき、タイムスリップする。
ふとした匂いを嗅ぐことによって。

埃っぽい雨の匂いに、なにかを思い出したり。
公園の芝生の匂いに、いつかを思い出したり。

そんな体験を、「プルースト現象」と言うそうだ。

家マルセル・プルーストは、
生涯の大半をかけて、

記憶喪失の主人公が、
紅茶に浸したマドレーヌの匂いによって
過去を思い出す。

という長編小説を書いた。そのタイトルは、


 『失われた時を求めて』。


プルースト自身は、
どんな過去にタイムスリップしたかったのだろう。

彼は、その人生の最後に、
ママ!と叫んで、
息を引き取った。




tomie

山崎富栄


うどん屋の屋台で、
小説家のオサムに恋をした夜。

サっちゃんは日記にこう書いた。


 戦闘開始! 覚悟をしなければならない。


それは、戦さのような日々の始まりだった。

血を吐きながら執筆するオサムに寄り添い、
秘書として、恋人として、母として、看護婦として、
サッチャンは彼を支え続けた。
男が、よそで設けた私生児への養育費すら、
自分の貯金をはたいて、毎月こっそりと支払った。

そして、61年前の今日、
1948年6月13日。
その恋は、終戦を迎える。

太宰治と、その愛人サっちゃんこと、山崎富栄。
入水自殺。


 幸せな死に方をして、ごめんなさい。


と、遺書に残した彼女は、

勝ったのだろうか、負けたのだろうか。



more

リバー・フェニックス


あんなに大勢の女の子を
一度に泣かせた男は、
いなかったんじゃないか。

リバー・フェニックスのことだ。


 死体置き場の中で、いちばん美しい死体になりたい。


なんてカッコつけて、
雑誌のインタビューに答えていた彼は、
その後本当に、23の若さで、
死体置き場に転がった。

友達のナイトクラブで、
友達にすすめられたドラッグを、
断り切れなくて。

あとはただ、
泣きじゃくる女の子を前に
困り果てた男の子たちが、
世界中の国にいたことを
覚えている。




carnegie

アンドリュー・カーネギー


かつて、
経済には
ロマンがあった。

人生の前半をかけて、
莫大な金を稼いだ、
アメリカの大富豪カーネギー。

彼の人生の後半は、
持てる財産のすべてを
社会のために使い切ることに
費やされた。

その理由が、ロマンチックだ。


 金持ちのまま死ぬなんて、もっとも恥ずべき死に方だ。


いま、カーネギーがいたら、
この経済危機に、
何て言っただろう。




sky

レイ・クロック


マクドナルドの創業者、
レイ・クロック。

そのビジネスエピソードには、
凄味がある。

よく彼は、夜中にライバル店のゴミを漁り、
仕入れや消費のヒントを探したという。

そこから名づけられた、
自伝のタイトルは、


『成功は、ゴミ箱のなかに。』


どうやら、
空を見上げて
ただ成功を夢見ていても、
いいことなんて
なさそうだ。

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五島のはなし④

昨日深夜の帰り道、うんこを踏みました。
つかれきった精神状態でうんこを踏むのはつらいものがあります。
そういうときは、幼いころ兄に言われた言葉を思い出します。
「うんこを踏んでもいいように、俺たちはクツをはいているんだ」
この言葉にいままで何度救われたことか。名言です。
ありがとう、兄ちゃん。

さて、五島列島には大きく5つの島がありますが
(無人島から海に突き出た岩礁みたいなのもあわせると
144あるのだそうです)、そのひとつに奈留(なる)島があります。

奈留島にはいま奈留高校という高校がありますが、
かつては福江島(私の出身地です)にある
五島高校(私の出身校です)の分校でした。

分校だったので、五島高校の校歌はなじみが薄く、
ならばオリジナルの校歌を、と思い立った女子生徒がいました。
(あ、ちなみにこれ、いまから35年位前の話です)
その女子生徒は、とあるラジオの深夜番組に投稿、
当時人気があった番組のパーソナリティに校歌の制作を依頼しました。
依頼を引き受けたパーソナリティは、島に思いをはせ、ひとつの曲をプレゼントします。


「瞳を閉じて」

風がやんだら 沖まで船を出そう
手紙を入れた ガラスびんをもって

遠いところへ行った友達に
潮騒の音がもう一度届くように
今海に流そう

霧が晴れたら 小高い丘に立とう
名もない島が 見えるかもしれない

小さな子どもにたずねられたら
海の碧さをもう一度伝えるために
今瞳を閉じて
今瞳を閉じて


作詞、作曲、荒井由美。
フォークソングだからという理由で校歌にはならなかったそうですが、
いまも奈留高校の愛唱歌として歌い継がれています。
高校の前には、ユーミン直筆の歌碑もあります。
歌碑の除幕式のため、初めて奈留を訪れたユーミンは
自分の思い描いていた景色がそのままあることに驚き、泣き出してしまったそうです。
とってもいい曲です。知ってる人も多いと思いますが、一度聴いてみてください。

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五島のはなし③



磯男(いそおとこ)のことは、けっこう小さいときから聞いていたのですが
本当にいるかどうか半信半疑でした。
変わった人が多かった五島でも、海岸の磯にひとり住んでいるという
磯男の話はなんとなく信じられなかったんです。
だって、まず名前が民話っぽくて。

そんなある日、仲のいい友人と
あぶんぜ(溶岩でできた海岸の名前)にカニ釣りに行きました。
しばらく没頭していたのですが、あるとき友人が「ほら!」と指差す。
見れば、岩陰から乱れた長髪の裸の男が現れ、
ごつごつした溶岩の上をすべるように駆けていく。
明らかに一般人(この表現が正しいかどうかわからないが)ではない。

おおっ!ホントにいるんだ!磯男さん!
その生き方は(いや、正直、生き方なんてなんも知らないですけど、想像で)、
現代社会へのアンチテーゼのようでもあり、めっちゃワイルドで、かっこよくって、
もう見た瞬間から、さんづけでした。

砂浜がきれいとか、教会がたくさんとか、魚がうまいとか、
五島を紹介する言葉はいろいろあるのですが、
「磯男がいる」、これだけで十分と思っています。

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五島のはなし②

厚焼玉子さんに「もちろん毎日書くのよね」とプレッシャーをかけられた。
が、そんなにネタ満載の島ではないのが、五島という島の悩みである。
とかく中途半端なのである。

沖縄のような暖かさはない。屋久島のような大自然って感じでもない。
リゾートでもない。とっても遠くはないが、気軽に行ける近さでもない。
そりゃ、みなさん別の島に行くでしょう、と思ってしまう。

一時期、自分の性格の中途半端さ(熱しやすく冷めやすい、コツコツがんばれない)は、
島人のDNAに息づくものではないかと考えた。
根拠もある。

かつて、五島は遣唐使が大陸に渡る際の最後の寄港地であった。
逆に大陸からきた船にとっては、最初の日本領土である。
都で「唐に行きたい人っ!」という問いかけに「行きます行きます!」と
まっさきに手を挙げながら、五島に着いたとき「あ、おれもう、ここが唐ってことでいいや」
と降りてしまった人々。そして大陸から日本を目指し、五島についた瞬間
「ここが日本じゃん、もう長旅はいいや」と降りてしまった人々の、
その子孫が私(五島の人々)なのではないか。

ちなみに、空海も唐に渡る前五島に立ち寄り、
ゆかりのお寺とか、石碑が立ってます。
石碑には空海の言葉が刻まれていた気がしますが、覚えてません(中途半端)。

・・・でも、いいとこなんです、五島。

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五島のはなし①

Team Visionの中村直史です。
突然ですが、この場を借りて五島列島のことを書きます。
日本で「島」といえば、沖縄の島々、奄美、屋久島、
伊豆大島、佐渡、壱岐、対馬といったところがメジャーで、
五島は「五島?」って感じです。
この「?」を少しでも減らしたいんです。
最初にそう感じたのは、僕がまだ中学生のころでした。

親戚の結婚式で福岡に行ったとき、僕を繁華街の路地に
連れ込んでカツアゲしたツッパリのお兄さんがいました。
「ワイどっから来たとや?」と聞かれ
「ご、ご、五島です」と答えたら、「五島?」と言われたのです。
悔しかったです。初めての大都市でナイフを突きつけられ、
1万2千円とられたあげく、ふるさとに「?」をつけられる屈辱。
あのときは恐怖で言えなかったけど、
あのツッパリがこのブログを読んでるとしたら
(ぜったいなさそう)、毅然とした態度で伝えたい。

「五島は長崎の西およそ100キロ、東シナ海に
5つの島が並ぶことからその名がついた列島です」

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