2014 年 8 月 のアーカイブ

藤本宗将 14年8月17日放送

140817-08

山内溥と3D

「飛び出さへんのか?」

任天堂元社長の山内溥は3Dにこだわりつづけた。
部下に対してことあるごとに
「3Dはどうや?」と提案していたという。

花札・トランプメーカーの家業を継いでから
おもちゃメーカー、そしてゲームメーカーへと
任天堂を変貌させてきた山内。
どんな商品も必ず飽きられる宿命だとよく知っていた彼には、
驚きがもっとも大切だという信念があったのだ。

「常識的な発想では人々を納得させることはできない。
 新製品に必要なのは、社会通念や習慣を
 変えるようなものでなければならない。
 そのためには非常識の発想が必要なんです」

非常識だからこそ、山内は3Dにトライしつづけた。
彼の言葉を補うとすれば、つまりこういうことだろう。

「常識の枠から飛び出さへんのか?」

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松岡康 14年8月16日放送

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かずっち
ニコライの迎え火

今日8月16日は、京都五山送り火の日。
夏の終わりを告げる風物詩として有名なこの行事だが、
実は春に行われたことがある。

明治4年5月9日。
当時大国だったロシアの皇太子、ニコライが京都に訪れた際、
歓迎の意味をこめ五山すべてに火がともされた。

小国だった日本が行った、国を挙げての熱烈な歓迎。

しかしその3日後、訪れた滋賀県で悲劇がおこる。
警備を担当していた警官が、突然サーベルでニコライを斬りつけた。
怪我をおったニコライは、東京訪問を中止し日本を立ち去った。

歓迎のための『迎え火』が、
ニコライにとっては送り火となってしまった。

今年も多くの人たちが、
送り火を見に京都を訪れる。
その火に隠された、皮肉な物語を知るものは少ない。

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澁江俊一 14年8月16日放送

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金閣寺の炎

今日8月16日は、京都五山送り火の日。
京都という街と炎は、とても、縁が深い。

戦後日本を代表する小説として
世界的にも評価の高い三島由紀夫「金閣寺」。
主人公溝口は、本人にとって
絶対の美であった金閣寺に火を放つ。
実際に起きた事件がモデルとなったこの小説、
なぜ今も世界中で読み継がれるのか。

溝口が燃やしたかった
金閣寺とは、何の象徴なのか?
読者次第で様々な解釈ができることも
国境を超えて読まれる理由だろう。

事件と小説の決定的な違いは
ラストシーンにある。
金閣寺に火を放った後、
溝口の心にふと浮かんだ言葉、「生きよう」。
犯人にはなかった、この生命力にこそ、
この小説がいつまでも愛される理由があるのだ。

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礒部建多 14年8月16日放送

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Rafael Chu
焼け残った塔

今日8月16日は、京都五山送り火の日。
京都という街と炎は、とても、縁が深い。

世界文化遺産、京都・醍醐寺。
その境内に悠然とそびえ立つ五重塔は
「千年の都」京都の中で、
創建当時の形をそのまま残す、唯一の建造物。
そして、現存する最古の木造建築。

951年、醍醐天皇の冥福を祈るために、
2人の息子、朱雀天皇と村上天皇によって建てられた。
細部までこだわり抜かれた設計だったため、
完成に20年も費やした。

1477年、応仁の乱が起こると
京都は焼け野原と化し、
醍醐寺の下伽藍も灰燼に帰したが、
五重塔だけは、その形のまま焼け残っていた。

何故焼け残ったのか、
その奇跡は科学者たちの研究対象になっている。
焼け跡にたったひとつ残った五重塔は
荒廃の世に醍醐寺の存在を示しつづけた。

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奥村広乃 14年8月16日放送

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京都の窯

今日8月16日は、京都五山送り火の日。
京都という街と炎は、とても、縁が深い。

京都五条坂。
東大路と交差するあたりに
レンガ造りの四角い煙突がある。
その煙突の下には、登り窯が眠っている。

この京都の地で、色絵陶器を完成させたのは
野々村仁清(ののむら にんせい)だといわれる。

仁清は、仁和寺の門前に御室窯(おむろがま)を開き、
自ら作った焼き物に「仁清」の印を捺した。
中世以前の陶芸家は、職人であり、芸術家ではなかった。
しかし、仁清は作品に印を捺すことで、
自身のブランドを確固たるものにした。

藤花文茶壺は、彼の最高傑作として名高い。
温かみのある白い茶壺。
その上に咲き盛る藤の花。
一枚一枚葉脈を施した緑の葉。
赤、紫、金、銀で彩られた花弁は、
風がふけばゆらりとそよぎそうだ。

かつての五条坂にはいくつもの登り窯が並び、
もうもうと黒い煙を吐きながら、
多くの焼き物を生みだしてきた。
しかし、いま、登り窯から煙が立ち上ることはなく、
静かに文化の営みを伝えている。

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薄景子 14年8月10日放送

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Billy Wilson Photography
1.香りのはなし グレース・ハンセン

アメリカの作家、グレース・ハンセンの言葉に
こんな名言がある。

 結婚式もお葬式も同じようなものです。
 違うのは、もらったお花の香りを自分でかげることくらいよ。

人生の二大セレモニーを
ここまで言いあてた言葉があるだろうか。

ウエディングブーケの香りは、新郎新婦の甘い記憶に、
故人が味わえなかった花の香りは、人々の胸に刻まれる。

香り。それは、五感の中でいちばん
記憶の中で生き続けるものかもしれない。

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薄景子 14年8月10日放送

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2.香りのはなし ガブリエル・シャネル

世界中の女性たちを魅了するブランド、CHANEL。
その創設者、ココ・シャネルの生い立ちは
決して裕福なものではなかった。

幼少期は孤児院で過ごし、
退屈な制服や慣習に反抗しながら育ったという。
その強靭な精神は大人になっても変わらず、
時代に先駆けて女性デザイナーとして不動の地位を確立する。

その成功の理由は、
彼女の芯の強さと男運の強さだったと言われる。
数々のセレブリティと浮名を流した
ココ・シャネルはこんな言葉をのこしている。

「香水は、貴女がキスしてほしいところにつけなさい」

「CHANEL N°5」
その香りは、恋愛から女性たちを輝かせ続けてきた、
シャネルという生き方の証。

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小野麻利江 14年8月10日放送

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Alessandro Baffa
3.香りのはなし 調香師が嗅ぐ香り

飛び抜けた嗅覚を駆使して香料を調合し
あたらしい香りを創り出していく職業、
「調香師」(ちょうこうし)。

彼らの嗅覚は、生まれつきそなわった能力ではなく、
プロとしての長年の経験の末に獲得されたものだ、
とする研究結果が、
脳医学会誌「Human Brain Mapping」に
掲載されたことがある。

経験の浅い調香師とベテラン調香師を
2つにグループ分けし、
数百から、数千もの匂いをかぎ分けさせたところ、

ベテラン調香師ほど、より速く正確に
答えにたどりついたという。

研究チームの1人、
神経科学者のジャン・ピエール・ロワイエは、
次のように説明する。

ピアニストが音階の練習を重ねて
上達していくように、
『鼻利き』になるためにも
トレーニングが必要だ。

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小野麻利江 14年8月10日放送

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bastus917
4.香りのはなし マーク・トゥエインとスミレの花

香水を選ぶ。つける。
自分のために選ばれがちな
その「香り」が、
誰かの鼻を愉しませることだって、しばしばある。

しかし、アメリカの作家・
マーク・トゥエインの次のような言葉ほど、
利他精神に満ちたものも、そうそうないだろう。

 許しとは、踏みにじられたスミレの花が
 自分を踏みにじったかかとに放つ芳香

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熊埜御堂由香 14年8月10日放送

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mumchancegaloot  
5.香りのはなし ある調香師の仕事論

世界的に有名な調香師、
ジャン=クロード・エレナ氏は、自らの仕事を
こう定義している。

 調香師とは、香りの文筆家のようなものだ。
 そして、香水とは、匂いの書いた物語だ。

彼の代表作として知られる、エルメスの庭シリーズ。
『ナイルの庭』『地中海の庭』『屋根の上の庭』。
まさに小説のタイトルになりそうな名をもつ。

彼の調香スタイルは、愛用のモレスキンの手帳を携え、
南仏のグラースに構えたラボラトリーから、旅に出ること。

『地中海の庭』の調香をはじめた時のことだ。
チュニジアにある友人の家でパーティをしていると、
庭にでて、微笑みながら、いちじくの葉をちぎって、
香りをたしかめている女性を見かけた。
その瞬間、香りのイメージが、浮かんだ。
急いで、ラボラトリーに戻り、香りを組み立てていった。

こうした瞬間が重なって、
エルメスの香水の売上を三倍に跳ね上げたとまで
いわれる香水群は世に生まれた。

彼は自分の仕事について、こうも語っている。

 もらった自由は、仕事の成功でしか、返せない。

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