藤本宗将 13年1月13日放送


エヴァリスト・ガロアの20歳

天才数学者にして革命家。
エヴァリスト・ガロアは革命と反動に揺れる
19世紀のフランスに生を受けた。

自らの才能を自覚していたガロアは
学校教育を軽蔑し、独学で高等数学をマスター。
しかし20歳のときに決闘で若い命を散らしてしまう。

死を予見していたのだろうか。
決闘前夜、彼は「もう時間がない」という言葉とともに
数学的な発想の断片を走り書きで残した。
それは後の数学者たちの研究により、ガロア理論となる。

けれどもしガロアが20歳で死ななければ、
もっと偉大な成果を残したはずだ。
それは数式など必要としないほど、明らかである。

明日は成人の日。

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村山覚 13年1月13日放送


藤子不二雄の20歳

1944年、富山県の小学校に一人の転校生がやってきた。
少年の名前は「あびこもとお」。趣味は漫画。
すぐに友達ができた。同じく漫画が大好きな「ふじもとひろし」。

二人は漫画を描きまくった。
二人で描いた4コマ漫画が新聞に掲載されたこともあった。
しかし高校を卒業するとき、
漫画家になるという夢をいちど諦めた。

安孫子は富山新聞社に、藤本はお菓子メーカーに就職。
安孫子は新聞社でイラストを描いたり、インタビューをしたり、
充実した日々を送っていた。
一方、藤本はすぐに会社を辞めた。
漫画を描いては出版社に投稿する日々。

ある日、安孫子のところに藤本が来て言った。
「一緒に東京へ出よう。」
後に日本を代表する漫画家となる「藤子不二雄」は
夜行列車に揺られて上京した。二人とも20歳だった。

藤子・F・不二雄は、自叙伝でこう語っている。
「面白いマンガを描きたいと思いつづけています。
 夢に終わるかもしれないけれど、
 その夢が僕らを支えているのです」

20歳の夢は、ずっとあなたを支えてくれる。

明日は成人の日。

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村山覚 13年1月13日放送


上原ひろみの20歳

ジャズピアニスト上原ひろみは、
20歳まで大学の法学部で学びながら日本で暮らしていた。
彼女はインタビューでこう語っている。

「アメリカに行きたい!という気持ちがマックスになるまで
 待とうと思ったんです。そういうタイミングで行かないと、
 向こうの音楽学校へ入っても、埋もれてしまうんじゃないか、
 必要なことが吸収できないんじゃないか、と」

20歳で渡米したひろみは、
バークリー音楽大学を首席で卒業。
今や世界中のジャズクラブやコンサートホールで演奏をしている。

「自分自身がまだ体験したことがない
ドキドキするような音楽を追い求めている。
私が私にびっくりするくらい新鮮な音楽を作り続けていきたい」

20歳には、自分も驚くほどの可能性がある。

明日は成人の日。

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阿部広太郎 13年1月13日放送


マリリン・モンローの20歳

セクシーの中に垣間見せるチャーミングさで、
世界中の男性を虜にしたマリリン・モンロー。

彼女の芸能人生のはじまりはモデルだった。
16歳からはじめるも、鳴かず飛ばず。
20歳になって心機一転。
20世紀フォックスのオーディションに参加。
「女優」マリリン・モンローが
生まれたのはこの時のことだった。

契約を前に、モンローはこう言ったという。

「お金が欲しいんじゃない。
 ただ、素晴らしい女になりたいの」

当時無名だったひとりの女優。
でも20歳の志は、すでに一流だった。

明日は成人の日。

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阿部広太郎 13年1月13日放送


アン・サリバンの20歳

アン・サリバンの人生は困難の連続だった。

3歳の時に目の病気にかかり、
5歳の時にはほとんど見えなくなっていた。
その上、9歳の時に母を亡くし、
その悲しみから父はアルコール依存症になってしまう。

盲学校に入学したサリバンは、
学校での訓練と手術の結果、ある程度の視力の回復を果たす。
悲しい過去を乗りこえてきた自信、
道を切り開こうとする意志が、彼女を勉強に駆り立てる。

最優秀の成績で盲学校を卒業したサリバン。
そこに声がかかったのが、
「目と耳が不自由な子どもの家庭教師」だった。
その子どもこそ、ヘレン・ケラー。
サリバン、20歳。新たな困難への挑戦だった。

「失敗したら初めからやり直しなさい
 その度にあなたは強くなっていきます」

ヘレン・ケラーに言ったこの言葉は、
困難に挑み続けてきた20年の実感に違いない。

明日は成人の日。

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佐藤理人 13年1月12日放送


フランシス・ベーコン①「2人のベーコン」

 知は力なり

と唱え、学問の体系化に取り組んだ
ルネサンス期イギリスの哲学者、
フランシス・ベーコン。

約300年後の1909年、
彼の子孫がアイルランドに生を受けた。

体が弱く痩せっぽちなその男の子はやがて、
ピカソと並ぶ20世紀を代表する画家になった。
奇しくもその名は偉大な先祖と同姓同名の、
フランシス・ベーコンであった。


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佐藤理人 13年1月12日放送

patrick h. lauke
フランシス・ベーコン②「軍人の父」

アンソニー・ベーコンはいら立っていた。

息子のフランシスがひ弱すぎるのだ。
この間の仮装パーティで見せた女装はひどかった。
背中の空いたドレスを着て
イヤリングをつけた姿なんて女そのものじゃないか。
わが家は3世代続く由緒正しい軍人の家系。
これ以上あんなふるまいを許すわけにはいかん。

その日、寝室のドアを開けたアンソニーが目にしたもの。
それは母親の下着を試着するフランシスの姿だった。

息子がゲイだと知ったとき、
男らしさの塊のような父は何を思っただろう。

1920年代のイギリスで同性愛に対する理解など皆無。
アンソニーが感じたのはただ怒りだけだった。

家を勘当されたフランシスはロンドンに向かう。

自分がやがて20世紀を代表する画家になることなど
知る由もないその胸は、
父から解放された喜びでいっぱいだった。

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佐藤理人 13年1月12日放送

Cea.
フランシス・ベーコン③「生きる恐怖」

歯をむき出して絶叫する顔。いびつにねじれた肉体。
人間とも動物ともつかない奇怪な生き物。
画家フランシス・ベーコンが描く人物はどれも、
グロテスクにデフォルメされ、破壊されている。

アイルランド独立戦争と
二度の世界大戦を体験したベーコンにとって、
暴力は日常であり、死は身近な存在だった。
彼は言う。

 17のときです。道端に犬のフンが落ちていて、
 それを見ているうちに突然思ったのです。
 これだ、人生とはこういうものだ、と。
 自分は今ここにいるけれど、
 存在しているのはほんの一瞬であって、
 壁に止まっているハエのように
 たちまちはたかれてしまうのです。


人間はなんと無力な生き物だろう。
肉体とはただの容れ物にすぎない。
彼にとっては、生きていること、
それ自体が既に恐怖だった。

彼はその恐怖を、

 うきうきする絶望

と呼んだ。

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佐藤理人 13年1月12日放送

Francis Bacon
フランシス・ベーコン④「叫ぶ教皇」

 死が人を奮い立たせる。

フランシス・ベーコンの絵には、
常に暴力と恐怖の臭いが漂っていた。

彼が好んで描いた題材に
「泣き叫ぶ教皇」というものがある。

世界中のカトリック教徒を導き、
神の代理人をつとめるローマ教皇。
彼でさえ未知の力を前にして、
赤ん坊のように喚き、断末魔の叫びをあげる。

その絶望した表情は私たちに、
運命に対して人間は等しく無力である、
という残酷な事実を突きつける。

その彼をしても、

 新聞やTVを見てごらん。
 私が描くものは到底、
 今の世界の恐怖には敵わないよ。


と言う。

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佐藤理人 13年1月12日放送


フランシス・ベーコン⑤「むき出しの本能」

 何があなたに描かせるのか?

画家フランシス・ベーコンに
あるインタビュアーが尋ねた。

ベーコンは困った。

いくつもの戦争を経験し、
16歳からその日暮らしをしてきた彼にとって、
理由などなんの意味もなかった。

信じられるのは自分の本能。そして運。

 絵描きなら見る物を本能で描くことができるんだ。
 自己流で絶望しながら、本能に従って、
 あっちに行ったりこっちに行ったりしている
 ということだな。


描ける。だから描く。理由なんてない。

作品から一切の物語を排除し、本能のまま
むき出しの感情をキャンバスに叩きつけた
彼らしい答えだった。

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