茂木彩海 11年7月30日放送


子どもの時間 手塚治虫

ベレー帽に分厚い眼鏡。
漫画の神様。手塚治虫。

子どもたちのために漫画を描き続けたその人は
きれいごとだけを並べて、
子どもを子ども扱いするようなことはしなかった。

鉄腕アトムで、愛と、後戻りできない科学への不安を。
ジャングル大帝で、自然の広大さと、人間の愚かさを。
ブラックジャックで、命の大切さと、それを操る不自然さを描いた。

そんな彼が小学生たちに言った言葉。

 人生で一番大きなショックの出来事を
 忘れないで大事に持っていてください。
 きっと役に立つ。

やさしくてやわらかい時間だけでは、子どもは大きく育たない。

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石橋涼子 11年7月30日放送


子どもの時間 いわさきちひろ

世界中の子どものために
絵を描き続けた画家、いわさきちひろ。

ちひろの描く子どもたちは、
あどけなく、のびのびと動き、好奇心いっぱいで、
その指先にまで画家の愛情がたっぷりつまっている。

しかし彼女の絵には、
現実の子どもはこんなにかわいいばかりではない
という批判が常に付きまとった。

彼女は晩年、こう答えたという。

 無償の愛で子どもをかわいがる、
 そんな聖母みたいなものじゃなくて、
 私のは、もっと、体質的なものなんですよね。

ちひろは、泥まみれでも、ケンカをしても、
やっぱり子どもがかわいいと思う。
そういう体質なのだ、と。

そう言われたら、もうどんな批判もかなわない。

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薄 景子 11年7月30日放送


子どもの時間 まど・みちお

詩人まど・みちおさんの目の上にはイボがある。
そのせいで、ものが二重に見えることを
まどさんは世界の見え方に
バリエーションがふえてうれしいという。

児童文学界のノーベル賞といわれる、
国際アンデルセン賞を日本人で初受賞。
100歳にして新たな詩集も出した
まどさんは、自身のことをこう語る。

 私は人間の大人ですが、
 この途方もない宇宙の前では
 何も知らない小さな子どもです。 

その天真爛漫な言葉は、
なんにだって不思議がれる、
まど少年の好奇心から生まれている。




子どもの時間 中川李枝子

子どものころ大好きだった「ぐりとぐら」。
くいしんぼうのぐりとぐらが
巨大なカステラをつくるページは
いま思い出してもワクワクする。

おはなしを書いたのは中川李枝子さん。
保育士の経験もあり、お母さんでもあった彼女は
子どもたちがびっくりする顔が見たくて
数々の名作絵本を生みだした。

 子どもはみんな問題児。

そう中川さんは言う。
それを個性と伸ばしてあげられるのは
むかし子どもだった大人の役目。

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熊埜御堂由香 11年7月30日放送


子どもの時間 モーリス・センダック

 わたしは、たとえるなら、
 編曲者であって、革新的作曲家ではなかった。

世界的ベストセラー絵本
「かいじゅうたちのいるところ」の
作者モーリス・センダックは
そう自分を評した。

1928年、センダックが生まれた年は
世界のヒーローも生まれた。ミッキーマウスだ。
彼はミッキーマウスの大ファンになり
のちの代表作、「まよなかのだいころ」の主人公に
ミッキーという名前をつけた。

ディズニーの影響を受けた登場人物を
古典的なイラストレーションで描くセンダックのオリジナリティは
自分自身の幼児体験にあった。

 わたしが人より優れていることがあるなら、
 子ども時代のことを、よく覚えてることだね。

それは、まぎれもなくセンダックだけのもの、
彼だけの才能だった。
センダックの絵本には
悪戯な子供や生意気な子供、大人が手を焼く子供が
が生き生きと描かれている。

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小山佳奈 11年7月24日放送


内田百閒 貼り紙

「百鬼園随筆」や「阿房列車」など
軽妙な文章と独特の世界観で
昭和の文壇に一陣の風を起こした作家。

内田百閒。

あるとき弟子が自宅を訪ねると
門の前に「面会謝絶」という
貼り紙がしてある。

ご病気ですかと弟子が
色をなして上がり込むと
そこには涼しい顔の百閒。

「近頃はいい具合に
 人がこなくなって
 ありがたい。」

彼は天才的な随筆家であるとともに
天才的に偏屈なおじさんでもあった。




内田百閒 鉄道

天才的な随筆家であり
天才的に偏屈なおじさん
内田百閒。

鉄道マニアの先駆けでもあった彼は
ついに念願かなって
東京駅の一日駅長に任命される。

しかし一筋縄では
いかないのが百閒。

箱根行きの特急列車を見送るために
ホームで敬礼していた彼は
発車のベルが鳴り終わる寸前、
見送るべきその列車に
ひょいと乗りこんでしまう。

呆然とする駅員たちに向かって
展望車のデッキから手を振る百閒。

そのまま箱根まで
鉄道の旅を満喫。

それ以来、
百閒に駅長の話は
来なくなった。






内田百閒 VS漱石

作家、内田百閒は図太い。

尊敬する夏目漱石に作品を送ったところ
「まじめだけどおもしろくない」
というありがたくない手紙をもらう。

普通の人なら絶望して
筆を折ってしまうところ。

百閒はちがった。

漱石の家を訪ねた百閒は
わたし芸ができるんです、と
いきなり両耳を動かし始める。
困惑する漱石。
無言で両耳をひくひくさせ続ける百閒。

根負けした漱石は
弟子入りを許可する。

しかし百閒先生、
もう少しマシな芸は
なかったんですかね。




内田百閒 借金

作家、内田百閒は
借金をする。

貧しいからではない。
たいていが贅沢のために借金をする。

晩酌に珍味を並べたくて借金。
二等車に乗れば帰れるところ
わざわざ一等車に乗りたくて借金。
しかも金を借りに行くのに
ハイヤーを呼んで、また借金。

「お金のありがたみは
 借金しなければわからない」

ここまで来れば
借金も哲学だ。




青年 内田百閒

憧れや、焦燥や、孤独や、絶望や。

文学を志す青年なら
誰しも持つそんな青さ。

18歳の内田百閒には
残念ながら微塵もない。

造り酒屋のひとりっ子で
存分に甘やかされて育った百閒。

東京の大学に行けることになっても
実家からちっとも出たくない。

二等車に乗るお金を
もらった手前しぶしぶ上京。

しかしごはんが合わないという理由で
3日で下宿を引っ越し。
あげくちょっと風邪を引いたからと
すぐに実家に帰る。

それでも
32歳でちゃんとデビューし
死ぬまで現役で活躍した。

人生80年。
焦るなんて、あぁ、ばかばかしい。




内田百閒 美食

天才的な随筆家であり
天才的に偏屈なおじさん、
内田百閒。

彼は食にもかなりの
こだわりがあった。

朝と昼はほとんど食べない。
すべては晩酌を思う存分味わうため。

先付けから香の物まで
その日に食べたいお品書きを
毎日、奥さんに書いて渡す。

時には「昨日の残りのポークカツレツ」
なんていう細かい指示まで。

偏屈な美食家の妻も
楽じゃない。




内田百閒 猫について


新聞広告の歴史上
おそらく最初で最後だろう。

尋ね猫の広告が出た。

広告主は作家、
内田百閒。

飼っていた猫が失踪し
そのショックから仕事も手につかず
夜も眠れなくなった百閒。

3度にわたり新聞広告を出し
外国人向けに英字広告までつくった。

それでも猫は戻らない。

手がかりに一喜一憂し
毎日泣いて暮らした。

普段はまわりの人をさんざんふりまわしている
内田百閒がこの猫にだけはふりまわされている姿は
気の毒だけど、ちょっとかわいい。




内田百閒 偏屈


偏屈というのは
決して褒め言葉ではないが
作家、内田百閒に限っていうと
つい嬉しくてそう呼んでしまう。

百閒が76歳の時の話。

一本の電話が
芸術院会員の内定を知らせる。

文学の世界でこれ以上ない名誉。
しかもかなりの年金も約束される。

しかし百閒は
あっさりと辞退。

気色ばむ選考委員に
こう答えた。

「イヤだからイヤだ。」

天才的な随筆家であり
愛すべき偏屈なおじさん、
内田百閒。

こんな暑い夜は
毒の効いた彼の文章が
読みたくなる。

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岡安徹 11年7月23日放送


闘うひと~アントニオ猪木

燃える闘魂、アントニオ猪木。

「元気ですか!」

世の中には、人を励まそうとする言葉が
あふれているけれども、猪木氏の言葉は
中身の濃さがちがう。

複雑な生い立ち、順風満帆とは言えない興業、
成功ばかりの人生ではなかった。
それでも、へこたれている姿などみたことはない。

「燃え尽きた時に、もう次に踏み出していたい」

元気があればなんでもできる。
そう笑う男は元気そのものに見える。




闘うひと~サッカー元日本代表監督/岡田武史

重圧という言葉の力を知る男、岡田武史監督。

二度目の日本代表監督、
世論の圧力にもかかわらず
その采配により快進撃を見せた。

岡田氏は言う
「重圧やプレッシャーは重力みたいなもので、
重力がないと筋肉も骨もダメになっちゃう」

いいプレーは強いカラダから。
優れた指揮は強いココロから。
プレッシャーに鍛えられた岡田さんのコトバだから、
かっこよかったんですね。




闘うひと~登山家/三浦雄一郎

登山家三浦雄一郎
75歳にして、2度目のエベレスト登頂という
偉業を成し遂げた。

もちろん、その挑戦は順調なものではなかった。
60歳を超えてからのトレーニング。無理をすれば身体が
悲鳴をあげ、ドクターストップがかかったこともある。

そんなとき三浦が心がけていたのは、
ゆっくりでも、止まらず進むということ。

「無理せず、一歩ずつ歩いていたら、
8,848メートルに立っていました」

どんな困難も、止まらず進めば
乗り越えられるんですね。


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渋谷三紀 11年7月23日放送


闘うひと~レディー・ガガ~

奇抜なファッションで注目を集め、
アメリカ「タイム」誌で
世界一影響力のあるアーティストに選ばれた、
レディー・ガガ。

まだ25歳。
若くして世界の音楽シーンの頂点に立った彼女にも、
マドンナの真似にすぎないと評された時期があった。

そんな声に傷つくガガのもとに、一通のメールが届く。

“love you GAGA.”

メールの差出人は、マドンナ。
同じ階段を駆け上がってくる
若い才能を認め、あたたかい賞賛をおくった。

マドンナを誰より尊敬していると前置きした上で、
ガガも言う。

私は、第二のマドンナになりたくない。
私がなりたいのは、レディー・ガガよ。

ライバルとはつまり、同じ高みを目指す
もっとも親密な間柄をいうのかもしれない。




闘うひと~為末大~

努力は夢中に勝てないんですよ。
というのは、ハードル走者、為末大のことば。

ほら、子どもがよく駅の名前を全部覚えたりするけど、

大人がやると十何倍も労力と時間がかかるでしょう。
とつづける。

何かに打ち込むことが
苦しみになる人間と、楽しみになる人間。
はじめから勝負は見えている。

だから子どもには
がんばろう。でなく、楽しもう。
と声をかけよう。




闘うひと~秋元康とAKB48~

プロデューサーの秋元康がAKB48のメンバーに
よく言って聞かせる言葉がある。

夢というのは、
ぐーっと手を伸ばした1ミリ先に存在している。

つまり、夢はいくら追い続けたとしても、
届くことも、触れることもできない。

そのとき、
「1ミリ先に夢はある」と信じてつづけるか、
「何も近づいてない」とあきらめるか、
そこが分かれ道になるんだ、と。

すぐ目の前の出来事を
ポジティブに見るか、ネガティブに見るか、
人生はそこから変わりはじめるのかもしれない。

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宮田知明 11年7月23日放送


闘うひと~江頭2:50

お前はいつだって全力だと言えるか?オレは言える。

番組に登場する短い時間の中で、江頭2:50ほど
自分と格闘している芸人はいない。

外国で逮捕されたり、番組で全裸になって
出入り禁止にされるような破壊的な芸風に対し、
彼が被災地にボランティアに行ったという話は意外性があり、
大きな話題になった。

でも、本人は特別なことをしたと思っていないらしい。
彼曰く、

おれはお金ないからさ。
体で払ってきただけなんだよ。

確かに、お笑いもボランティアも、
誰かのために体を張るという点では同じ。
全力で生きている、ただそれだけ。




闘うひと~フリードリヒ・シラー

ベートーベンの交響曲第九番
その四楽章の合唱部分の歌詞は、
ドイツ古典主義の代表者である
フリードリヒ・シラーの詩「歓喜に寄せて」を、
その愛読者でもあるベートーベンが歌詞として引用したもの。

詩の内容は、困窮を極めた放浪生活の末、
彼を助けてくれた友人たちに対する
感謝の気持ちを詩にしたものだと言われている。

多くの賛同者を得ながらも、
医学書以外の著作を禁じられ、
幽閉生活、そして亡命。
そんな不遇な経験をした彼だからこそ、
書きあげられた詩だった。

シラーは言う。

人は幸運の時は偉大に見えるかもしれない。
 でも、真に向上するのは、不運の時である。


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三島邦彦 11年7月17日放送


ヨーロッパの芸術家/ ジョアン・ミロ

20世紀絵画の巨匠、ジョアン・ミロ。
バルセロナに生まれ、パリで花開いた彼は、
狭い世界に閉じこもるのを嫌い、
作家のヘミングウェイなどと交友を深めた。
シュルレアリスト達を魅了したその奔放な作風は、
こんな言葉からもうかがえる。

リアリティは出発点であって、到達点ではない。

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三國菜恵 11年7月17日放送


ヨーロッパの芸術家/フジ子・ヘミング

日本とヨーロッパを股にかけるピアニスト、フジ子・ヘミング。
彼女は、実は絵を描くのも得意。
しかも、その楽しみ方がとてもユニークなのだ。

フジ子は、いちど描いた絵をふたたび取り出し、手を加える。
チョウチョや花を描き足したり、
女の人のスカートを、ちがう色に塗りかえたり。

だから彼女をおとずれた人は、時折ふしぎな顔をする。
いちど見たことのある絵なのに、どこか前とちがうから。

彼女は、いたずらげにこう語ってみせる。

ピアノも絵も今に満足しないで、
もっと上をめざすのが、フジコ流よ。

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