2009 年 6 月 のアーカイブ

訃報

眞木準090417

訃報が届いた。

 東京コピーライターズクラブ副会長の眞木準氏が、
 6月22日、急性心筋梗塞により逝去されました。享年60歳でした。

いつも黒い服を着て、ポーズも決まっている人だった。
『ロスト・イン・トランスレーション』という映画を見たら
突然、眞木さんの声が聞こえ
眞木さんの姿があらわれたのにはびっくりしたことがあるが
そのときも黒づくめの、いつもと同じ眞木さんだった。
あのセリフは自分で考えたのだとおっしゃっていた。

本当にいなくなったのか、
まだ信じられない。

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五島のはなし⑬

僕は寝言がひどいです。
ひどい言葉を吐くようです。
先日も朝起きたら、子どもたちが僕にびびっているので
聞いたら「寝言が恐かった」と。
「地獄に落ちろ!」って叫んでたらしいです。
いいですね。
ふつうに生きていたらなかなか言わないセリフですからね。

寝言は五島人の特性じゃないかと勝手に思ってます。
僕の死んだばあちゃんもすごかった。
寝言もですが、寝歌。しかも鼻歌。
夜中、かすかに聞こえてくる「フンフーンフンフンフン」と、
それに続く「キャキャキャ」という笑い声。
ほんと恐かった。

聞けば、曾ばあちゃんも寝言がすごかったらしく
いつも決まって「ぬひと~、ぬひと~」と
言ってたらしいです。漢字にすると「盗人」。どろぼうですね。
これも夜中に聞く言葉としてはイヤです。

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五島のはなし⑫

むしむしして暑いですね。
子どものころ暑さを苦にすることなんかなかったです。
えんえん遊んでられました。
いつまでも夏が大好きなチューブみたいな男でいたい
と思っていたのに、本格的な夏になる前にもう
ぐにゃ~っとしています。

五島で「ばらか」は、「すごい」の意味です。
人の形容詞として使われるときは、暴れん坊、勇壮な、
の意味合いも帯びてくる。

で、「ばらもん」。五島に伝わる大凧の名前は、
この「ばらか」+「もん(者)」から来た言葉です(だと思います)。
てっぺんにピンと張られた糸が「ブーン」と
独特の音を出します。魔よけ的な意味があるのだとか。
鬼のような顔つきです。
それと関係あるのかどうかわかりませんが、
鬼岳でこのばらもんの凧揚げをします。

ばらもん凧

ばらもん凧

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五島のはなし⑪

五島にいたころ、仲のいい友だちのことを「チング」と言ってました。
僕はこの方言が好きで、「ともだちing」の「ちing」、
ふたり仲良く現在進行形!みたいなイメージを持ってたんですが、
実はこれ韓国語だったんですね。知った時は驚きでした。

驚いたといえば、島ではびっくりしたとき「あっぱよ」とか「あっぱさ」と
言います。これも韓国語の「アッパ」(痛い)から来てるんじゃないかと思います。
まあ、韓国近いですから交流が深かったとしても不思議じゃありません。
そもそも、文化とか言葉とかって思いがけず入り乱れてますね。

方言でもうひとつ。イタズラすることを「てんごする」と言います。
親によく言われました。「てんごするな」と。
で、何年か前に、隆慶一郎の『影武者徳川家康』を
読んでいたら(ちなみにこの小説、抜群におもしろいです)、
将軍が家臣に「転合(てんごう)をするでない」と言う場面があり、びっくりしました。
昔からある言葉なんですね。広辞苑にも載ってました。
熊本の友人も「てんご」は使うと言ってたので、
九州では広く残っているのかもしれません。

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五島のはなし⑩

五島のはなし①で、五島は5つの大きな島があることから
その名がついたと書きましたが、厳密には違うみたいです。
先日、五島についてのネタがないかと
ウィキペディアで「五島」と検索してみたら、
(五島の人間が五島のはなしを書くのにウィキペディアを調べてる。
ほとんどサギだな)知らないかった事実が沢山!
なかでも基本中の基本、五島の名前の由来について、
「大きな島だけでも7,8個あるのに五島と名がついたのは、
5という数字が縁起が良いとする中国の思想のためで」云々と
書かれてました。へー。たしかに「五島」という観点で地図を見るから
大きな島5つな気がしてただけで、
その先入観がなければ5つとは言えない気がする。
なので、かつて僕をカツアゲしたお兄さん(五島のはなし①参照)への
メッセージを変更します。

「五島は、5という数字が縁起が良いとする中国の古い思想から
その名がついた、長崎の西およそ100kmのところにある島々です」

・・・でも、ウィキペディアの論もあくまで「説」なのであって
真の理由なんてわからないのかもしれない。

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中村直史 09年6月21日放送

1

武満徹・段ボールの鍵盤

いつしか大河となり
海へ出ることを夢見る
一滴の湧水のように、
その段ボール紙は、夢を見ていたのかもしれない。

戦争が終わり、
焼け野原からようやく
人々が立ち上がろうとしていたころ。

男は段ボール紙でつくった鍵盤を
ピアノ代わりに作曲していた。

食べるものも着るものも
限られていたけれど、
想像力には限りがなかった。

 私の物言わぬ鍵盤からは、ずっと沢山の音がなり響いていたように思います。

作曲家、武満徹。
ピアノも持たず
音楽学校にも通ったことのない
小さな作曲家が世界を驚かす、
その始まりのこと。

2

武満徹・作曲の作法

表現をする人は
幸せになっちゃいけない、
とある人が言った。

名だたる芸術家たちが
自らの苦しみをもとに
名作を生み出した事実も数多くある。

が、武満徹は違った。

 幸せでないと、作曲なんかできません。

だから、武満の作曲は、
妻に「ごめんね」というところから始まる。

前の日の夫婦げんかさえ、
心にひっかかったままでは
仕事にとりかかれなかったのだ。

3

武満徹・突然のピアノ

豊かさは、お金ではなく、
気持ちで決まると僕らは知っている。
ときどきそれを忘れてしまうのが、残念だけれど。

段ボール紙でつくった鍵盤を手に、
作曲家を夢見た若き武満徹。 
彼のもとに、ある日突然
本物のピアノが送られてきた。

送り主は、作曲家、黛敏郎。
武満の噂を聞き、自分の苦労と重なった。
ピアノは、武満を奮い立たせた。

それから何十年もたった1991年のサントリーホール。
音楽賞受賞のステージで
そのピアノの話になったとき、
武満は突然下を向き、泣きだしてしまった。

苦しい時代を、
豊かに過ごした人たちがいた。
忘れたくない。

4

黒田三郎

 紙風船

 落ちて来たら
 今度は
 もっと高く
 もっともっと高く
 何度でも
 打ち上げよう

 美しい
 願いごとのように

詩人、黒田三郎さんは
言葉を喜ばせるのが上手な人でした。

喜んだ言葉たちは、
お返しに、とばかり
人を喜ばせてくれます。

5

コナン・ドイル   

1893年、事件が起きた。
イギリスで最も有名な男が殺されたのだ。
被害者の名は、シャーロック・ホームズ。

彼の死は、
ロンドン中に衝撃を与えた。
抗議行動が起こり、
プリンス・オブ・ウェールズが、
出版社に手紙を送った。

死に追いやったのは、作者コナン・ドイル。

自ら生み出した世紀のヒーローに
すべての時間を奪われ、
いつしか、殺しの計画を立てていた。

小説には描かれなかった、
もうひとつのストーリー。






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6

南方熊楠

履歴書を前にすると、
あの人のことを思い出す。
そして、敵わないと思う。
あまりの敵わなさに、うれしくもなる。

趣味の欄。
彼ならどう書くだろう。
草花、キノコ、コケ、土、星、化石、人間、
動物、宗教、エトセトラ、エトセトラ。

ミスター森羅万象、南方熊楠。

実際に彼が書いた履歴書は、
長さにして、7メートル70センチ。

ああ、敵わない。

子どものころ
山の草花に夢中になり、
2,3日帰らなかった。
村人たちは神隠しだと言ったが、平気な顔で帰ってきた。
ついたあだ名は「天狗ちゃん」。

やっぱり、敵わない。

おーい、ニッポンのみなさん。
ぼくらにはすごい先輩がいるぞ。

「なんだかこのごろつまらない」
なんて言ってると、はずかしいぞ。

7

永井荷風

何を恥ずかしいと思うかが、
その人の才能なのだという。

彼は、歯の欠けた
その顔を恥ずかしいと思わなかった。

家庭を顧みないことも、
ケチと呼ばれることも、
ノゾキ趣味さえも、
恥ずかしいとは思わなかった。

奇人、永井荷風。

ただ、
誰かが書いた様なものを書くのは、
恥ずかしかった。

8

アーネスト・ヘミングウェイ

「草食系男子」なんて言葉を聞いたら、
ヘミングウェイは笑うだろう。

彼は「男」であろうとした。
生きざまも。小説のテーマも。そして文体も。

 なすべきことは、一文たりと疎かにせず正確な文章を書くこと。
 たがわず顎に一撃くらわす文章を。

男どもよ。
ヘミングウェイという名の、肉を喰らえ。
余分な脂肪はなく、
噛みごたえがあり、
血の滴る肉を。

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保持壮太郎 09年6月20日放送

06_20_1

ジョルジュ・ルメートル

ジョルジュ・ルメートル。

彼は、
宇宙物理学者だった。

同時に
カトリックの司祭でもあった。

科学と宗教。

かねてより干渉や対立を
くりかえしてきた
ふたつの原理が
彼の中には同居していた。
そんなルメートルがとなえた
ひとつの仮説がある。

この宇宙は、
たったひとつの“原始的原子”が
爆発することで生まれた。

のちに“ビックバン理論”と呼ばれる
この科学的かつ神話的な宇宙論は、
ジョルジュ・ルメートルだからこそ、
たどりつけた宇宙に思えてならない。


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06_20_2

クリスチャン・ネステル・ボヴィー

最近のセカイは
くりかえしている。
何もかもが
何かの焼き直しみたいで。

カエルの子はカエル。
セレブの子はセレブ。
僕の感じる孤独は、
たぶん父さんの感じた孤独で。
僕が誰かを軽蔑するときの目は、
母さんが僕を見るときの目に似ている。

アメリカの作家、
クリスチャン・ネステル・ボヴィーは

すべてが失われようとも、まだ未来が残ってる。

といったけれど。
もはや僕らは
すべてを失わないことには
あたらしい未来には
出会えない気がする。

まあ、
こんな不安もきっと、
昨日の誰かのくりかえし。

06_20_3

エリック・ドルフィー

音楽は、
いちど聴き終わってしまえば
空中へと消えてしまうもの。
二度とそれを
掴み取ることはできない。

ジャズにおける
即興演奏の可能性を切りひらいた
エリック・ドルフィーの
そんな言葉を耳にするたび、
僕たちは、
苦笑をかみ殺さずにはいられない。

だって僕たちは、
その消えてしまったはずの
音楽ってやつに
いまさら手を伸ばして、
デジタルでマッピングして、
バカ高いアンプとスピーカーで鳴らして、
必死に掴み取ろうとしているのだから。

ほら、こうして。

06_20_4

清水義範(しみずよしのり)

人間のクリエーティビティが
無限だとするならば、
それを有限の世界に
定着させるためにあるのが
“締め切り”の存在だ。

小説家、デザイナー、
エッセイスト、コピーライター・・・。
彼らは、“締め切り”という名のカミソリで、
自らの創作意欲と、可能性と、
未練と、根拠のない自信を切断し、
ひとつの作品としてカタチにする。

小説家、
清水義範が書いた
「深夜の弁明」という短編がある。

それは、締め切りを守れない作家が、
編集者に言い訳とお詫びの文章を書くうちに、
いつしかその弁明が、
小説の予定枚数に達してしまったというもの。

なるほどそうゆう方法もあるのかと、
締め切りから10日遅れで、
このラジオの原稿を書いている深夜の私。

 face in can

チャールズ・R・ダグラス

1953年、
ラジオ技術者の
チャールズ・R・ダグラスが
ひとつの画期的な発明をした。

Canned Laughter
(SE:Canned Laughter)

“缶詰の笑い”
と呼ばれたその道具は、
ボタンひとつで
人工的な笑い声を
発生させることができた。

その後Canned laughterは
またたくまに世の中へと広がり
笑い声が、笑うべきものの存在を
強化し、強制し、捏造するという
シュールなコメディがはじまった。

戦争。
(SE:Canned Laughter)

貧困。
(SE:Canned Laughter)

そして世界の笑えない現実は
何一つ変わらないまま。
(SE:Canned Laughter)

06_20_6

サルバトール・ダリ

天才と聞いて
あなたが思い浮かべる
イメージのいくつかは、
おそらくサルバトール・ダリ
その人のものだ。

不自然なほどに見開いた目、
ピンと跳ね上げて固めたひげ。
フランスパンを頭にのせてリーゼントヘアと称し、
ソルボンヌ大学での特別講演会には
カリフラワーを満載した
真っ白いロールスロイスで乗り付けた。

混乱が一番。偶然は創造性を生み、秩序は退屈だ。

と語る彼にとって
“天才であること”もまた
彼の芸術の一部なのかもしれない。

8

種田山頭火

小学校のころ
担任だった樫村先生は、
たぶん先生には
むいていない人で。

俳句をおしえるときだって、
5・7・5の話も
季語の説明もせずに、
松尾芭蕉や、
小林一茶なんかのページも
すっとばして、
教科書の隅っこに、
ぽつん、と載っていた一句を、
だいじそうに
黒板の真ん中に書いた。

山から風が風鈴へ、生きてゐたいとおもふ
種田山頭火

騒々しかった教室が、
そのときなぜだか、
しん、と静まりかえったのを覚えてる。

みなさん、これが俳句です。

と言って笑った樫村先生。

おかげで僕らは、
学年テストで赤点をとり、
俳句がちょっと好きになった。

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五島のはなし⑨

五島への行き方はわかった。
ビーチや山や祭りや、見どころもちょっとだけわかった。
で、夜はどう過ごせばいいのよ?
という声(もちろんそんな声あがってませんが)にお応えして、
今日は福江島のナイトスポットをご紹介します。

まず、ごはん。
いい店は、町を歩いている人に聞いてみてください。
ふれあいも生まれますし。
・・・すみません実は18までしか島にいなかったからあんまり外食してないんです。

そしてごはんが済んで、ちょっとお酒でもと思ったら
迷わず「ロイヤルパブ・シャーロック」に行ってください。
福江には人口と同じくらいの数のスナックがありますが、
パブはない気がします。なのにパブを通り越して、ロイヤルパブですから。
楽しいお店です。島の伝説から素潜り漁のことまで。
女性たちの話が抜群におもしろいです。そしてリーズナブルです。

シャーロックをのぞいてみて、もうちょっと静かな雰囲気で飲みたいな
と思ったら、シャーロックの2号店「クラブ・ホームズ」をお勧めします。
クラブです。ウイスキーグラスに入った氷のカランコロン音とともに、
ふけてゆく島の夜を堪能できます。

余談ですが、シャーロックが2号店を出すことになったとき、
「あんた東京でコピーライターなんかしよるけん名前ば考えて」と頼まれました。
シャーロックの姉妹店か・・・僕は迷わず「ワトソン」と言いました。
数日後「名前は、ホームズに決まったけん」と伝えられました。
へこみました。

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五島のはなし⑧(三島邦彦版)



僕の話ばかりでは、みなさんの五島観に偏りが出てしまうので
他の人に五島のことを書いてもらいました。
つい先日、僕と同じ職場に配属になった
新人コピーライター、三島邦彦くんです。
長崎市出身ですが、おばあちゃんが五島・福江島の人という逸材です。
↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓

そんな祭り、本当はないのかもしれません。
実際に見たことがないので、
心のどこかでその暴力的に理不尽な祭りの存在を
信じていない自分がいます。
ただ、毎年一月の大寒の頃、
長崎にはその祭りのニュースが流れるのです。

祭りの名前は「ヘトマト」。
長崎県の五島に伝わる、日本三大奇祭の一つです。
あとの二つは知りません。
へトマトという名前の由来に定説はなく、
トマトは全く関係ないということがわかっているだけです。

では、へトマトを紹介した新聞記事を引用します。

「大草履に女性乗せ 五島で奇祭へトマト

雨の中、体にすすを塗り付けた締め込み姿の男たちは、
大草履を担いで練り歩き、沿道の若い女性を次々に乗せては揺すり、
気勢を上げた」(長崎新聞2007年1月17日)

これが、ヘトマトです。
この、文字にしたときの力強さ、悔しいですが、たまりません。

毎年、1月16日頃に開かれるようですので、お祭り好きの方、
大草履に乗せられたい未婚の女性は、
だまされたと思って行ってみてはいかがでしょうか。
たぶん、本当にある祭りです。(三島邦彦)

奇祭、ヘトマト。 奇祭、ヘトマト。

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五島のはなし、のいいわけ。

「五島のはなし」を始めたはいいですが、
当初から感じている不安がふくれあがり爆発しそうです。
つまり、読む人は「結局お国自慢でしょ」と感じるだろうなあ、ということです。
いや、そう思ってなかったらうれしいですけど、
そう思うだろうなあと僕が感じる限り、
だれかが少しはそう思ってるものなんです。
(つらいですよね、日々生きていくのって)
そう思う方の、そういう気持ちに対して、
僕が言えるたったひとつの言葉は「大目に見て」です。
正直、この文章のことだけではありません。
上司、同僚、友人、家族、お得意さま、すれ違う人、
世の中の僕にかかわるすべての人に言いたいです。大目に見て、と。

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