2018 年 10 月 のアーカイブ

星合摩美 18年10月21日放送

181021-08
Photo by rockindave1
ゲーム ジョーカー

トランプのカードにジョーカーが含まれるようになったのは、
19世紀末のこと。

アメリカで「ユーカー」というゲームが流行した時、
最強の切り札として追加され、
やがてトランプに欠くことのできないカードとして定着した。

ジョーカーは、ゲームによってさまざまな役割を持つ。
ポーカーでは切り札に、ババ抜きでは疫病神に。

かのスヌーピーはこんなことを言っている。

配られたカードで勝負するしかないのさ。
それがどういう意味であれ。

そう、ジョーカーを生かすも殺すも、当人次第。

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渋谷三紀 18年10月20日放送

181020-01
Photo by studiohzwei
ケーキなおはなし ザッハトルテ

こってりとした濃厚な味わい。
チョコレートケーキの王様と呼ばれる
ザッハトルテを考えたのはオーストリアのフランツ・ザッハー。
外相の屋敷に仕えていたザッハーは
病気で休んでいたメインシェフに代わり、
急きょ客人のためのデザートをつくることになります。
主人に恥をかかせられないというプレッシャーの中、
ザッハーがつくったザッハトルテは大好評。
ウィーン中で話題となりました。
ザッハーわずか16歳、
見習いを始めて二年目のことでした。
おいしさに年齢も経験も関係ない。
ケーキづくりの世界は、甘くないようです。

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渋谷三紀 18年10月20日放送

181020-02
Photo by Carwyn Lloyd Jones – Dylunio Creadigol
ケーキなおはなし ヴィクトリアン・スポンジ

パウンドケーキのような生地に
クリームとジャムを挟んだシンプルなケーキ、
ヴィクトリアン・スポンジはイギリス生まれ。
最愛の夫アルバート公を亡くして塞ぎ込む
ヴィクトリア女王をなぐさめようとつくられました。
しばらく屋敷に閉じこもり喪服を着続けた女王ですが、
なんとか政務にも復帰することができました。
ケーキがイギリス王朝を救ったと言ったら、
言いすぎでしょうか。

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渋谷三紀 18年10月20日放送

181020-03
Photo by sogni_hal
ケーキなおはなし タルトタタン

フランスの伝統菓子タルトタタン。
リンゴをつかったそのケーキが誕生したのは、
タタン姉妹が経営するホテル・タタン。
いつものように姉のステファニーが
アップルパイをつくっていたときのこと。
炒めすぎてしまったリンゴを
あわててなんとかしようと、
タルト生地をのせ、
フライパンごとオーブンの中へ。
焼きあがったケーキをひっくり返すと
焦がしたバターと砂糖が香ばしい
見事なタルトができあがっていたのだそうです。
失敗がケーキのもと、というお話。

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渋谷三紀 18年10月20日放送

181020-04
Photo by FoodishFetish
ケーキなおはなし エクレア

シュー皮+クリーム+チョコレート。
エクレアの完璧な組み合わせを発明したのは、
19世紀フランスの天才パティシエ、アントナン・カレーム。
カレームは天井からじょうろを吊り下げて
生地を流し込んでいたそうです。
ちなみにエクレアの語源はフランス語のエクレール。
稲妻という意味で、チョコが溶けないうちに
電光石火のスピードで食べてください、
というメッセージが込められています。
エクレア好きなら覚えておきましょう。

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渋谷三紀 18年10月20日放送

181020-05
Photo by katorisi
ケーキなおはなし バウムクーヘン

日本で初めてのバウムクーヘンが焼き上がったのは約100年前。
焼いたのは、捕虜として広島の収容所にいた
ドイツ人の菓子職人カール・ユーハイムでした。
薄い生地を何層も重ねて焼いたり、
冷めるまで回転させ続けるといった特殊な工程が
バウムクーヘンにはあり、
当時の日本の設備ではほぼ不可能と言われていました。
しかし「できるかできないかじゃない。やるんだ」と
仲間にたきつけられ、ユーハイムは奮起。
苦心の末に焼き上げたバウムクーヘンは、
一躍大人気商品になったのだそうです。
バウムクーヘンはドイツ人の意地と誇りの味なのです。

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奥村広乃 18年10月14日放送

181014-01
Photo by jamesjustin
原宿と浮世絵

若者文化の街。
原宿。
その賑やかな通りを
一本入った所に、
「太田記念美術館」はある。

そこは浮世絵を展示する美術館。

作品を保護するため薄暗い館内。
訪れる人は思わず小声になる。
そして緻密に描かれた人物や、
美しい色彩の景色に見入るのだ。
海外からも
多くの観光客が足を運んでいるという。

最新のポップカルチャーと
江戸庶民の芸術。
原宿で、2つの文化を
味わってみるのはいかがだろう。

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澁江俊一 18年10月14日放送

181014-02

北斎と円

世界中の芸術家に影響を与えた
日本を代表する画家、葛飾北斎。

北斎が絵を描くときに使っていたのは
筆だけではない。
ぶんまわしと呼ばれる
竹で作られたコンパスを使って
いくつもの円を書きながら
北斎は絵の構図を決めていた。
最も有名な神奈川沖浪裏も
19の円を描いて構図を決めたとされている。

すべてのものはぶんまわしと
定規があれば書けるとも語っていた北斎。
何気ない風景の中にも
たくさんの円と線が見えていたのだろう。

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澁江俊一 18年10月14日放送

181014-03

北斎と白紙

世界中の芸術家に影響を与えた
日本を代表する画家、葛飾北斎。

彼が90回以上も
引越しを繰り返したことは
よく知られているが
自分の名前さえ30回も変えている。
北斎はその1つに過ぎない。

すべては絵を描くことに集中するため。
肉筆浮世絵や挿絵、版画、
人物画や春画や風景画、そして北斎漫画。
次々と新しい領域に挑戦し続けた北斎。

天があと5年の間、
命保つことを私に許されたなら、
必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう。
と言い残し、90歳で世を去った。

引越しや改名を何度も何度も繰り返すことで
自らを常に真っ白な紙のような状態にしながら
北斎は自分の理想の絵を
追い続けていたのかもしれない。

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松岡康 18年10月14日放送

181014-04

グルメな浮世絵

美味いものを食べたい。
そんな時、ネットを見れば色んな飲食店の情報を
写真と口コミで見ることができる。

江戸時代、その役割を担っていたのは浮世絵だった。

歌川芳艶が描いた御府内流行名物案内双六では、
双六の形式を取りながら当時江戸で流行していた名物を描いている。

蕎麦、蒲焼、すし、天ぷら。
色鮮やかな食べ物や飲食店の名前も数多く見ることができる。

今の時代も江戸の時代も
グルメな国民性は変わっていない。

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